第55話 家族について思ったり

 あおいが紅茶を飲みながら携帯をポチポチやっている。なんだかんだ、お局へのお礼メールでもしているんだろう。

 コーヒー味のマカロンはまったく苦みがなかった。紅茶に砂糖を入れなければよかった。二杯目は砂糖ぬきのストレートでいいな。マカロンを甘い紅茶で飲み下したときに、携帯に通知が入って来た。


「フォローしている小説が更新されました」


 通知を読んで、わたしは少しがっかりした。

 プリンが読みたかったのに、更新がまたお局小説だったからだ。

 お局小説も読みたいのは確かなのだが、共感という点ではやっぱりプリン小説のほうに軍配が上がる。

 更新が止まってしまいそうだと言っていたが、なんとかプリンの神がおつぼねぷりんに降りてきてくれないものだろうか。

 

「マカロン、コーヒー味、美味しい。ありがとう」


 あおいはわたしを見上げて、にっと笑った。はいよ――そういう、挨拶のための笑顔。つられて微笑みを返す。遅れて胸の奥に少しずつ光が満ちていく。

 あおいはわたしの幸福感を引き出す天才だ。こういうちょっとした、あおいにとってはどうってことのないやりとりを、当たり前のように受け取れる。毎日あおいと会えるのはなんて幸せなんだろう。

「ご家族でどうぞ」、さっきあおいが口にした言葉に、体が歓喜している。


 ご家族。あおいと家族になれたらいいのに。そう思うことがある。わたしが家族になりたいと思う理由はたった一つだ。理由がなくても会えること。一緒にいる理由が何もなくても、ただ同じ空間にいられる。約束なしで同じ場所にかえっていける。同じ空間にいて別の事をしていていい。同じことをしていなくても当たり前にそばにいられること、家族の特殊性はそこに尽きる。

 いまわたしは、「理由なく同じ空間にいられる」この一点において、あおいの家族のようなものだった。そんな幸せなことに気がついて、わたしの中に甘い感覚がたまっていく。

 喧嘩中も、同じ家にいられた。仲直りもそのおかげでしやすかった。あおいとルームシェアできている――なんて特別なことなんだろう。

 どうしてわたしの感情は、あおいのほんの少しのしぐさや言葉ですぐに変わってしまうのだろう。


 あおいは不思議な存在だった。どうしてこんなにあおいの笑顔が嬉しいのかわからない。ただの挨拶のためのちょっとした笑顔を、どうしてこんなに大きなものに感じるのかがわからない。

 笑顔が素敵な人は、まわりにたくさんいる。わたしに優しく笑ってくれる相手はなにも、あおいだけじゃない。

 あおいも含めてみんなで写っている写真を見ると、いつも思うのだ。写真のなかにもアルバムのなかにも、今までわたしが会ってきた人間のなかに、美少女なんてものはたくさんいると。中学高校でもクラスに二人くらいは芸能人になれるのではないかと思うレベルの整った容姿の人間がいた。大学に入れば周りの女子はうんと垢抜けた、見とれるレベルの女性はそこかしこに増えた。そんななか、あおいの顔かたちが飛びぬけて整っているか、特別美人かといわれれば、そうではない。

 目の前にいれば世界一可愛いと思うのだが、写真で見比べると、周りにいくらでも容姿の整った人間はいるのだった。なのに、どうしてあおいだけ一番可愛く見えるんだろう。髪の毛の一筋まで可愛く感じるんだろう。こんなに可愛い特別な人間はいないと思うのだろう。目の前で動くあおいは、わたしにとって、間違いなくこの世で一番だった。

 わたしは整理整頓が好きだ。物を整えてあるべき場所に分類していくと気持ちがいい。そのわたしが、あおいの前では、わからない、謎だ、どうしてだ、そんな言葉を胸の中で何度唱えてきたかわからない。分類できない、だからといって捨てておけない感情を、わたしはかかえたままでずっとウロウロしている。

 彼女が怒ればそのことしか考えられないし、ちょっと笑ってくれれば今日一日はそれでもう味わうに足る甘い日になるのだ。


 あおいの、眠そうになって半分とろんとした不機嫌そうな目が好きだ。怒っている時の握り拳が好きだ。

 握り拳……あれはあおいの癖だ。眠いときにも拳にした手で目をこする。

 だからわたしは、おつぼねぷりんにプリンのエロトークを送ったときに、あおいはすぐにプリンを握ってしまうだろうと余計なことまで考えた。


 ――ヤバいな。


 あおいに呼ばれる前、さっきまで自分がおつぼねぷりん書いた妄想を読み返していた。さすがに、ヤバいと思った。

 わたしにエロいことをされて、暴れたくなるほど感じて反応をかえす、小さな身体を想像してしまったからだった。小さなあおいの手が、わたしの服のすそを握り、布団を握る。リアルに想像しすぎた。

 あおいのぎゅっと握った手。プリンの想像なしでもそれはわたしの脳内を染めていっていた。あおいが握った手を上から握りたいと考えていたのだ。プリンを食べさせながら手に触れるようになってしまったからかもしれない。


 いままで、あおいにプリンを食べさせて何度もハァハァしてきたが、それ以上のことを具体的にしたいと考えたことはあまりなかった。

 わたしは有言実行の人間で通って来た。それは、実行できる範囲のことしか目標にしないからだ。届かない夢を見たって仕方がない。

 あおいで言えば、最高地点は一緒にいることだった。エロい意味では、プリンを食べさせる、という行為、あれこそが到達できるヤバエロ最高峰だ。

 では、なんでもできるとしたら、あおいに何がしたいのか? 

 自分に問いかけたことは何度かある。そのとき、自分のなかに「セックスがしたい」という明確な答えは出てこなかった。キスは……したい。でもその先はわからない。実は、わたしは、あおいに何がしたいのか、自分でも、いまだによくわかってはいないのだ。

 おつぼねぷりんに書いた内容は、別にあおいにしたいことではなかった。ただのエロ妄想として提供しただけのもの。細かいところはあおいで想像してしまったが、妄想は妄想だ。興奮はするが、現実化したい欲求とはまた違う。心から本当にしたい欲求がアレなのかと言われたら、そういうわけじゃない。

 でも、あれを、していいとあおいに言われたら、絶対にするだろう。

 どちらかというと、あおいとなら何でも良い、手を握るだけでも良い。プリンを食べてくれれば充分エロい。そういう感情だった。……はずだ。

 書くという行為は、危うさをはらんでいる。書くと身に迫ってくる。わたしは今、少しだけ、あおいの、怒る以外の極限の顔を見てみたくなっている。


「なにじっと見てるの」


 携帯をいじっているあおいが、こちらをちらりとも見ずにそう言った。目をそらす。わたしが見てるのをわかっていて、スルーしていたんだろう。あまりに長く見てたから口に出したんだ。いやだからダメだって。こういう視線で見るのは。あおいだって突っ込むわ。


「もう部屋に戻るよ」


 わたしはそう言って、二杯目の紅茶を入れてリビングを後にした。


 自分がエロ妄想を文章にしたことで、その恐ろしさがわかってしまった。おつぼねぷりんは、エロ小説を書いている時点で変態だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る