第4話【問題用務員と冥府天縛】

 あと少しなのに届かない。



「〈凍結フリーズ〉!!」



 真冬にも似た空気が肌を撫で、氷の道が出来上がる。


 何とか冥砲めいほうルナ・フェルノと距離を詰めようとしても、相手は簡単にユフィーリアを近づけさせまいと全力の抵抗を見せてくる。

 氷の道を破壊することから始まり、ユフィーリアを狙った正確無比で高火力の狙撃と攻撃はどれを取っても1級品で、なおかつ空を自由に飛ぶことが出来るから思うように手が出せない。ユフィーリアは浮遊魔法を封じられているのに、相手は悠々と空を飛ぶことが出来るなんて狡すぎる。


 ユフィーリアは舌打ちをして、



「いい加減に返せ!!」



 雪の結晶が刻まれた煙管キセルを一振りして、一抱えほどもある氷柱を作り出す。白い歪んだ三日月を狙って射出するが、冥砲めいほうルナ・フェルノは自由に空を舞って射出された氷柱を回避した。


 生意気な神造兵器レジェンダリィである。いいや、傲慢とでも言うべきか。

 ユフィーリアの魔力も底を尽きそうだ。現に左腕は肘まで氷に覆われて使い物にならず、最初の頃より動き回ることが困難になっている。魔力を失って全身が氷漬けになるのも時間の問題だ。


 こんなところで倒れてたまるか、とユフィーリアは自分自身を叱責する。足がまだ動くなら動ける、魔力がまだ尽きないのであれば魔法が使えるのだから。

 最後の最後まで足掻け、もがけ、ショウを助ける為に全力を尽くせ!



「『ふはははは、最初の威勢はどうした? もはや口先だけしか動かんではないか』」



 歪んだ白い三日月を椅子のようにして腰掛け、冥砲めいほうルナ・フェルノは嘲笑う。自分は飛べるからと余裕綽々とした態度だ。



「『そろそろ飽きてきた。貴様には引導を渡してやろう』」



 歪んだ白い三日月へ寄り添うように立つ冥砲めいほうルナ・フェルノは、ゆっくりと右手を掲げた。

 本体である魔弓の前方に、複雑な魔法陣が展開される。肌を焼くほど熱い炎が矢として番えられ、空中に展開される氷の道に立ち尽くすユフィーリアを狙っていた。


 極小の舌打ちをしたユフィーリアは、雪の結晶が刻まれた煙管を握り直す。自分自身に残された魔力は少ない。可能な限りの魔力を込めて氷の壁を展開しようとし、



「『ぬッ!?』」



 その時、冥砲めいほうルナ・フェルノの前方に展開された複雑な魔法陣が音もなく消え失せる。



「『何だ、一体何が――!!』」



 冥砲めいほうルナ・フェルノが自身の本体である白い歪んだ三日月を見れば、そこには鎖で雁字搦めに縛られた状態の魔弓があった。

 純白に輝く鎖はかなり頑丈な様子で、冥砲ルナ・フェルノが鎖を引き千切らん勢いで飛んでも弾け飛ばない。「『この、焼き切ってやる!!』」と叫ぶ冥砲ルナ・フェルノだが、彼がいくら手を掲げても炎の矢を番えることが出来ない。


 封じられているのだ、冥砲ルナ・フェルノの攻撃が。



「『おのれ、一体誰だ!!』」


「誰だ、とはおかしなものだ。君の権能さえ封じ込める純白の鎖など、思い当たる節は1つしかない訳だが」



 怒りを露わにする冥砲めいほうルナ・フェルノを諭すように、静かで落ち着いた声が地上から投げかけられる。


 大小様々な氷片が散らばり、冥砲ルナ・フェルノの攻撃を受けてボコボコにされたヴァラール魔法学院の校庭。

 そこで純白の鎖を掴み、黒い空に浮かぶ歪んだ三日月を戒める髑髏どくろ仮面の神父がこちらを見上げていた。何本も伸びる純白の鎖は、髑髏仮面の神父の他にエドワード、ハルア、アイゼルネも掴んで、一緒になって白い三日月を拘束している。


