第80話:それぞれの何がため

 ユーグは唖然とする。ここまでの攻防、魔族でありながらその剣は正確無比であり、受け間違えさせたことはあっても、受け間違えたことなど一度もなかったのだ。

 それなのに今、あっさりと逆袈裟にかなり深い一撃が通る。

 油断か、それとも――

(……ピコの、いや、それ『以前』の損傷が尾を引いているのか?)

 肉薄した際に気づいたのだが、この災厄の騎士は何故かすでに高温で熱されたような、不自然な損傷が鎧や継ぎ目に見受けられた。とは言え騎士の動き自体に不自然な点は見られず、技の体系は異なれど一種の尊敬を抱くほどの使い手であった。

 そんな騎士が果たして、こんな簡単なミスをするだろうか。

(……何処を見て――)

 斬撃を放ち、追撃の姿勢を取りながらユーグは災厄の騎士、その視線を辿る。自分に向いていない。先ほどまで見せていた練達者の余裕とも違う気がする。

 その先には、

(――クルス・リンザール? 何故?)

 フレイヤに腕を引かれながらも抵抗の意思を示すクルス・リンザールがいた。ユーグとしてはさっさと全員離脱して欲しく、そもそもこのレベルの相手であればピコ以外を戦力にカウントする気もない。現状、手合わせしている限りメガラニカの教師陣ですら、下手をすると足手まといになり得るだろう。

 この場における学生最強、ノアとてそれは例外ではない。

 ただ、今の問題は其処ではないのだ。

 大事なのは――

『■■■ァァアアッ!』

「しまっ――」

 災厄の騎士が何故そちらを見ているのか。その目的は、ただそれだけである。ユーグを一切眼中に収めず、騎士は絶叫と共に視線の先へ動き出す。

 間に合わない。単純な競争では届かない。瞬時にそう判断したユーグは己が命綱である騎士剣を投擲し、敵の背中に突き立てた。

 それでも――

「――たァ!」

 災厄の騎士は振り返ることなくただ、進む。

 何がために騎士は――駆ける。


     ○


 来た。

「クルス!?」

 クルスはフレイヤを突き飛ばし、彼女の拘束を解いた。とんでもない圧が来る。背筋が凍り付く。場違いなのもわかっている。

 それでも、

「エンチャント!」

 クルス・リンザールは戦うことを選んだ。死は恐ろしい。だが、クロイツェルが言ったように、何者でもないクソな己に戻ることの方が何倍も恐ろしい。

 あの頃には戻らない。何かに成る。騎士に成る。

 それはクルス・リンザールを縛る呪いである。

 そのためなら別に死んだっていい。死んで失うモノなど命だけ。家族は誰も悲しまない。周りもそう。今の自分ではすぐに風化する。

 クルスはそう考えている。必要とされねば無用である、無価値である、と。

 無価値な己を惜しむな。

 命を、投げ出せ。

 ゼー・シルトの構えを取り、溢れ出る恐怖を心の底にある虚無で削ぎ落とす。これは要らない。あれも要らない。

 この瞬間には剣だけでいい。

「見え、たァ!」

 生まれて三度目、深く静かにクルスは辿り着いた。今の己が持てる最高の集中力と最高のタイミング、これ以上はなかった。

 これ以上はなかったのに――

『……■』

 自分史上最高のカウンターは肉薄した災厄の騎士の手で、まるで赤子でもあやすかのような手つきで、ちょん、とつまんで止められていた。

 確信が崩れ落ちる。

 だって、相手の眼には敵意がない。殺意がない。

(……殺す、価値もないって、ことかよ!?)

