第35話 ある妹の回想 2

 ――side佳那


「……はあ」


 家に帰った私は明かりをつける気力すら湧かず、そのままソファーに寝転ぶ。

 道場が休みだったのは本当に幸いだった。

 こんな調子で道場に行ったところで稽古に身が入らなかっただろうから。


 私はどうすれば良かったのだろう。

 あの時、続きを見せて欲しいなんて言わなければあんなことは起きなかったのか。

 彼女が虐められていることにもっと早くに気づけていれば良かったのか。

 それとも――。


「……」


 頭の中が後悔と申し訳なさでいっぱいになる。

 私にはもう立ち上がる気力すら残っていなかった。


「ただいまー」


 そんなことを考えていると、お兄ちゃんが普段通りの能天気な様子で家に帰ってくる。


「……おかえり」


 突然つけられた部屋の明かりのまぶしさに目を細めながら、私は疲れた声で返事を返す。


「どうした? 風邪でも引いたか?」

「……何でもない。学校でちょっと疲れることがあっただけ。少し休んだらすぐにご飯を作るから」

「そのまま休んでていいよ。今日の家事当番は俺が代わりにやっておくから」

「……ならお願い」


 代わってくれるというなら代わってもらおう。こんな調子で料理をしたところで絶対失敗するだろうから。


 お兄ちゃんが台所に立ってしばらくすると、美味しそうな匂いが漂ってくる。

 匂いから察するに恐らくミネストローネだろう。

 だけど私のお腹は何かを受け付けられる状態になかった。


「すぐ出来そうだけど食べれるか?」

「……まだ無理。冷蔵庫にでも入れておいて」

「はいよ。それとちょっとしたら外に出るから留守番よろしくな」

「……うん」


 お兄ちゃんは台所に戻って出来上がったものを冷蔵庫にしまうと、また私の所に来る。


「なんか買ってきて欲しいものとかあるか?」

「いい、気にしないで」


 もうそれ以上起きていることは出来なかった。

 心身の疲労が限界に達した私は、ゆっくり目を閉じると明日からのことを考え始める。

 とりあえずあのクズ共のことを先生に報告しよう。

 そして、私に何ができるかは分からないけど聖奈の漫画作りを手伝ってみる。

 それから――。


 その時、何か柔らかいものがかけられる感触が全身に伝わる。

 お兄ちゃんが毛布をかけてくれたのだろうか。

 それを確かめようとするが、どうしようもない眠気で瞼を開けそうにない。

 


「……『治癒魔法』」


 眠りに落ちるその間際、そんな声が聞こえると同時に体の疲れが和らいだような気がしたけど、それが現実で起きたことなのか夢の中での出来事だったのかは私には分からなかった。






◇◇◇




 あの出来事があった日以来、聖奈は学校に来なくなった。

 メッセージを送っても未読のままで、家の場所も知らないから直接会うこともできない。

 そんな状態が続いてやきもきしていた私にさらに追い討ちをかけたのが、聖奈を虐めていたあの3人に対して下された処分の内容だ。

 生徒指導室への呼び出し、それが、それだけが彼女たちが受けた罰だった。

 あとはホームルームで「いじめはいけません」と書かれたプリントが配られたくらいだ。

 聖奈が夢のために心血を注いで描いた作品、それをダメにした代償がたったそれだけ。

 彼女たちの保護者が頼み込んだのか、それとも学校が隠蔽を図ったのか。

 どちらかは分からないが、私はそれで納得することが出来ず、担任教師へ抗議することにした。

 それに対して教師は――。


『お前は余計なことを気にせずに勉強だけしていろ』


 と、冷ややかな態度で無理やり話を切り上げた。


 この一件で私の中の学校へ通う意欲はほぼ完全に消え失せたと言っていい。

 それでも私は何とか気力を振り絞って学校へ通った。

 毎日通っていれば、また聖奈に会えるかもしれない。またあの空き教室で何てことのない雑談をしたり、彼女が描いた素晴らしい傑作を見させてもらったり、そんな日常が戻ってくるかもしれないと信じて。



 そうして何日か経ったある日、私のメッセージアプリに一件の通知が届いた。

 差出人は聖奈、その内容はただ一言『明日の放課後にあの空き教室に来てほしい』とだけ。


 聖奈からメッセージがきた、本来ならそれはとても喜ばしいことのはずだ。

 なのに私は彼女のメッセージにどこか不安を覚えた。

 普段の聖奈とは全く違う文体、そして簡潔極まりない指示するような内容。

 これが本当に聖奈が送ってきたものなのか、私にはその確証がなかった。


 だけど今の私に行く以外の選択肢はない。

 聖奈にまた会える、その可能性を不意にすることなんてできないのだから。




「……聖奈、きたよ」


 空き教室のカーテンは閉めきられていて、廊下側からは何も見えない。


『入ってきていいよ』


 中から聞こえてきたその声は、多少くぐもってはいたが間違いなく聖奈の声だ。

 声色もどこか調子が良さそうに見える。

 そのことに私は少し安心感を覚えながら、扉を開けて――。



「……なにを、しているの」


 私は空き教室で行われていたそれに思わず恐怖を感じる。


 教室そのものは前に来た時と何も変化がない。前回と違うのは集まった面々だ。


 教室の中央、そこには3人の女子生徒、聖奈を虐めていたあいつらが今にも泣き出しそうな顔で腰をぬかしていた。


 そしてもう一方にいたのは―――。


「久しぶりだね。佳那ちゃん」


 紫色に輝く光の糸のようなもので宙に吊られ、頭には不気味な目玉が大きく描かれたマリオネットのような白い巨人。

 そんな化け物を伴いながら聖奈は暗い目でにっこりと微笑んだ。

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