第65話:サマー、開幕

 騎士学校におけるサマースクールとは――

 かつて騎士は選ばれし者が選ばれし学校に通い成るもの、であった。しかしエンチャント技術の発展、魔導革命による敷居の変化により選ばれし者の枠が広がり、学校もまたそれに伴い増殖することで、住み分け程度の競争だったものが一気に激化、熾烈なお受験時代へと突入していく。

 学生は数ある学校の中から自分の『偏差値(レベル)』に応じたところを選ぶが、同『偏差値』帯には学校がひしめき合っているのが現状である。

 御三家、準御三家、駅弁や有名私立、その下にも地元ならギリ通用する私立、ボーダーフリー私立、あかん私立に学校(自称)、果ては卒業後団入り出来なかった学生を狙い撃ちする専門学校、などあらゆるランク帯に金の亡者が集う。

 では、学生は何を持って学校を選ぶか。それは就職実績であったり、なんやかんやと言うのはずっと前に界隈自信ニキであるフレン君が説明してくれたので割愛する。大事なのはこのサマースクールもまた双方にとってのアピールの場であると言うこと。学校は自身の設備、環境、自慢の講師陣、雰囲気などを学生にアピールし、彼らを入学、編入させたい、と目論んでいる。学生側もここに参加することで志望の意思を示したり、実力があればスカラシップの誘いも、と言う思いがあった。

 そう、このサマースクールとは学校側のボランティアでも、学生にとって遊びの場でもない。大お受験時代における競争の場、であるのだ。

 そんな戦場にクルスは立つ。

 まあ、

「そんなに肩ひじ張らなくても大丈夫。とりあえず綺麗に立っていて」

 学生アシスタントの仕事は大したことない。配布物があればその運搬、配布を手伝ったり、実技などは軽くサポートをするだけ。人手は必要なのだが、正直言えば騎士学生である必要すらない。単なる雑用である。

 手伝うことのない講義など、一時間半教室の後方で監視、と言う名の立ちっぱなしとなることもしばしば。これはやりたがる学生なんていないな、と誰もが思う。

 ただ、クルスにとっては――

「えー、まず諸君らも承知のことと思うが――」

 暇であればあるほど学びの時間として有意義であった。まず、サマースクールとは学生確保が狙いである以上、上級生の講義よりも下級生の方が手厚い。何なら来年受験するような子たちを狙い撃ちする未就学児狙いが一番盛りだくさんなのだ。

 そうなってくると必然、アシスタントする講義も下級生向け、つまり基礎的な内容が多くなり、普通の三学年なら退屈な時間となるのだが、一、二年の講義を受けていないクルスにとっては学びの連続であった。

 エイルは丁寧に、基礎から色々と教えてくれたが、だからと言って全ての講義における基礎基本を網羅したわけではない。そんなことすれば時間などいくらあっても足りないし、彼女なりに取捨選択してくれていたのだ。

 そのおかげで誤魔化し誤魔化しここまでやって来られたが、本当の意味で理解できていたかと言うと怪しい部分も多々あった。

 今回の下級生向けの講義は、間違いなくその補完となる。

「はじきだかみはじだか知らんが、こんな覚え方はバツバツバツ。これ分数ね、割り算、掛け算、単位を削って、付け加えて答え出すの? オッケー!?」

「はーい」

 あと、同じ基礎でも教え方が違う。アスガルドはとにかく公式を頭に叩き込め、まず話はそれからと言う教え方をするが、メガラニカは公式の意味を考えさせ、其処から講義を広げていく。問題へのアプローチが違う。

 それはとても新鮮であった。

 基礎ゆえに当たり前のことが多い。だけど、そんな当たり前も見方が違えば意外と、気づいていなかったものが見えるようになってくる。

 算術なども答えを出す方式でなく、答えがあって導き出す式を問う問題が多い。ゆえに複数解があり、解答にも学生の個性が出てくる。

(頭の使わせ方が違うなぁ)

 アスガルドしか知らないクルスにとって刺激的な時間が続く。

 実技はもっと個性的。

「はい、ビースト維持。きついね。あ、ひざついちゃダメだよー」

(……地味にしんどいなぁ)

「みんなお兄さんに注目。今からお手本を見せてくれるからねー」

「ッ!?」

 アニマルフローと呼ばれる動物の動きを模したトレーニングである。自重でありながらダイナミックな動きも多く、動きの組み合わせ次第ではかなり負荷を上げることも出来る。また様々な動きをするため、必然的に柔軟性が求められる。

 そのため柔軟性、体幹などが向上し、ボディバランスの改善にもつながる。これとピラティスと言う運動は百年ほど前にメガラニカで生まれたとされる。

 発案者は当時学生の中でカリスマ的な存在であった男であり、彼がもたらした技術的思想は今もこの国のユニークな根幹に繋がる。

「さすがだねえ。綺麗な動きで先生も鼻が高いよ」

「先輩すごーい!」

(む、無茶ぶりだよ! 気合で取り繕ってるんですけどォ!?)