 クルスはそう解釈する。それは彼にとって死よりも重い現実であった。『騎士』と自分の距離が、否応なく突き付けられていたから。

 何故其処に敵意がないか、殺意がないか、まるでやんちゃ坊主でもあやすような手つきにどういう意図が含まれているのか、それは思考の外側。

 ただ、思う。

 自分は『騎士』に届かな――

「クルスッ!」

 そんな自分のことばかり考えていたクルスを、一人の少年が突き飛ばす。

「エンチャントォ!」

 クルスと『騎士』、その間に迷いなく割って入ったのはクルスと同じ『騎士』を志す少年、フレン・スタディオンであった。彼はいつでも迷わない。自分の人生がかかった入試が迫る中でも迷わず民に手を差し出し、今もまた親友を救うべく動く。

 例えそれが――

『■■■■■■■■ッ!』

 災厄の騎士、その逆鱗に触れることになろうとも。

 フレンは迷わない。

「……駄目だ、フレン! 今の君でも――」

 いつだって、

「来い! 俺が相手だ!」

 迷わず選び、あとで悔いる。されどその姿は誰にも見せない。

 そういう男であった。

『■ッ!』

 その少年の未来を――災厄の騎士の怨讐が砕く。

「……っ」

 名門の貴種、しかして挫折と努力を繰り返し磨き上げた剣の技、それを繰る利き腕である右腕を、地中より現れた剣が切り裂き、千切る。鎧袖一触、零距離の『騎士』が放つ剣は、若く才能ある少年に抵抗すら許さなかった。

 『騎士』の命脈を断つ。

「あ、あああ、あああああああああああ!」

 自分の命は容易く捨てられた少年が、無価値な自分を守り明日を失った友を見て絶叫する。何故、どうして、なんで己なんかを、そう思いながら――

「ああああああああああ!」

 ただ叫ぶ。

 誰も動けなかった。フレン以外、誰も。フレンよりも近くにいたフレイヤも、災厄の騎士が放つプレッシャーを前に身動きが取れなかった。他の者も同じ。彼だけが動き、彼だけが失った。何という理不尽か。

 されど、これが戦場である。

 勇敢な者から失うのだ。

 災厄の騎士はクルスの方へ視線を向ける。相変わらず敵意はない。殺意もない。フレンにはそれを向けたのに、自分には微塵もそれがない。

 それがあまりにも悔しくて、憎くて――

「未熟な者を嬲るのが趣味か、騎士(リッター)?」

 ユーグは顔を歪めながら、災厄の騎士の背中に突き立った自らの剣を掴み、そのまま切り上げた。さしもの災厄の騎士も揺らぐ。

『……■■』

「……同じ騎士として威風堂々とした剣、敵ながら敬意を抱いていたのだが、今の愚行で消し飛んだ。成らず者よ、来い!」

 再び秩序の騎士と災厄の騎士が刃を合わせ始める。ユーグは巧みに皆から距離を取るよう動き、相手を釣る。

 ユーグは悔いる。相手を信じた己の浅はかさに。剣を通し、他の魔族とは違うと思った。ミズガルズの民をただただ蹂躙する魔族とは違う、騎士なのだと。

 だが、違った。この者もまた魔族でしかない。

「……僕が間違っていた」

 その証拠に、

『■■■■■■■■ォッ!』

 理不尽な怒りがユーグへと向けられていた。怒り狂いたいのはこちらだと言うのに、若き芽を摘んだのはそちらだと言うのに、眼前の化け物は猛るのだ。

 まるでこちらが悪いと言わんばかりに。

 不愉快だ、とユーグは仕切り直す。あちらを気にかける余裕はなく、そもそも自分が手すきであっても出来ることはあまりない。

 それに、偶然にもそういう『人材』がいるのだ。

 なら、任せるのみ。


 先ほどよりも激しいし等が繰り広げられている最中、

「……ぐ、ぅ」

「フレン、今、応急処置してあげるから。大丈夫、講義で、習ったし」

「……あ、はは、き、貴重な、実践、だ。ぐ、う、失敗しても、はぁ、はぁ、恨まない、から。気楽に、頼む、よ」

「馬鹿!」

 右腕を欠損したフレン、その傷口からの失血を止めようとジュリアが奮闘していた。だが、講義で実践では当たり前だが勝手が違う。そもそも四肢の欠損などプロの騎士でさえ処置を迷う重傷である。ただの学生では――それがわかっているから弱り切っているにも関わらず、フレンは笑顔でジュリアに諭すのだ。

