春:七魔法王編

第10章:会議は踊る〜問題用務員、重要会議遅刻事件〜

第1話【問題用務員と性転換薬】

 きっかけは、ショウの何気ない一言だった。



「俺の元いた世界では、魔法薬で性転換という出来事がよくあったらしい。ヴァラール魔法学院ではそういった事件はないのか?」



 今日も今日とて綺麗で可愛くて完璧な女装メイド姿を披露するショウは、羽箒を片手に首を傾げた。

 本日の髪型は真っ赤なリボンを編み込んだシニヨンである。頭頂部で燦然と輝くホワイトブリムには真っ黒な犬の垂れ耳が縫い付けられ、背後からハルアがピロピロと垂れた犬耳を弄っていた。可愛い犬耳メイドさんにエドワード・ヴォルスラムという尊い犠牲者が出た。


 平静を保つ為に雪の結晶が刻まれた煙管キセルを咥えるユフィーリアは、



「あるよ、性転換薬」


「あるのか」


「魔法薬学の授業で『声を変える薬』を作る授業があるんだよ」



 ユフィーリアは指先をツイと動かして、本棚から薬草大百科と題名の付けられた魔導書を引っ張り出した。ひとりでにふわふわと空中を漂いながらユフィーリアの手元に移動してきた魔導書を開いて、とある頁をショウに見せる。

 そこに記載されていたのは、鈴のように丸くて白い花がいくつも咲いた薬草である。名前は『ヴァイスベル・ツリー』とあり、傷薬などの幅広い魔法薬で使われる魔法植物だ。


 このヴァイスベル・ツリーが肝である。魔法薬学の授業でこの『声を変える薬』を作る際に使われる魔法植物だが、これが別の魔法植物に変わると違う効果を持つ魔法薬になるのだ。



「ショウ坊、この魔法植物を覚えておけよ」


「?」


「はい次の頁」



 頁を捲ると、先程のヴァイスベル・ツリーと似たような魔法植物が出てきた。

 ただし、こちらは少し形が違う。鈴を想起させる完全な丸の状態だったヴァイスベル・ツリーの花だったが、こちらの魔法植物は花が少しだけ開いている。花型の照明器具を思わせる形だった。


 それ以外は色も花のつき方も同じなので、ヴァイスベル・ツリーと混同するだろう。パッと見ただけでは完全に間違えてしまう似たような魔法植物だ。



「これは『ヴァイスランプ・ツリー』って言うんだよ」


「なるほど」


「ヴァイスベル・ツリーじゃなくて、ヴァイスランプ・ツリーを入れると性転換薬になるんだ」



 ユフィーリアは大百科を閉じると、



「魔法薬学を担当してる教師に頼まれて魔法植物の採取をしたんだけど、面白いからヴァイスベル・ツリーじゃなくてヴァイスランプ・ツリーに変えて用意したんだよ」


「それで生徒や教職員が性転換してしまったと……」


「あれは面白かったな。野郎どもが胸の大きさで喧嘩してやんの。腹抱えて笑ったわ」



 声を変える薬と性転換薬の製法は全く一緒で、このヴァイスベル・ツリーであるかヴァイスランプ・ツリーであるかの違いで全く別の魔法薬が出来上がる。そういう授業なのだ、魔法薬学とは。

 そんな訳で、ヴァラール魔法学院が頭を抱える問題児どもは、よくこの魔法薬学の授業を邪魔していた。教職員がどれほど注意しても、学院長がどれほど説教しても、問題児たちは懲りることなく授業をどうにかこうにか邪魔し続けていたのだ。もちろん、気分が乗らなければ邪魔なんてしないが。


 ショウは「そうか」と頷くと、



「ではエドワードさんに性転換薬をお願いしたい」


「え、何で俺ちゃんなのぉ?」



 唐突に性転換薬の標的にされた筋骨隆々とした強面の巨漢――エドワードは、鼻に綿を詰めた状態で応じる。



「いえ、あの、予想なんですけど」



 ショウはキラッキラと赤い瞳を輝かせ、



「エドワードさん、胸筋が凄いので。女の人になったらとても大きくて立派なものになるんじゃないかと」


「あー、確かにな」



 ユフィーリアは納得したように頷いた。


 エドワードは自他共に認めるムキムキで野生的な男性である。そのはち切れんばかりの筋肉は迷彩柄の野戦服に無理やり詰め込まれ、しかし息苦しいのか胸元は大胆に開放している状態だ。

