シオリ?

 少しハスキーで、幼いようで、男とも女ともつかない声。

 葉月の耳をくすぐるように聞こえたそれは、葉月の背筋を凍り付かせ、呼吸を止めた。

 葉月が反応するより早く、かさねがこちらを振り向く。

 かさねも、目を見開いて動きを止めた。だが、かさねの視線が、思っていたより少しずれている気がした。葉月よりも、もっとずっと奥を見ている気がする。

 葉月は、恐る恐る、ゆるゆると首を動かして背後振り向いた。


「……しおり……?」


 予想に反して、すぐ後ろには誰もいなかった。ぞわりと、背筋が震える。

 ――すぐ、本当にすぐ耳元で聞こえたのに。

 葉月が人影を見つけたのは、耳元よりもずっと離れた、扉の向こうだった。

 さきほどかさねが蹴り開けた扉の向こうに、一人の少女が立っていた。


 ハーフアップにしたゆるくくねるミルクティーベージュのロングヘア。クラシカルなワンピース姿。

 涼しげな目元で、天使のような笑顔を浮かべて、こちらを見ている。

 詩織だ。


「しお……」


 駆け寄ろうとした葉月の腕が、背後からぐいっと強くひかれた。かさねだ。


「違う」


 かさねの見開かれた目が、強い警戒の色を見せている。

「行っちゃダメ」

 かさねがそうささやいて、葉月を守るように前に出た。

「どうして、かさね……」

「詩織じゃない。良く見て。制服じゃない。白いワンピースだよ」

「え?」


 秀花の制服姿に見えたその少女は、前回遭遇した葉月にそっくりな少女と同じ、白いワンピース姿だった。

 少し遠いうえに、薄暗い廊下に立っているせいもあるだろうが、葉月には彼女の顔は詩織にそっくりに見える。まるで、ミラーハウスの鏡の中から出てきたみたいだ。


「ねえ、あなた誰? 私たち、友達を探してるの!」

 かさねが震える声で呼びかけた。

 詩織にそっくりな少女は、にっこりと微笑んで小首を傾げると、道案内でもするかのように、自分の背後を指さした。

「何? そっちに、私たちの友達がいるの?」

 かさねが聞き返すと、少女はちらりとこちらを見て、自分が指さした方へ、ふわりと移動した。

「あっねえ!」

 葉月の腕から手を離したかさねは、ストラップで手首にぶら下げていた懐中電灯を器用に片手で掴んで、少女が歩いて行った先を照らした。

 照らされた廊下の突き当り。

 少女が右手に曲がって、見えなくなった。

 まるで、壁に吸い込まれていくみたいに見えた。


「あそこ、曲がり角になってるのかな?」

 少女の消え方が不気味だったので、あえて葉月は少し明るい声で言った。

「行ってみる?」

「う、うん、それしかない……よね?」

 顔を見合わせた二人は、こくりと頷きあって、ぴったりと寄り添って廊下を進んだ。

 奈緒子がロビーの電気を点けたのだから、廊下の照明も点くはずと、かさねはドアの周囲でスイッチを探した。かさねの予想通り、ドアをくぐってすぐの壁に照明のスイッチがあった。

 パチンという音をたててスイッチを押すと、廊下が照らされた。

 廊下の左手側は窓。ボロボロになった石畳の坂道が、窓の外に見えた。

 右手の壁にはたくさんの絵画が飾られていた。

「……女の子?」

 描かれているのは、秀花の制服の色違いのような白いワンピースを着た、葉月たちより少し幼い年ごろの女の子に見えた。

 真っ黒な長い髪のツインテールは、かさねの髪型を連想させたが、顔つきはかさねとは違っていた。

 エキゾチックな顔立ちで、青い、鈴蘭に似た花を持って穏やかに微笑んでいる。

 壁に飾られている絵は三枚あって、全部同じ少女が、それぞれ少しずつ違うポーズで描かれていた。

「何この絵……」

 かさねが少し気味悪そうに呟いた。

 自分と同じような髪型をしているのだ、こんなところで見たら不気味だろう。

「あっかさね……これ」

 少女が消えた、突き当りの右側の壁。そこには、小さな扉があった。

「ここに入ったのかな?」

「そう……としか思えないよね?」

 不安そうに問いかける葉月に、答えるかさねも不安気だ。

 かさねが、ごくりと喉を鳴らして右手でバットを握りして、懐中電灯をぶら下げた左手でドアノブを回した。

 ドアは手前に引くと開き、中には、地下に続く階段があった。


「あ。地下……もしかして、この下って、私がこの前見たお花畑のところかも……?」

 かさねは、困ったような顔で下を見つめていた。

 階段は照明が着いていて、真っ直ぐに下りた先に突き当りの壁が見えている。その壁が、右側から照らされているところを見ると、右側に扉か窓か、外から光を取り入れられるような何かがあるようだった。

「い、行って見よう、かさね」

「あ、う、うん」

 葉月は自分から、恐る恐る階段を降り始めた。

 なぜかわからないけど、この先にあの花畑があるとしたら、あそこにはもう一度、行かなくてはいけない気がしたのだ。

 前回あの花畑で、自分と同じ顔をした少女に出会ったのはとても怖い経験だったけれど、それでも、あの子にはもう一度会わなくてはいけない。そんな気がしてならなかった。

 かさねに姉妹の可能性があると言われたから……かもしれない。


 恐怖や不安や期待が綯い交ぜになって、今自分がどんな顔をしているかもわからなくなってきた葉月の背後で、かさねは一度ドアの外に誰もいないことを確認して、ドアを全開にしてから階段を下りてきた。


 たんたんと、数段降りたところで、かさねが小さくつぶやいた声が聞こえた。


「さっきの子、ドア……開けてた?」

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