 純白の鎖を掴む髑髏仮面の神父の姿を認めた冥砲ルナ・フェルノは、



「『冥王第一補佐官だと? ならばこの鎖は』」


「ご明察、冥府天縛めいふてんばくだとも」



 冥府天縛めいふてんばくとは、冥府全体を覆う魔法封印の結界を鎖状に具現化した神造兵器レジェンダリィの1種である。その鎖で縛られた相手は、所有する権能や魔力などを封印されてしまうのだ。

 本来、その鎖は冥府を統治する冥王ザァトが冥王第一補佐官に貸与する権能である。冥王の裁判を拒否する罪人や、見境なく暴れる獄卒などを拘束する為に用いられる。


 冥砲めいほうルナ・フェルノは「『馬鹿な』」と言い、



「『冥府天縛めいふてんばくは冥王ザァトより貸与されるもの――私欲による使用は許可されん!! 貴様、冥王第一補佐官の座を追放されてもいいのか!?』」


「確かに、私欲で使うことは禁じられているとも。本来であれば罪人や獄卒を拘束する為に用いる訳だが」



 ギリ、と純白の鎖の一端を握り締めながらキクガは「だがね」と言葉を続ける。



「ルナ・フェルノ、君が身体を乗っ取ったその少年は私にとって、何にも変え難い存在なのだよ」



 現在の立場を追われようと、その果てに命を失うことになろうと、キクガは純白の鎖を離すことはない。


 髑髏どくろ仮面の下で輝く、少年と同じ赤い双眸が冥砲めいほうルナ・フェルノを睨みつける。

 彼は今、冥王第一補佐官としてこの場に立っている訳ではないのだ。



「――彼は私の息子だ、その身体を返したまえ!!」



 キクガは純白の鎖を勢いよく引っ張る。


 じゃり、と白い三日月を戒める鎖が音を立てた。

 地上に引き寄せられることを拒否するように、冥砲ルナ・フェルノは「『おのれェ!!』」と叫ぶ。



「『誰も彼も、我の邪魔をするなあッ!!』」


「そうかね」



 キクガはそう言って、今まで懸命に握り締めていた純白の鎖を離した。


 同時にエドワード、ハルア、アイゼルネも純白の鎖から手を離す。

 つい先程までは冥府天縛めいふてんばくで戒められていた白い三日月は自由を取り戻し、黒い空を自由に飛び立つ。自分の力を抑え込まれていた冥砲めいほうルナ・フェルノは、唐突に冥府天縛から解放されて「『は?』」と間抜けな声を上げた。



「我々は時間稼ぎが出来ればそれでよかった訳だ。あとは彼女が何とかしてくれるとも」


「『何……?』」



 冥砲めいほうルナ・フェルノが目を見開いたその時、



「ショウ坊!!」



 冥砲めいほうルナ・フェルノが、反射的に顔を上げる。


 真っ黒に塗り潰された空を背に、ユフィーリアが両手を広げて冥砲ルナ・フェルノめがけて落ちてくる。キクガたちが冥府天縛めいふてんばくで冥砲ルナ・フェルノを繋ぎ止めた隙を見計らい、残り少なくなった魔力で氷の階段を作ったのだ。

 冥砲ルナ・フェルノのちょうど上に来るように階段を伸ばし、冥府天縛から解放されたその瞬間、ユフィーリアは凍った足場から飛び降りた。狙いが外れるとか、冥砲ルナ・フェルノに回避される可能性など一切考慮していなかった。


