第81話:最上位の騎士

 クルスは敵と自分に対する怒りに暗く燃えながら少しでも前へと歩を進めんとする。だが、剣が容易く前へと進ませてくれない。一歩ずつ、刻むほどに鋭さが増す。圧が膨れ上がる。悔しさが胸を焼く。歯がゆさに唇を噛む。

「くそ、くそ、くそ、くそォ!」

 届かない。あまりにも遠い。わかりやすく距離が示している。この位置が貴様の限界である、と。揺らがない現実が其処に在った。

 それでもクルスは一歩でも先を目指す。

 其処に理屈はない。


     ○


(……やはり、そうか)

 ユーグは笑みを深めた。クルスとノアの介入、其処から明らかに災厄の騎士、その剣の圧が落ちた。いや、正しくは分散した、か。

 自分一人で戦闘していては一生気づけなかった剣の発生、操る技術のカラクリ。魔族が用いる魔道の術理は不明であるが、最初はある程度パターン化された自動迎撃のシステムである、と見立てていた。

 導体のような何らかの式があり、それに沿って剣を運用している、そう思っていたのだ。だが、クルスたちの介入で其処にシステムとは思えぬ揺らぎが生まれた。意識の分割、ノアやクルスへ本体が意識を割き、結果として今まで一本化されていたユーグへの対処が少しばかり正確さを欠く。

 自動迎撃であるならそんなことは起き得ない。それこそ対処不能の負荷がかかるまでは。たかが二人の追加でそれはないだろう。

 騎士にとって取るに足らぬ存在であろうとも、騎士剣を握る者たちである以上一定の警戒は必要。そのわずかな綻び一つで、極限の戦場は揺らぐ。

 これら全てをこの災厄の騎士一人が行っている。人力、と言うべきかはわからないが、その処理能力や技量はやはり驚嘆に値する。

 されど、

「……賭けるなら、ここしかないか」

 相手の弱みが見えた。相手の底が見えぬ以上、危険な賭けになるのは変わらない。だが、ゼロではなくなった。ユニオンからの増援の到着まで死力を尽くし時間稼ぎをする。この選択肢とは別の道が見えた。

 時間稼ぎの利点は自分が敗れてもその残り時間の間犠牲が多少出るだけで済む、と言うこと。ローリスクローリターン、と言える。

 『賭け』の利点は勝てば犠牲はなく、負ければ時間稼ぎよりずっと多くの犠牲者が生まれる、と言うこと。ハイリスクハイリターンである。

 ユーグはほんの少しだけ迷い、

「ノア・エウエノル! クルス・リンザール!」

「「っ!?」」

 講義では見せない戦場の、騎士としてのユーグが、

「二人を戦力と認識する! 常に圧をかけ続けろ! 身命を賭し騎士として戦え!」

 二人の若き騎士へ命令を下す。

 その言葉は有無を言わせずに、

「「イエス・マスター!」」

 二人にやるべきことを与えた。

「あとリンザールは無駄な『怒り』を捨てろ」

 教育者としてのユーグであれば絶対に言わない。これは彼にいばらの道を、レフ・クロイツェルと同じ道を勧めることになるから。ただ、今はほんの少しでも力が要る。目の前の怪物から意識をより多く奪うために、

「削ぎ落とし、目先の敵にのみ集中!」

 業腹であるが個の進化を促す。

「……イエス・マスター」

 削ぐ。クルスは言われたままにフレンから未来を奪った敵と自分への怒りを削ぎ落とした。目先の剣にのみ集中する。熱が消える。

 ただ剣と自分だけが其処に在った。

「それでいい」

 クルスが一歩、踏み出す。剣の冴えが増した。その分、クルスへ意識が向く。その分、己への意識が薄くなる。ノアは何の問題もない。しっかり状況を理解し、相手から意識を奪うために全力稼働している。あれで利口なのだ。『自分』を持て余しているクルスよりも『自分』と向き合い続けたノアの方がその点は上。

 超スピードを生む魔力『量』異常体質、あそこまで動けるようになるのは苦労しただろう。自分なら、ユーグだから、それがわかるのだ。

「……さあ、勝負と行こうか」

 ユーグ・ガーターもまた、彼と同じ選ばれし者であるから。

 男の目が、赤く充血し始める。


     ○


「……クルスが、なんで、あそこまでやれるの?」

 ジュリアがこぼした言葉、それはこの場の多くの者が抱く感想であった。ノアはわかる。単純な速さだけで言えばユーグよりも速いのだ。上手く立ち回ればあれぐらい彼なら出来る。だが、クルスは違う。この中でも際立って上手いわけではない。強くもない。守りは上手いが別に鉄壁でもない。ジュリアは一度後れを取ったが、彼女は上の学年も混じったこの特別クラスに置いて平均的な位置であり、その彼女から一本取ったとしても突き抜けた存在とは言えない。

 それなのに今、災厄の騎士と秩序の騎士が争う戦場に首を突っ込み、戦力として認められているのだ。異常なレベルアップ、と言える。

 だが、

「……ティル・ナ先輩との戦いを思い出しますわね」

 フレイヤは他の者たちより少しだけ驚きは薄かった。クルスが力に対し、異常な適応能力を持つのは以前、裏卒業式で見ていたから。

 もちろん相手は災厄の騎士、いくら首席の先輩の剣と言えども何から何まで比較にならない。ただ、ほんの少しだけ思うのだ。

 あの二人は何処か似ていた、と。

「非力さを補うためと思っていたのだがね。どうやら初めから対魔族用の剣だったか。つくづく美しい設計だよ。魔を断つ剣として合理を突き詰めている」

 シャハル、レイルの言語化がフレイヤの靄を晴らす。

 そう、クルスの剣は初めから魔族と戦うためのものであったのだ。ティルと同じ発想、されど方向性は真逆である。ティルは魔族と戦うために才能と共に自らの技を、力を、人以上の力を持つ魔族と並ぶほどに鍛え上げた。クルスは魔族と戦うため力を捨て、人以上の力を受け流すことに特化した剣を体得した。

