後ろの正面
ギイ。
嫌な音を立ててドアが開いた。
葉月は、我知らず、ごくりと喉を鳴らした。
ふわりと、ほんの少しだけ、あの甘い香りがする。
先日来た時と変わらない、家財道具に白布がかけられた綺麗なロビー。
「ここ、本当に廃墟? 全然、ほこりがないじゃない」
「え?」
奈緒子の言葉に、葉月とかさねは目を見開いて顔を見合わせた。
奈緒子がスタスタと中に入って、白布の一つをさっと手でなでて、その手をこちらに見せてきた。
確かに綺麗だった。
「これ、誰か定期的に掃除してるわ。ちゃんと誰かに管理されている建物なんじゃないかしら」
きょろきょろ周囲を見渡して、奈緒子はロビーのカウンターの中に入って行くと、壁にあるスイッチをパチパチと押していった。
「あっ」
「嘘……」
照明が、簡単に点いた。
「電気も通ってる。廃墟じゃないわ」
奈緒子の言葉に、かさねと葉月は呆然とした。
電灯に照らされたロビーは、不思議とさきほどまでの不気味さが消え去って、整然と片付いた綺麗な室内に見えた。
「とても犯罪者の巣窟にも見えないし……勝手なイメージだけど、監禁とかされてる現場って、もっと荒れてそうじゃない?」
そう言われてみると、こんな場所で少女監禁事件が起こっているようにも見えなくなってきた。
「私たちの方が不法侵入で犯罪者だわ。早く詩織さん見つけて帰りましょ」
奈緒子が厳しい顔つきで言った。
「うん……でも、じゃあ、あの子。私が見た子も、葉月が見た子も、幽霊じゃないし犯罪被害者でもないってこと? じゃあ……何者なんだろう」
「何者でもいいわ。私にとって大切なのは、貴方たちと詩織さんの安全よ」
奈緒子は大人らしく割り切ったことを言いながら、カウンタ―から出てきた。
かさねは、意を決したように、あの時開いた左手の扉の方へと歩いて行って、ドアノブを回して少しだけ扉を開いた。
「ね、お行儀悪いけど、許してね」
そう奈緒子に一言断ってから、かさねは足でドアを軽く蹴った。
ゆるゆると開いたドアの先は、ただの廊下だった。
あの時、ドアの向こう側から急に手が伸びてきて、顔を隠されたとかさねは言っていた。葉月もすぐに気を失ったので、廊下の先に何があるかは見ていない。
――そう言えば……
葉月はふと、前回、自分が倒れていた、お墓のような場所はどこにあるのだろうと思った。中庭でもあるのだろうか。
室内を見まわそうとした瞬間、背後から何かが落ちるような音がした。
「――っ!」
「なにっ?」
静かな館内に突然響いたその音は、必要以上に大きく聞こえて、葉月は声も出なかった。かさねが素早く振り向いて、目を見開くのが見えた。
「な、奈緒ちゃん?」
「え?」
かさねが、駆け足で扉の前から戻ってきて、葉月とすれ違っていく。
かさねの揺れる髪の毛を追って振り向くと、後ろに立っていたはずの奈緒子がいなくなっていた。
代わりに、奈緒子が立っていた場所に、奈緒子が持っていたはずのバットが転がっていた。
さっきの音は、このバットが床に落ちる音だったんだろう。
「え? ちょっと、奈緒ちゃん? 奈緒ちゃん!」
かさねは、葉月のすぐ近くで、大声で奈緒子を呼んだ。
だが、返事はない。
床に転がるバットの向こう。かさねが先ほど蹴り開けた扉と対になる位置にある、もう一方向への扉が、ゆらゆらと揺れていた。
奈緒子は、扉の向こうに行ったというのだろうか。バットを落として、葉月たちに何も言わずに?
そんなことあるだろうか。ついさっき、自分から離れるなと言っていたのに。
「か、かさね、どうする?」
葉月は、かさねに駆け寄ってすがりつくようにして、腕に捕まった。
かさねは葉月の手を、安心させるようにぽんぽんと軽く叩いた。
「大丈夫だよ、葉月。幽霊だろうが変質者だろうが、負けない。葉月は、私が守るからね」
「か、かさねも無事じゃなきゃ嫌だよ」
かさねは、それには答えずににっこりと笑うと、葉月の手からするりと離れて奈緒子のバットを拾った。
「誰かいるの? いるなら出てきて!」
バットを構えたかさねが、声を張り上げる。
やっぱりというべきか、返答はない。
かさねは懐中電灯で扉の先を照らした。扉は少ししか開いていないので、奥までは見えない。
だが、何かが、かさねの光を一瞬さえぎったように見えた。
影が、光の前を通ったように。
「――!」
葉月は途端に恐怖に支配されて、息を呑んだ。
やはり、ここには何かがいる。
「ねえ! 誰? 詩織? 答えて!」
かさねも影を見たのだろう。必死に声を張り上げる。
「だあれ?」
――!!
声が聞こえた。
葉月の耳元で。
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