 唖然とする冥砲ルナ・フェルノへ飛びつき、彼が操る少年の華奢な身体を抱きしめる。雪の結晶が刻まれた煙管を握る手を少年の背中に回し、



「言ったろ、ショウ坊」



 煙管の形式を、銀色の鋏に変更する。

 悪いものも切ることが出来る、と自負する自慢のはさみだ。螺子ねじの部分が雪の結晶となり、錆も曇りもない綺麗で精錬された銀色の鋏。


 鋏を手にしたユフィーリアは、



「アタシがお前を幸せにしてやるって」



 ショウの背中から伸びていた、真っ黒な糸をはさみで切った。


 操り人形の糸を切るかの如く簡単に黒い糸は切断され、冥砲めいほうルナ・フェルノの支配から解き放たれたショウがクタリとユフィーリアにもたれかかってくる。

 ようやく取り戻した可愛い新人を強く抱きしめ、ユフィーリアはふと空を見上げる。


 黒く塗り潰された空は、ショウを冥砲ルナ・フェルノの支配から解放したことで澄み渡った青い空に変わっていた。



 ☆



「あ、やべえこれ死ぬわ」



 ショウを取り戻した矢先のユフィーリアだが、即座に死を悟った。


 冥砲めいほうルナ・フェルノとの戦いによって大幅に魔力を消費したことにより、ユフィーリアは重度の魔力欠乏症マギア・ロストに陥っていた。得意とする氷の魔法はおろか、浮遊魔法すら使うことが出来ない。

 手足を動かすのも億劫で、気絶したショウを抱きしめることが精一杯だ。身体には倦怠感が纏わり付き、思考回路も上手く纏まらない。



「あー……」



 ショウを抱きしめたまま、背中から校庭めがけて自由落下を開始するユフィーリア。

 銀色のはさみは雪の結晶が刻まれた煙管の形式に戻ったが、それを拾うことすらままならない。腕を伸ばそうにも左腕はすでに二の腕辺りまで凍り、全身の感覚がなくなるほど冷たい。メイド服越しに感じるショウの体温が熱いと思えるほどだ。


 まあ最悪、背骨が折れたとしても治癒魔法でどうにかなるだろう。腕の中で眠るショウに怪我がなければいい。



「ィよいしょぉ!!」


「お」



 校庭に叩きつけられる寸前のユフィーリアを受け止めたのは、筋骨隆々とした強面の巨漢――エドワードだった。ショウを抱えたユフィーリアを難なく受け止めた彼は、そのまま2人をゆっくりと校庭に下ろす。


 ショウを抱きかかえたまま校庭に座り込むユフィーリアの顔を覗き込んだエドワードは、目の前で大きな手のひらをひらひらと振って意識の有無を確認してくる。

 目の前で振られる手のひらが鬱陶しくてユフィーリアが「ンだよ」と言えば、彼は安堵の息を吐いた。



「全くぅ、1人で神造兵器レジェンダリィに立ち向かうなんて無茶な真似はしないでよぉ」


「悪い悪い、もう無我夢中だったからな」


「俺ちゃんたちの存在も忘れないでよねぇ」



 自分たちの存在を忘れ去り、たった1人で神造兵器に突撃していったことに対する不満を垂れるエドワードは「待っててねぇ」と言う。



「保健室の先生を探してくるからぁ、寝ちゃダメだよぉ」


「いやー、凄え眠いから保証は出来ねえ」


「じゃあ寝ててもいいからぁ、死んじゃわないでよぉ」


魔力欠乏症マギア・ロストで死ぬかよ」



 心配そうにユフィーリアの姿を何度も確認しながら、エドワードは治癒魔法を得意とするヴァラール魔法学院の保健医を探しに行った。


 遠ざかるエドワードの広い背中を見送り、ユフィーリアは校庭にゴロリと寝転がる。

 冥砲めいほうルナ・フェルノから解放されたショウは、相変わらず気絶したままだ。意識を覚醒させた彼が焼け野原となったヴァラール魔法学院を見て、果たして何を思うだろうか。


 いいや、それよりも先にキクガを紹介しなければ。10数年振りとなる親子の感動の再会は、きっと面白いものになっているだろう。



「あー……疲れた」



 心の底からの疲労に満ちた声で「疲れた」と宣うユフィーリアは、澄み渡った青い空を眺めながらそっと瞼を閉じる。


 遠くの方で聞こえる喧騒が、徐々に小さくなっていく。

 やがてユフィーリアの意識は深淵へと引き摺り込まれ、途絶えることとなった。


 ――ぷつん。

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