 それはクルス自身も知らぬこと。

 設計者、『先生』、ゼロス・ビフレストのみが知る、

「魔に最適化された剣だ。当然、人相手より噛み合う。それだけのことさ」

 あれがクルス・リンザールに授けられた剣、である。

 治療をしながらレイルは笑みを浮かべていた。これほど興味深い観察対象はいない。突発型以外のダンジョン攻略がマニュアル化され、魔王などの強大な敵も現れることなく過ぎた百年が騎士から魔族への警戒を失わせた。魔族の脅威は薄れ、人同士の争いが過熱することで騎士の剣は嫌でも対人を、対騎士を意識せざるを得なくなった。その分薄れていた旧き騎士が彼には搭載されているのだ。

 旧く、そして新しい。

 実に哲学的ではないか、とレイルは哂う。

「マスター・ガーターの様子が変だぞ!」

「……何か、苦しんでないか?」

 その時、他の学生たちが戦場の異変を指摘する。主にユーグの様子がおかしくなってきたのだ。遠目でわかり辛いが、何処か剣に荒さが出てきたような――

「なるほど。どうやら勝つ気のようだ。我らが秩序の騎士様は」

「……君は、何を、知って、ぐっ」

「話さない話さない。まだ予断は許さないからね。大したことではないよ。界隈じゃ有名な話さ。マスター・ガーターは唯一、ユニオン騎士団において体力の温存に努めるよう、あらゆる特例が認められている存在だ。その理由が――」

 遠目でもわかるほど、剣の雰囲気が、身にまとう気配が、変わる。

 静謐な姿はもう、ない。

「――魔力『超伝導』体質。ノア君、フレイヤ君らに近い、才能であり障碍を持つ選ばれし騎士、と言うわけだね」

 界隈の情報通が揃うこの場で、誰も知らなかった情報がレイルの口から語られた。その情報通り、ユーグの雰囲気は激変する。

 静から動へ。

「そして、そのためのハイ・ソード、か」

 下から上へ。

 騎士の性質が全て、ひっくり返った。


     ○


「ハァァァアア」

 ユーグは剣を上段へ構える。眼から、口の端から血がこぼれ、血管のような何かが顔や手の甲などで蠢く。剣が輝く、血の気配と共に。

 その姿からは命の匂いがした。

『■■』

 災厄の騎士は異変を察し、ここに来て初めて後退を選択した。様子を見る必要がある、と考えたのだろう。

 だが、そんなこと――

「悪ィが時間がねェんだよ。『俺』にはなァ!」

 今のユーグには関係がない。どん、と先ほどまでの静かな踏み込みは何処へやら、爆発のような音と共にユーグは突貫する。

『■!』

 先ほどまで同様、切れ味鋭い剣の応酬。されど、ユーグは先ほどまでとはまるで違う速度域で、まるで違う反応速度で、

「ウルァ!」

 必要な分すべてを切り伏せた。速さと力、何よりも超反応、あとは体に染みついた技が勝手に最善手を打ち、相手を破壊してくれる。

『■ッ!?』

「とりあえず、死ねェ!」

 先ほどまで必死に埋めていた距離を一瞬で踏破し、災厄の騎士へと肉薄したユーグ。目の端ではしっかりとノア、クルスらがユーグの本領発揮で余裕が出来た分、相手に楽をさせまいとより踏み込んでいることを確認していた。

 荒く見えるが、其処はユーグ・ガーターである。冷静であり、相手へ肉薄する力もある。では手抜きであったかと言うとそんなことはない。

 初めからこの手が選べなかったのは――

『■■■!』

「ちっ」

 がぎん、と重苦しい音が爆ぜる。とうとう、ユーグの眼前には腕組みを解き、自らの腕すらも剣へと変えた災厄の騎士が真価を発揮していた。

 やはり想定よりも底が、懐が深い。

「だが、もう後戻りは出来ないんでなァ! 一気に征くぞォ!」

『■■!』

 苛烈極まる剣戟の嵐。嵐のような応酬である。どちらも全戦力を投入し、勝負を決さんと剣を操る。

 恐ろしいのは、

「くそ!」

「ぐっ」

 災厄の騎士はその最中でも当たり前のようにノアとクルス、両面への警戒を捨てずに、全てへ最善の対処をし続けていたのだ。

 尋常ではない。この時点でユーグは当初の目算通り、単独での撃破は夢物語であったことを知る。今の自分で届かないのであれば、残念ながら単独で眼前の怪物に勝てる騎士などおそらく、いない。

 全盛期のウーゼルやウルですら単独では届かないだろう。

(最上位の騎士(リッター)か。まったく、其処まで評価されていたとはね。嬉しいですよ、マスター・ゴエティア)

 人生最強の敵。今まで出会ったことがない巨大な絶壁を前に――

「ハハハハハハハハァ!」

 不思議と笑いが込み上げてくる。不謹慎だと思ったが、それでも止められない。止まらない。ユーグは笑う。笑いながら死力を振り絞る。

『■■■■■■■■ァ!』

 災厄の騎士もまた笑っている、気がした。

 時間制限付きの当代最強の騎士、ユーグ・ガーター。

 『人剣』と謳われたサブラグ陣営第二位の騎士、シャクス。

 至高の騎士同士の戦いが加速する。

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