第3話【異世界少年と白い月】

「この先は危ねえぞ。読んだら死ぬような魔導書がたくさんある」



 銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは、普段の軽薄さから想像がつかないほど真剣な様子で言った。


 ショウは背後に控える階段に視線をやる。

 西洋風の街並みに似つかわしくない、暗闇へ続く階段だ。その先がどこに繋がっているか不明だが、ユフィーリアが言うには「読んだら死ぬ魔導書がたくさん保管されている」らしい。


 どうしてこの階段の存在に気づいたのだろうか。確か、この先から声が聞こえてきて――。



「ショウ坊?」


「ッ、すまないユフィーリア。ここが危険な場所だと思わなかった」


「いや確かに危険だけど」



 ユフィーリアは握りしめたショウの腕を解放すると、



「行ってみたいのか?」


「え」


「気になるんだろ、この先が」



 雪の結晶が刻まれた煙管キセルを咥え、ミントに似た清涼感のある煙を吐き出すユフィーリアは笑いながら言う。



「実はな、アタシも入ったことがねえんだ」


「やはり問題児は立ち入り禁止にされているのか?」


「いいや、立ち入り禁止にされてねえよ。だから入る機会がなかったんだ」



 やれやれと肩を竦めるユフィーリアは、



「立ち入り禁止とか使用禁止とか言われると入りたくなるし使ってみたくなるけど、禁止されてねえなら別にいつでもいいかって気分になるだろ。ここはまさにそういう場所だ」


「……禁止にされていたら入ったのか?」


「もちろん」



 当然とばかりに言ってのけるユフィーリア。


 確かに、その心理は分からんでもない。禁止にされるとやりたくなるし、逆に禁止にされていなければ別に気にも留めない。魔法を使うという特別な部分があっても、根っこはやはり同じ人間なのだ。

 危険ではあるものの、禁止されていないのであれば行ってみたい。ショウもこの先に何が待ち受けているのか知りたいし、先程から聞こえてくる誘い出すような声の主を確かめたいのだ。


 すると、ユフィーリアとショウのやり取りを聞きつけたのか、用務員の先輩たちであるエドワード、ハルア、アイゼルネの3人が駆けつけた。

 特にハルアは一緒に神造兵器レジェンダリィ大百科を読んでいる最中に置いてきてしまったので、ショウのことを心配してくれている様子だった。少し申し訳ないことをしてしまった。



「ショウちゃんどうしたの!? オレ、うるさくしちゃった!?」


「いや、ハルさんのせいではない」



 しっかりとハルアのせいではないと否定してやれば、彼は安堵したように息を吐いていた。



「よし、お前ら。この階段の先に行くぞ」


「この先って魔導書都市の最深部じゃんねぇ。本当にいいのぉ、そんなところに入ってぇ」


「禁止されてねえからいいんだよ」



 どうやら、この階段の先は最深部と呼ばれる箇所らしい。読むと死ぬような魔導書が保管されるに相応しい名前の場所だ。

 最深部が立ち入り禁止にされていないことは、エドワードやアイゼルネも知っているようだった。ハルアは知らなかったらしく「え、そうなの!?」と驚いていた。


 爽やかな笑顔で「行くぞ」と言うユフィーリアは、



「この先にある本は絶対に触るなよ。読んだら死ぬからな」



 ☆



 5人分の足音が、暗闇の中に響く。


 ポツポツと闇の中に浮かんだ角燈が、ぼんやりと階段を照らしている。左右を見ても深い闇が広がっており、どういう原理か不明だが大理石で作られた台座が浮かんでいる。

 階段の両脇をふわふわと浮かんでいる台座には、透明な膜で守られる書籍が飾られていた。きちんと革製の表紙がある立派な書籍から、紐で纏められた紙束まで形状は様々だ。紙束まで魔導書になるのだろうか。


 先頭を歩くユフィーリアは、



「最深部って呼ばれるだけあって、なかなか深いなァ」


「戻る時もこの階段を使わなきゃいけないのぉ? 長くてうんざりしちゃうよぉ」



 最後尾に続くエドワードが、心底嫌そうにそんなことを言った。


 これほど階段が長ければ嫌になる気持ちも理解できる。階段が長くなれば長くなるほど、今度は逆に上ることが大変になってしまう。

 最深部に行きたい、などと言わなければよかったのかもしれない。そもそもショウがあの声の存在を無視していれば、この最深部に繋がる階段にも気づかなかったかもしれないのに。


