第3話【問題用務員と美味しい昼食】
「お待たせしましたぁ」
魔法の大天才ユフィーリア・エイクトベルによる天使講座が開始されてから30分が経過した頃合いで、注文した品が運ばれてきた。
「まずは跳ね豚の焼きサンドです。こちらの弾け辛子はお好みでお使いください」
ユフィーリアの前に置かれた料理は、美味しそうな焼き色のついたサンドイッチである。
表面がカリカリになるまで焼かれた
サンドイッチの側に置かれた小瓶には、黄色い木の実がこれでもかと詰め込まれていた。この黄色い木の実が弾け辛子と呼ばれる調味料であり、指で潰してサンドイッチにかけることでピリッとした辛さを加えることが出来る。
「こちらが
アイゼルネの前には、野菜が盛られた陶器製の器が置かれる。
色とりどりの野菜の山にはチーズと干した果物が乗せられ、緑1色にはならないように彩りを加えている。野菜はどれも新鮮なものが選ばれ、野菜嫌いにも何故か美味しそうに見えてしまうほど輝いていた。
サラダの脇には紅玉にも似た液体が揺れる瓶が置かれ、瓶には『ルビーソース』とある。酸味のある香りが鼻孔をくすぐり、サラダによく合いそうだ。
「そしてこちらが、天使のパンクックです」
エドワード、ハルア、ショウの前に置かれた料理は、メニューでも見た丸くて平たいふわふわとしたケーキの山だ。
表面は狐色に焼かれ、さらに天使の翼が刻印されているという徹底ぶりだ。こんもりと純白のクリームが盛られ、雪のように振りかけられた粉砂糖が甘さを倍増させている。ちょこんとクリームの上に添えられた四葉のクローバーが、可愛さを表現している。
エドワードには色鮮やかな苺と宝石のように綺麗な木苺が乗せられ、ハルアにはクリームの代わりに目玉焼きとチーズソースという食事系の仕様となっていた。期間限定のものを頼んだショウには、花の形をした苺が綿雲のように盛られた白いクリームの上に散らばっている。
最後に店員の天使は恭しくお辞儀すると、
「それでは、ごゆっくりお召し上がりください」
店員の天使が恭しく引っ込んだところを見送って、ユフィーリアは両手を合わせた。
「お前ら、両手を合わせて」
エドワード、ハルア、アイゼルネもユフィーリアに倣って両手を合わせ、ショウも先輩たちを真似て両手を合わせる。
「いただきます」
「「「「いただきます」」」」
号令と共に昼食の時間が始まった。
それぞれ食事に必要な銀食器を手に取る中、ユフィーリアは豪快に手掴みで焼き目のついた
麵麭の表面はカリカリとした食感でありながら、ふんわりとした感触をまだ残している絶妙な加減がいい。間に挟まれた新鮮な野菜と甘辛いソースに絡めた肉とも相性は抜群だ。
最初は何もかけずに焼きサンドの1つを消費したが、もう1つは味に変化をもたらす為に小瓶の弾け辛子を使うことにする。
黄色い木の実を1粒だけ皿の上に移し、指先で潰すと黄色いドロッとした液体が出てくる。それを焼きサンドの上に振りかければ、ピリッとした辛味がいい塩梅に効いた。
「ここのサラダは量が多くていいわネ♪」
「パンクック美味しい!! 美味しい!!」
「ふわふわの生地が最高だねぇ」
エドワードも、ハルアも、アイゼルネも、自分が注文した昼食に満足そうな様子だ。順調に食事を消費していく。
だが不思議なことに、ショウだけは静かだった。
ユフィーリアの正面に座っているはずの猫耳メイドの異世界人は、驚くほど静かに食事をしていた。会話もなかった。ただ黙々と注文した期間限定のパンクックを食べ進めている。
まさか口に合わなかったか、と心配したが、顔を上げてショウの顔を見れば、その心配が杞憂であったと理解する。
「〜〜〜〜!!」
銀色の
能面のような彼の表情筋が蕩け、パンクックの甘さを噛み締めている様子である。美味しさのあまり何故か彼の背後にポコポコと小さな花が咲くような幻覚が見える他、ホワイトブリムに縫われた黒猫の耳がピルピルと忙しなく動いていた。
その幸せそうな表情を前に、ユフィーリアは何も言えなかった。口に合わないから黙っていた訳ではなく、美味しさのあまり言葉が出なかったのか。
「ショウ坊」
ユフィーリアが名前を呼べば、彼は色鮮やかな赤い瞳で見つめてくる。
「美味いか、ショウ坊」
「んぐッ、ああ。とても美味しい」
花が綻ぶような満面の笑みを見せるショウは、
「こんなに美味しいものは、生まれて初めて食べた」
「え、可愛い」
あまりの可愛さに思わず言葉が漏れてしまうユフィーリア。
幸いなことは、彼にその発言が聞かれていないことだろうか。本人はパンクックの美味しさを噛み締めながらゆっくりと食べ進めていき、その度に尻尾がパタパタと左右に揺れていた。
すると、彼の隣に座っていたハルアが、
「ショウちゃん、パンクック美味い!?」
「とても美味しいぞ」
「これも美味いよ!! 食ってみなよ!!」
「むぐッ」
ハルアが割と大きめに切り分けたパンクックを勢いよくショウの口の中に突っ込み、ちょっとした事件になりかけた。
