第51話:卒業

「まずは対抗戦、優勝出来ずにすまなかった」

「いえ、そんな」

「そんなに期待していなかった?」

「き、期待してましたよ! 俺、騎士のことよく知らないから、本気で……」

「あはは。そうか。なら、やはりすまなかった、だ」

「……はい」

 エイルは申し訳なさそうに微笑む。昼休憩の時間も佳境に差し掛かり、食堂にはもうほとんど人影はない。そんな中、二人は隣り合い席に座る。

 互いに表情を窺うことなく。

「情けない話だよ。優勝を目指すと言って、結果は一回戦敗退だ。アスガルドの歴史で初らしいよ。一回戦落ちと言うのは」

「……」

 最近は其処まで露骨ではなくなったが、数十年前までは御三家同士が四強まで当たらない、と言う組み合わせは公然の秘密であった。現代でさえ、一回戦、二回戦で御三家がぶつかることはありえないし、上位校の潰し合いもあまりない。

 今回はダークホースのせいで滅茶苦茶になったが、そもそも対抗戦は騎士連盟主催の各騎士団へ向けた品評会であり、それを公の娯楽として提供しているだけ。

 だから、品評不能な組み合わせは大会の意義に反するのだ。

「幻滅したかい?」

「幻滅は、していないです。しないです」

「……そうか」

 クルスは今、エイルがどんな顔をしているのか見ることが出来なかった。クルスにとって先輩は自分を地の底から救い出してくれた恩人で、『あの日』見せつけられたような強い人であるのだ。決して天才ではない。だけど強い。

 それは同じく凡人である自分にとって希望に思えたから。

「相手、強かったよ」

「……こっちでも噂になっていました」

「そうだろうね。どの学校の調査からも漏れていた正真正銘の隠し玉だ。グリトニル騎士学校は騎士の歴史に名を刻んだよ。突出した怪物一人の活躍とは言え、この対抗戦で優勝経験のある学校などほぼ指の数。昔は御三家が、今は御三家、準御三家が優勝を独占している。他は少しでも勝って学校をアピールする、ぐらいさ」

 アセナ一人の功績、集団としては褒められた成績ではないが、それでもその年の騎士学校の頂点に輝いた事実は消えない。御三家や準御三家を受けるような子が流れることはないだろうが、下の方の私立を受験するような子は必ず流れる。

 結果を出すと言うことは、そういうこと。

「まあ、他所のことは良いか。あー、まあ、本題なんだけど」

 エイルの話し辛そうな切り出し方に、クルスは無意識に身構えてしまう。如何なる選択であっても、それは彼女が選んだもの。心が折れたとしてもそれは仕方がないこと。先輩の苦悩と自分を重ねているのは、クルスの身勝手である。

 だけど――

「無様に敗れ、学園の歴史にも泥を塗った。最悪の世代さ、私たちは」

「……」

 頭では理解していても、

「君の期待も裏切った。だから、と言うわけでもないけど」

 やめてくれ、と思う。クルスの恩人で、いつも飄々と、気高く皆を引っ張ってくれる頼れる部長。そんな彼女の弱いところなど見たくない。

 だから、クルスは目をぎゅっと瞑った。出来ることなら耳も塞ぎたいほどである。どう考えてもここから紡がれる言葉は――


「私は、ユニオン騎士団を目指すことにしたよ」


 心折れた弱音、だと思っていたから。

「……え?」

「ふふ、笑ってくれ。谷間の世代、対抗戦一回戦敗退の戦犯、天才と凡人の違いをこれでもかと見せつけられたのに、そうすると決めたのだから」

 クルスはゆっくりとエイルに視線を向ける。悲痛な顔を見たくなかった。苦しんでいる表情を見たくなかった。心が折れた空虚な貌を知りたくなかった。

 しかし、其処には――

「愚かだ。だけど、無様に負けて心が折れたんじゃ、それこそ最低最悪、格好悪いだろ? もうすでに十分ダサいと思うが、それでも……まあ、少しでも君たち後輩によく見られたいじゃないか。見栄っ張りなんでね、私は」

 真っ直ぐと前を向く、彼の知る先輩の姿であった。

「そして打算的でもある。アセナの登場で私の代、ユニオン騎士団への志望者はぐんと減るだろう。世の中私のような身の程知らずばかりではないからね。世界中を飛び回る騎士団だ。人手は要る。つまり、意外と穴ってことさ」

