再読 老子道徳経

第104話 再読道徳経 道とは

 ここから道徳経に再び突入。と言っても、全文には付き合いません。道がどのように語られているかをまとめ上げていく感じです。

 いったんの老子全訳はこちら。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888553851



1

道可道,非常道。名可名,非常名。無名天地之始;有名萬物之母。故常無欲,以觀其妙;常有欲,以觀其徼。此兩者,同出而異名,同謂之玄。玄之又玄,衆妙之門。

2

天下皆知美之為美,斯惡已。皆知善之為善,斯不善已。


 ここはわりとワンセットであるように思えます。つまり、そもそも人間の限定された視点では道=世界の深奥を認知することは叶わない。荘子で言う天籟もしくは真宰の、更にその奥にあるものなど、どう認識できようというのか。そう言った視野しかない人間が、自分の視野におさまるものについて評価してみたところで、どうして評価のしようがあるのか。美や善を語ろうとしたところで、我々は「それ」が本当にどんなものであるかを理解できない。

 そういうものを、あえて語ろうとしています。そこを覚えてください、と言う釘刺し。そのように映ります。



14

視之不見,名曰夷;聽之不聞,名曰希;搏之不得,名曰微。此三者不可致詰,故混而為一。其上不皦,其下不昧。繩繩不可名,復歸於無物。是謂無狀之狀,無物之象,是謂惚恍。迎之不見其首,隨之不見其後。

16

致虛極,守靜篤。萬物並作,吾以觀復。夫物芸芸,各復歸其根。歸根曰靜,是謂復命。復命曰常,知常曰明。

35

道之出口,淡乎其無味,視之不足見,聽之不足聞,用之不足既。

41

明道若昧;進道若退;夷道若纇;上德若谷;太白若辱;廣德若不足;建德若偷;質真若渝;大方無隅;大器晚成;大音希聲;大象無形;道隱無名。夫唯道,善貸且成。


 この辺りは、老子が道と合致したときの感覚について語られている気がします。わかりやすいものではなく、ぼんやりと、無限に深く、無限に暗い中でありながら、すべてがわかる感覚。深さにたどり着いたからこそ、ここに「戻る」という表現が出てくるのではないか。

 荘子は空を見上げたときに道と接続された。南郭子綦は音たちの中に繋がった。そして老子は目をつぶり、自らの内側へ、内側へと回帰し続けることで道の感覚を得た。すべてが同じ感覚なのだが、それを表現する言葉は違っている。その体験そのものは言語化のしようがなく、言語化するには、最低でもその一歩手前、すなわち「物化」された自らの元に戻ってこなければできない。そして残念ながら、合致した境地から物化された状態に引き戻されたとき、次の同化においては同じルートは使えなかったりするんだろう。成功体験に拘泥しちゃうのが人間だしね。

 そして、こうも言えるはず。道に合致し続ける人間は、もはや人間じゃない。いやもしかしたら合致し続けながらも他者とコミュニケーションが取れる化け物もいるのかもしれないけど、ただ、そんなん外面からの判断なんてしようがないのでしょう。



4

道沖而用之或不盈。淵兮似萬物之宗。湛兮似或存。吾不知誰之子,象帝之先。

5

天地之間,其猶橐籥乎?虛而不屈,動而愈出。多言數窮,不如守中。

11

三十輻,共一轂,當其無,有車之用。埏埴以為器,當其無,有器之用。鑿戶牖以為室,當其無,有室之用。故有之以為利,無之以為用。

40

反者道之動;弱者道之用。天下萬物生於有,有生於無。


 このあたりもワンセットになるかなぁ。無限で空虚、そして満ちていて、しかしどこまでも入る。こういった矛盾した感覚が、道と接続されたときに見出された。そしてそれは我々の関知しうる「存在」としてはあり得ない。「存在するもの」ではないから、無、と呼ぶしかない。しかしそれは、確かに機能している。では、機能する、とは何か?



6

谷神不死,是謂玄牝。玄牝之門,是謂天地根。綿綿若存,用之不勤。

25

有物混成,先天地生。寂兮寥兮,獨立不改,周行而不殆,可以為天下母。吾不知其名,字之曰道,強為之名曰大。大曰逝,逝曰遠,遠曰反。

34

大道汎兮,其可左右。萬物恃之而生而不辭,功成不名有。衣養萬物而不為主,常無欲,可名於小;萬物歸焉,而不為主,可名為大。以其終不自為大,故能成其大。

42

道生一,一生二,二生三,三生萬物。萬物負陰而抱陽,沖氣以為和。

51

生而不有,為而不恃,長而不宰,是謂玄德。


 道より、あらゆるものが生まれ出でる。そして帰って行く。それはまるで母の股ぐらから子供たちが生まれ出でているかのようであり、しかし何が生まれているかはよくわからない。わからないのだが、それによって「我々」がここにいるに至っている。けれども我々がそれを実感することはない。また道からそのことを主張してきてくるわけでもない。

 我々がどこから生まれたのか。母からだ。では母は。その母は。どこまで行けば「それ」にたどり着くのか。

 ならば、そのよくわからないものを「一」と呼ぶしかないのではないか。道と仮定して呼んだそれは、そういった所に行き着く何かなのではないか。


 

8

上善若水。水善利萬物而不爭,處衆人之所惡,故幾於道。

32

譬道之在天下,猶川谷之與江海。

43

天下之至柔,馳騁天下之至堅。無有入無間,吾是以知無為之有益。不言之教,無為之益,天下希及之。

62

道者萬物之奧。善人之寶,不善人之所保。美言可以市,尊行可以加人。人之不善,何棄之有?

77

天之道,其猶張弓與?高者抑之,下者舉之;有餘者損之,不足者補之。天之道,損有餘而補不足。


 さて、よくわからないものを強引に説明してみましょう。どうなりますかね。その柔軟性を表現するにはまぁ水が近いよね。けど水よりも更に柔らかいよ、何せあらゆるものの動きを妨げたりしないからね。そしてあらゆる所に浸透するよ。いや正確に言うとあらゆるものの中にあるというか、あらゆるものがものでありながら道なんだけどね。どんな人間、仮に道に沿う人、沿わない人、みたいな区分けをしようとしても、どうしようもなく我々はそこに浸っているよ。つまりその区分けに意味なんてないんだけどね。

 常にその状態であり続ける。なにひとつとして変わりようがない。けれども分別のさなかにしかいようがない我々にとっては、どこかが増えたらどこかが減るかのように見えてしまうだろう。正解は「常に整っている」なのだ。



 目に見えるありように振り回されず、「道があり、道にあり、道である」ことに気付く。これができるのが、道に合致する、と言う境地。本来道とはなんなのかなぞ考えても仕方ないのだ、だって世界そのものなのだから。


 そんな中にぽつねんと転がっている僕たちは、さて、どう振る舞いましょうか。次話、当作のまとめです。

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