第3話【問題用務員と開幕式】

「あ、ユーリぃ。こっちだよぉ」



 闘技場コロシアムの会場には、すでに大勢の生徒が詰めかけていた。


 観客席は闘技場の中心をぐるりと取り囲むように設置されており、闘技場の様子を俯瞰ふかんで見ることが出来る仕様になっている。どの席からでも全体的に闘技場内を見渡せる仕組みには設計されているが、やはりそれなりに見えやすい場所は人気が高い。

 すでに見えやすい席を陣取っていたエドワードが、遅れてやってきたユフィーリアとショウに手招きをする。彼の隣ではすでに葡萄酒ワインの栓を抜くアイゼルネと、お菓子の袋を開けるハルアが並んでいた。まだ開幕式すら始まっていないのに早すぎる。


 ユフィーリアは座席に置かれた缶入り麦酒ビールが詰め込まれた籠を退かすと、



「お、なかなかいい席が陣取れたな」


「俺ちゃんのお顔のおかげかもねぇ」



 ふふん、とエドワードは缶入り麦酒ビールを開封しながら言う。



「ちょっとお願いしたら譲ってくれたよぉ」



 ほらあそこぉ、とエドワードが後方の席を示す。

 そこにはガタガタと可哀想なほど震える育ちの良さそうな数名の男子生徒が縮こまっていた。おそらく彼らから座席を譲渡と見せかけて強奪したのだろう。問題児に目をつけられたのが運の尽きだ。


 ショウは遠慮がちにユフィーリアの隣へ腰を下ろすと、



「いいんですか、あの人たちが元々取っていた席なんじゃ……」


「まあいい座席の強奪はどこでもあるよな」



 ユフィーリアは籠から缶入り麦酒ビールを取り出し、



「ショウ坊は闘技場コロシアムのルールとか知らねえよな?」


「全く」


「簡単に説明すると、魔法使い同士の素手による喧嘩だな」



 闘技場コロシアムのルールは極めて簡単だ。

 素手もしくは武器を用いて戦い、その場に立っていた人物が勝ちという魔法もクソもない暴力に溢れた行事が闘技場である。闘技場では強い奴が正義であり、弱い奴が悪なのだ。


 魔法使いや魔女が拳と拳での殴り合いなど想像つかないだろうが、武芸に秀でた家柄ならば魔法の技術よりも戦いに使える技術を学ぶのだ。魔法も基本的に攻撃として利用できる魔法しか学ばない傾向にある。



「魔法使い同士で殴り合うなんて合理的じゃないと思うけどね」


「おい、何でわざわざショウ坊の隣に座ってくるんだよ。別の場所に行け別の場所に」


「何でさ。僕も一緒に観戦してもいいでしょ」



 平然とショウの隣に腰を下ろしたグローリアは、



「あ、スカイ。こっちだよ」


「え?」



 ユフィーリアが顔を上げると、毒々しい色合いの赤髪が特徴的の邪悪な魔法使いが厚ぼったい長衣ローブを引き摺りながら「どもッス」などと挨拶してくる。

 どこからどう見てもおとぎ話の敵役として出演してそうな見た目をしているものの、彼以上の常識人などヴァラール魔法学院にはいない。学院長のグローリアよりもまともな感性を持った副学院長のスカイ・エルクラシスだ。


 スカイはグローリアの隣に座るショウと、お行儀よく並んで座る問題児たちを見つけると「あらら」と驚いた素振りを見せる。



「ユフィーリアたちは出場しないんスか?」


「生徒を相手にしても弱いから参加しねえ」


「それ以前に君、闘技場コロシアムに参加できないでしょ。張り紙にも『用務員の出場はお断りします』みたいな文章があったし」



 ユフィーリアの返答を補足するように、グローリアがそんなことを言う。この学院長は本当に余計なことしか言わない、いっそぶん殴ってやろうか。


 スカイは「あー、そうなんスねぇ」などと妙に納得したように頷きながら応じた。納得しないでほしいところなのだが、事実なので何も言い返せない。

 どうやら副学院長のスカイも闘技場コロシアムの観戦に訪れたようだ。いそいそと長衣ローブの下から缶入りのジュースを取り出すと、



「あ、こらロザリア。出てきちゃダメッスよ」


「ぐぎゃる」



 モゾモゾとスカイの長衣ローブから、小さな金属製のドラゴンが顔を覗かせた。片方が赤い魔石、片方が青い魔石という綺麗なオッドアイを瞬かせて「ぐぎゃあ」と鳴く。

 長衣の下から抜け出してしまった金属製のドラゴンは、小さな翼をはためかせてショウの膝上に着地を果たす。小さな前足でショウの手を引っ掻くと、赤と青の瞳でショウを見上げて「ぐぎゃぎゃ」とご挨拶してきた。


