10.5 パリ包囲戦(1)父王の棺
結局、押し切られる形でパリ包囲戦が決まった。
軍資金は底をつき、勝算もほとんどないが、それはオルレアン包囲戦とランス行軍も同じだ。「王は慎重すぎる。ジャンヌは結果を出してきたじゃないか」と言われたら、もはや何も言えない。
フランス王がパリに入城するときは、王家の霊廟サンドニ大聖堂で礼拝を済ませてから、北側のサンドニ門から入るのがならわしだ。
包囲戦が始まる前に、私は大聖堂を訪れて父王の棺と対面した。
大理石の棺は真新しく、記憶にあるよりも若々しい、おそらく正気だった頃の父王シャルル六世の姿がかたどられている。今の私よりもずっと威厳に満ちあふれている。
生前は心を通わせることも、手を触れることも叶わなかった。
いたわるように——、愛を求め、許しを乞うように父の顔に触れたが、冷たく硬い感触が返ってくるだけだ。
「父上、私はここに来て良かったのでしょうか?」
ここには、若くして亡くなった4人の兄たちの棺も安置されている。
いずれは母妃イザボー・ド・バヴィエールも隣に並ぶのだろう。
私は、この家族の中に入っていいのだろうか。
「私は王にふさわしくない。それでも、先に進まなければなりません」
納骨堂を離れると、大聖堂の主祭壇に供物を捧げ、神と歴代フランス王に加護を祈った。
*
その間に、先ぶれがパリを訪れて王の来訪を告げたが城門は開かなかった。
予想通りの展開なので特に失望することもなく、事実を淡々と受け止めた。
「王さま、心配ないですからね」
「心配はしてないよ」
「へへ、嬉しいです。あたしを信じてくれるんですね」
ジャンヌは、私とはちがった意味で前向きだった。
「トロワの町と同じです。数日後には絶対に開きますから!」
パリの外周には全部で11の城門があり、セーヌ川の北岸は二重の城壁で守られている。最北部がサンドニ門で、中心部までの距離も長く、攻め込むにはもっとも困難なルートだ。
実際、ブルゴーニュ無怖公がクーデターを起こしたときはセーヌ川南岸のサン・デュプレシ門から侵入した。南岸には古い城壁しかなく、城門さえ破れば最短距離で中心部の王宮に行ける。そうやって父王を素早く確保し、実権を握ったのだ。
「それじゃあダメです!」
しかし、ジャンヌは南岸からの攻略を良しとせず、由緒正しく「サンドニ門を開門」させることにこだわった。シャルル七世は正当なフランス王で、私たちは反逆者ではないのだ。
王家の霊廟を背に本陣を置けば、歴代フランス王から霊的な支援を受けられるという理屈も一理ある。
「……わかったよ。私はサンドニから入る準備をしておこう」
「そうするのが一番です」
「サンドニ方面に敵を引きつけておくから、その間にジャンヌとアランソン公は北岸の西にあるサントノレ門を砲撃するんだ」
サントノレ門は、北岸ではもっとも王宮に近い。
外周の城壁・城門を破ったとしても、パリ市内にはもうひとつ城壁があるため、市街地戦は避けられない。北側と東側から侵入するルートは中心部までの距離が長く、市民に被害が出てしまう。
「城壁は壊してもいい。だが、パリ市民は敵ではない。フランスの同胞なのだから被害を最小限に抑えること」
「はい……!」
「その間はなんだ?」
「へへ、やっぱり王様はやさしいなって思いました」
あの無垢な瞳で見つめられて、私は照れくさくて目を逸らした。
「優しくないぞ。この城門はセーヌ川から引いた深い水堀があるから難関だ」
「大丈夫ですって」
外周の城壁を破り、ルーブル宮殿を奪うことができたら、ここを拠点に次の作戦に移る。パリ市内に味方が多いならば、市民を蜂起させて他の城門を開城させる。私は由緒正しくサンドニ門からパリに入城できるだろう。
内側の城壁は古い作りで堀もない。
もし、外側の城壁を破って市民を味方につけることができれば、パリ包囲戦は短期決戦で終結するかもしれない。
流血嫌いな私としては理想的な戦いだ。
ジャンヌ・ラ・ピュセルの名声もさらに高まるだろう。
*
サントノレ門の攻略は困難をきわめた。
外側の城壁は、私の祖父・賢明王シャルル五世が建造しただけあってとりわけ強固だった。丘から援護射撃をしてもびくともしない。
フランス軍の兵力はおよそ1万人。
イングランド軍の兵力は3000人と聞いていたが、パリ市民はイングランドに味方した。
ジャンヌは味方の苦戦とパリ市民の抵抗を知ると、教会にこもって祈りを捧げた。しばらくするとすっきりした表情で出てきて、いつもの白い軍旗を手に取った。
「これでもう大丈夫。あたしについてきて!」
城壁に通じる水堀に、船を繋げて板を通した「桟橋」みたいな足場をかけると、軽やかに飛び乗った。
「前進よ、前進あるのみ!」
ジャンヌが走り出すと、兵士たちは雄叫びをあげて後に続いた。
イングランド軍はいつものように矢の雨を降らせた。
プレートアーマーを着用していればそれほど怖くないが、不安定な足場ではまともに踏ん張りが効かず、何人か足を滑らせて水堀に落ち、水しぶきで濡れた板はしだいに滑りやすくなった。
分厚い綿入りのプールポワンと重いプレートアーマーを着用した兵士が、深い水堀に次々と落ちたらどうなるかは、言わなくても想像がつくだろう。
幸いなことに、先を行くジャンヌは乾いた足場を駆け抜けた。
しかし、運悪く、甲冑の継ぎ目から太ももに矢傷を受けてしまった。
「聖女さま!」
悲鳴を聞いた信奉者たちが覆い被さり、ジャンヌとともに倒れた。
「あたしに構わないで! 前に進むの!!」
「足に矢が! これでは無理です」
「えっ……、きゃああああ!」
「誰か、聖女さまを後ろに……! ぎゃああああ!!」
ジャンヌは
「あぁあぁぁ……、痛い、痛い!!! ううん、だめ! 先に進んで!!!」
知らせを受けて、私はジャンヌをサンドニ大聖堂に運ぶように命じた。
聖女が「声」を張り上げている限り、兵士たちは王の停戦命令に従わないからだ。フランス軍はわずか4時間で1500人もの死傷者を出していた。
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(※)近況ノートで『中世のパリ Paris au Moyen Age』地図を紹介しています。
▼近況ノート:中世(14〜15世紀)パリの地図
https://kakuyomu.jp/users/shinno3/news/16818093090052403561
賢明王シャルル五世が城壁を強化した後なので14〜15世紀ごろ。
まさに英仏百年戦争・後期ドンピシャ!
当時の地図と小説本編をリンクさせると、
パリ包囲戦の戦況について解像度が上がると思います。
シャルル七世とジャンヌは、こういうの見ながら戦略を考えてるんだろうなーという感じで、想像力を膨らませて楽しんでいただければ!
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