「……それを言ったら格好付かないですよ」

「確かに。まあ、私はその程度の女さ。才能がないくせに身の程知らず。先生からも苦労すると言われた。毎年何人もいるそうだよ。優秀な凡人が天才の巣窟に飛び込み、現実を知って挫折する、と言うことがね。他の団なら中核を担う仕事を出来るだろうが、あそこだけは脇役となる覚悟が要る、とも言われた」

「……先輩」

「だけど、まあ、やってみないとわからないから。挑戦してみるよ」

 現実を知った。壁にぶつかり爆ぜた。その傷の深さはクルスの想像できるものではない。だけど、彼女は立ち上がったのだ。

 あまつさえ、もう一度その壁に立ち向かうと言ったのだ。

 髪を切ったのは決意の証。

「馬鹿だろう?」

「いいえ。やっぱり、エイル先輩は格好いいです」

「……ありがとう、クルス。やはり君は、ふふ、最高の後輩だね」

 エイルはクルスの頭に手をやり、ぐしゃぐしゃとかき回す。

 たぶん、照れ隠しである。

「それにしても君、随分傷だらけだね」

「あ、その、昨日一晩中、剣を振っていたので」

「剣を振って何故傷が……その手の包帯も?」

「皮がぐちゃぐちゃになっちゃって。今は凄く痛いです」

「……君は頑張るねえ」

「先輩ほどじゃないですよ」

「おや、お世辞が上手くなったじゃないか」

 負けても立ち上がる。クルスはそんな先輩を心から尊敬し、こう在ろうと思った。自分の周りには沢山天才がいる。頼みの綱であったゼー・シルト、それにすがる自分の弱さも皆に露呈した。自分もまた壁にぶつかっている。

 だけど、彼女が挑戦する壁に比べたら屁でもない、クルスはそう思う。

 頑張ろう、と思えた。

 だが、それはエイルも同じであったのだ。何も知らずに身一つで御三家へ飛び込んできた少年。その奮闘を、毎日壁にぶつかりながらも藻掻く姿をずっと見てきた。あの日々が、不屈の後輩の姿が、彼女を叱咤するのだ。

 彼に比べたら屁でもない。自分も戦え、と。

 頑張ろう、と思えた。

 そんな先輩と後輩が久方ぶりに談笑する。


     ○


 翌日、ほぼ全日程を消化し、講義のない空き時間を騎士科の面々は思い思いに過ごしていた。クルスとディンはトレーニングフロアでチンニング(懸垂)勝負を敢行、力はあるが重たいディンと力はないが軽いクルス、両者意地と意地のぶつかり合いの末、辛くもディンが勝利した。が、通りすがりのイールファスが二人の記録を楽々抜き去り、お散歩に戻って行ったのを見て二人とも敗北感に包まれていた。

 彼は軽く、力もあるのだ。

 その休憩中――

「へ、もう出したのか!?」

「うん。履歴書書いて送ったよ」

「へえ、早いなぁ」

「まあ、こういうのは即断即決が良いかなって。あんまり書けるところ少なかったけど、とりあえず熱意はしたためたよ」

「騎士の履歴書だし、師匠の項目とかあっただろ? 前、師匠の名前知らないとか言ってなかったっけ?」

「うん。だから先生って書いた」

「……おいおい」

「だって知らないから仕方ないだろ」

「そういう時は学園の先生に名前借りりゃ良いだろうが。まあ、他校のサマースクール絡みだし良い顔はされないだろうけど、エメリヒ先生とかならそういうの気にせず貸してくれたと思うぞ」

「……あっ」

「馬鹿たれ。其処を勢いで乗り切ろうとするな」

「ヤバいかな?」

「一応、駄目だった時のことは考えた方が良いかもな」

「馬鹿だ、俺」

「本当にな」

 後悔後先たたず。時すでに遅し。


     ○


 そんなこともありながらさらに数日後、今日はアスガルド王立学園、現六学年の卒業式であった。三学年の皆は嫌と言うほどよく知る面々もいればよく知らぬ面々もいる。式は厳かに行われ、六学年もまた粛々と儀式を遂行していく。