 スカイの設計・開発したドラゴン型魔法兵器エクスマキナのロザリアだ。たびたびショウやハルアと一緒に校内を散歩している姿を見かける。一緒に散歩をしている影響か、ロザリアはショウと仲良しだった。



「ロザリアも観戦か?」


「ぎゃあ、ぎゃあ」


「そうかそうか」



 ショウがロザリアの頭を指先で撫でてやると、ロザリアはショウの膝の上でゴロリと仰向けに寝転がった。まるで猫のような態度である。

 無防備に晒された金属の腹をワシワシと撫でれば、ロザリアは気持ちよさそうに「ぐるるるるぅ」と喉を鳴らす。もうすっかりショウのナデナデの虜であった。


 横から手を伸ばしてロザリアの喉を撫でるユフィーリアは、



「ロザリアも入れて平気だったのか?」


「金属探知系の魔法は見かけなかったんで、まあ平気なんじゃないッスかね。今日は時間も時間だったんで、ロザリアが怪しんで『ついて行く』って聞かなかったんスよ」


「ぐぎゃ!!」



 スカイの言葉へ同意するように、ロザリアが元気よく鳴いた。「そうだよ!!」と言わんばかりの鳴き方だった。


 その時だ。

 観客席全体から万雷の拍手が誰かに向けて送られる。視線を闘技場コロシアムの中心に移せば、闘技場全体を最も良く見渡せる座席――実況席と解説席に、2人の男子生徒が座った。彼らが実況席と解説席に座ったということは、もうそろそろ開幕式が始まる合図だ。


 実況席に座った眼鏡と金色の巻き毛が特徴の男子生徒は「あー、あー」と拡声魔法の調子と喉の調子を同時に確かめながら、



『紳士淑女の皆様、こんばんは!! 本日は闘技場まで足をお運びいただき、誠にありがとうございます!!』



 キンと喧しい声が、闘技場全体に響き渡る。



『本日の実況を務めるのは僕、4年生のアシュレイ・ローウェル!! 解説はお馴染み、5年生のエドガー・トレイルが務めます!!』


『よろしくお願いします』



 実況を務める生徒――アシュレイ・ローウェルとは対照的に、解説席に座る生徒は物静かな印象がある。

 焦茶色の髪を一括りにした地味な見た目の男子生徒である。エドガー・トレイルと紹介されていたが、実況席で騒ぐアシュレイとは対照的な解説役だ。闘技場コロシアムが開催されると、必ずと言っていいほどアシュレイとエドガーの2人組が実況席と解説席に座るのは、それほど生徒側からの支持も高いという訳だろう。


 それまで膝の上をゴロゴロと転がっていたロザリアも、そしてロザリアを撫でていたショウも実況席のアシュレイに注目していた。ついに開幕する闘技場を楽しみにしている様子である。



『今宵の闘技場コロシアムは一味も二味も違いますよ。ねえトレイル先輩!!』


『今回の優勝賞品には「学院の天使によるキッス」が送られることになっているようですが、ローウェル君、その学院の天使とは一体誰のことを示しているんでしょう?』


『よくぞ聞いてくれました!! それではご紹介しましょう!!』



 アシュレイは木を削り出して作られた杖を一振りすると、それまで明るかった闘技場コロシアム内が暗くなる。

 この絵の中は運営側の生徒による魔法で成立しているので、光量を操るのも思いのままだ。ユフィーリアも本気になれば闘技場を乗っ取ることも可能だが、可哀想なのでそんなことはしない。やりたくなったらやるかもしれないけど。


 それにしても学院の天使が運営側から発表されるとはありがたい。一体誰のことを示しているのか、ユフィーリアも気になっていたところだ。



『我らが魔法学院に彗星の如く現れ、瞬く間に男女を問わず魅了した奇跡の女装少年。その健気な性格と愛らしい笑顔は万人を虜にし、今や学院の天使と呼び声高いメイドさん!!』



