第42話:光と影

「あ、恩知らずが来た」

「まあまあ」

「マスター! おめでとうございまーす!」

「……どうもぉ」

 一応進級おめでとう、と言う感じで待ち構えていたヴァルハラ勢であったが、クルスの雰囲気は暗かった。結構、どん底ぐらいの暗さである。

 一緒に来たフレイヤは事情を知っているのか首を振るばかり。

「……夏季休暇の予定がない、ねえ」

「せめて寮が空いていればよかったんですけど」

「まあ、普通は夏季休暇で学校に残る人はいないからねえ」

「……知りませんでした」

 皆の当たり前、クルスの不思議。

「故郷に帰ることは出来ないのかい?」

「……帰れないです」

「ふむ、これは困ったね」

 そうは言っても帰るしかないだろう、と言うのは家庭の事情が知らぬ者の意見。所詮は他人でしかないエイルが踏み込むべきではない部分である。

 フレイヤも、遠目で本を読んでいるイールファナも、それぞれ家に関しては考えることがあるため、普段ほどずけずけ言ってこない。

「力になってあげたいのだけど、私も私で今は手が空いていないからね」

「あ、そっか。すいません。大事な時期に」

「構わないよ。後輩の悩みの方が大事さ。とは言え、動けないからなぁ」

 対抗戦が間近に迫り、エイル自身そろそろ代表者としてアスガルドを出て、今回の対抗戦が開かれる会場へ赴かねばならない身である。物理的に協力することが出来なくなるのだ。力になりたいのはやまやまだが、と言う感じである。

「マスター、夏休みひまなんですかー?」

「……まあ、端的に言うとそうだね」

「じゃあ、うち来ます? 広いですよー。部屋もたくさんあります」

「アマルティアの家?」

「はい!」

 突然救いの手が伸びてくる。アマルティア・ディクテオンのぷにっとした手を握れば、きっと豪華なお屋敷でのんびりと過ごすことが出来るのだろう。

「一緒に野山を駆け回ってちょうちょを追いかけましょう!」

「……ちょ、ちょっと考えさせてもらっても良いかな」

「ダメでーす。即断即決をヨウキューしまーす!」

「……ぐぬ」

 ただし、エイルやフレイヤ、イールファナの監視の目が届かぬ状況で、彼女と共にいれば確実に日がな一日ちょうちょを追い掛け回すことになる。と言うよりも、勉強させようにも居候の身で偉そうにするわけにもいかないし、彼女のテリトリーで彼女のペースに飲まれてしまえば、夏は一瞬で無為と消える。

 ありがたい申し出であるが、このぷにっとした手は悪魔のそれ。選べば四学年に上がった際、皆に差を付けられること必至。

 ただでさえ最下位フィニッシュであったと言うのに――

「ハピナスの研究所は年中無休。私も夏季休暇中は滞在予定」

「え!? そんなこと出来るの?」

「出来る」

 アマルティアの猛攻をどうかわすか、思案していると珍しくイールファナが手を差し伸べてきた。「むー」と露骨にむくれるアマルティア。

「「……」」

 しかし、エイルとフレイヤの表情は芳しくない。と言うか非常に険しいものであった。が、今のクルスに気づく余裕はなかった。出来れば学校に残りたかったのだ。図書館などの施設はサマースクール向けに開放されていたりもする。

 残りさえすれば活用出来なくもないのだ。

「と言うかファナも帰らないの?」

「帰れない。クルスと同じ」

「……そっか。なら、見学させてもらおうかな」

「わかった。今から案内する」

「ぶーぶー! 横取りですよー!」

「人聞きが悪い。成績最下位のクルスに蝶を追い掛け回す余裕はない」

「私もビリだもん!」

「何の自慢にもならない。貴族科は滅多なことじゃ退学にならないけど、クルスは来年も最下位なら、たぶん退学になる。哀れ、お別れ。バイバイ」

「それは嫌ですー!」

「なら、野山を駆け回るのは諦めて」

「それも嫌ですー!」

 其処から不毛な言い合いが始まったのだが、あまりにも不毛であったため割愛する。天才と馬鹿の会話と言うものは、まるで噛み合わないことが証明された。

 どちらも相手に合わせる気がないから、尚更である。


     ○


「くひ、魔力の結晶化現象を応用して、各種魔力から粉末を精製、さらに混合させ、化学反応と魔法反応を同時に起こし、ばくはァつ!」

 どかん、と研究所の一角から爆発音が響いた。それと同時に「ぎゃはは! 失敗!」と高らかに失敗を宣言する声が聞こえた。

 もう普通に恐怖である。

 ここは倶楽部ハピナス。主に倶楽部の構成員は魔法科を中心とした研究組織であった。とにかく至る所から絶叫のような声や炸裂音、爆発音などがこだまし、落ち着く暇がない。まさかこんな空間で寝泊まりしている者など――

「……な、に、これ」

「寝てる」

「いや、その、皆さん、なんでここで寝てるの?」

「本能に敗れたから」

「……こわ」

 クルスは暗がりの中、よく目を凝らすと床で白目をむき倒れている者や、椅子を並べて奇妙な体勢で寝ている者、実験中であったのだろう手には妙な色合いの液体が入ったスポイトを構えながら、おそらく液体と混ぜ合わせるための粉に顔を突っ込み、そのまま眠っている者など、多種多様な屍のようなものが転がっていた。

 ちょっとしたホラーである。

「りょ、寮に帰らないの?」

「実験中は大体帰らない。張り付きたいから」

「……こ、これが、魔法科かぁ」

 魔導学などでは共に机を並べることもあるのだが、如何せんクルスは別の学科のことをよく知らなかった。と言うか知るほどの余裕もなかった、が正しいか。一応マナーの講義などで貴族科とも交流はあり、他の二学科も全く知らないわけではないが、今までの姿は他学科がいるから装っていたもので、本性はこちらなのかもしれない。まあ、ハピナスが極端にヤバいだけかもしれないが。