 夏明け、場合によってはこのまま団に合流する人もいるらしいが、騎士と成った彼らは今、何を思うのだろうか。騎士に成れなかった者たちは何を思うのだろうか。

 そんなことばかりクルスは考えていた。

 式が終わり、平原には六学年を中心に様々な学年の学生が入り乱れ、彼らへ次々と祝辞を述べる。クルスもまた、実はお目当ての人物がおり探し回っていた。

 大した手間も必要なくその人物は見つかる。

 其処には誰よりも大きな輪が形成されていたから。

「ティル先輩、ご卒業おめでとうございます!」

「あの、これ、私の気持ちです!」

「私のも!」

「私も!」

「これ、アースのホテルのキーです。受け取ってくださ――」

「死ね雌豚ァ!」

「テメエが死ねやブゥス!」

「「キィィィイイイ!」」

 阿鼻叫喚の大乱闘が開始された。何とおぞましい光景であろうか。かわいい子も一皮むけば獣、そんな哀しい現実をクルスはまじまじと見つめていた。

「お、後輩君! よく来た!」

「へ?」

「悪いが諸君、俺はこの後輩と大事な話があるのだ。ではさらば」

「ちょ、あの、それされると――」

「!?」

 暴れ回っていた女学生たちの敵意が全て、クルスへと向けられる。彼女らの大半が五学年以下、つまり来年以降も学園に在籍する面々である。そしておそらくあの敵意、と言うよりも殺意は夏を跨ぎ、クルスへと降り注ぐだろう。

 自分たちの恋路を邪魔したクソ野郎へ。

「いやぁ、悪い悪い。だしにさせてもらったぜ」

「ほんと、やめてくださいよ! 俺、夏休み明けに殺されちゃいますよ!」

「なら、それより強くなって返り討ちしとけ」

「魔法科の子に毒盛られたら?」

「さあ?」

 クルスをだしに地獄からの脱出を果たしたティルはげらげら笑いながら人の少ない所へ向かう。クルスと話すため、と言うよりも、

「で、何か用かい、後輩君」

 クルスの問いに答えるために。しっかりと見抜かれていた。

「その、いくつか質問があって。あ、でも、まずはご卒業おめでとうございます」

「おう。ありがとな。折角の機会だ。何でも聞いていいぞ」

「ありがとうございます」

 二人は木陰に腰を下ろす。

「あの、ティル先輩って元ヴァルハラだったんですよね」

「部長様、な」

「あ、そうでしたね」

「ふむ。倶楽部の件で俺とエイルが割れたのは知っている。倶楽部にごたごたがあったのも察している。だけど詳しい事情は知らない。知りたい。そしてあわよくば仲立ちして不和を解消したい、みたいなとこか?」

「……こ、後半は、その、事情次第だと、考えていましたけど」

「あっはっは。この忠犬め。エイルには勿体ない後輩だな」

 わしゃわしゃとクルスの頭をぶん回し、ティルは大笑いしていた。

「別に仲は悪くねえよ。むしろ良い方じゃないか?」

「そうなんですか?」

「おう。ただ、対外的には仲が悪いってことにする必要があったのも事実だ。まあ、それが倶楽部を割った理由に繋がるんだがな」

「……」

「そんな身構えて聞くほど大した話じゃねえよ。お前さんが来る前の倶楽部ヴァルハラは、倶楽部アスガルド同様良血のエリート様や成績優秀な者が集うコネクション形成の場、社交の場でしかなかった。つまんねえと思っていたけど誘ってくれた先輩の手前、バックレることも出来なくてな。其処で小生意気なエイルがこのままじゃいかん、と改革、と言うよりも初志に戻そうと試みた」

「初志、ですか?」

「元々、倶楽部ヴァルハラは様々な種族、人種、職能を持った人々が交流する開かれた場所だった。ルールはただ一つ、この学園のモットーである紳士たれ、だけ。そう言うのが必要な時代だったんだと思う。ただ、歴史が積み重なると伝統が生まれ、格式も高まり、敷居が上がる。気づけば選民思想がはびこる窮屈な空間の出来上がり、だ。名門もしくは成績優秀者以外お断りってな具合にな」

 倶楽部ヴァルハラの歴史。

「今の倶楽部アスガルドよりも空気悪かったからな。あっちはカジュアル、こっちはガチ。選民思想の話な」

「な、なるほど」

 そう言えば学校紹介の折、ディンが倶楽部ヴァルハラについて説明してくれた時は自分たちには関係がない場所だ、と言っていたような気がする。

 内部で改革があったとしても、外側から見れば伝統と格式の倶楽部ヴァルハラ、としか見えなかったのだろう。

「エイルの話に乗るのは癪だったが、まあ、面白そうだから協力してやることにした。当時の倶楽部を愛する連中のリーダーとして部長の俺が先頭に立ち、改革を掲げるエイルとバチバチやる、と言う構図だな。学校側を巻き込んで派手にやった。あいつは歴史書を引っ張り出し、当時の倶楽部メンバーのゴシップを使って先生方を抱き込んだ。あとはまあ、俺と一緒に旧メンバーは去り、今に至る、だ」

