二日前
ここ数年はずっと、この元ホテルの先生の別荘は平穏だった。
それなのに、数か月前、肝試し目当ての侵入者が来て、佳月に脅かしてもらって追い返してしばらくすると、時々肝試しに来る侵入者が増えた。
どうやらあの追い返した侵入者が、動画配信サイトにぼんやりと佳月が映った動画をアップしてしまったらしい。
不法侵入という犯罪の証拠になるのに、世界中に自分の犯罪を公開するという愚かな人間がいることに、佐野は呆れ果てていた。昔から肝試しで冷やかしにくる者はいたが、動画を公開した奴は初めてだ。
そんな愚か者のせいで、平穏が脅かされるのはとにかく不愉快だった。
幽霊が出ることを期待している連中相手に、幽霊のふりをした佳月を会わせるのに危険を感じたので、それ以降は脅さずに、別荘にもしっかり施錠をして、みんなで息をひそめてやり過ごしている。
ほとんどは駐車場のゲートの前までで帰ってくれるので、何もすることはない。
だが、今日現れた侵入者は、ゲートを越えて中に入ってきた。
しかも、駐車場までは三人だったのに、中に入ってきたのはたった一人だ。
佐野は、監視カメラの画面を切り替えて侵入者の姿が一番大きく映る画面を見て、驚いた。
「女の子じゃないか」
女性が一人で侵入したのは、人生のほとんどをこの別荘で過ごした佐野でも初めて見た。
メリーゴーランドの近くに来たところで、その女の子が、カメラの方を見た。
目線がわずかにずれているから、監視カメラを見つけたわけではなく、メリーゴーランド本体を見ているのだと思われるが、それでも顔は確認できる。
「っ!」
佐野は言葉を失った。
いや、言葉どころか呼吸も忘れた。
懐かしい顔だった。
自分にとって、大切な、兄のような存在だった人に、瓜二つだったのだ。
「伊織……?」
そんなわけはない、彼はずうっと前に死んでしまったんだ。
ならば――
「まさか……」
伊織の子供?
佐野は考えるよりも先に駆け出していた。
カメラに映った瞳は、異様なほど冷めていて、どこか憎悪めいた色に揺れていた。何も知らずに肝試しに来た者の顔ではなかった。
佐野はその時自覚していなかったが、この得体の知れない少女によって、ここが壊されてしまうような、そんな不安に掻き立てられていたのだ。
我を忘れて駆け出していく佐野の背中を、三階の廊下の窓から見た佳月は、また侵入者でもあったのだろうかと思い、階段を下りてロビーの奥にある管理室に向かった。
途中、自室に寄って、佐野から命の危険を感じたときのとっておきとして配られていた、危険な濃度で作ったと言う香油の瓶とタオルを手に取った。香油というより、もはや香油を入れた薬品なので、使うときは注意するように言われていた。
そして監視カメラに映る、メリーゴーランドのブルーシートをめくり上げている、二人の少女を見つけた。
「え?」
見ず知らずのものすごくきれいな女の子と一緒に、ブルーシートを降ろして出てきたのは、幼い頃に手放してしまった大切な妹だった。
「葉月!」
思わず叫んでしまった。
葉月が、自分を迎えに来てくれたのだろうか?
佐野はもしや、葉月を見つけて飛び出していったのだろうか。
葉月を自分から遠ざけるために?
葉月とは、もう二度と会えなくても、葉月が幸せならいいという決意で別れた。
だけど、こんな、手の届く場所にいるのならば、どうか、一目でいいから会いたい。
一言でいいから、会いたかったと伝えたい。
どうにかして、佐野より先に葉月に会えないだろうか?
そんな悪魔のささやきが、佳月の心を支配した。
監視カメラを切り替えて、佐野のいる場所を調べてみると、佐野は予想外の場所で知らない女の子と向かい合っていた。
場所はホテルの裏手。
相手の女の子が誰かは解らないけど、今なら葉月のところに行けるかもしれない。
ロビーカウンターから飛び出して、外に行こうとしたところで、別荘で飼っている猫のクロが入ってきた。
「クロ……もしかして、葉月を案内してくれたのかい?」
しゃがみこんでクロを撫でようとした時、ホテルのすぐ外から女の子の声がした。葉月たちに違いにい。
佳月はとっさに、左手のドアの陰に隠れた。
クロもついてきたが、かまっている暇はない。
すぐにドアが開いて、葉月と見知らぬ少女が入ってきた。
二人は怯えた様子で、完全にここを廃墟だと思っている様子だった。
誰かの名前を呼んでいる。さっき佐野が裏で会っていた女の子だろうか。
つい隠れてしまったけれど、どうしよう。
焦りながらも必死に考えていると、すぐ後ろでガタンという音がした。クロが立てかけられていた掃除機によじ登っている。
しまった! と思うより早く、ロビーから女の子の悲鳴が聞こえる。
見つかる!
更に良くないことに、動揺した佳月の手が覗き見ていたドアのノブに触れてしまい、ドアはぎいと音を立ててこちら側にわずかに開いてしまった。
どうしよう、どうしよう。
佳月は、近づいて来る二人の気配に、半ばパニックになりかけていた。
薬瓶のキャップを開けて、ほんの少し、タオルに沁み込ませる。
いつもの儀式よりも、確かに強い香りがした。
反射的に佳月は息を止める。
「せーの……」
ドアが押し込まれて、細くて綺麗な指が佳月の目に見えた。
佳月はその手を引いて、見えた頭にタオルをかぶせた。
そのまま自分の方に抱き寄せる。
少女は数秒もがいていたが、やがて脱力して倒れ込んできた。
葉月じゃない。
――葉月……!
慌ててロビーの中を覗いてみると、葉月も倒れ込んでいた。
葉月の背後に、呆然とした様子で、もう一人の、佳月の後継者として育てられている巫の少年――
「蘭寿、どうしたの、その……」
慌てて、自分の上の少女を床に寝かせると、ロビーに駆け込んだ。
蘭寿の手にも、自分と同じ薬瓶が握られていて、ふたが開いたままだった。
佳月は急いで、蘭寿の手を取って、薬瓶にふたをさせた。
「佳月にいさま……女神さまがいらしたの?」
「蘭寿? だいじょうぶ?」
「はい……だいじょうぶです」
そう答える蘭寿はふわふわしているように見えた。
蘭寿もきっと、侵入者を見つけて、どうにかしようと薬瓶を持ちだしたのだろう。
けれど、蘭寿はまだ一人で儀式をやったこともないくらい、香油に慣れていない。少しこの薬瓶の中の、強い香に中てられているのかもしれない。
佳月は、自分が気絶させた少女を二階の客室に運びながら、蘭寿にも一緒に来るように言った。
「蘭寿、お願いがあるんだ、この子が目を覚ますかもしれないから、この子の様子を見ていて」
「はい。にいさま。きれいな姉さまですね」
「僕は、もう一人の子に用があるんだ、すぐ戻ってくるから、待っていてね」
「はい」
蘭寿のことが少し心配だったけれど、佳月は葉月も心配だった。
ロビーに取って返すと、葉月はまだ気を失っていた。
佳月がようやく葉月を背負ったところで、佐野の声が聞こえた。
佳月は、思わず葉月を背負って地下の祭壇へと隠れてしまった。
葉月を、花畑の中心に寝かせて、佳月が上の様子をうかがっていると、葉月は目を覚ましたようだった。
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