第43話:エイル・ストゥルルソン

 暗がりで表情は見えないが、それでもいつもと違うことはわかる。それが良いことなのか、悪いことなのか、今のクルスには判断出来ないが――

「まず前提として、私は天才ではない。凡人だ」

「で、でも、先輩は首席ですよ」

「五学年の、ね。それはただ、今の五学年に天才がいないだけなんだ。それに私は座学も含めて首席と言うだけで、君のよく知るリカルドらより剣は少し落ちる。僅差だがね。実際、私はたった一つ上の六学年の首席から一本も取れたことがない」

「……そ、それは」

「まあ聞き給えよ。私だって昔は自分が天才だと思っていたんだ。先輩にも勝てずともいい勝負は出来ていたし、アスガルドの中では優秀ではあったからね。そりゃあ勘違いもするさ。だが、世の中そんなに甘くない」

 五学年の首席、エイル・ストゥルルソン。後輩の面倒見が良いスーパーウーマン。影など無いと思っていた。そう言うものとは無縁の人だと思っていた。

 だけど、

「私にはね、夢があった。騎士の子ならば誰もが見る夢だ。秩序の騎士、ユニオン・ナイトになりたかった。何処にも属さず、中立中庸を掲げ、世界全体の秩序のために奔走する真の騎士。子どもの頃から憧れていた。そうなるために努力を積んだ」

 彼女にもあったのだ。暗い感情、自分のような者だけが抱くと思っていた、醜い心の内側が。人は誰しも、そう言う側面を持つから。

「一つ一つのテストに誰よりも向き合ったよ。その先に夢があると信じていたから。努力は苦じゃなかった。夢が、希望があったから。私は自身の学年でトップを取り続けた。誰よりも努力し、積み上げ、そして――」

 陰が色を濃くする。

「おごり高ぶっていた私は現実を知った」

「……」

「倶楽部の先輩の伝手で、昨年の夏ユニオン騎士団の人と会うことが出来た。先輩曰く、一度会っておけ、それでもユニオン騎士団を目指すのなら止めはしない、と。私はね、不思議だったんだ。自分よりも優秀な先輩が何故、ユニオン騎士団を目指さないのか、と。その理由は、会ってすぐにわかったよ」

 エイルは思い出す。クルスがまだ旅立つ前、彼女は夏季休暇を利用してとある人物に接触した。その者の名は――

「一目で違う、と思った。こんな人間がいるのか、と絶句した。私もそれなりに努力してきたからわかる。いや、わからされた。貴様はこちら側の人間ではない、と。あとは確認さ。稽古をつけてもらって、それで帰路についた」

「……その人は、あの、何て名前の騎士だったんですか?」

「ユニオン騎士団第十二騎士隊所属、メラ・メル」

「……あ」

「そう。半年前、アースで戦死された方だね。君も知っていたのか」

「はい。俺も、見ました」

 忘れもしない。あの王宮での一幕を。あからさまに図抜けていた。クロイツェルらに決して引けを取らぬ圧倒的なオーラのような、何かが見えた。

 あの時はまだ、今もだが遠過ぎてよくわからなかったが――

「彼女は三年前の対抗戦でマグ・メルを優勝に導いた人物だ。おっと、今は四年前か。年齢的にはさほど変わらない。彼女は言ったよ。ユニオン騎士団に入ることは出来る。だが、入った後で活躍したいのならやめておけ、と。何もかも足りないと言われたよ。実際に、哀しいほど手も足も出なかった」

「相手はもう、プロなんですし、そこまで考え過ぎなくても――」

「君もあと一年もすればわかる。五学年にもなれば、ある程度騎士として即戦力となっていなければならない。もちろん、団入りしてから伸びる者もいるし、一概には言い切れないけれど、それなりには見えるものさ。自分の立ち位置が」

 エイルはあの日に思いを馳せる。おごり高ぶっていた。現代に則さぬ伝統を掲げていた倶楽部を革新し、自分は優秀で何でも出来るのだと思っていた。それを先輩に見抜かれ、そして真の天才の手で、鼻っ柱をへし折られた。