 失敗を背負うな、と。

「ボクは彼を捨て置き離脱すべきと思うが、どうだろう?」

 そんなフレンを捨て置き、未来ある者を生かすべきだとシャハルは言う。ぎろりとジュリアは彼を睨み、ふざけるなと意思を示した。

「……合理的ではないが、どうやら皆捨てる気はなさそうだね。やれやれ、仕方がない。ボクが診よう。それが次点の合理というものだ」

「は? あんただってただの学生でしょ」

「ボクの本名はレイル・イスティナーイー。騎士学校に籍を置くが、本業は魔導生体学の研究者だ。必要ゆえ一通りの医術も習得している。退きたまえ」

「……え?」

「邪魔だ」

 げし、と無慈悲な蹴りがジュリアに炸裂し、シャハルことレイル・イスティナーイーはフレンの傍に座り込む。

「ここが清潔な環境で、手術道具が揃い、助手の一人でもいれば腕を繋ぐ術式を試してみたかったが……生憎ここは戦場だ。命の保全を優先するよ。いいね?」

「……あり、がとう」

「感謝されるいわれはない。ボクはただ、さっさとあの怪物から逃げて自分の命を守りたいだけさ。じゃ、始めるよ」

 かり、とレイルは自らの指を噛み、掌に何かの術式を描き込む。見る者が見れば戦慄する光景、今は過去の遺物として失われつつある――

「……エンチャント、技術ですわね」

「ご明察。君の盾と同じ骨董品さ。そういうの、結構好きなんだよ、ボク」

 フレイヤが指摘した通り、それはかつての騎士が習得すべき技術の一つでもあり、その習得の難しさから敷居を跳ね上げていた技術、今となっては医療現場ですら再現性の難しさから失われつつある旧時代の遺物、エンチャントであった。掌に魔術式を血で刻み、自らの魔力を治癒に最適化させる。

 口にすれば簡単だが、個人個人で魔力は微妙に異なり、検査なしで治療行為を行うのは相当リスクのある行為である。

 が、レイルの動きに澱みも迷いもない。こなれた様子である。

 人間を、生き物を、相当数弄っていなければこうはならない。

「君、布で患部を圧迫。それぐらい役に立ちたまえ」

「ひ、人を蹴っといて……わ、わかりましたァ!」

「元気でよろしい」

 友の命には代えられない。普段ならば蹴り返すジュリアであったが、ここは全力で友の命を繋げるため協力する。さっきまで恐怖でまともに動けなかったけれど、今は体がしっかり動く。フレンを救い、とにかく逃げる。