「……むふ」

 基本的に雑務ばかりのアシスタントであるが、担当講師がこの人物、ピコである場合は要注意である。平気でこの男、無茶ぶりを仕込んでくるのだ。

 アニマルフローの講義は今日が初めて。サマースクールを受講する子たちと同じ経験値である。それなのに彼はさも、経験者として扱い見本を見せてくれと無茶ぶりしてくる。子どもたちにがっかりさせぬため気合で応えるしかない。

 内心冷や汗だらだらである。

 何せサマースクール期間中、アシスタントの服装はメガラニカの制服であり、この学校の先輩として振舞うことを求められるのだ。

 なので建物の配置などはある程度把握して質問が来ても答えられるように、と言うのは業務の内であるし、クルスもすでに頭に入れている。

 だが、これは明らかにやり過ぎであろう。

「今、お兄さんが見せてくれた通り、我々メガラニカは心身の連動を重視しているんだ。簡単に言えば、身体をイメージ通りに動かすための訓練だね。意識と肉体って意外に整合性が取れていないものなんだ。それを調整し、イメージに近づける。それによってあらゆる状況下で正しく動くことが出来る、と言うわけだ」

(心身の連動、か)

 無茶ぶりはともかく、体の動かし方については素直に面白いと思う。無茶ぶりと言いつつも、振られた動きは単純なものだった。ピコが上級者向け、と言って披露している動きを、初見でこなせるとは思えない。

 頭の動きと身体の動き、あまり考えたことはなかったが確かに複雑な動きになればなるほど、双方の乖離は大きなものとなっていくだろう。

 そのすり合わせと基礎筋力の向上。あくまで自重運動であるところが子どもにも習わせやすい。動きは奇々怪々だが、説明を聞くと合理的に思える。

 講義後、

「無茶ぶりやめてくださいよ」

「きちんと出来たじゃないか。無茶ではなかったわけだ」

「そ、それは」

「次の講義も頼むよ、クルス君」

「……イエス・マスター」

 ピコに直談判するも華麗にかわされて一蹴される。そもそもが雇用者と被雇用者、力関係など明白である。

「あと――」

「うぎ!?」

 ピコが突然、クルスの肩を掴みぐい、と胸を開くように動かす。

「――姿勢が悪い。背筋を張る際、意識すべきは脊柱ではなく肩甲骨、及び胸椎だ。筋肉と言うのは繋がっているからね。該当箇所をほぐすだけでは効果が薄い。これもまた連動。それなりに柔軟をやっているようだが、まだまだ甘いよ」

「は、はい」

「メガラニカの図書館は夏季休暇中もずっと空いているから、暇が出来たら解剖学の書籍をいくつか読み込むと良い。ピコ先生のおすすめコーナーがあるからさ」

 肩甲骨の稼働、これもまた意識したことがなかった。

 学校次第でここまで違うのか、とクルスはカルチャーショックを受けていた。


     ○


「あー、肩甲骨とかの可動域に関しては結構言われるかな」

「やっぱりそうなんだ」

 クルスはフレン、ジュリアの三人で夕食を取っていた。昼間に学んだことをメガラニカの学生であるジュリアに投げかけ、学校ごとの違いを確かめたのだ。

 やはり日ごろから同じ背筋を伸ばすこと一つとっても教え方に違いがあるようである。クルスが口を酸っぱくして言われた軸の意識、これに関しては今日ほとんど触れられることはなかった。

「最初は戸惑うわよね。今まで習ってきたことと違うし」

「あ、そっか。ジュリアは他の学校出だもんね」

「そ、御三家様からしたら超格下のね」

「……返し辛いよ、それ」

「おほほほほ」

 どうやらユニークなのはメガラニカの方っぽいが。

「ところでクルス」

「なに、フレン」

「隣の子は知り合い?」

「……隣?」

 クルスは隣に視線を向けると、其処にはシャハルがいた。気配薄く、何も言わずに黙々と食事をしている。素手で。

「あ、えと、同室のシャハル君」

「やあ、君は友達が多いんだね。シャハルだ、よろしく」

「「ど、どうも」」

 何も言わずにクルスの隣に着席して、何も言わずに食事をとっている光景はかなり不気味であった。何しろ大所帯を内包するこの食堂は、サマースクールの学生を全員詰め込んだとしても空席だらけであるのだ。