『うぅむ。優秀だが、平凡!』

『へい、ぼん』

 ずきりと胸を刺す。だが、あれは彼女なりの優しさだったのだろう。実際に今年、レフ・クロイツェルの講義を受けて直感は確信に変わった。

 自分は彼らと共に働くことなど出来ない。

『薄皮で覆っとるが、自分の剣は妥協の産物や。丁寧に見えるだけ、無駄がないように見えるだけ。綺麗に見えるだけ……中身は妥協と諦観の塊。目ざわりや』

『……』

 上手く隠せている、と思っていた部分は全て、彼らぐらいになれば見えていた。もちろんそれは自分だけではなく、五学年はもれなく全員が指摘を喰らった。きっと、普通はそうなのだろう。何処かで妥協し、折り合いをつける。

 だから、アスガルドの先生たちは見えても指摘しなかった。

 折り合いをつけた者に指摘しても意味がないから。

「私は諦めた」

 エイルは立ち上がる。クルスは彼女から視線を逸らす。見たくないと思った。諦め、悲観に暮れたエイル・ストゥルルソン。自分の理想、皆に慕われ、導き、明るく聡明な彼女の影など、これ以上直視したくなかった。

「諦めた、はずだった」

 月明かりが差し込む窓辺に立った彼女は、

「……あ」

「君のせいだ、クルス・リンザール」

 微笑んでいた。少し苦しそうだが、それでも想像していた折れた顔ではない。むしろ、折れそうな心に抗うかのような、そんな貌をしていた。

「私は決して善人ではない。君を招いたのはフレイヤがそうしたいと言ったから。おっと、これは内緒だよ。彼女には口封じをされているからね」

「……いえ、それはまあ、最初の時点でわかっていましたけど」

「あはは。それはそうか。当時、諦めていた私は別の夢を見ることにした。夢と言うか、現実的に可能な進路を選んだ、が正しいね。アスガルドの騎士団に入り、実務経験を積んだのち、ここの教師となる道だ。君はまあ、嫌な言い方をすると私にとっては実験だった。きちんと教えることが出来るか、正しく導くことが出来るか、学生の内にこんな経験が出来るなんて、幸運だとすら考えていたよ」

「……ちょっとショックです」

「うん。だけど、その勘違いは解いておかなきゃ、と思ってね。フレイヤはノブレスオブリージュ、私は実験、それが君を受け入れた理由だ。君に才能を感じたわけでも、特別な何かを見たわけでもない。むしろ、あの時の私ならそれがあると思った時点で遠ざけていたと思う。我ながら醜い話だが」

「……」

「君は努力した。最初、ここまで出来ない子なのか、と思っていたが、何のことはない。君は習っていなかっただけ。真面目で優秀、とても教えがいのある後輩だったよ。まるでそう、昔の自分を見ているみたいだった」

「全然、違いますよ。俺と先輩じゃ」

 しばしの空白のあと、

「君は将来、どんな騎士に成りたい?」

 エイルは突然クルスに問いかける。

「……いえ、その、まだ将来のことは。でも、騎士にはなりたいです」

「騎士団も色々だよ。国立、私立、都立なんてのもあるか。もちろん頂点であるユニオン騎士団もね。所属先で騎士の格は決まるが、同時に所属した集団の中でも序列はある。はてさて、君がどの道を選ぶのか、私はとても楽しみだ」

 彼女はクルスの肩に手を置き、

「少し、外に出ようか」

「……?」

「騎士にしか出来ない『対話』をしよう」

 ある提案をする。


     ○


「「エンチャント」」

 向かい合う二人の剣が色を帯びる。騎士剣に魔力が伝導し、魔をも断つ珠玉の切れ味を得るのだ。それを完全にコントロールし、相手を切ること、切らぬこと、その調整を完璧にすることもまた、騎士の学校で学ぶ大事なことである。

