第53話:出発の日

 昨日はすっかり立ち直ったリカルドの熱い独壇場に圧倒されつつ特に何事もなく壮行会も終わった。各自一旦帰宅したり、すぐ共和都市ユニオンへ現地入りしたり、とそれなりに自由である。リカルドに至ってはなるべく早く現地の空気を感じ取りたい、と昨夜の最終列車に乗ってアース入りし、朝一の便でアスガルドを出ている。

 まあ大抵の者は特に急ぐ日程でもないため、

「おはよー馬鹿男子」

「言われてるよ、ディン」

「俺はクルスだと思うぜ」

「どっちもよ」

 何となく周りに合わせて寮を出る。瞬く間の一年であった。と言うか正直、クルスの中では前半の記憶がほとんどない。ただただ苦しく、辛い思い出ばかりに埋め尽くされていたのだ。それこそ倶楽部に拾われるまでは。

 拾われた後も適応までは相当の時間を要しているが。

「拳闘組はそのままユニオン入りか?」

「そ。宿舎はもう用意されているから。好きなタイミングで現地入りして、各々調整して大会へ、って感じ。ま、そんなに時間はないけどね」

「ミラは大会後、フロンティア合流だろ? 日程的にきつくね?」

「私の本命は大会だから。すでに先方にはそれで了解貰っているし、ぶっちゃけると今年はそれが理由ではじかれても良かったんだけど」

「あー、メガラニカって選択肢があるもんな。今までにない試みだよ、ほんと」

「……もっと前もって告知されていればね」

「元々第十二騎士隊が受けた仕事だったけど、アースでの突発型ダンジョンで戦死者が多かったからな。たぶん、その辺のやりくりが大変だったんだろ」

「あー、確かに」

 メガラニカとしても折角の目玉企画。出来れば早めに告知して人を集めたかったはず。だが、メガラニカはそれをしなかった。それ以上のことは外側の彼らにはわからないが、推測することは出来る。