 当然、三人の周りも空席だらけ。それなのに一席も離さず隣に座るものだから、対面するフレンは何とも言えぬ心境であった。

 ジュリアはクルスを挟んでいるのでそもそも気づいてすらいなかったが。

「手で食べちゃダメだよ。行儀が悪いよ」

「……おや、このボクにマナーを説く気かい? それは蛮勇だよ」

「いや、でも普通はさ、食器を」

 妙に自信たっぷりのシャハルに気圧され、しどろもどろとなるクルス。

「……クルス。それに関しては彼の言う通りだよ」

「え?」

「あんた、相変わらず何も知らないのね」

「ええ?」

「君はラーの出身?」

「如何にも」

「なら、やはり彼は自国のマナーに則った食事をしているよ」

「……ラーって素手で食事するの?」

「うん。確か右手が正常、左手が不浄だったかな?」

「逆だね、逆。ラーでは右手が不浄、左手が正常、すなわち浄なるものさ。ゆえにラーでは左利きの人口が他国に比べ圧倒的に多い。まあ、魔導革命から百年、今となっては形骸化されつつあり、普通に右手も使うがね」

「ああ、すまない。其処はうろ覚えだった」

「構わないさ」

「……そ、そんなマナーがあるなんて」

「無知は時に力となるが、多くの場合は足らぬことを知り後悔する。一つ賢くなったね、クルス。ボクに感謝すると良い」

「あ、ありがとう」

「どういたしまして。ちなみに付け加えておくと、実を言えばマナー違反をしているのはボクだ。マナーと言うのは個人ではなく、周囲の環境に依存する。ここメガラニカでは食器を使うのが正であるし、従うべき道理は郷の文化、と言うことさ」

「……なら、なんで君は素手で食べているんだい?」

「こっちの方が楽だから」

「……にゃろう」

 完全にシャハルの掌の上で弄ばれるクルスを見て、フレンとジュリアは顔を見合わせて笑う。どうやらシャハルはクルスを気に入っている様子。

 どうにも弄られ気質な男であった。

 ちなみにだが、彼の言う通りミズガルズにおけるマナーはその土地に文化次第で変化する。同じ土地でもシチュエーションでも変化するのだ。

 例えばよくやり過ぎと言われるデリングの食事マナーだが、王族と同席した際は彼のやり方が正となる。普段の食事で万物をナイフでちまちま切り裂くのはやり過ぎ、ちょっとしたマナー違反であるが、彼にとって最も気を遣わねばならぬシチュエーションにおいてはやり過ぎねばマナー違反となり、不興を買う。

 その場でボロを出さぬため、デリングは普段から上に合わせて万が一にも誤ることのないようにしている、と言うのが真相である。

 同じ立場のフレイヤは、自分は間違えずに使い分けられる、と言う自信から普段からその場に応じたマナーを採用しているらしい。

 以上、余談である。

「それにしても小さい子ばかりだね」

 ふと、クルスは気になっていたことを口にする。今日アシスタントで担当した講義は全て、未就学児や低学年を対象としたものであった。

 三年生以上が受けるような講義は一つとしてなかったはず。

 実際にこの食堂にもアシスタント以外、大半が小さな子たちばかりである。

 それにフレイヤの姿もない。

「当たり前じゃない。明後日からでしょ、三学年以上は」

「へ、そうなの?」

「説明にもあったよ」

「……嘘、俺聞いてない」

「最初の説明にね。君はいなかったから」

「……言ってよ」

「聞かれなかったからさ」

 明らかに嘘吐きの顔をしているシャハルを睨み、クルスは不貞腐れる。

「俺は前乗りさせてもらったんだ。その、ログレスの実家に居辛くて」

「え、なんで?」

「フロンティアラインじゃなく、こっちを選んだから、かな」

「……?」

 何故選んだだけで実家に居辛くなるのか、クルスには全然わからなかった。

 なのでここは、

「こっち見んなし。はいはい。あのさ、フロンティアラインが何処にあるか、さすがにこれはあんたでも知っているでしょ?」

 言い辛そうなフレンに代わり、ジュリアに答えを求めた。

「ログレスでしょ」

「そ。そもそもログレスの国としての成り立ちがフロンティアから来る魔を阻むため、防衛線として建国したの。騎士たちがね。今でこそ攻略法や各国、各騎士団の連携も含めて上手く回っているけど、元々はログレスだけで対処していたわけ。ログレスと言う国にとって、フロンティアラインそのものが特別なの」

