第65話 理玖22
バックドアくん。
公主は突然現れた男の人にそう呼びかけた。
桔梗さんの身体が少しだけ動く。でも呼ばれた本人は瞬きひとつしなかった。
公主はそれを見て、軽く机をノックした。
なんだろう。
「そんなもので僕を殺せるのかな? あ、僕を殺すつもりで来たんだよね?」
その言葉に男の人は返事をしたようだった。けれど聞こえなかった。
僕の見えないところで、男の人は武器を持っているのかもしれない。
「ふーん。違うの。こんなことまでしておいて」
公主はいかにも失礼を受けた、というような顔をしてみせたあと、すっと目を細める。
「ああ、その水溜まりの向こうに、どちらかが控えているんだね? 貴婦人あたりなら、手を貸しそうだ。鏡の中の世界に招待するなんて言えば面白がってね。たしかに、それなら僕を抑えられる」
ゆっくりと目を閉じた。
「いいや、うん。良いんだ。別に怒っているわけではない。きみにも会えたから……それは、まあ、賭けだったけれど」
それから公主はこちらに、恭子さんに目を向けた。
いろんな色が溶け込んだような不思議な目。
僕のことを見ていないとはいえ、あまりじっと見つめることはできなかった。心の底がざわざわして落ち着かなくなる。叫んで走り出したくなる。
「きみたちは用があってここに来たんじゃないのかな?」
そうだった。
恭子さんを吸血鬼にしようとした犯人が公主かどうか確認するために来たんだった。
僕は恭子さんを見る。
他のみんなも恭子さんを見ていた。
恭子さんは息を短く吸い込んだ。不安そうに両腕を胸の前に持ってくる。
それから一度トオルさんを見た。
たぶん、比べているのだと思う。
この中で人を吸血鬼にできるのは、公主とトオルさんだけだから。
「あの、自信はないけれど、違うと思います」
そう恭子さんは言った。
誰かが息を吐いた。それは安心したからだろうか、それともがっかりしたから?
それを聞いて桔梗さんは部屋中を見回してから、公主に礼をした。
「公主、いきなり大勢で押しかけて申し訳ありません」
「構わないよ」
「失礼ついでに一つだけ。この学校に公主以外で、本物の吸血鬼はいらっしゃいますか?」
「いないよ、今はね。いればわかる」
「では、今じゃないときはいるのですか?」
「日本語がおかしいよ……どうだろう。僕がいないときに誰がいるかなんて知らないよ。ここはもう僕の家ではないし」
「そうですか。それが確認できれば我々はここでお暇を」
「待ちたまえよ。こちらの用が済んでいない。きみもだよ」
最後の言葉は隣の男の人に言っていた。少しだけ移動して見てみると、公主の手が男の人を掴んでいるようだった。
公主はそれほど力を入れているようには見えないけれど、きっと男の人は動けないのだろう。
微かにコツコツとした靴音が聞こえてきた。
女の人が履く、ヒールの高い靴。お母さんはあまり履かないけれど、シューズボックスには入っている。
靴音は僕らの部屋の扉の前で止まった。
控えめなノックの音。
あれ、いつ扉が閉まったのだろう?
桔梗さんが入ってきたときは開いていたと思う。そのとき閉めたのだろうか。
あのときは恭子さんの知り合いが転びそうになって、それから男の人が現れて、びっくりしていたから、覚えていない。
あれ?
知り合いの人はどこにいったんだ?
それを誰かに聞きたかったけれど、みんなの視線が扉に向いている。
扉がゆっくりと開く。
やってきたのは女の人だった。
唇の端に小さなほくろがあった。それが一番に目に入った。
つやつやした黒い髪が長くて、色が白くて、とても綺麗な人だ。ところどころ黒い模様が入ったワンピースを着ている。
女の人の鋭い目が一瞬で僕を通り過ぎて、部屋の奥を見る。
桔梗さんがよろけた。
「……
誰かがその名前を呟いた。
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