 その胸筋は見事なものである。もう揉めるほどにあるのだ、胸筋が。ペッタンコな女子生徒から「あの問題児に負けた……!!」と手巾を噛みながら悔し涙を流され、エドワード本人も困惑していた。


 なるほど、確かに立派な胸筋をお持ちのエドワードが女の人になれば面白いことになるだろう。野生的な美女に大変身だ、むさ苦しさが一気になくなる。



「よしエド、性転換薬を飲め」


「いいよぉ」


「拒否しねえのな」


「女の人になれば顔が多少怖くてもどうにかなるしねぇ」



 性転換薬の服用をあっさりと承知したエドワードは、



「それにどれだけ大っきなおっぱいが出来上がるのか知りたいよねぇ」


「オレも!! オレも飲む!!」



 先程までショウの装備した犬耳にしか興味がなかったハルアが、勢いよく手を挙げて主張してくる。

 彼もなかなかに鍛えているが、目に見えて分かるエドワードと比べれば見劣りしてしまう。彼の筋肉がどのように作用するのだろうか。


 頼れる先輩が性転換薬を飲むということで、ショウは「じゃあ俺も……」と控えめに手を挙げる。



「ショウ坊はダメ」


「何故!?」


「今と何も変わらないでガッカリする光景が目に見えてる」



 ガッカリするのはユフィーリアたちではなく、ショウ本人のことだ。思った以上に自分が少女めいた顔で落ち込んでしまう姿が簡単に想像できた。

 自分でも現状とあまり変わらないことを察知したらしいショウは、少し残念そうに「分かった」と辞退した。残念ながら、今回ばかりは諦めてもらおう。


 さて、やるべきことは決まった。あとは材料を集めるだけである。



「魔法薬学実習室に行くか。材料をチョチョイとくすねてこよう」



 面白いことの為には、たとえ授業で使われる魔法植物でさえ無断で使用するのがユフィーリアたち問題児である。目先の欲には抗えないのだ。

 そんな訳で性転換薬を作る為の材料を盗むべく、ユフィーリアは魔法薬学実習室に忍び込むことを決めるのだった。



 ――現在時刻、午後3時。



 ☆



 さて、1時間ほどで性転換薬は完成したのだが。



「どぉよ」



 性転換薬を飲んだエドワードは、自慢げに胸を張る。


 筋骨隆々とした強面の巨漢が、性転換薬を飲んだことによって切れ長な瞳が特徴の野生的な美女に早変わりした。緩やかに波打つ灰色の髪は肩甲骨に届くほどの長さがあり、泣く子も裸足で逃げ出す強面が強気な印象を与える美貌へと変わっていた。

 身長もスラリと高く、女性にしてはなかなか高身長だ。体格もそれなりに鍛えられた形跡は見られるものの、やはり女性的な丸みを帯びている。括れた腰から尻にかけての曲線美は、男性にはないものがあった。


 そして何より、迷彩柄の野戦服を押し上げる豊満な胸元である。組んだ両腕にずっしりと乗るほど大きく、たわわに実った禁断の果実と化していた。多分、手のひらに収まりきらないほど大きい。



「想像以上だわ」



 雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、興味深げに女体化したエドワードの胸元を観察するユフィーリア。これは自分の胸よりも大きいのではないか、と敗北感を察知する。



「でもこれ肩が凝るねぇ、足元も見えないしぃ」


「これだけ大きいと下着も特注品になるだろ。やっべえわこれ、狂気だわ」


「ユーリぃ、手つきがやらしいよぉ」


「おっと」



 5本の指をワキワキと動かしながらエドワードの胸元に手を伸ばすユフィーリアだが、指摘されたことによって慌てて手を引っ込めた。どさくさに紛れて揉めるかと思ったのだが、残念だ。