 あれ、何だか雲行きが怪しい。



『そう、今回の闘技場コロシアムで贈られる優勝賞品「学院の天使のキッス」――それはぁ!!』



 アシュレイが杖を一振りすると、パッと観客席の1部が明るく照らされた。


 そこに座っていたのは、ショウである。

 赤い瞳を瞬かせ、不思議そうに首を傾げる彼は「何故、自分の周りだけ明るく照らされているのだろう?」と言わんばかりの態度で膝の上に転がるロザリアをナデナデしていた。



『用務員、アズマ・ショウ君からのキッスです!!!!』


「「「「はああああああああ!?!!」」」」



 問題児全員のブーイングを掻き消さんばかりに歓声が闘技場コロシアム全体を包み込んだ。


 聞いていない、全く聞いていない。ショウのキスが優勝賞品など誰が許可を出した。

 この優勝賞品の内容は学院長及び副学院長の役員組も耳に入っておらず、当然ながら当本人であるショウも寝耳に水の出来事だったらしい。瞳を見開いたまま石像よろしく固まっている。


 ユフィーリアはエドワード、ハルア、アイゼルネへ視線をやり、



「お前ら、知ってるか?」


「知らないよぉ!!」


「知ってたら運営をボコボコにしてるよ!!」


「運営の生徒たちも何を考えているのかしらネ♪」



 3人もショウのキスが優勝賞品などになっていると知らなかった模様だ。そりゃ知っていたら運営側の生徒を血祭りに上げている。



『今回の優勝賞品を目指して、多くの生徒が応募してきてくれました。皆様、今宵は大いに盛り上がりましょう!!』



 実況のアシュレイが大人しく席に座ると、観客どもの拍手喝采がアシュレイとエドガーに送られた。アシュレイは「まずは第1試合です」と選手の紹介に移るが、ユフィーリアの心模様は大荒れだった。

 ショウを優勝賞品にしたのは、紛れもなく問題児に対する宣戦布告だ。ショウが学院の天使と呼ばれるほど人気になるのは嬉しいことだと思うのだが、アズマ・ショウはユフィーリアの大切な恋人である。彼の唇はユフィーリアのものだ。


 どうやって闘技場コロシアム運営をする生徒に抗議するか考えるユフィーリアの手を不安げに握るショウは、



「ユフィーリア……」



 彼はどこか泣きそうな表情で、



「俺は……貴女以外にキスをしなければならないのか……?」



 その声は消え入りそうなほど小さかった。


 そうだ、彼にキスをさせる訳にはいかない。ショウは優勝賞品ではないのだ。たとえ優勝賞品になるなら、強者の座を勝ち取るのはユフィーリアでなければならない。

 可能とするのは、闘技場コロシアムにも出場の経験がある問題児筆頭のユフィーリアのみ。



「大丈夫だ、ショウ坊」



 ユフィーリアはショウの額にキスを落とすと、



「サクッと優勝してくるから、唇を整えて待ってろ」



 そう言って、ユフィーリアはおもむろに席を立った。


 闘技場コロシアムにはちょうど第1試合に臨む猛者たちが、戦場の大地を踏んだところだった。どちらもエドワードを想起させる屈強な肉体の持ち主だが、生徒ならばユフィーリアにとって取るに足らない敵である。

 大股で観客席の横に設けられた階段を下り、3段飛ばしで最前列まで向かう。周囲が怪訝な視線を寄越してくるが、ユフィーリアは構わず観客席から闘技場めがけて飛び降りた。



「なッ、ここで乱入者がぁ!?」



 実況のアシュレイが目を剥いて驚く。


 闘技場内に降り立ったユフィーリアは、睨み合っていた屈強な男どもを見やる。非力な女の力では殴ったところで意味などないだろうが、観客席から飛び降りても無傷の問題児に不足なしである。

 ツカツカと大股で屈強な2名の男子生徒に歩み寄ると、



「ゥオラッ!!」



 容赦なく腹部に拳を突き刺し、1人の男子生徒を軽々と吹き飛ばした。3メイル(メートル)ほど吹き飛ばされた彼は背中から地面に落ち、そのまま動かなくなる。


 ユフィーリアは握りしめた拳をそのままに、もう1人の男子生徒を静かに見上げた。

 顔を青褪めさせる彼へ静かに地面を指差して、絶対零度の声で告げる。



「土下座」


「はい」



 問題児の気迫にやられた男子生徒は、哀れ土下座して許しを乞う他はなかった。


 乱入から5秒と経過せずに挑戦者2名を蹴散らしたユフィーリアは、実況席に座って怯えた眼差しを向けるアシュレイと冷や汗を流すエドガーを見上げた。

 彼らも理解しているのだろう。誰に喧嘩を売ったのか、と。



『あ、あのー、問題児の方は』


「首を捩じ切られてえのか」


『はいすみません第1試合突破です』



 カンカンカーン、と第1試合は乱入者であるユフィーリアの圧倒的勝利で終わりを告げた。

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