第19話 私のエゴ


 ウィニングの覚悟を聞いたマリベルは、依頼主フィンドのもとを訪れた。

 これから自分が何をするのか……考えると足が止まってしまいそうになる。


 だが、胸の中にはまだ、ウィニングから放たれた熱が灯っていた。

 その熱が、マリベルの背中を押した。


「失礼します」


 従者の案内に従ってフィンドの執務室までやって来たマリベルは、木製の大きなドアをノックした。

 机で書類仕事をしていたフィンドは、マリベルの顔を見て目を丸くする。


「マリベル殿?」


「お忙しいところすみません。ウィニング様について、ご報告が……いえ、ご相談があります」


 マリベルは頭を下げながら言った。

 フィンドは仕事の手を止める。


「まずは残念なお知らせから。フィンド様が最優先でウィニング様に習得させたいと言っていた、基礎魔法……《炎弾ファイラ》や《風弾ウィンデ》を、ウィニング様はまだ習得できていません」


「そうか。……あれは貴族の交流会でもよく使われる、腕試しにはもってこいの魔法だ。習得できないのは正直困るな」


 フィンドは腕を組んで難しい顔をした。

 一瞬だけマリベルに疑いの視線を注ぐ。だがすぐにその視線は逸らした。主従訓練の様子をフィンドは何度か見学しているが、マリベルは決してサボっているわけではない。


 この世界の一般教養には魔法も含まれる。簡単な読み書きや算術、歴史に対する知識と同じように、基礎となる魔法も万人が習得するべきとされていた。


 紋章が三級であっても、基礎となる魔法の《炎弾ファイラ》や《風弾ウィンデ》くらいなら習得できるはずだ。

 特にこれらの魔法は、貴族たちが己の格を示すためにしばしば用いられる。


 例えば射的。

 例えば狩猟。


 貴族たちは娯楽という名目で、互いの能力を競い合うことがある。

 本気で競い合うと最悪戦争に発展しかねないので、あくまで遊びの範疇に留めはするが、そこであまりにも実力差が浮き彫りになると流石に見下される。


 競い合うのは何も魔法だけではない。知識や身体能力も同様だ。

 ウィニングは知識と身体能力が長けているので、きっと見下されることはないだろう。

 だが、できれば魔法も最低限のものは習得してほしいとフィンドは考えていた。


「ウィニングに、魔法の才能はないのだろうか」


「魔法の才能はありません。ですが、他の才能はあります」


「他の……?」


 フィンドは首を傾げた。

 ここからが本題だ。マリベルは緊張しつつ、口を開く。


「フィンド様。無礼を承知でご提案いたします。――ウィニング様に自由を与えてはいかがでしょうか」


 それは、ただの教師にしては出過ぎた発言だった。

 フィンドは眉間に皺を寄せる。


 しかしマリベルは続けた。

 その細い背中を、熱が押していた。


「ウィニング様は、得意なこと……好きなことに対しての集中力が凄まじい御方です。学者、研究者、或いは求道者としての素質があります。その道に関してなら、教科書に名が載ってもおかしくない才能があります」


「……なるほど」


 フィンドはマリベルの意図を理解した。

 学者、研究者、求道者……これらの素質は貴族の長男には不要である。いや、不要どころか同居できないだろう。どれも一つの物事に打ち込む者の総称だ。


 だがマリベルは食い下がっている。

 ウィニングに、その素質を捨てさせるな・・・・・・と告げている。


「つまりウィニングを、貴族としての義務から解放しろということだな?」


「……はい」


 マリベルは首を縦に振った。


「学者に研究者か……確かに、ウィニングには向いているかもしれない。だがそれは、親としても貴族としても、簡単には頷けないな」


 フィンドは深く吐息を零しながら告げた。


「仮にウィニングが自由となって、次男であるレインが家督を継いだとしても……ウィニングは周りから余計な勘ぐりをされてしまうだろう」


「……仰るとおりです。この国では、長男が家督を継ぐのが一般的だと聞いています」


 マリベルは他国の人間だが、この国で働くと決めた時点で、この国の文化について軽く学んでおいた。元より魔法使いは学者肌の者が多い。知識を仕入れることはマリベルにとってそれほど苦しい作業ではなかった。


