第5話 ⑨

 しんと静まり返った廊下を急ぐ。急ぎながら怖くて足が止まりそうになる。

早く行きたいけど行きたくない。相反する気持ちのまま、でも足は止まらなかった。

 あのとき慈炎は明らかにびっくりしていた。溢れた思いが口から出ていたとしたら、もう引き返せない。それでも会いたくて仕方なかった。


 上がった息でがらりと扉を開けると、慈炎が窓の外に向けていた顔をこちらに向けた。いざ慈炎を目の前にすると急に緊張してくる。


「遅くなってごめんね。先生に呼び止められちゃって……」


「はは。雨留、息上がってんじゃん。そんな待ってねーし大丈夫だよ」


「……よかった」


 教室の電気は付いていなくて、慈炎の表情は分からない。ゆっくりと近づくと、慈炎が急に私の左肩に、頭をあずけるようおでこをつけた。


「!じ……」


「……うそ。もし雨留が来なかったらって、待ち時間、すげー長く感じた……」


「ご、ごめんね」


顔が近くて、息や高鳴る心臓の音まで聞こえてしまいそうで、わたしは思わず息を詰めた。しばらくの沈黙のあと、掠れた、消え入りそうな声で慈炎が呟やく。


「オレ、雨留に言ってなかったことがあんだ……」


「言ってないこと?」


慈炎がそっと顔を上げ、耳につけた銀の輪っかを外す。すると慈炎の瞳と毛先が緋色に染まる。


「前に言ったろ、閻魔には力があるって。オレは手で触れた人の、心ん中で思ってることを聞くことができんだ。普段は聞こうと思わないと聞こえない。でも、強い思いだったら、たまに聞こうとしなくても聞こえちまう……」


わたしは目を見開いた。


わたしが言っちゃったんじゃない。何度も強く慈炎を好きって思ったのが、聞こえてたんだ!


かぁぁっと顔が熱くなる。


「勝手に聞いて、ごめん。でも、すっげー嬉しかった」


慈炎の深紅の瞳が揺れてわたしを真っ直ぐに映した。



「———オレも雨留が好きだ…——」



 慈炎の声が耳を伝ってわたしの胸を震わせる。


「な、何度もそうだといいなって思ってた……。慈炎がくれる言葉とか仕草にドキドキするたびに、慈炎がそういう気持ちならいいなって……」


ああ、涙が出るのは悲しいときだけじゃないんだなぁ。


 胸がいっぱいで、熱くて、それに押し出されるように目から涙が溢れた。その涙を、慈炎が少しカサついた手で優しく拭ってくれる。

 

「雨留が天界に帰るって決めたなら困らせるだけだし言わないでおこうって思ってた。でも、雨留の気持ち聞いたら、聞いちゃったら、もう我慢できなかった……。

雨留、オレのこと好きなら、帰んなよ……」


 潤んだ視界の先、なんだか泣き出してしまいそうな、それでいて必死な慈炎の顔があった。彼のこんな顔をみるのは初めてだった。


「わたしも帰りたくない!慈炎とずっと一緒にいたい!!」


 気づくとわたしは大きな声で叫んでいた。

神とか閻魔とか、天界とか地獄とか、そういうことはもう考えられない。

 先のことは分からないけど、わたしは慈炎が好きで、ただ、一緒にいたい……


 気づくとわたしは慈炎の腕の中にいた。触れ合った場所から、温かい体温から、慈炎の気持ちが伝わる。


『大好き』


 わたしも胸の中に溢れている気持ちを伝えたくて、強く慈炎に抱きしめ返した。

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引きこもり女神は見習い閻魔に堕ちる あおい @aoimam

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