 レイルは掌をかざし、魔力を注ぐ。

「ぐっ」

「おっと、言い忘れていたがかなり痛いよ」

「先に、言って、欲しかっ、た」

「すまないね。痛みを考慮すべき案件が最近なかったからさ」

「……頑張り、ます」

 治療開始。


 それを尻目に――

「……ノア、何、考えてるの?」

「……この距離でも、俺の方が速く割って入れた」

 ノア・エウエノルは動かなかった。動けなかった自分に腹を立てていた。今、この場で誰よりも騎士として正しかった者を、見る。

 今、必死に生きようとしている姿を。

「……悪いな、アマダ。あとは何とか逃げてくれ」

「ノアは?」

「……剣の精度は落ちたが、その分敵は力が増した。マスター・ガーターも限界だ。治療が間に合わない可能性がある」

「駄目。ノアもあの人みたいに、殺される」

「はは。死んでねえよ馬鹿たれ。それにな、俺はもう、あの頃とは違う。俺には責任があるんだよ。人より騎士に向いて生まれた、責任がな」

 ノアは恐怖を飲み込み、いつものへらへらした笑みを浮かべた。

 自分はド天才です、という貌を。

「この超ド級の天才、ノア様がなァ、後れを取って、なるものかよ!」

 今、自分に出来ることをやるため天才が――


 クルスはフレンを見て、自らの傍に落ちているフレンの右腕を見て、絶たれた明日を見て、頭を掻きむしりたいほどの怒りに震えていた。

 敵が憎い。許せない。

 自分が憎い。許せない。

 何度も頭の中であの瞬間が繰り返される。何度も、頭の中でフレンの腕が宙に舞い、吹き飛ばされていく。許せない。許されない。

『一緒に高みを目指そう』

 自分如きにああ言ってくれた人がいた。

『約束だ、親友』

 自分如きを親友と呼んでくれた友がいた。

「ふざ、けんなカス」

 それは敵に向けた言葉か、それとも自分に向けた言葉か。

「死ねよ」

 誰がための怒りが突き動かす。

 今、何もかもを許せなくなった凡人が――


 動き出す。

「え?」

 同時の踏み出し、誰もが唖然とした。暴走である。少なくとも凡人の方は先ほど、嫌と言うほど突きつけられたはずである。

 現実を。巨大な力の開きを。

(……あいつ、何処まで馬鹿なんだ? 死にたがりを守る気はねえぞ!)

(死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!)

 戦場に異物が混入する。

「ちょ!?」

 ユーグはやめてくれ、と悲鳴を上げそうになる。ただでさえ限界が近いと言うのに、学生を二人守りながら戦うのは不可能である。何とか引き離したと言うのに、これでは元の木阿弥でしかない。馬鹿もん、と講義なら説教をしているところ。

 この場からいなくなってくれることが最大の援護なのだ。

 ただ、

「疾ィ!」

 少なくともノアは冷静であった。フレンの生存率を上げるため、囮となるべく大外へと回りながら距離を取り相手を引き付けようとしていた。

 相手を挟みユーグと逆側へ移動し、相手の攻撃を引き出して、

「遅ェ!」

 かわす。

 敵の剣速はユーグとの攻防で見て覚えた。近接戦なら手も足も出ないが、これだけ距離があれば問題はない。事情によりあまり長い時間は持たないが、全力稼働中ならまだ余裕がある。さらに踏み込み翻弄、とにかく敵を引き付ける。

 自分の足ならそれが出来る。

(……なるほど。ノアは大丈夫か)

 ユーグはノアの意図を察し、一定の理解をする。本音を言えばメラ・メル側のノアやフレンこそ離脱して欲しかったが、冷静に自らの力を計算に入れての動きならば認めなくもない。それに、ノアの介入で少しだけ――

(問題はもう一人)

 違和感を吟味する前に、先ほどからユーグが測っていた災厄の騎士の間合いに、クルスが到達してしまう。ノアはともかくクルスでは力不足。

 あの距離であっても歯が立たぬだろう。

 だが、

(だが、あの時の様子を見るに……もしかしたら彼もまた囮と成り得るのか? 明らかにクルス・リンザールに対してだけ――)

 クルスへの応手が先ほど同様手緩ければ、そういう使い道も――

 そう考えた瞬間、

「「ッ!?」」

 逆の特別扱い。あの距離では本日最速、恐ろしいほどの速さで剣がクルスを襲った。ユーグもノアも驚愕する中、

「死ねカス!」

 クルスが当たり前のようにそれを切り抜ける。受け、流す。ただし、この災厄の騎士の剣は近づけば近づくほどにすべてが増す。ほどなく、それ以上近づけぬほどのラインに至る。しかし、其処はユーグの見立てよりも随分深い。

「……まさか、な」

 ユーグの顔に笑みが浮かぶ。まさか、自分が死力と尽くすような戦場に学生が踏み込んでくるとは思わなかった。まさか、それによって――

(……感謝、しなければね)

 活路が見出せるとは思ってもいなかった。

 天才と凡人、双方未熟者。その乱入が、

「……行け、クルス」

 戦場の趨勢を揺るがせる。

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