「あんま変わんない!!」


「髪の長さだけだな」


「うん!!」



 同じく性転換薬を飲んだハルアだが、こちらはエドワードほど目に見えるような変化がない。

 毬栗を想起させる赤茶色の髪の毛が伸びて肩に届くほどの長さとなり、全体的に身体の大きさは縮んでいるものの、あまり目に見えて変わったところはない。胸も驚くほど絶壁だ。本当に性転換薬が効いたのかと疑問に思えるほどだ。


 ハルアは自分のペッタンコな胸元に手をやり、それからエドワードの爆乳に恨みがましそうな視線をやった。「これほどエドが憎いと思ったことはないね!!」とぶっ壊れた笑みのまま言う。



「その乳ちょうだい!! 半分ぐらい!!」


「ハルちゃんにあげられるならあげたいぐらいだよぉ」


「本当!? ありがとう!! 貰うね!!」


「イダダダダダ、千切れる千切れる!!」



 ぶっ壊れた笑顔のままエドワードの胸をもぎ取らん勢いで掴むハルア。その手つきに迷いはなく、本気でもぎ取ろうとしていた。

 魔法薬学実習室での悪夢が再来である。大きな胸を得た男子生徒に絶壁な男子生徒が襲い掛かり、阿鼻叫喚の地獄絵図と化したのだ。


 ちなみにショウはやはり予想通りに立派な胸筋が立派な胸に変貌を遂げたことに、瞳をキラッキラと輝かせて拍手を送っていた。



「凄い、エドワードさんが綺麗になった」


「ごめんショウちゃん今だけ助けてハルちゃんがおっぱい千切ろうとしてくるイダダダダダ」


「分かった」



 エドワードに救助要請を出されたショウは、ぶっ壊れ笑顔のまま乳をもぎ取ろうと画策するハルアの肩をポンと叩いた。



「ハルさん、俺も絶壁だから仲間だぞ」


「ショウ坊が絶壁なのは当たり前なんだよ」


「ショウちゃん、女の子には負けられない戦いがそこにあるんだよ!!」


「お前は何と戦ってんだ、ハル」



 頓珍漢なことを言う未成年組に静かなるツッコミを入れるユフィーリア。やりとりが楽しいので笑いが止まらない。


 すると、今まで静かだった南瓜頭の娼婦ことアイゼルネが「ユーリ♪」とユフィーリアを呼んだ。

 振り向けば、彼女の手には1通の便箋があった。宛名は『ユフィーリア・エイクトベル様』とある。



「アイゼ、どうしたその手紙」


「ユーリ宛ヨ♪」



 アイゼルネから手紙を受け取ったユフィーリアは、封蝋すら施されていない便箋を開く。

 紙面に文字は書かれておらず、代わりに書かれていたのは魔法陣だった。紙の中心にデカデカと書かれた魔法陣は、通信魔法の1種だった。


 その魔法陣を一瞬で理解したユフィーリアは「げ」と顔をしかめ、



『ユフィーリア!!!!』



 次の瞬間、用務員室全体に怒声が響き渡った。



『3時から会議って言ったでしょ!! 1時間も遅刻して何を遊んでいるのさ!! さっさと学院長室に来なさい!!』



 要件を一方的に伝えると、ユフィーリアの手に握られた便箋は自動で発火して燃え尽きた。

 あの魔法陣は声を録音する魔法と、その録音した声を爆音で再生する魔法、さらに伝言が終わった瞬間に自動で燃え尽きる魔法が組み合わさった複合式の魔法陣である。なかなか高度な技術だ。


 しかも、あの声には聞き覚えがある。この学院でユフィーリアへまともに説教が出来るのは、学院長だけだ。



「……アイゼ、今何時?」



 ユフィーリアは静かに問いかける。



「4時13分ネ♪」



 アイゼルネは用務員室に掲げられた時計を見上げ、冷酷無慈悲に現在時刻を告げる。


 そこで、ユフィーリアは今朝の出来事を思い出した。

 学院長である青年から「今日の午後3時に会議があるから、遅れないでよね」と念を押されていたのだ。その言葉に対して適当に返事をしたことだけはしっかりと記憶にある。


 そして現在は4時を過ぎていた。完璧に遅刻である。



「やっべえ遅刻!!」



 雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめ、ユフィーリアは慌てて転移魔法を発動させた。

 魔法とは便利である。すぐに目的地に行けるのだから。

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