ナオコ

 奈緒子は、車のエンジンをかけながら、ため息をついた。


 ――あたしほんと、何してるんだろ。


 奈緒子は元々、秀花学園系列の関東近郊にある大学の事務職員だった。

 しかし就職してわずか一年で、奈緒子は異動願いを出すことになる。

 理由は、自分でも情けないが、失恋である。

 同じ事務職員の男性と恋人関係なって、勝手に「この人と結婚するんだ」と信じて疑わなかった。

 大好きだった。ずっと真面目に生きてきた奈緒子は、まともな恋愛など、彼が初めてだったのだ。


 だが、幸せな日々はある日突然終わりを告げた。

 

「他に、好きな人ができた」


 彼が言った言葉には、耳を疑った。さんざん泣いたし、怒ってみたりしたけれど、彼の気持ちを引き留めることはできなかった。そんな終わりを迎えて、同じ職場にいるなんて、とても耐えられなかった。


 退職しようか悩んでいたところ、先輩から「系列の全寮制の女子高の寮監、住み込み出来る人を探してるみたいだから、ダメ元で希望出してみたら?」と声をかけられたのだ。

 奈緒子は、先輩の助言通り上司に相談してみた。寮は思っていたよりも辺鄙な山のなかで、さらに寮に住み込みでずっと女子高生たちの世話をするという業務内容も相まって、なかなか希望者が出ないので、困っていのだと、歓迎された。拍子抜けするほど簡単に異動が決まった。


 あの時は、失恋と、元彼がいる職場から逃げることで頭がいっぱいだったが、今日という今日は、ちょっとだけ異動願いを出したことを後悔した。


 小一時間前。寮の食堂で、夕飯の支度を手伝っていたときだった。

 繭が真っ青な顔で、奈緒子のところへ秘密の相談があると言ってきたのだ。

 あまりに様子が尋常ではないので、他の職員たちもすぐに繭の部屋へ行くようにと奈緒子に言って、仕事を変わってくれた。

 部屋に行って見ると、同室の詩織はおらず、繭は一人でスマホを握りしめて泣いていた。

 しゃくりあげながら繭が話してくれたのは、詩織が、かさねと葉月を誘って、三人で心霊スポットに肝試しに行ってしまい、連絡がつかなくなったという話だった。


 どうか他の寮監には内緒で、助けてほしいと。


 奈緒子は、詩織が誘ったという言葉に耳を疑った。

 詩織は、教職員からしてみれば、不思議な雰囲気で目を奪われるのだが、問題行動は一切ない。問題行動どころか、行動自体は目立たない。目立たないように、気を付けているようにすら見える。

 俗っぽい言葉を使えば、お利口さんを演じている……という感じだ。

 その詩織が、心霊スポットで肝試しとは、全くらしくない。


「全く……私が一番若いからって、なめられてるのかしら?」


 寮生たちは、自分を「奈緒ちゃん」と呼ぶし、まるで友達のように接してくる。そのせいか、こうやって面倒ごともやたらと、奈緒子にばかり持ち込まれる。


 仕方なく、奈緒子は他の職員に「詩織とかさねと葉月の三人が、出先で迷子になったようなので迎えに行ってくる」とだけ告げて、車を走らせた。

 繭に言われた場所は、学校からすぐ近くだった。


「それにしても、こんなところに心霊スポット? 異動希望者が出るわけないわね」


 憎々しげに独り言を言った直後、マップアプリが右折をするようアナウンスした。


「は? 右折?」


 パッと見、まともな車道などない。

 車を路肩に寄せて下りてみると、細い脇道があり、立ち入り禁止と言わんばかりにロープが張られていた。

 アスファルトがボロボロになっていて、まともに補修されていない。見るからに「私道」だ。ここからもう私有地になっているにちがいない。

「もう! この中に入ったってこと?」

 色あせた看板も見つけて、奈緒子は苛立ちを言葉に出して言ってみた。全然治まらなかったけれど。

「も~~~~~!」

 でも、憎みきれないあのかさねを、まじめで大人しく目立たないが必死に勉強をしている葉月を、そして詩織を、見捨てることなどできないと、自分の中の使命感のようなものが訴えている。奈緒子は意を決して、ロープをまたいで歩を速めた。

 同時に、かさねのスマホに電話をかけてみる。圏外ではないらしく、コール音が聞こえてきた。

 しかし、かさねは出ない。コール音が鳴り続けるだけだ。

「全く……いなかったら絶対許さないわよ! いても許さないけど」

 と、わずかに着信メロディの音が聞こえてきた。

 よく聞く、デフォルト設定のままの着信音。かさねの携帯が近くで鳴っているのだろうか。奈緒子は、音のする方、道の奥に向かって走りだした。


 急に開けた場所に出た。古びた「P」の看板と、不気味な朽ちかけの遊園地のゲート。


 そしてそのゲートの前。

 独特な振動音と、耳慣れた着信音が響く中、倒れ込んでいる三人の少女。


「かさねさん!」


 かさね、詩織、葉月の三名が、寄り添うようにして眠っていた。


 奈緒子は大急ぎで駆け寄って、三人に声をかけようとした。

 ――と、その時、視界の隅で何かが動いた。ように見えた。

 人影のようなもの。


「誰かいるの?」


 恐怖心に抗うように、強い声で言って顔を上げる。

 ゲートの向こう側。柱の横の草むらからがさりと音がした。

 立ち上がった瞬間、奈緒子の視界に映ったのは、草むらの中に吸い込まれていく、見覚えのある上着を着た人影だった。


「うそ」


 思わず駆け出して草むらの中を覗き込む。

 しかし、人影は見えない。

 いや正確には、草に埋もれて確認できないというべきか。


「ねえ! 誰かそこにいるの?」


 声をかけても、物音ひとつしない。


 ――気のせい? あの上着は、私が彼にあげた……


 一瞬見えた、元彼の、佐野俊哉にあげたものと同じ上着。

 まさか、彼がこんな廃墟にいるわけがない。


「……あれ? 奈緒ちゃん?」


 不意にかさねの声がした。振り向くと、かさねが身を起こして、寝ぼけたような顔でこちらを見ている。


「あっかさねさん! 大丈夫?」


 奈緒子は、彼がこんなところにいるわけない、見間違いだと自分に言い聞かせ、かさねたちのもとに戻った。

 

 そう。いるわけない。だって、先月ここに異動することを勧めてくれた先輩から、連絡があったんだ。


 ――佐野君が亡くなったらしいって。

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