第48話:あたたかな言葉
クルスは夏季休暇の予定を決められぬまま日々を過ごし、時間ばかりが削れていく。刻一刻と失われていく時間。ディンや皆からどうするんだ、と聞かれるが考えていると嘘をつき、かわし続ける。何も浮かばないのだ。
本当に、何も。
「明日、先輩を出迎えた後、ここに全員集合ですわよ」
「……うん。わかった」
倶楽部ハウス内の空気も重い。クルスだけではなく、ここに招いてくれた先輩が敗れ、傷ついているであろうことに対し、アマルティアやイールファナまで気落ちしていた。普段の二人からは想像もつかないが、ここへ誘ってくれた、無理やり引っ張り込まれたことへの恩義がエイルにはあったのだ。
「夏季休暇の予定――」
「だから、考え中だって」
「……もう、わたくしは決めましたわよ。皆、決めていますわ。前へ進むために」
「……」
「そう。なら、そうして一人だけ立ち止まっていなさいな」
クルスの態度を見て、フレイヤは呆れたように背を向け、彼から離れて読書を始める。重苦しい空気が増した。あんなにも居心地が良かった空間なのに。
今はこんなにも苦しい。
○
魔導列車に乗って帰ってきた自分たちの代表を、学生たちは皆温かく出迎える。全員、当然であるが結果は知っている。勝ち抜き戦ゆえの弊害、ただ一人の突き抜けた存在が全て抜き去り、グリトニル騎士学校が初優勝を飾った。
誰も予想していなかった優勝校である。
その立役者であるアセナ・ドローミは騎士の家出身ではなく、魔導列車も通らぬ辺境の地で木こりの娘として生を受けた。転機は元騎士のはみ出し者が借金取りから逃げるため、其処へ逃げ込んだことが始まり。
木こりの家は村の者と折り合いが悪く、誰一人彼女の異常性には気づいていなかった。両親もやたら力持ちだなぁ、ぐらいの認識。
騎士としては二流、三流だった男。だが、彼とて一応騎士の学校で学び、しょぼい団だが所属していたれっきとした騎士であった。色々あって『元』になったが、彼女の才能を見抜けぬほど落ちぶれてはいない。
至高の素材。男は両親に頼み込んだ。自分は騎士で、彼女にはその素質がある。必ず騎士とするから預からせて欲しい、と。
『娘さんを私にください!』
『ふざけんな誰だお前!』
当然反発があり、色々ともめた。ただ、最後には男のしつこさと、少女の好奇心が勝り、両親は折れた。
『えっほえっほ』
男は奔走した。一応元騎士、借金取りに追われながら彼女を鍛えつつ、彼女の才能を世に送り出すべく策を練る。ついでに借金も返したい。
その結果、男の友人が経営し始めたばかりの新興の騎士学校、とは名ばかりの騎士にあこがれる者たちから搾取するだけの箱に目を付ける。
『なあ頼むよぉ。見ろ、この才能の塊を』
『……お前の話じゃなければ飛びつくんだけどなぁ。信用がなぁ』
友人と相談、彼女を排出したらきちんとした騎士学校として認めてもらえる。そっちの方がお得だろ、ついでに先生として雇ってくれ、と。
そうして憧れを搾取するだけであったグリトニル騎士学校は、アセナ・ドローミを排出し知名度爆上げ、騎士学校として一旗揚げてやるぜ計画を水面下で始めた。彼女の存在が早い段階で世に知られたなら、名門が黙っちゃいない。
『他の騎士学校の子と戦ってみたい』
『まだ早い! 世の中は広いのだ。もっと修業を積んでから』