 エイルの構えはソード・スクエアを若干利き腕に寄せたもの。リンク・スクエア、レヒト・スクエアと共に多くの騎士が利用するバランス型の型である。

「私がこの型を選んだ理由はね、いい評価が欲しかったから、だ。この手の型は基本であるソード・スクエアに近ければ近いほど騎士受けがいい。年配の騎士から見て品があるように見えるらしい。浅はかだろう?」

「まあ、ですね」

「だけどね、この型を選んだ理由はともかく、結果には満足しているんだ。スクエアを網羅する正眼の構えには基本が全て詰まっている。私は型に剣を教えてもらったようなものだ。ゆえに、君がそれを学ぶのは良いことだと思う。だが――」

 エイルはクルスを真っ直ぐ見つめ、

「一生のお願いをしても良いかい?」

「……内容によります」

「君の本当の剣を見せて欲しい。君が何らかの理由で封じているのは知っている。だけど頼む。そうしないと『対話』にならないんだ」

 クルスは少し迷う。倶楽部ハウスから出て人目の付かぬ場所に来たが、それでもここは学園の敷地内である。何処に目があるかわからない。テュール先生から禁じられた型を使って、約束を破ったと言われるのは辛い。

 だが、

「わかりました」

 クルスは結局ゼー・シルトの構えを取った。半身となり、両手を頭の位置に掲げ、切っ先を相手に向ける。堅守の構えである。

「……なるほど。それが本当の君か。ふふ、なかなか雰囲気があるじゃないか」

 クルスの立ち姿を見てエイルは微笑む。雰囲気が増した。圧が出た。積み重ねが滲んでいる。これを見れば確かにわかる。

 彼がこの学園の門をくぐった理由が――

「感謝する。では、行くよ」

「はい!」

 すう、と滑るような動きでエイルは距離を詰めてくる。驚くほど滑らかで、びっくりするほどの速さ。今までソード・スクエアで対峙し、稽古をつけてくれた彼女とは全然違う、実戦仕様のエイル・ストゥルルソンであった。

「しっ!」

「っ!?」

 振りも鋭い。それ以上にコンパクトで、引きが早く繋ぎに無駄がない。攻撃の回転速度が尋常ではなく、その上でしっかりカウンターも警戒されているのか、いつでも退ける位置に陣取り、ただ立つ場所一つでカウンターを封じてくる。

 侮っていたわけではない。

 知っていたはずなのだ。このアスガルドで、御三家で、首席を張ると言うのがどういうことなのか、を。身をもって彼は知っていたはず。

 学年は違えども、その重さに変わりはない。

「何が、凡人、ですか!」

「凡人だよ。だが、優秀だとも言っただろ?」

「いい、性格してますね!」

「親しき者にはよく言われる。どうやら私たちは今日、親しくなったようだ」

「にゃ、ろぉ!」

 とにかくやり辛い。ただ、これは後期後半、拳闘や剣闘の講義でも感じていたことであった。特に拳闘では顕著であったと思う。上位陣と当たった際、この感じがあったのだ。見られている。知られている。わかられている。

 実際に言語化出来ぬ気持ち悪さと共に、クルスは一度として上位陣の壁を突破したことはない。いい勝負は出来ても、最後には絶対負けていた。

 その感じが、より濃く感じられる。

(攻撃の継ぎ目がないから、反撃の糸口が作れない。カウンターをしたいのに、其処まで踏み込んでくれない。そして体勢は、どんどん悪くなる)

 複雑なことをしているようには見えない。基本的な動作、それを磨き上げるとここまで無駄がなく、速く、鋭いものになるのか、とクルスは驚愕していた。全ての動作に意図がある。全ての動作に無駄がない。

 だから速くなく、強くもない彼女が――速く、強いのだ。

 その上、

「あ、ぐう!」

「ははは、青い青い」

 突然足を緩めたり、視線や動作のフェイントを織り交ぜて来たり、気づけば主導権は完全に奪われ、ただしのぐばかりとなってきた。

 これじゃいけない、と思いつつも手立てがない。

「よく見ている。粘り強い。妥協がなく、最善を尽くそうとしている。うん、君は強いね。心が、強い。だからこそ今日は――」

 とん、深い踏み込み。待っていたとばかりにクルスもまたそれに合わせ踏み込み、上段からカウンターを打ち込む。が、柄を握る持ち手をエイルは見もせずに片手で押さえ、逆の手でクルスの喉元に切っ先を添えた。

