文化祭準備
悠真は一樹の肩に手を乗せ、真っ直ぐとブラウンの瞳を慈しむ様に見つめる。幕が下りるまでの30秒間。こうして二人は見つめ合わなければならない。残り10秒のところで、まるで唇を合わせる様に顔を寄せる。
「悠真、俺…やばい」
一樹は悠真の役に入った凛々しい眉を目にし、唇を噛み締めた。笑いを溜め込んだ頬が限界まで膨らむと、ついに悠真も吹き出した。
「はい!カット!」有紗の甲高い声が舞台に響いた。
「おい!一樹!悠真!笑うな!確かにシルエットで見せるから表情は見えないけど、役に入れ!?」
「監督!すいません!」
一樹は角度90度に頭を下げた。そんな一樹の顔はニヤニヤとしている。
「お前、楽しそうだな」
「えっだって、少年野球時代の監督みたいじゃん」
「確かに」と悠真は釣られて笑った。
「一樹!手伸ばせよ!いけただろう!って懐かしいわ」
「やばい、久々に監督に会いたくなった」
二人はカラカラと笑い合った。
文化祭準備は意外にも段取り良く進んでいた。総監督の有紗がもとよりリーダー格であった為、人を動かすのが上手いのか、それとも女子の団結力なのか、あるいは一樹と悠真が思った以上にハマり役だったのか。
様々な要因が重なり、文化祭一週間前にはクラスの皆が活気に溢れていた。
担任の美嘉はそんな生徒たちの姿をそっと見守った。
「衣装完成したよー!」
その声に皆が振り返った。
「おおー!すげぇ!」
一樹と悠真は自分達の衣装に声を上げた。一樹は艶やかな桃色の着物と鞠の跳ねた赤色の羽織にきらきらと瞳を輝かせた。
「はい、本番、佐野くんこれ被ってね」
結われたウィッグを手渡され、一樹は何気なしに頭に乗せる。それでも十分に一国の姫様らしさが出る。しかし、もう少し華やかさを加えたいところだ。
「で、メイクもして…って今、試しにやらない?」
「えっ今!?別にいいけど…」
「はい!じゃぁ、そうとなったら早速!」
その瞬間、女子たちが一斉に一樹を取り囲んだ。一方で悠真も着物を纏う様に促され、別室に連れて行かれる。
一樹を囲う女子たちは、各々メイクポーチからアイシャドウ、チーク、リップなどを取り出した。
「見てー。秋コスメ買ったんだけど、この色可愛くない?ちょっとくすみ系」
「良いね!でも一樹、こっちの方が良くない?」
「確かに〜」
女子たちの会話に一樹は、うんうん、と頷く。
「俺もコーラル系が良いと思う」
一樹がそう言うと女子たちは、
「分かってるね〜」と口を揃えた。
「ナチュラルな感じがいいよね」
「そうだね、とりあえずまつ毛あげよう」
「目、本当にキレイ〜」
「肌ツルッツルなんだけど!」
四方八方から上がる声に一樹は照れた様に笑う。一樹は大人しく、身を預けるだけだった。
しばらくして、女子たちの壁は開かれた。悠真はようやく現れた、姫の姿に唖然とした。
「悠真様、わたくし、美しい?」
姫に扮した一樹は袖口を口元に寄せ、上目遣いに悠真を見つめる。目の前にいる姫が男だとは、声を聞かなければ気づかない。
それほどに一樹は、愛らしかった。
「ああ、麗しい」
悠真がそう口にした後、二人は吹き出す様に笑った。
「これ絶対、賞取れるよ」
それは誰もが確信した。二日目の一般公開では、どの催しが優れていたか、投票するイベントがある。トロフィーが贈られるだけの優秀賞ではあるものの、ここまで本気になると取りたくなるものだ。
「最後の文化祭だし、絶対狙おう!」
「うん!」
クラスの皆が声を揃え、頷いた。
「悠真、撮ろうぜ」
一樹はスマホを片手に悠真を誘った。悠真は恥ずかしそうに微笑んだ。あまり二人で写真を撮ることがない為、内心一樹も気恥ずかしかった。
「おじさんに送るんだ」
何枚か撮った写真を見返しながら、一樹は言った。
「おじさん、文化祭来るの?」
悠真も送られてきた写真を見ながら首を傾げる。
「うん!呼んでる!多分、母ちゃんと来るよ」
「そっか…」と悠真はまだ何か言いたげに口を開いている。
「実は俺さ、臼井さん誘ってるんだ」
「臼井さん!?」一樹は何度か瞬きした。
「あっ!この前、駅で顔合わせたって聞いた!」
「うん…で、それからずっと連絡とってる」
悠真は照れた様に俯く。一樹は悠真の眞琴に対する想いを汲み取って微笑んだ。
「そっかぁ…なら尚更かっこいいところ見せないとな!」
「ああ、お互いに良いところ見せようぜ」
***
――なんかの撮影かな?