『そうか。うむ、信じるぞ!』
こっそり、こっそり、悪知恵だけは働く男は事を運んだ。あと、意外と普通に教えるのも上手く、何故か学校一の人気教師になっていた。
出すなら対抗戦。そのために安くない金を騎士連盟に払い、何とか認可を下ろさせることが出来た。あとはもう祈るだけ。
少しでも彼女に有利なルールと成ることを。例年通りのルールなら対抗戦を捨て、他の連盟主催の闘技大会で出す案もあった。
『テラ神様どうかお願いします!』
『お願いします! ところで私は今、何をお願いしているのだ?』
『ノリだノリ』
『そっか。ノリか。よくわからんがわかった』
だが、結果は皆の知る通り、モンスターとして暴れ回った。ルールと、何よりも彼女自身の才能、そして何だかんだと施されていた適切な教育が重なって、彼女は一躍騎士の世界にその名を刻んだ。
対抗戦の後、すぐにその場でユニオン騎士団からオファーを貰う、と言う異例な状況が、彼女のモンスターぶりを窺わせる。
『ありがとう、先生。おかげで私は毎日、とても楽しい』
『……泣かせんない』
名門がモンスターを排出しても、まあ今年は凄かったね、で終わるが新興の学校となれば話は別。すぐさま問い合わせは殺到。借金取りから逃げていた元騎士の男は人気教師となり、山師が一発騎士を目指す若造どもから巻き上げてやる、との志から生み出されたグリトニル騎士学校は新進気鋭の学校となってしまった。
世の中不思議なものである。
彼女ほどの例は珍しいが、実は平均値こそ騎士の家の方が圧倒的に高いが、突然変異の才能はむしろ何てことない家から生まれることの方が多い、とされている。
代表的な例で言えば、百年前の大戦で活躍した勇者リュディアは騎士とは無関係の家であったし、ウル・ユーダリルも当時は一応騎士の家、と言うぐらいの何とも言えぬ家に生まれついている。現代であればソロン、イールファスと並び称される男、ノア・エウエノルも騎士の家出身ではない『モンスター』である。
そんなこんなで今年はアセナ・ドローミの年となった。
だから、エイルたちの敗戦など覚えている者は誰もいない。犠牲者其の一、ただそれだけである。アセナ以外は全部わき役、それが現実。
「お疲れ様!」
「よく頑張った!」
「今年は仕方ない!」
皆の温かい声が飛び交う。
それに対してエイルたちは、
「あはは、すまないね。ちょっとくじ運が悪過ぎたみたいだ」
「いやー、マジで強かったぜ。ほんと別格。ありゃ仕方ねえや」
「才能もあった。努力も積んでいた。完敗だ」
務めて明るく振るまっていた。傷ついてなどいない。申し訳なさそうにしながらも、自分たちは大丈夫だと言わんばかりに。
それを遠くで眺めていたクルスは、ふとした拍子にエイルと目が合う。
「……」
申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、さりとて深刻にならない程度の塩梅。その表情が、クルスには痛かった。彼らの明るさが、辛かった。
(なんでだよ。なんで誰も、わからないんだよ!)
その温かい言葉が、拍手が、彼女たちを傷つけるのだ。
(一回戦敗退なんだぞ! なんだよ、よく頑張った! って。仕方ないってなんだよ。負けは、負けじゃないか! 仕方なくなんてないだろ!)