「……?」

「察しが悪い。国にとって特別なら、其処に付随する学校にとっても特別。ログレスの上位層にとってフロンティアラインへの参加は半ば義務なわけ」

「あー、そっか」

「しかも名門スタディオン家でしょ? そりゃあ角も立つわよ。バキバキに」

「……だ、大丈夫なの、フレン」

 ことの重大さを知り、クルスはフレンの行く末が心配になる。

 が、

「大丈夫だよ、クルス。そもそも傷と言うなら二年浪人した時点で傷だらけさ。今更そんなこと気遣う気はない。俺は本気でこっちが良いと思った。だから来たんだ。それにフロンティアラインで学生がさせてもらえることなんてたかが知れている」

 フレンは陰りのない笑顔で問題ないと言い切った。

「まあ、実際にそうよね。あんたの場合は騎士団に顔を売る必要もないしね」

「そうでもないけど、優先順位は低いね。それに学校は意地でログレス志望だったけど、別に騎士団は他でも良いと思っているから」

「……マジ?」

「マジ。だから尚更、今は自分の向上だけに時間を使いたい」

「なるほど。随分と骨太なお坊ちゃんだこと」

「そりゃもう、傷だらけですから」

 後ろ向きな部分は微塵もない。前だけを見つめているフレンに、クルスは何故か勇気をもらった。やはりフレンは格好いいのだ。

 あの時からずっと。

「あ、君は何故メガラニカへ?」

「社会勉強」

「……へ?」

「と言うのは建前で、まあ、箱庭に飽きたから、かな? クルスは?」

 フレンから受けたパスをひらりと流し、クルスへと繋げたシャハル。短い付き合いだが掴みどころのなさだけで言えばイールファスに匹敵する。

「お、俺は勉強と、その、夏の間の居場所が欲しかったから」

「故郷は?」

「帰れないし、帰る気もないよ」

「……へえ」

 シャハルの覗き込むような眼をクルスは力強く見据える。ここは、ここだけは譲れないのだ。あそこに帰る気はない。もし帰るとすれば――

「安心したまえ。これ以上踏み込む気はないよ。人は誰しも触れられたくない部分があるものさ。君の場合はそれが故郷だった、と言うことだろう?」

 自分が何かに成った後の話。

「ちなみに明日、君の友人はこちらに来るのかな?」

「いきなりだね。まあ、明後日から始まるなら明日には来ると思うよ」

「へえ、やはり君は友達が多いね。羨ましい」

「別に普通だと思うけど」

 本当に羨ましそうなシャハルの表情に困惑してしまうクルス。

「ねねね、その友達って何て名前? 男子? イケメン?」

「もしかしてディン? ほら、仲良くなったって言っていたから」

 クルスの友達を掘り起こそうと眼をぎらつかせる二人組。片方は興味と言うよりも狩人の眼であるが、それは横に置いておく。

「残念女子です。ディンはフロンティアラインに行くって言っていたよ」

「うええ。女子とかないわぁ」

「そっか。なら、向き合う気になったんだね」

「ん?」

「いや、こっちの話。で、何て子?」

「フレイヤ・ヴァナディース」

「「ぶっ!?」」

 フレンとジュリアが同時に噴き出す。シャハルも少し驚いた表情をしていた。

「え、なに、どうしたの?」

「あ、あんた、今、友達って」

「だから、友達だけど」

「……こいつマジか。頭のねじ飛んでんじゃん」

「……?」

「く、クルスはヴァナディース家ってどういう家か知ってる?」

「なんかすごい名門らしい、ぐらいは」

「そ、そっか。な、なるほどなぁ」

「……?」

 明らかに挙動不審な二人をよそに、シャハルはケラケラととても愉快気に笑っていた。何とも釈然としない気持ちとなるクルスであった。

「結局、何だったのさ?」

「い、いや、そうだな。たぶん、これは知らない方がいいことだから」

「言ってよ。気になるじゃん」

「無知の知だよ、クルス」

「……むう」

 気になって夜も眠れないじゃないか、と憤慨するクルスであった。


     ○


 翌日、アシスタントの仕事の昼休憩中、いつもの如くフレン、ジュリア、そしてシャハルがしれっと混ざり食堂で昼食を取っていた。

 其処に、

「あら、久しぶりですわね」

「あ、やあ、フレイヤ! 久しぶり」

 フレイヤと、

「久しぶり、クルス君」

「言うほど久しぶりか?」

 リリアン、ラビの三人が現れた。クルスは驚き目を見張る。

「私たちは上位層の特別講義じゃなくて、普通にサマースクールで勉強に来たの。リリアンがどうしてもって言うから」

「ら、ラビちゃん!」

「勉強熱心だね」