――二人ともかっこいいんだけど…
「僕たち噂されているね」
こそこそと潜めているつもりなのであろう声に気付いてしまった白秀は晶に耳打ちした。
「今さら何を」
晶は、こほんっと一つ咳払いし、なんて事ないような顔をする。
二人がこうして出歩く時、多くの視線が自分達に向く事を晶は昔から知っていた。
「え、和洋折衷?異文化交流すぎるわ」
偶然聞こえてきた声に晶は俯く。気になりもしていなかった二人の対になる装いが急に羞恥を沸かせる。
「中々のパワーワードだね」
サングラスの下でヘーゼルの瞳は愉快に笑っていた。
「ありがとうね、僕の誘いに付き合ってくれて」
「いや、礼に及ばん」
紅色に染まる公園にて、二人はベンチに腰掛けていた。
紅葉をしたい、という白秀の願いから催された鑑賞会は思いの外、晶にとって心地良かった。金木犀の香りを運ぶ風の音も、甘やかに漂う香りも全てが心地良い。
「やっぱり日本っていいね」
そう言って白秀は伸びをする。
今日は平日の為か、人通りも少なく、心安らかな時を過ごせている。
晶は秋晴れの空を仰いだ。
「年を重ねるにつれて、こうしてただ自然を慈しむ時間がどうしようもなく愛おしい」
「同感だね」
白秀は朗らかに頷いた。そして、一息つくと言った。
「近々、パリに帰るよ」
いつの間にかヘーゼルの瞳は露わになり、真っ直ぐと晶の瞳を見つめていた。
「僕はね、君に恋していたんだ」
涙液が増してるわけでもないのに、その瞳は切なく揺れていた。
「君は僕に恋していた?」
晶は俯いた。
「俺は…」と口籠る。真実も偽りも口に出来ない。
白秀は微笑し、口にしなくて良い、と言うように首を振った。固く閉じたその口が答えを示していた。
「うん、知っているよ」
気の利いた言葉が出ない晶は眉を寄せる。
「君は今、恋してるんだね。悔しいけれど、こればかりは仕方がない」
渚くん、と柔らかな声が耳を撫でた。
「僕は君を愛しているよ。だから、君の幸せを願ってる」
「…ああ」
「何をそんなに照れているんだい」
白秀は顔を赤く染めた晶に首を傾げた。その理由を分かっているにも関わらず、問い詰めたくなる、白秀の悪い癖だ。
「あまりにも言葉がストレートだからな…」
晶はわざとらしく咳き込んだ。そして、心を決めたように背筋を伸ばし、白秀を見つめる。
「俺も、お前があっちで上手くやっていく事を願ってる」
期待外れな答えだ、と呆れる様にヘーゼルの瞳がぐるりと回る。
「君、漱石以上に遠回しだね」
白秀はサングラスを掛け直しながら、白い歯を覗かせた。
***
「げっ!」
一樹はガマガエルの様な声を洩らした。しかし、即座に口に手を当てた。一樹の失態を初めから責める気がない男は屈託のない笑みを浮かべている。
「やぁ、おかえり。一樹くん」
白秀は余裕綽々とした顔つきで、手を振った。
夜の帳が下りる頃。
文化祭準備を終えた一樹は晶の家を訪ねた。いつもの様に玄関口まで駆けてくる晶の姿に、ほっと胸を撫で下ろすのも束の間。
その後ろから緩やかな歩行でやってくる男の姿に、思わず眉を寄せた。
「この前はごめんね。意地悪したくなったんだ」
