第36話 恭子17

 見つかりっこない。

 一日に何百万人も利用する駅の近くだ。

 でも見つけられるとしたら、今日が一番可能性が高い。


 身体は疲れていて、今すぐにでもベッドに戻りたいけれど、行かなければ。

 そう。あの人は行かなければいけないと言っていた。

 約束か、仕事か。

 待ち合わせにしては早い時間だったから、仕事だろうか。

 だとしたら、夕方に同じ場所を通るかもしれない。


 私は今朝と同じ場所に立った。けれど、西日が眩しくて、長時間ここにいることは無理だと早々に諦めて、この場所が見下ろせるカフェへ移動した。


 歩いていく群衆の、一人一人の顔はかろうじて判別できる。

 ただ、今朝の、あの混乱の中、ほんの数分会っただけの人を見つけられる自信はなかった。


 逆に見つけてもらおうか。

 でもどうやって?

 向こうは私のことを心配してくれたけれど、探し回るほどではないだろう。


 目は人探しをしたまま、頭は今朝のことを思い出す。

 迷子かと声をかけられて、その道を渡るなと言われて、自分の場合はバスなのだと言っていた。

 先人だとも。

 たぶんあれは、先輩くらいの感覚で使われていた気がする。


 つまりは、彼も吸血鬼なのだ。


 笑いたくなった。

 ばかばかしい。

 以前なら絶対に信じなかった。今も信じられない気持ちのほうが大きい。


 涼子がいなくなって、いろんな人に会って、昨夜のことがあった。そして今、この手に傷が残っているから、少しだけ、本当のことかもしれないと思える。


 太陽がビルの奥に隠れた。

 人通りが多くなり、それらしい人を確認していくこともできなくなった。


 信号機が青にかわり、堰き止められていた人がどっと流れていく。

 スクランブル交差点の真ん中で、立ち止まっている人が目にとまった。


 これまでも、写真を撮るために立ち止まる人はたくさんいたけれど、その人はこちらのほうを見ている。


 顔は遠くて見えない。

 Tシャツにデニム。

 私は立ち上がる。

 今からこの店を出ても間に合わない。

 なら、どこへ向かうのか確認してから動いたほうが良いのか。

 信号はもうすぐ変わってしまう。

 その人は手を広げる。そして、おそらく人差し指を立てると、こちらに向けた。


 信号が点滅する。

 人の流れがぶつりと切れて、交差点に残っている人たちが走り始める。

 見えるはずはないだろうけれど、私は頷く。

 その人はこちらへ渡ってくる集団に混ざって見えなくなった。


 私は窓に背を向けて、彼が来るであろうエスカレーターを見ながら待つ。


 五分ほどすると、その人は手にアイスコーヒーを持って現れた。


 迷うことなくまっすぐ私の隣にくる。

 私の隣の席に座っていた女の子が立ち上がった。

 女の子がちらりと私を見た。

 青い口紅にどきりとする。でも似合っていた。


 二人は小声でやりとりすると、女の子は立ち去り、入れ替わりでその人が席に座った。


「こんなに早く来るとは思わなかったよ。たいてい二、三日は寝込むからさ」


 隣にいた女の子は誰なのだろうかと思っていたので、言葉がすぐに返せない。

 そもそも、何から聞けば良いのか。

 助けてもらおうと思って来たけれど。


「あの、あなたは、トオルさんですか?」


 ようやくそう聞いた。

 彼は驚いた顔をしてから、ふっと息を吐いて笑った。


「いや、俺は伊織。トオルは、まあ、知り合いだよ」


 そして真顔に戻る。


「ああ、トオルの方面か……」

「どういう意味ですか?」

「吸血鬼になるって珍しいんだよ、今どき。他人を吸血鬼にできる吸血鬼っていうのも限られているし」

「あなたはできないんですか?」

「できない。だから、きみを一体誰が吸血鬼にしたのか、気になってたんだ」

「そのトオルさんは吸血鬼にできる?」

「できる。けれど、トオルじゃない。その周辺人物。だからトオルの方面って言ったの」


 伊織さんはストローでアイスコーヒーをかき混ぜる。


「きみはどうしてそんなことになってるの?」

「話したら私を助けてくれますか?」

「内容にもよる。助けるつもりで来てるけど」

「どうしてですか? 初めて会ったのに」

「そういう仕事をしてるの」


 そう言われて少しほっとした。

 金銭を要求されるほうが、そのほかを要求されるよりもずっと良い。


 私は最初から話し始めた。


 涼子が綺麗になったところから。

 目の前のアイスコーヒーは、口をつけられないまま氷が溶けていく。


 うまくは説明できなかった。でも、伊織さんは黙って聞いてくれた。


「助けるっていうのは、きみを? それともいなくなった友達も含めて?」


 私は後者で頷く。


「涼子がもし、危険な状態なら」

「それはわからない。そもそも、全然別のところにいるかもしれないし」


 涼子も私と同じように吸血鬼になりかけているかもしれない。

 涼子が危険な状態なら、今の私もそうだろうか。


 伊織さんは携帯電話を操作した。そして私に向き直る。


「きみが大丈夫なら、これから警察に行こう」

「私、捕まっちゃうんですか?」

「え? きみ、なにか犯罪でもしたの?」


 不法侵入は、そうだろう。


「違うよ。きみは望んでないのに今吸血鬼になりかけてるからさ。しかも未成年だしね。そのまま、人間に戻るまで保護してもらっても良いし」

「涼子はどうするんです?」

「警察に任せる」

「今もそうです。でも見つからない」

「部署が違うんだよ」


 吸血鬼されそうになって警察に行くということは、それに関連した部署があるということなのだろう。

 この傷で大騒ぎする作戦は、案外うまくいくということか。


 その部署に任せれば涼子は見つかるかもしれない。


 そうすれば、二学期からはまた、日常が戻ってくるだろうか。


 でも彼女の恋はどうなるのだろう。


 私は恨まれるだろうか。


「涼子が見つかれば、すぐに、会えますよね?」

「どうかな」


 伊織さんは顔を曇らせる。私に言うべきか、躊躇っている。


「彼女が綺麗になったって言ってたよね? なら、もう戻れない道を進んでるかもしれない」

 

 

 

 

 

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