「あらら、脈なしじゃん」

「ラビちゃん!」

 結構本気の表情で食って掛かるリリアン。やるかぁ、とばかりにラビがそれを受け止める。仲良きことは美しい、とクルスは笑顔であった。

「ほ、本当に友達だった」

「初めまして、クルスの友人でフレン・スタディオンと申します」

「ログレスの。わたくしはアスガルドのフレイヤ・ヴァナディースですわ」

「よろしく」

「こちらこそ」

 名門同士のさわやかな挨拶。体格も相まってなかなか絵になる風景であった。

「あら、そちらは?」

「ラーのシャハル。よろしく」

「……何処かでお会いしたことは?」

「会ったことはないよ。会ったことはね」

「そう。失礼を」

 何か引っかかるところがあるのか、歯切れの悪いフレイヤであったが、突っ込むほどでもないのか改めてクルスへ向き直る。

「実りある夏にいたしましょう」

「ああ、もちろん」

 再会の握手を交わすクルスとフレイヤ。

 ここからが夏の本番である。


     ○


 ログレス王国が北端、人類生存圏との境目にフロンティアラインはあった。かつては魔族侵攻に目がいき、ここから災厄の軍勢がやって来ると言われていたものだが、今はダンジョンが異常に多発する地帯と言うことが判明している。

 単純に気候的にも北限であり、ここから先に人類が居住するメリットは今のところないのだが、それはそれとして先を求める者は少なくない。

 いつの時代も人は未知を追いかけるものであるから。

 そんな場所で、

「やあ、イールファス。久しぶりだね」

「……ソロン」

 二人の天才が再会を果たす。ソロンは穏やかな笑顔、イールファスは露骨に表情を曇らせ、互いに視線をかわす。

 ふと、イールファスはソロンの頬に目を向けた。

「……怪我?」

「ああ、良いところに目を付けたね」

 ソロンは彼の前で絆創膏をはがす。其処には何もない。他の部分と同じ、ぴかぴかの肌が其処に在るだけ。イールファスは首をかしげる。

「皮一枚まで肉薄された。あの眼は素敵だね」

「……おい」

 眼、その単語がソロンの口から出た瞬間、イールファスの眼が鋭くなった。

「独り占めはよくないなぁ、イールファス」

「俺が先に見つけた」

「前後は関係ない。彼が誰を見るか、だろう?」

「俺のだ!」

 迷いなくイールファスは腰の剣を抜く。同時にソロンもまた騎士剣を抜き放った。まるでそう来ると、わかっていたかのように――

「「エンチャント」」

 魔力を通し、本気の一振り同士が衝突する。

「俺より弱い君が悪い」

「……二年前の話だ」

 金と銀、拮抗する衝突は『互い』の殺意を乗せて――

「お、おい! 何してんだよ、お前ら!」

「団の人に見つかったらどうする!」

 その殺し合いはたまたま通りかかったディンとデリングによって止められた。ソロンはいつもの笑顔に戻り、イールファスもまた平常運転、無となる。

「再会にはしゃぎ過ぎたようだ。君も久しいね、ディン」

「お、おう」

「デリングも、三年ぶりかな? フレイヤは元気?」

「ああ。元気過ぎるくらいにな」

「あはは、目に浮かぶ。彼女もこっちに?」

「いや、兄上に阻まれ、メガラニカを選んだ」

「……へえ、そうか。彼女も、メガラニカか」

「も? ああ、そう言えばあの男もそうだったな」

 ディンは少し驚いていた。相変わらず人好きのする笑顔の男だと思ったが、イールファスと剣をぶつけ合っていた時、あの時の顔は見たことがなかったから。

 完全無欠の男だと思っていた。今もそう思っている。

 だが、本当にそうなのだろうか。少しの欠けもないのだろうか。

 ほんの少しの偏りもないのだろうか。

 あれは本当にただのじゃれ合いだったのだろうか。遠目では、勘違いでなければ、お互いが互いを殺す気だった。殺し合いにしか見えなかった。

 一抹の不安を抱き、彼らの夏もまた始まる。


     ○


「来たぜ、メガラニカ」

 一人の男がメガラニカの地に降り立つ。唯一、今回彼は招待された身である。メガラニカ側が頭を下げて、彼を呼び寄せたのだ。

 軽快な足取りで歩む。ただの一歩が軽く、それでいて速い。

 長い金髪を束ねた髪が舞う。海の色をした蒼い眼が煌めき、褐色の肌が陽光を照り返し、輝く。しなやかに、美しく、無駄のないフォルム。

「この超ド級の天才、ノア様がな」

 天才、ノア・エウエノルが来た。

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