ねぇ、一樹くん、と白秀は目を合わせようとしない青年をじっくりこってりと見つめる。一樹は頑なに目を合わせようとしない。
「なんで…いるんですか…」
白秀は頬杖をつきながら、
「僕が渚くんを襲ってないか、心配だった?」と艶かしく笑う。
「…別に」
素気ない返事とは裏腹にふっくらと膨らませた頬から真意が溢れている。
白秀は、大丈夫だよ、と囁く。
「彼、相当きみにぞっこんらしいから」
「白秀さんに言われなくても…知ってるし…」
一樹をぼそぼそと口を尖らせながら言う。白秀へ対抗心を微かに燃やしているのだ。
「君、まるで室内犬の様に、うちに秘めた牙を持っているね」
白秀は唸る犬を脳裏に浮かべ、目の前の青年と重ね合わせると、頬を緩めた。ふと、白秀は一樹へ迫る。
「それより、どう。モデルの件、考えてくれた?」
一樹は急に目の前にやってきた端正な顔立ちに、ふいっと顔を晒す。その美しさが返って恐ろしいと感じたのだ。
しかし、一樹は白秀に怖気づくわけにはいかないと思ったのだろう。
「もう、白秀さんのイジワル、効かないもんね!」
と舌を出し、抵抗してみせた。すると、白秀はぐっと一樹に顔を寄せ、ふわりとした髪を抑えながら言う。
「一樹くんのその牙、抜いてあげようか」にっこりと綻ばせた顔。その目は笑っていない。一樹はまるで牙を抜かれた様にゾッとした。
「止めろ、白秀。からかうな」
そう言って、晶は一樹と白秀の間に割り込み、二人を引き離す。
「おじさん…」
一樹は
白秀はからからと笑った。
しばらくして、笑いが枯れると一息ついて白秀は言った。
「じゃぁ、僕はお暇するよ」
その言葉に内心ホッとした一樹は、次こそ顔に出さず、静かに頷いた。
「一樹くん、彼のことよろしくね」
白秀は晶の背に隠れる様にして見送りする一樹に一言呟いた。まるで、人見知りする子供の様な警戒心である。
「白秀さんの心配、ご無用だから!」
一樹は強気な事を口にするが、晶の背中にぴたりと身を寄せていた為、白秀も晶もそのチグハグに笑った。
白秀が帰った後、家に漂っていた甘やかな香りは薄らいだ。しかし、微かな彼の香りに一樹は眉をひそめる。
――おじさんは何も思わないの?
「ん?」
晶は袖が引かれていることに気づいた。振り返ると、一樹の指先が袖を摘んでいる。
俯いた顔に「どうした」と問う。
「おじさんの胸に埋まりたい…」
晶は眼をハッと見開いた。以前行ったハグは仲直りという口実があってのもの。今、一樹が求めるハグはそれと言った理由がない。
そう思った晶は戸惑った。
しかし、そんな事お構いなしに一樹は晶の胸に抱きつく。突然の事に晶の鼓動は加速した。
一樹は、深くゆっくりと晶の匂いを肺に満たす。白秀の様な人を惑わす甘やかな香りではなく、爽やかで心地良い、そっと身を寄せていたくなる香りだ。
しかし、その香りはどうしようもなく、独占欲を掻き立たせる。
一樹は顔を上げた。とろりとした眼差しが晶に語りかける。
――キスしたい。
一樹の心の声を聞いた晶は咄嗟に身を引いた。
「意気地なし…」
ぼそりと溢された言葉はチクリと胸を刺した。
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