「お前たちも今からか」

「お、デリングちゃん。おはよっさん」

「おはよう」

 ディンの軽薄に挨拶に対しさらっと受け流したデリングはクルスの背後に回る。

「他意はない。が、妙な真似をすれば哀しい事件が起きる、とだけ言っておく」

「何の話だよ?」

「自分の胸に聞け」

 クルスにはまったく心当たりがない。まあ、こういう時のデリングは大体無視していいと経験則が言っているので、深く考えないようにする。

「あら、皆お揃いですわね」

「おはようございます」

「おはよー」

 同じ時刻の列車狙いなのか、フレイヤを筆頭にリリアン、ラビ(魔導量販店を営むアマダ家のお嬢様)、と続々と集まってくる。

「一気に場が華やいだな」

「時よ止まれ」

「……諦めろって。一緒にログレスで楽しもうぜ」

「やだやだやだ」

「……もうダメだろ、これ」

 壊れたデリングを見て、あのディンがさじを投げた。手の施しようがない末期状態、治療不能の哀しい化け物が其処にいた。

 今から婚約者との新婚生活が心配になるほどぶっ壊れている。

「ど、どうしちゃったんだろうね、デリング」

「あら、何のことかしら」

「あ、これ」

「目に入らない、って感じね。もう愛想付かされてたかぁ」

「イケメンなのにね」

「彼女のいないイケメンってのは大体いわくつきなのよ」

 狂ったデリングを空気として扱うフレイヤ。それに対し苦笑いするしかないクルス。そんな様子を少し離れた場所で観察するリリアンとラビ。

「そんなの放っといてさっさと行くわよ」

 死ぬほど興味なさそうなミラがクルスの首根っこを引っ掴み先へ急ごうとする。「へぎゅ」と謎のうめき声をあげるクルス。

 其処へ、

「列車の時刻は決まっているのに急ぐ必要はありませんわ」

 フレイヤの待ったがかかる。クルスの腕を引っ掴み、はた目にはお熱い感じに見えなくもないのだが、クルスとしてはそれどころではない。

 ミラとフレイヤ、どちらも普通に自分より力があるのだ。

 その二人が睨み合い、

「私、先頭車両の一番前の席じゃないと嫌なんだけど」

「なら、一人でお行きなさいな。クルスを巻き込む必要などありませんわ」

「はぁ? あんたに関係なくない?」

「同じ倶楽部の仲間ですもの。関係大ありですわ」

「それ、こっちも同じなんですけど」

 火花を散らす。

 その光景を見て、

「あ、あれってそう言うことかな、ラビちゃん」

「いや、違うわね。女傑二人に挟まれた哀れなリンザールを見なさい。哀しいかな、あれは彼氏彼女ではなく、お気に入りのぬいぐるみみたいなもんよ」

「……あー」

 勝手に三者の関係性を読み解く二人の女子。そう、これぐらいの年齢だと女性の方が精神的にずっと成熟しているのだ。

 では何故、あの二人がクルスを挟み子どものような意地の張り合いをしているのかは不明であるが。成長は人それぞれ、と言うことなのだろう。

 昨今の社会情勢を映した素晴らしいモデルケースである。

「服、伸びちゃうから!」

「あ、そ」

「対処いたしますわ」

「グェー」

 クルス、大事な制服を思いやるあまりきっちりと墓穴を掘る。ミラは襟首ではなく生首を、フレイヤは腕ではなく生の手を、握り潰す。

 フレイヤには自負がある。クルスをここまで育て上げた自負が。厳密にはエイルの方が比重は重く、魔法魔導関係はイールファナ担当ゆえ、そうでもなかったりするのだが、彼女の中では大事な弟子のようなもの。

 騎士にとって師弟は親子、兄弟、家族のようなものである。彼を暴力女から守ってやるのは己が責務。成すべきことであり、通すべき騎士道なのだ。

 ミラにとってクルスは子分である。泳ぎのことも含め彼には借りがあり、その借りを返すために弱い彼を親分の自分が守ってやる、と考えていたのだ。彼女の中では良かれと思っているが、当然クルスに確認など取っていない。

 親分が子分を守るのは当たり前。彼女は人として当たり前のことをしているだけであった。ゆえに譲る気はない。

 その結果、クルスが死ぬ。

「……普段ならよ、それでも羨ましいと思うのが俺なんだがなぁ」

「ぎぎぎぎぎ」

「……俺、意外とまともな方だったのかもなぁ」

 ディンは遠くの空を見つめ、微笑む。今日はとても空が澄んで、燦燦と降り注ぐ日差しが夏を感じさせる。

「ほれ、手を離せ手を。クルスは俺とデリングの男三人で仲良く列車旅を満喫するんだよ。女は女同士仲良くやってろ」

「は?」

「何の真似ですの!?」

 見るに堪えぬ争いを不滅団に入り浸る男が終止符を打つ。哀しいかな、この場には比較的まともな人材が自分しかいなかったのだ。

「男旅だ。なあ、デリングよい」

「ぎぎ、男、旅、そうだ、その通りだ。さすがクレンツェ、友情大事」

「お前はまず頭を何とかしろい」

「ふー、大丈夫だ。問題ない」

「ほんとかよ」

 理性を取り戻したデリングはその優れた頭脳で『解』を弾き出す。最善はフレイヤと二人きりでいることであるが、基本学園に来る列車は四人掛けの個室席。其処で二人きりと言うのは難題である。ディンとクルスを交えて四人なら妥協点だが、ミラが入ることによりその構図は瓦解する。そして負けず嫌いの二人が意地の張り合いをすることで色々と燃え上がらせてしまうのならいっそ――

 最善の選択を切り捨てる。

「皆、落ち着け。時刻表通りならそろそろ折り返しの列車が来る頃だ」

「……あっ」

「ちっ」

 冷静極まりないデリングの言葉でフレイヤとミラはほんのりと熱を冷ます。よれよれだったクルスには彼の言っている意味は理解できなかったが、他の者にはどうやら意味は伝わったようで少しばかり空気が引き締まったような気がした。