心がぐちゃぐちゃになる。愛想笑いしている先輩が、自分と重なった。彼女たちにかけられている無邪気な、温かい言葉が自分に向けられているような気がした。
『進級おめでとう』
(最下位だけどね。何がおめでたいんだよ)
『お互い来年も頑張ろうぜ』
(俺が頑張ったらお前がビリだぞ。わかってんのかよ)
『よく頑張りましたわ』
『よくやったよ、クルスは』
(最下位だけどよくやった、か。ありがとう。その優しい言葉が――)
胸が、張り裂けそうになる。
ここは地獄だ。クルスは何も言わずにこの場を後にする。もう、無理だ。醜い自分が溢れ出して止まらない。温かな言葉が剣のように心を刺す。
(俺、クズだな)
クルスは自嘲しながらふらふらと歩き去る。
○
エイルは倶楽部ハウスに顔を出す。
「先輩、おつかれさまでしたー!」
勢いよく飛びついてくるアマルティアを抱きとめエイルは皆に微笑む。大丈夫だよ、と言わんばかりに。アマルティアの頭を撫でながら。
「お疲れ、様です。その、飴舐めますか?」
「ありがとう。いただくよ」
イールファナも珍しく殊勝な様子。
「お疲れ様ですわ」
「ああ。クルスは?」
「知りませんわよ。あのような薄情者」
「……彼を悪く言わないでくれ。私が大それた約束を彼にしてしまってね。悪いのは私なんだ。出来もしないことを言った、私が」
「それは違いますわ。勝負は時の運ですもの」
「違うよ、フレイヤ」
この場にクルスがいない。その、彼の気遣いのおかげでエイルは今、ギリギリ笑っていられた。彼から「お疲れ様」とか「よく頑張った」なんて言われたら、さすがに笑顔を取り繕うことは、難しかったと思う。
「ちが、うんだ」
と言うか、
「ぐ、うぐ……」
そうでなくとも、もう限界だった。
「せん、ぱい」
「すまない。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいんだ。私を無視してくれないか。すぐに、すぐに、自分を取り戻すから。だから――」
どうやら倶楽部ハウスは、ここにいる仲間たちは、一緒に戦ったリカルドら戦友同様、隠し通すには少々、仲を深め過ぎた。
どうしても、弱さがこぼれ出てしまう。
「……」
抱きしめているのか、抱きしめられているのか、もはやどちらかわからぬ状況でエイルはただ、無言で涙を流す。悔しさ、辛さ、弱さ、全部ひっくるめて。
皆、それをただ見つめるしかなかった。
○
拳闘倶楽部コロセウスではひとしきり倶楽部メンバーと話し終わった後、バルバラが倶楽部ハウスに裏にリカルドを呼びつけ、
「強かったですか?」
「……はい」
「敗因は?」
「ただ、自分が弱かったからです」
「思考停止せずに」
「……自分は、インファイターなのに、前に出ることが出来ませんでした。相手の圧に押されて、何も出来ないまま、押し切られて――」
質問攻めし、自分の教え子に吐き出させる。彼らは充分頑張った。皆の前で十二分に虚勢を張った。あとは、受け止めてあげるだけ。
リカルドは嗚咽を止めることが出来ず、涙を流しながら恩師に自らの敗因を訥々と語る。今までため込んできた全部を、吐き出す。
○
ロメロもまた倶楽部に顔を出した後、部屋に戻ると言って人目の付かぬ場所で一人、涙を流していた。悔しかった。五年間の積み重ねが何も通じなかった。いや、それ以前の話。エイルの負けを見て、リカルドの負けを見て、自分も負ける、勝てぬと予期し、まともに組み合うことすら出来なかったのだ。
勝負以前に心が負けていた。それが恥ずかしく、悔しかった。
勝負の姿勢が、彼を苛む。
○
クルスは一人、森の中で剣を振っていた。一心不乱に、邪念を吹き飛ばすかのように、ただ剣を振るう。とにかく今は何かをしていたい気分だった。
何かをしていなければ耐えられない気がした。
色々と積み重なったから。学園最下位、優勝を約束した先輩の敗北、夏季休暇の予定は決まらず、極めつけは自分の心の支えであった技術が、あっさりと敗れてしまった、これも大きい。ゼー・シルトさえ使えたなら――これは支えだったのだ。
封じたのはある意味先生たちの優しさ。
これを出せば何とかなる、その勘違いを支えに今日までやって来られた。本当に滑稽だ、とクルスは自嘲する。
「はぁ、はぁ、はぁ!」
何をすべきか、どうするべきか、何もわからぬから剣を振る。振れば振るほどにずれていく感覚。こんなのは練習にならない。
正しい動きじゃない。正しさが欲しい。
進むべき道が知りたい。
誰か――
「醜い。時間の無駄や」
そんな時、まるで悪魔のような男がクルスの背後に現れた。
「マスター・クロイツェル」
ここで剣を振っていたのは、何処かクルス自身期待していたのかもしれない。あの日、この場所で、クルスは彼から教えを乞うた。
厳しい言葉の連続だったけれど、今はそれが欲しくてたまらない。
あれは――とても正しかったから。
「修正します。見て、頂けませんか?」
クルスは今、正しさを求める。
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