「……ゴシップをぶっこ抜いたのは?」

「当然、皆から信頼され相談を受けていた部長の俺だな。そも、人の模範たらんとする貴族や騎士が悪事を働くのが悪い。因果応報だ」

 自分の知らぬ時代にとんでもないことが繰り広げられていたのだとクルスは驚愕していた。今の緩い空気からは考えられない状況である。

「何でまあ、悪いのは手前らだろうに、そういう連中の中でエイルはすこぶる評判が悪い。俺も一応そいつらを内側で刺した側だし、あまりあいつと絡むわけにはいかないんだわ。言っとくが俺自身の保身じゃねえぞ。人気者の俺と表向きは衝突しているから、連中はギリギリ留飲を下げているだけ。それすら謀だとバレたら俺がいなくなった後、あいつは必ず標的となる。今の倶楽部ごと、な」

「……」

「ま、あいつはその対策にルール違反を承知の上で当時二年だったディクティオンやヴァナディースを抱き込み、一応権力的には盾を作っていた。そういうとこがほんと小賢しい女だぜ。何で杞憂ではあるが、無駄な波風を立てる意味もないからお互い距離を取っている、って感じかな。こんなとこでいいか?」

「はい。ちょっと、想像よりドロドロしていて驚きました」

「そんなもんだよ。で、他には?」

「ログレスを選んだ理由を聞いても良いですか?」

「フロンティアラインは知ってるよな?」

「もちろんです」

 フロンティアライン。ログレス北部に存在するダンジョン異常発生地帯の呼び名である。あまりにもダンジョンの発生数が多く、かつては其処こそが魔族との境界線であり、その奥には魔界ウトガルドが広がっているとされていたほどである。

 だが、調査の結果、現在は其処がダンジョンの異常発生地帯であり、その先に彼ら魔族の領域があるわけではない、と判明していた。

「ユニオン騎士団を除けばログレスの騎士団が一番、フロンティアラインのダンジョン攻略を求められる。そりゃあ自国の問題だし当たり前なんだがな。俺は其処で仕事がしたいんだ。もっと言えば、魔を討つことだけを生業としたい」

「魔を討つ、仕事ですか?」

 そんなの当たり前ではないか、とクルスは思う。

 その表情を見て、ティルはにやりと笑みを浮かべた。

「今、騎士の仕事は多岐にわたる。お前さんが考えるよりもずっとな。人と戦うことも、殺すこともあるだろう。時代の流れだ、仕方がない。でも、出来ればやりたくない。人を救う、気持ちのいい仕事だけがやりたい」

 そのシンプルな願いがティルのログレス志望理由であった。いや、厳密にはユニオン騎士団への志望理由、であったが。

 今はユニオン騎士団へ入る気にはなれない。

 ちなみにティルが小回りの利かぬ大剣を扱う理由は、格好いいから、こだわりがあるから、ではなく対魔に関してはそれが合理的であるから、であった。対人への使いやすさを捨てても、そちらに特化したのが彼の剣である。

 魔族は人よりもずっと大きい個体もいるのだから。

「どんな団に入りたいか、じゃない。どんな仕事をしたいか。それでおのずと目指すべき場所は定まる。考えるこった、後輩君よ」

「はい」

 ティルは「よっこいしょ」と立ち上がる。相変わらず顔はべらぼうにイケメンなのに、動作の端々からは微塵もそれを感じない。

「エイル、ユニオン騎士団を目指すんだって?」

「そう言っていました」

「くく、随分と馬鹿になったもんだな」

「せ、先輩は馬鹿じゃないです!」

「馬鹿たれ。褒めてんだよ。賢いだけじゃ届かない。馬鹿にしか踏み越えられない線ってのがあるんだよ。この世には」

 ティルは真っすぐとクルスを見つめる。

「俺は最後まで躊躇して今に至る。エイルは最後馬鹿に成って進むことを選んだ。クルス・リンザールはどうする?」

「俺は、その、まだ、わかりません」

「当然だ。だが、いずれ選ぶ時は来る。誰にでも。その時、俺は馬鹿に成ることをおすすめしておく。賢くなるのは歳取ってからでも出来るしな」

 そして元倶楽部ヴァルハラの部長で、六学年の首席として本日卒業する男は、クルスに背を向け歩き出す。

「強くなれよ、後輩君」

「イエス・マスター」

「良い返事だ。じゃあなぁ」

 偉大な先輩が今日、威風堂々と学園を去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る