口の中に放り込まれたチーズソースの食事系パンクックを何とか飲み込み、ショウはしょっぱい系のパンクックの美味しさにクワッと目を見開く。
反応がいちいち面白い。可愛すぎて困る。
「ハルさんのパンクックも美味しい」
「でしょ!!」
「次は真似をしてもいいだろうか?」
「いいよ!!」
そんな和やかな会話をする2人は、非常に仲が良さそうだ。年齢が近いこともあるだろうが、ハルアも後輩が出来て嬉しいのだろう。
「あ」
ショウの正面に座るユフィーリアは、ふと気づく。
夢中でパンクックを食べ進める彼の口元に、クリームがついてしまっている。
美味しそうに食べるのはいいことだが、行儀が悪いと思われては嫌だろう。ここは指摘してやるべきか。
「ショウ坊」
「何だ?」
顔を上げたショウに、ユフィーリアは自分の口元を示して言う。
「クリームがついてるぞ」
「んむ……?」
ショウは自分の口元を指先で触れるが、そこにクリームはない。ついているのは反対側だ。
指摘するのも面倒になり、ユフィーリアは机に身を乗り出す。
正面に座るショウの頬に手を添えると、
「こっちだ」
口元についたクリームを、指先で拭う。
指先についたクリームを舐め取れば、口いっぱいに甘い味が広がる。たまに甘い物を食べるのはいいが、ちょっとこの甘さは
余談だが、ユフィーリアは甘い物があまり得意ではない。どちらかと言えば苦めの大人な味を好むのだ。
驚きで固まるショウをよそに、ユフィーリアはそっと渋面を作る。
「甘ッ」
「あの、ユフィーリア……」
指先で触れられた口元を覆うショウは、頬を真っ赤に染めながら言う。
「指摘してくれればよかったのに……」
「え、だって」
ユフィーリアの答えは決まっていた。
「お前の可愛い反応を期待してたからに決まってんだろ」
そう言うと、彼は頬をさらに赤くして俯いてしまった。
ちなみに、その場の空気が砂糖菓子のように甘くなったのは当たり前のことだった。
一部始終を漏らすことなく目撃したエドワードの「甘酸っぱいねぇ」などというツッコミは、ユフィーリアには聞こえていなかった。聞こえていないったら聞こえていないのだ。
☆
「お会計は2,068ルイゼになります」
精算機にチーンという音と共に金額が表示される。
ユフィーリアはペラッペラな財布を開いて確認するも、肝心の金はすでにない。あると言えば足しにもならない小銭ぐらいだ。
エドワード、ハルア、アイゼルネにも視線をやって手持ち金額を確認するが、3人揃って財布を上下に振って金がないことを証明した。なけなしの金で以前のツケの代金を支払ってしまったので、もう持ち合わせがないのだ。
「あの……?」
店員の
ユフィーリアは財布を静かに閉じた。
その意味を理解したのか、エドワードはアイゼルネを抱え、ハルアがショウの手を引く。「ハルさん?」などと不思議そうにショウが首を傾げていたが、これからやるのは立派な悪いことである。
つまり、
「ツケといてくれ」
「えッ」
「あばよ」
その場から全速力で逃走した。
そう、食い逃げである。これは紛うことなく食い逃げである。
仕方がないではないか、代金が払えないのだから。金が工面できたら支払うつもりはあるので、これは犯罪ではない。借金である。
逃走するのは問題用務員の中でも特に身体能力に自信のあるユフィーリア、エドワード、ハルアの3名だ。アイゼルネは踵の高い靴を履いているので早く走ることが出来ないし、ショウは純粋にユフィーリアたちのやることを理解している雰囲気がなかったので手を引いて逃げることになったのだ。
まさか代金を踏み倒されると思っていなかった店員の天使が、甲高い悲鳴を上げる。
「食い逃げです!! 天使長、問題児様が食い逃げをしました!!」
しかし、すでに問題児どもは転移魔法陣に飛び乗っていた。
ユフィーリアが急いで転移魔法陣へ改造を施し、3人までのところを3人以上という内容の魔法陣へ変更。2度ほど魔法陣を踏みつければ、転移魔法が発動した。
視界が急に入れ替わり、あっという間にヴァラール魔法学院内に戻ってくる。天使の石膏像が穏やかに見守る姿を背にして、問題児たちは慌てて廊下を駆け出した。
「急いで逃げろお前ら!!」
「どこによぉ!!」
「用務員室に帰ろう!!」
「それが1番ネ♪」
「え、あの、ユフィーリア? いいのか? え?」
混乱するショウを引き摺りながら逃げる問題児どもだが、
「どこへお行きですかぁ?」
「…………」
何故だろう、窓の外に4枚の翼を持つ
転移魔法陣で逃げてきたはずだと言うのに、何故こんなところにいるのだろうか。もしかして、ユフィーリアたちの行動を先読みしていたと言うのか。
やはり天使の喫茶店で食い逃げなどするべきではなかった。大人しく代金を払うか、金がないので払えないことを自白すればよかった。
ゆっくりと速度を緩めた問題児どもは、そのまま静かに上級天使様へ向けて土下座を実行する。
逃亡劇は、あっさりと終わった。
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