 自分の行動に後悔の念を覚えるショウに、ユフィーリアは「大丈夫だって」と言う。



「誰かが設計したはずなんだから、どうせ転移魔法の陣でも仕込んであるさ。なかったら作ればいいだけだしな」


「……簡単に出来るものなのか?」


「おうよ、アタシを誰だと思ってんだ? 魔法の大天才、ユフィーリア・エイクトベル様だぞ?」



 自信満々に言ってのけるユフィーリアは、



「お、そろそろ最深部に到着するな」



 見れば、確かに階段は終わりを迎えようとしていた。


 最初に魔導書都市の最深部の地を踏んづけたユフィーリアだが、彼女は「ん?」と首を傾げた。

 おもむろに自分の足元を見て、それから眉根を寄せる。ショウもつられて最深部の床に注目した。


 何か蛇のようなものが床一面を埋め尽くしている。それは動く様子を見せず、ユフィーリアに踏みつけられても痛がる素振りさえなかった。



「配線? しかもこんなにたくさん……何でだ?」



 蛇のようなものは、全て配線だった。数え切れないほどの配線が、暗闇の中へ向けてどこまでも伸びている。

 ユフィーリアでさえ異常と感じるほどの配線の数に、エドワードやハルア、アイゼルネも怪しんでいた。ショウもさすがにこの数の配線はやり過ぎだと思う。


 一体この先に何があるのだろう。配線は、一体どこに繋がっているのだろうか?



「お前ら、薄暗いから足元に気をつけろよ」


「はいよぉ」


「分かった!!」


「はぁイ♪」


「了解した」



 ユフィーリアの注意を受けて、ショウは配線に足を取られないように気をつけて歩く。メイド服の為にあつらえられた革靴は履きやすく、どれほど歩いても疲れない仕様となっているのでありがたい。

 踵の高い靴を常に履いているアイゼルネはどうしているのか、と気になって振り返れば、南瓜頭の娼婦はエドワードに抱きかかえられていた。これだけの配線の間に高い踵の部分が引っかかってしまえば、歩けなくなってしまう恐れがある。彼女の判断は正しいと言えた。


 配線がどこまでも伸びる最深部を真っ直ぐに突き進んでいくと、聞き覚えのある声がショウの頭の中で響いた。



 ――此方だ、此方だ。


 ――我が姿を見て、恐れ慄くがいい。



 誰の声だ、どこから聞こえてくる?


 ふと顔を上げると、闇の中を照らすぼんやりとした白い光を認識した。

 何か箱のようなものに囲まれる白い光で、ちょうど床を覆う配線も白い光の付近で途切れていた。大理石にも似た硬い床の感触が、革靴の裏を通じて伝わってくる。


 箱の中心に居座っていたのは、



「……三日月?」



 それを言ったのは、果たして誰だったか。


 何やら仰々しい装置に取り囲まれ、装置から配線が伸びている。その配線の先にあったのが、歪な形をした白い三日月だったのだ。

 三日月には太い端子が何本も打ち込まれ、この装置の群れに繋ぎ止められていた。歪な三日月がチカチカと明滅するたびに、装置に表示される数値が変化する。ちょうど120と130の間を行ったり来たりしていた。


 見上げるほど巨大な三日月を、ショウは見た覚えがある。実物大ではなく、ほんの数十分前に魔導書で見かけたのだ。



月砲げっぽう……ルナ・サリア……」



 ショウの口から、その武器の名称が滑り出ていた。


 月の女神が持つとされる、超長距離射程と抜群の破壊力を誇る月の形をした弓。適合しなければ使えないと謳われる、神々が作り出した兵器。

 神造兵器レジェンダリィと呼ばれるものの1つで、ハルアの推し武器である月砲ルナ・サリアがそこに鎮座していたのだ。


 もしかして、ショウの頭の中に響いていた声は月砲ルナ・サリアが言っていたのだろうか?



 ――違う、違う!!


 ――我が銘は、そんなふざけた名前ではない!!



 チカチカと明滅する歪な三日月。



 ――我が銘は冥砲めいほうルナ・フェルノ。


 ――冥府の空に浮かぶ歪な月、罪人どもを燃やし尽くして呵責する冥王の裁きを担う魔弓である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る