「ここ、私のスペース。隣の角が空いてるから、其処なら寝泊りできる」

「あの、ベッド半分のスペースもないよ」

「足を抱えたりすれば大丈夫。私の領域に立ち入ったら殺す」

「……寝相は、そんなに悪くないと思うけど、何分睡眠中のことは――」

「殺す」

「……はい」

 部屋の角っこにぽつりと空いた空間。クルスはここを寝泊りできる場所とは認識できなかった。あまりにも、あまりにもここの人たちは人間を捨てている。

 騎士よりもよほど、過酷な環境にいるのではないかと思うほどに――

「あら、リンザール。騎士科の貴方が何用ですか?」

「ま、マスター・バルデルス!」

 ごたごたしているクルスとイールファナの前に現れたのは、アスガルド王立学園の三学科統括教頭、学園長に次ぐナンバー2の偉い人、リンド・バルデルスであった。むしろクルスが問いたい。何故ここに統括教頭がいるのか、を。

「……私の研究を、見せようかと」

「リンザールに理解できるとは思えませんが」

「私もそう思います」

「……?」

 ひどい言われようだが、それよりもどうしても聞きたいことがクルスにはあった。それはもう、一つしかないだろう。

「あの、先生。先生こそ何故ハピナスにいらっしゃるのですか?」

 倶楽部ハピナス。ディン曰くかなりヤバいところらしいのだが、其処に統括教頭が直々に顔を出す、と言うのは色々と察してしまう部分がある。

 とうとう、この闇の空間が摘発される時が――

「不思議なことを聞きますね。顧問が倶楽部に顔を出すのは当たり前のことでしょう? まあ、倶楽部によっては顧問不在のところもありますが」

「……え?」

「マスター・バルデルスは倶楽部ハピナスの顧問」

「……え、だって、ここって怪しい粉を製造しているって」

「間違ってはいない。魔導研究の始まりは、この粉体にある。魔力が化学反応により結晶化し、手を加えなければ粉体となる。より純度の高い粉体を精製し、皆が魔導のもたらす幸せを享受できる未来を目指すのが、倶楽部ハピナスの理念だから」

「……凄いところだったんだ」

「まあ――」

 またも爆発音と共に、頭から煙と火を吹きながら研究所を駆け回るヤバい人が、白目をむいて倒れ伏す人を踏み、絶叫が研究所にこだまする。ついでに爆発も。

 地獄のような負の連鎖であった。

「――それほどでもない」

「ここは少し騒がしいですが、まあ研究の世界ではこういうのが普通です。冷やかしならば退出させるところでしたが、興味があるようであれば見学していきなさい。騎士にとって戦場はダンジョンですが、研究者にとっての戦場はここです。知ることで変わる景色もあります。あらゆることに精通してこそ、真の騎士ですよ」

「イエス・マスター」

 何か良い感じのことを言っているが、周囲ではより事態は悪化し、収拾がつかなくなっていた。ように見えるのだがイールファナもリンドも特に気にしていないので、多分これが日常なのだろう、とクルスは理解した。

 この空間で寝泊まりは無理だ、と早々に諦めながら――


     ○


 クルスはとぼとぼと倶楽部ヴァルハラに向かって歩いていた。イールファナはそのまま研究する、と言って倶楽部ハピナスの闇に飲み込まれ別の世界へ旅立ってしまった。研究者としての彼女は、生き生きとしておりヴァルハラでの印象とは大きく違って見えた。美しく、情熱に充ち、自分の進むべき道を明確に定めている。

 フレイヤと同じ。とても格好よく見えた。

 自分とは全然違うから。

 さすがにもう、皆は帰ったかな、と倶楽部ハウス内へ入る。結局、夏季休暇の件は解決のめどが立たぬまま今に至る。厳密に言えば解決方法はあるのだ。あのぷにっとした手を取れば万事解決。そのままちょうちょマスターの道をバクシンすることとなる。それはそれで楽しいのだろうが――

「おや、今日は戻ってこないと思っていたよ」

「あれ、エイル先輩。どうしたんですか? こんな暗がりで」

 日が落ち、暗くなった室内の隅でエイルは一人座っていた。何をするでもなく、ただ虚空を見つめて――それは何処か、健全でないように見える。

「明かり、付けますよ」

「いいよ。すぐに出るから」

「でも――」

「いいんだ。私は存外小心者でね。人生をかけた挑戦を前に少し臆しているのさ。そんな顔を、後輩には見せたくない。わかってくれないか?」

「……はい」

「ありがとう」

 いつもと違う雰囲気のエイルは、影がかかりよく見えない。ただ、何かに押し潰されそうになっているのは感じられた。

「進級試験がない世代、か。君たちは久方ぶりの黄金世代だ。アスガルドにとっては待ちに待った、対抗戦で優勝する好機と言うことだね。実に素晴らしいことだ。御三家の面目躍如、その期待があるからこそ、特別措置なのだろう」

「……」

「私たちとは大違いだ」

「そ、そんなことは――」

「少し、話をしようか。天才と凡人の話。騎士の話。才能と努力、残酷なまでに違う生き物の、話さ。きっと役に立つよ。だって君は、私側の人間だろうから」

 暗がりに浮かぶ眼、その色は少しいつもより陰って見えた。

 クルスからしたら恩人であり、文武両道の完璧超人にも見える彼女が抱える苦悩、それを今日、彼は覗くこととなる。

 明日の己を。

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