繭の心配
「繭!」
繭が制服姿でこちらに走ってきた。背後には奈緒子が、困ったような顔で追いかけてきているが、繭はちらりと振り向いて、さらにスピードを上げた。まるで、逃げているように。いつもなら模範的に結われている髪も、今はほどけてひどく乱れている。
葉月とかさねは立ち上がると、少しふらついている繭の方へ駆け寄って、抱き留めた。
「大丈夫? 繭」
葉月が声をかけると、繭はぶんぶんと頭をふった。
「私はいいの、私より詩織を助けてほしいの! 詩織、一人であの遊園地に行っちゃったみたいなの」
「え?」
葉月とかさねは顔を見合わせた。まさか、かさねの予想が当たっていたのだろうか。
「これ、これ見て」
繭は、手に持っていた、可愛いらしい模様のメモ用紙を差し出した。
『鉄塔から落ちたのは、幽霊なんかじゃない。昔も今も。証明しに、遊園地に行ってきます。もし、私が帰ってこなかったら、母に理事長に問い合わせるよう言ってください。繭、迷惑かけてごめんなさい。詩織』
「昔も今も……?」
「理事長に問い合わせるって」
かさねの考えた仮の「真実」が「本当」のことかもしれないと思ってしまいそうになるような内容だ。
しかし、メモには「鉄塔から落ちたのが幽霊ではないことを証明しに行く」と書いてある。「少女監禁を証明してみせる」ではないのだ。
これは、どういうことなのだろうか。
葉月は不安感に飲まれそうになる一方で、冷静な自分が必死に考えを巡らせていることを自覚した。けれど、その考えがまとまる前に、奈緒子が三人のもとに駆け寄った。
「もう。繭さん、お父さんとお母さんが心配して待っているわ。早く帰らないと。詩織さんのことは私が何とかするから。ね?」
繭は怯えた顔で奈緒子を見て、葉月の腕にすがりついてきた。
「繭?」
「繭、どうしたの? 奈緒ちゃん。繭のこと怖がらせるようなことしたの」
「はあ? してないわよ、もう」
歯に衣を着せることを知らないかさねの一言に、奈緒子は露骨に嫌そうな顔をした。かさねと奈緒子はときどき姉妹のように見える。
「だって、先生たちみんな、大丈夫だからとか忘れなさいとか……すごい笑顔で迫ってきて怖いの。詩織だって、自分に何かあったら理事長のせいみたいな書き方してる。学校の先生たちなんて、信用できない」
弱々しい声で繭が呟いた。
葉月は、なるほど、と思った。
葉月は、従妹や親族に「自分の出自が知りたい」と漏らしたときの大人たちの対応を思い出した。
やたらと隠したがる姿がよけいに不安をあおるし、その話には触れないでほしいっていうのが見え見えの顔で、知ってるとも知らないとも言わずに、当たり障りのない言葉を羅列されると、仲間外れにされている気がしてどんどん不信感がわいてきてしまう。今の繭はきっと、あの時の自分と同じような気持ちなのかもしれないと思った。
「繭、落ち着いて。奈緒子先生、あの、何か知ってますか? 飛び降りた人のこととか、遊園地のこととか。知らなかったら、知らないって本当のことを言ってほしいです」
葉月が努めて冷静な声で言うと、奈緒子は肩をすくめた。
「知らないわ。テレビのニュースでやってる情報程度。貴方たちの方がよっぽど何か知ってそうに見えるわよ。理事長がどうかしたの? 正直、理事長なんて私、話したことも見たこともない。学校の先生たちはどうか知らないけど、寮監なんてそんなもんよ。
なあに? 繭さんったら、私たちが悪の組織か何かに見えちゃってるっての?
勘弁してよ。心配ないとか、安心しなさいとか、そういうことしか言わないのは当たり前でしょ。他に何て言えっていうのよ」
奈緒子はもううんざり、という気持ちを隠すこともできなくなっているようで、盛大にため息をついた。きっと寮の職員たちも、対応に追われて大変なのだろう。
「奈緒ちゃんはさ、そんな怖い人じゃないよ。変な権力も持ってないし、ウチらに近いって。繭。大丈夫だよ、ウチらの味方だよね、奈緒ちゃん」
かさねが真剣な顔で奈緒子をまっすぐ見つめた。
「まあね。私は貴方たちの寮の寮監だもの。敵か味方が言えば、味方よ」
「ほら、安心して! それより、詩織さ、朝イチ一瞬見かけただけでいなくなっちゃったんだよね。繭、詩織には会った?」
繭はまだ少し不安そうな顔で奈緒子を見つめたが、かさねがまるで子供をあやすような笑顔で「ね?」と言うと、意を決したように話し始めた。
「病院から寮に戻ってきたら、これが置いてあったの。詩織にはもう、ずっと会ってない。ずうっとカーテン閉め切ってたから。同じ部屋にいるのに、会ってないって変な感じだった。
あの遊園地廃墟に行ってから、ずっとおかしかったの、詩織。
だけどね、昨日の朝……学校行ってくるねってカーテン越しに声掛けたら、ぼそって小さく、詩織が呟いた言葉が聞こえてきたの。
ごめんね繭って。
でも、私見つけたのって。ずっと探してた場所って。
どういうこと? って聞いたけど、もう答えてくれなかった」
詩織が、あの遊園地をずっと探していた?
詩織は、あの遊園地の存在を以前から知っていたということだろうか。それでも、どこにあるのかだけが解らなくて、探していた?
葉月は、遊園地のメリーゴーランドに乗った記憶を今まで忘れていたが、詩織も似たような体験をして、忘れることなくずっと探していた……ということだろうか。
「ほら、わかんないことはいくらここで話してもわかんないわよ。詩織さんに直接聞くしかなさそうじゃない。詩織さんは私が探しに行くから、繭さんはご両親のところに行きなさい。
詩織さんを見つけたらすぐ、かさねさんから繭さんに連絡してもらうから、それならいいでしょ?」
奈緒子がぐったり疲れた声でそう言うと、かさねがパッと、ツインテールをはねさせて顔を上げた。
「そうだよ! いいこと言うじゃん奈緒ちゃん! 決まりね! 私と葉月と奈緒ちゃんで遊園地に詩織を探しに行こう!」
「はあ?!」
「繭も、それなら安心でしょ」
「うん……お願い、連絡待ってる!」
かさねの提案に、奈緒子は天を仰いだ。
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