 ルドルフ王国では、基本的に長男が家督を継ぐ。

 だから、次男が家督を継いだとなれば……長男は何をしているのかという疑問を確実に抱かれる。


 早い話、ウィニングは無能の烙印を押されるだろう。

 家督も継げなかった哀れな長男……その印象は避けられない。


 フィンドはそれを懸念していた。

 得意な分野に進んでも、不幸な目に遭うことはある。貴族としての体裁も考えているが、親としても簡単に許容できないのはそれが理由だ。


 本当はフィンドも分かっていた。

 どう考えても、ウィニングの性格は領主に向いていない。どちらかと言えば弟であるレインの方が向いているだろう。


 だが、この国の慣習と、ウィニングの子供らしからぬ聡明さが、フィンドの判断を踏み留まらせている。

 しかし――ここにきて、そんなフィンドの考えに異を唱える者が現れた。


「私に、預けていただけないでしょうか」


 マリベルは、その目に決意を灯して告げた。


「主従訓練の期間を延長させてください。半年の予定でしたが、これを一年……できれば二年、いただきたいと思います。勿論、延長した分のお金は結構です。これは私のエゴですから」


「エゴ?」


「はい。――ウィニング様が切り拓く世界を、この目で見てみたいという私のエゴです」


 いつぶりだろうか、とマリベルは思った。

 久々に――魔法使いとしての血が騒いでいる。


 これを極めた先には何があるのか。

 これを探求した先には何が手に入るのか。


 かつての好敵手であるエマ=インパクトは、この感覚を常に己の技術に向けていたのかもしれない。己の巨大な才能を磨き続ければ何ができるのか、気になって仕方なかったのだろう。


 マリベルはそこまで、自分の能力を信頼できなかった。

 だがその代わりに、信頼できる相手を見つけた。


 ウィニング=コントレイル。

 彼が、彼の道を極めた際に何があるのか、マリベルは気になって仕方なかった。


「……いいだろう」


 フィンドは了承した。

 思ったよりもあっさり許されたことに、マリベルは目を丸くする。


「ルドルフ王国には絢爛会けんらんかいという、王国の貴族たちが一堂に会する社交界が存在する。領主の長男は、十歳になるとこの社交界に参加して挨拶をする習わしだ。……この挨拶をもって、長男は正式に次期領主として認められることになる」


 他国の人間であるマリベルに対し、フィンドは丁寧に語った。


「だがウィニングはまだ七歳。絢爛会まであと三年の月日がある。……そのうちの二年を、マリベル殿に預けよう」


 なるほど、とマリベルは納得した。

 つまり――絢爛会は、ウィニングにとって人生の分岐点ターニングポイント


 この絢爛会に出席したら、ウィニングはもう貴族として生きるしかない。

 逆に、絢爛会までにウィニングが新たな道を切り拓ければ――他の生き方ができる。


「そして二年後、成果を確認させてもらう。もしそこで相応の成果を示せなければ、私はウィニングを再び次期領主として育てることにする」


「……承知いたしました」


 ウィニングが絢爛会に出席するかどうかは、二年後の成果発表で決定する。

 人の一生を左右する大きな責任をマリベルは感じた。


 だが、今のマリベルにはこれを背負う覚悟がある。

 先程ウィニングが示した覚悟と比べれば――このくらい些細なものだ。


「では、今から二年間、ウィニング様には自由に育っていただいても構わないということですね?」


「ああ。……あの子は聡明だ。一年もあれば遅れを取り戻せるだろう」


 確かにそうだろう、とマリベルは内心で同意した。


「この件はウィニングには内密にする。家督を継ぎたくないという理由で努力されても困るからな」


 マリベルは頷いて了承の意を伝えた。

 妥当な判断だ。


 もしウィニングが家督を継ぎたくない一心で努力した場合、仮に二年後に成果を示したとしても、その後で目的を見失ってやる気をなくしてしまうかもしれない。


 フィンドは、ただの怠惰な子供に自由を許すつもりはない。

 貴族としての重責――それを凌駕するほどの何か・・を示さない限り、自由は許さない。


「それと、延長分の報酬はきちんと払わせてもらおう。息子を育ててもらうことには変わりないからな」


「……ありがとうございます」


 マリベルは別に金に困っているわけではないが、それはフィンドも承知の上だ。

 フィンドは、マリベルの提案に対して誠意を持つべきだと判断したのだ。


 ありがたい話だ、とマリベルは思う。

 ただの個人的なエゴを、ここまで信頼してくれるとは。

 

 必ず――応えなければならない。


「マリベル殿」


 退室しようとするマリベルに、フィンドは声を掛けた。


「期待している」


「はい」


 貴族としてのしがらみと、親としての愛情。

 様々な感情が綯い交ぜになったフィンドの、心からの声を聞いて、マリベルは深く首を縦に振った。



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