「リンザールも襟を正せ」

「君に言われたくないけど……わかったよ」

 襟を正しながら駅の方へ向かう。さすがウル学園長自慢の制服、あれだけメタクソにされたと言うのに何ともないのだ。と言う余談はさておき、

「……あれ? 誰か、こっちに来る?」

「そりゃそうだろ。学生の一年が終わったんだ。ここからは次の一年を学生として過ごすための戦いが始まるのさ」

「戦い?」

「受験ですわ」「受験よ」

 キッ、と睨み合うフレイヤとミラ。ただ、かすかに火花を散らしただけで本格的な抗争には至らない。彼女らも知っているのだ。

 これから現れる『子』たちがどれだけ――

「おはようございます!」

「よろしくお願いいたします!」

 覚悟を持って、本気でこの地に足を踏み入れたのか、を。

 駅前、幼い子どもたちが列をなして、行進するような足取りできびきびと学園の方へ歩いていく。クルスたちへの挨拶もはきはきと、やり過ぎなくらいに元気よく真っ直ぐ目を見て、講義でも習った角度で恭しく礼をする。

 なんと言うか、強烈な光景であった。

「す、凄いね」

「腐っても御三家。しかも最もやる気に充ちた第一陣だ。お受験のためにあらゆる準備をして、駅前から、いや、列車に乗る前から、あの子たちの勝負は始まってんだ。別にこんなとこで気張っても評価は変わらねえ。でも、誰が見てるかわからんのもまた事実だ。ずっと物心ついた時から準備してきた連中さ。緩められんよ」

「人生がかかっているからな」

 先ほどまで醜態をさらしていたデリングだが今は立派な先達としての表情を見せる。正直、彼らからすると説得力はないのだが、

「物心ついた時から、か」

 ただ、クルスもこの光景を前にふざける気にはなれなかった。皆、覚悟を内に秘めた眼をしている。圧すら感じるほどに。

 学園の内側ではわからぬ領域。

「うう、お腹痛くなってきた」

「思い出すと、ねえ」

 リリアン、ラビも何とも言えぬ表情となる。

 クルスの知らない世界。

「これで全員?」

「まさか。大体アスガルドだと倍率は二十倍くらいか。これからじゃんじゃん来るぜ。第二陣、第三陣、第四陣、ってな具合にな」

「……」

 枠は約三十人。二十倍と言えばざっくり六百人は受験しに来る計算となる。たった三十の枠を、今の子たちも含めた六百人が争う。

 恐ろしい競争である。

「……俺、受験だったらたぶん、受かってないよね」

「まあ、受かってないわな」

「受からんだろうな」

「受かりませんわね」

「受かるわけないでしょ」

「が、頑張ればきっと」

「無理」

「……みんな正直だなぁ」

 今のクルスが彼らに劣るわけではない。ただ、学園に来たばかりの自分、それよりもずっと前、まともに剣を振らせてもらったばかりの、彼らと同じ年齢の時を考えるとぞっとしてしまう。これだけの差があるのだ。

 騎士の学校を志す者とそうでなかった者の差は。

「俺は幸運だ」

 クルスは一端を垣間見る。正規の手段で御三家の門を潜らんとする者たちを。彼らの姿勢を、立ち姿を、見る。

「でも、今のあんたは何百人も蹴落とした連中と張り合えてるんだから、卑下する必要なんてないでしょ。結局入っちゃえば一緒だから。学校も、団も」

「ミラの言う通りだな」

 ミラのフォローに相槌を打ちつつ、クルスの肩をポンと叩くディン。確かに受験とは独特の空気を孕むものである。入ってしまったから、学校にいることが、学生であることが当たり前となったから薄れてしまったが、この時は誰もが落ちたら人生が終わる、ぐらいの覚悟で臨んでいる。もちろん中には記念受験もいるが。