「あっ」

「――私(技術)に負けておきたまえ」

「さ、誘われた」

 打たされたカウンター。だから、迎撃に際し見る必要すらない。完全に誘導された行動を取らされ、クルスは悔しがる。

「詐術も立派な技術だよ。それに、君も理解しているはずだ。ソード・スクエアを学ばされた理由を。自らの欠陥を」

「……かなり、改善したつもりだったのですが」

「私もそれなりに積んできた。他の者もそうさ。この学園にはね、そう言う人間ばかりがいる。なかなか大変だよ。やる気になった者を超えるのは。君より積んできた者しかいないからね。私も含め。かなりの堅守だった。崩すのに手間取った。だけど、ある程度の者からすれば、手間取るだけで攻略は出来るんだ」

「……」

「カウンターだけでは足りない。もっと牙を磨くことだ。いやぁ、いい練習になったよ。頭も使ったし、勝って気分も爽快だ」

「……それは良かったですね」

「あはは、拗ねない拗ねない」

 敗れ、頭を撫でられ、さらにブスっとするクルス。エイルが腹を見せてくれたから、クルスも少しだけ明け透けになっていた。

「君は格段に上手くなった。牙も生えてきた。でも、頭を使う騎士相手にはまだまだ足りない。堅い守備と怖い攻撃、それが出来て初めて君が得たカウンターっていう牙は輝く。まずは駆け引きできる手札を得ることだ。御三家水準の」

「イエス・マスター」

「あっはっは。気分が良いなぁ」

 ごろりと芝生の上で寝転ぶエイル。それを尻目にクルスはため息をつく。わかっていたが、やはり遠いのだ。ゼー・シルトを使えば、と言う考えは今日捨てることにする。今の自分がそれにすがっても、今と同じ結果が待つだけ。

「頑張る君を見ているのは、とても気分が良い」

「そっちですか?」

「うん。そうだ。君が成長しているのを見て、とても無理だと思っていたところから御三家に近い水準まで上げてきた姿を見て、それはもう痛快だったのさ。たったの一年だよ、素晴らしいじゃないか」

「……そうは、思えません」

「君は存外欲深い男だね。そういうところも私に似ている。少しそこが心配だけれど、まあこの一年を乗り切った君なら、何でも出来るさ」

「……はい」

 エイルは寝転びながら満天の星空を見つめ、

「私が緊張で押し潰されそうなのは、私が今諦めることをやめたからだ。もう一度、もう一度だけ目指してみよう。そう思ったから、私は不安で夜も眠れない」

「それは、きついですね」

「きついよ。だけど、妥協と諦めにまみれ、惨めな自分を直視することの方が、よほど辛いのさ。だから、私は頑張るよ。私に初心を思い出させてくれた君に、最後くらいは導となりたいからね。折角なら格好いい先輩の方がいいだろう?」

「何ですか、それ」

「決意表明さ。谷間の世代にも意地がある。優勝してやろうってね」

「それは……格好いいですね」

「だろう?」

 先輩と後輩は笑い合う。天才から見れば凡人同士の傷の舐め合いにも見えるかもしれない。凡人が優勝など、現実が見えていないとあざ笑うかもしれない。

 だけど、頑張ることは、目指すことはタダだから。

「応援してます」

「当然だよ。後輩は先輩の応援をするものさ」

「たぶん、エイル先輩は上の世代を心から応援したこと、ないですよね」

「……まあね。私は自分のことばかりだったから」

「でも、俺はいい後輩なので誠心誠意応援しますよ」

「ふふ、先輩冥利に尽きるね」

 もう一度、エイル・ストゥルルソンは天へと手を伸ばす。自らに火をつけてくれた後輩に感謝しながら、険しい道だとわかっていても――

 もう一度立ち上がる。

 どん底から這い上がった後輩に笑われぬためにも。

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