第94話 理玖32
午前中は検査を受けるために、病院内をあちこち移動した。床には道案内のラインが引いてあって、僕はそれを辿って検査室を巡って歩いた。
前に検査したときはスタッフの人が連れて行ってくれたけれど、今回は二度目なので一人で行けると断ったからだ。
検査が終わってお昼ご飯を食べると、
診察室にいる都築先生は、いつもよりずっとお医者さんらしく見えた。
「うーん、何にも見つからなかったね。残念! いや、残念は失言だったな忘れて。これと、これを見てごらん、綺麗なものだよ。若いっていいね。こんなにたくさん検査する必要はなかったかもなぁ。まぁ、半分は僕の趣味だからさ、申し訳ない。血液のほうは……うん、貧血もないね。来たときのデータにも別段異常はなかったんだけど、ほら、長期間吸血鬼の血液が体内にあった場合、肉体に影響があるかもしれないでしょ? 傷を治したり、運動能力を上げたりする力があるんだから。特に君の場合は、離れた足をくっつけるために大量に血を入れたみたいだし。あ! そうそう、足も見せてもらおうかな」
一瞬、診察室が静かになった。
都築先生は僕の顔を覗きこむ。
僕は相槌も打てないまま、浴びるように都築先生の話を聞いていたから、いきなり会話が止まって戸惑っていたのだ。
やっと先生の時間に追いついて、僕は入院着の裾をめくった。
「ちょっとごめんよ。傷跡もないね。歩くのに違和感はある? ない? よし。もうしまってくれていいよ。こんなに綺麗に治っちゃうと、その方向で研究してそうだよなぁ。そんな話は聞かないけど。でもこれまで研究されてないとしたら、何かあるんだろうなぁ。それとも、もうとっくに確立されていたりしてね。最初は、まあ、民間での医療には使われないんだろうけど」
もう僕自身も、正確な傷の場所はわからないくらいだった。
痛みと怖さの記憶は、ほんの少しだけ残っていたから、箱にしまって、蓋をして、身体の奥のほうに置いておくことにした。何かがあれば開くのかもしれないけれど、今は大丈夫だ。
もしかすると、今その蓋を開けてみても、案外平気なのかもしれない。でも、それは今じゃなくてもいい。
「明日には退院できるよ。といってもご両親がすぐに迎えに来られるかわからないか。きみの状態を説明するのにこれから電話をするつもりだから、いつ退院するのか相談しておくよ。きみの希望はあるかな?」
「希望ですか? いつ退院するのか決めて良いのですか?」
「そうだよ。もちろん、あと一ヶ月は入院していたい、なんて言われても困るけれど。例えば今日の夕方の飛行機で帰りたいっていうのなら、そう手配するよ。本当なら退院できるのは午前中なんだけれど、きみは子供だし、一人で東京にきて入院までしてるんだから、多少わがままを言ったって大丈夫さ」
「あの……明日っていうのは、ちょっと早くて」
「うん」
「明後日とか、明明後日が僕は良いのですけど……」
「わかった。良い感じに話しておくから。じゃあ、おしまい」
先生がそう宣言したので、僕は挨拶して診察室から出る。
受付の人に診察が終わったことを伝えると、病室のある八階へと戻った。
エレベーターをおりて、談話室のほうを見る。
二人は僕が戻ってきたことに気づいて、こちらを向いている。恭子さんが手招きした。
「遅くなりました」
もしかしたら、だいぶ待たせてしまったかもしれない。
僕が謝ると、桔梗さんは「今来たところだよ」と笑った。
「検査結果はどうだった?」
「異常はないみたいです。恭子さんのお話は済みましたか?」
「うん。一通りは聞けたから、次は理玖くんの番だ」
恭子さんの隣の席に座る。
何を話せば良いのだろうか。
公主の部屋には桔梗さんもいたのだから、話すとすればそのあとの出来事だ。けれど、ずっと恭子さんと一緒に行動していたのだから、僕しか知らないようなことはない。
そう正直に話すと、そんな心配はしなくても大丈夫だと柔らかく返された。
三人で校舎から出ようとしたら神様が来たこと。そこでトオルさんとわかれたこと。公主の部屋に戻ろうとしたところで、知らない男の人に襲われたこと。恭子さんがひどい怪我をして、それを助けるために僕は吸血鬼になろうとしたこと。結局失敗して、恭子さんが吸血鬼になったこと。
そんな話をぽつぽつとした。うまくは話せなかった。
話が終わると、担架で運ばれていった人のことを聞いた。気になっていたのだ。
桔梗さんは口を開きかけて、躊躇って、一度口をつぐんだあと、僕ら二人を交互に見たあとで、「亡くなったよ」と言った。
「犯人が立て篭っていた人たちの中にいるのなら、もう捕まってますよね?」
恭子さんがそう尋ねる。
桔梗さんは苦い顔をした。
「正直なところまだわからない。あの廃校に入った人数と捕まった人数がだいぶ違うみたいなんだ。きみらと同じように迷子になった人間が何人もいたはずなのに、捕まった人たちの中には一人もいなかった」
校舎を出入りできる場所は昇降口だけで、あのときは僕たちが出るために裏口を公主が開けてくれた。
僕は裏口へ行くための部屋にいて、そこから恭子さんたちのことを見ていたから、誰かが通れば気づかないはずない。
「あの裏口からは誰も通らなかったと思います。でも、違う場所からあの部屋に入れるのなら、暗かったし、気づかなかったかも」
「そんな余裕なかったしね」
もちろん、昇降口以外からは出入りできないというのが、本当だったらの話だ。
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