 この時期特有の熱量、それに圧倒されるのも無理はない。

 騎士のよくある話だが、騎士に成るまでの過程で一番きつかったのは騎士学校への入試だった、と皆口をそろえて言う。

 クルスは改めて知る。騎士の学校というものの恐ろしさを。のほほんとして見えるリリアンや三十位のアンディだって二十倍を潜り抜けた者たちなのだ。

 今見た覚悟を踏み潰して門を潜った者たち。

 消えた火が灯れば、これぐらいの『本気』は備えている。

 最下位で悔しい気持ちを抱いていたが、いざ客観的に彼らのスタートラインを見せつけられ、少しだけ納得してしまう自分がいた。

 簡単に勝ち上がれる、と思う方が間違っている。

「行くぞリンザール。そろそろ出発の時刻だ」

「うん」

 彼らを見ることが出来て良かった、とクルスは思う。普段、なかなか人前で努力を見せようとしない学友たちの原点が見えた気がしたから。

 侮る気は元々なかったが、より気持ちは引き締まる。

「おっ、列車に忘れ物でもしていたのか走ってる子がいるな」

「別にこの時間なら急ぐ必要もないだろうに」

 ディンやデリングの目の前に、切符を駅員に切ってもらい改札を出て駆け出してくる少女が現れる。この世の終わりのような眼で駅の階段を駆け下りていく。

 随分と危なげに見えるが案の定――

「あっ」

 彼らを通り過ぎた辺りで足を踏み外す。其処は騎士の卵、全員がその少女に反応するも、誰よりも近くにいたからか、それとも誰よりも先んじて反応したからか、

「大丈夫?」

「は、はひ」

 少女を抱きとめたのはクルスであった。

「あ、あの、わたし、大事な日なのに、忘れ物して、転んで、落ちて――」

 震える少女を抱き留めながら、クルスは彼女にかつての自分を見る。思えばそうだった。自分も人生を賭けた舞台に立って、そして――

「落ち着いて。はい、深呼吸」

「し、深呼吸、ですか?」

「そう。吸って、はい、吐いて、もう一度吸って、吐く」

「……」

「こんなので落ち着かない。わかるよ。緊張するよね。それは仕方がない。皆そうだ。俺も、ここにいる先輩たちも、君も、勝負の場では緊張してしまう」

 イールファス相手にけちょんけちょんに敗れ去った。

「……はい」

「失敗してもいい。誰かが君を見てくれている。機会はいくらでもあるさ。俺も編入した口だからね。道は一つじゃない。今日負けたって君は死なない」

 それでも今、自分はここにいる。

「……負けても、死なない」

「全力を尽くそう。そうしたらきっと、勝っても負けても明日に繋がるはずだから」

「……イエス・マスター」

「頑張ってね」

 クルスは少女の眼に力が、光が宿ったのを見て微笑んだ。今言ったことの半分は自分に向けた言葉。頑張ればきっと報われる。

 世の中、そんなに甘くはないかもしれない。

 だけど、自分はそう信じる。そう信じて突き進む。

「あの、お名前は?」

 クルスは少し考え込み、

「君の先輩」

 柄じゃない返し方をした。少しでも先輩っぽく。

 自分の尊敬する先輩なら、こうやって格好良く返すような気がしたから。

「……わ、わたし、がんばります!」

 階段を駆け下りていく少女。相変わらず慌ただしいが、その足取りには不安は見受けられなかった。彼女はきっと大丈夫。

 受かるかどうかはわからないけれど力は出せる気がする。

「君の先輩、ねえ」

「洒脱な返しだな。俺も今度真似をしよう」

「か、からかうなよ。柄じゃないのはわかっているさ」

「いやいや、良かったって」

「ああ」

「思ってないだろ!」

 少女が去った後、笑いながらいつものノリで階段を上っていく男三人。列車に乗っている間、しばらくはこれでからかわれそうな雰囲気である。

 ただ、

「へえ、リンザールってあれを真顔で言えるタイプかぁ」

「か、格好良かったよね!」

「タイプじゃないからときめかないけどあれは意外とモテるタイプかもね」

 ラビ、リリアンらの女性陣からは存外好評であった。

「将来女のヒモやってたりして」

「そ、それはないと思うよ」

「わっかんないよー」

 そして――

「ノブレスオブリージュ、ですわね」

 フレイヤは嬉しそうに微笑み、

「クルスのくせに生意気な」

 ミラは「あーやだやだ」と悪口を言いながらもほんのり頬を赤らめていた。クルス自身も気づいていないところでまた、不滅団の絶許ポイントが跳ね上がる。

 そんなこんなで彼らを乗せた王都行きの列車が駅を出発した。

 とうとう、これから彼らの夏休みが始まる。

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