【番外編】梅雨の日

 俺はよくトイプードルみたいだと言われる。まぁ確かに人懐っこいし、生まれつき髪も茶色い。さらに特徴的なクルクルとした髪質。

 街でトイプードルを見かける不思議と視線が交わるのは気のせいではない様な気もする。鏡を見て自分でもそう思うけど。

 けれど、雨の日が続く梅雨なんかはこの特徴的な髪のうねりはひどくなる。

「うーん、まとまんない」

 洗面所の鏡に写るクルクルとした髪の毛に嘆き声しか出ない。晴れの日であれば、ワックスで整えるとあたかもパーマをかけた様なおしゃれになるのに、雨の日は手がつけられないほどにどうしようもなくなる。

「恨めしい…梅雨…」

 毎年この時期は悩ましい。鏡越しで険しい顔をしていると、

「一樹、先に私出るけど〜」

 何食わぬ顔で母ちゃんが顔を覗かせた。俺の髪にちらりと目配せてクスリと笑う。

「母ちゃん今、笑ったでしょ!」

 振り返ると母ちゃんは顔を晒す。

「ごめんごめん、クルックルだからさ」

 母ちゃんは笑いを堪えながら言う。しかし、口端から笑みが溢れているのだ。人がこんなにも苦悩しているのに。

 実を言うと、俺の癖毛は母ちゃん譲りだ。けれど今、目の前にいる母ちゃんはさらりとしたストレートの髪をなびかせている。

 昔は雨の日、二人肩を並べて鏡の前に張り付いていたのだが、いつの日からか、俺だけが鏡と睨めっこしている。

「母ちゃんも癖毛だったよね?」

 そう聞くと母ちゃんは「ああ〜」と言葉を洩らす。

「私、縮毛してるから」

 いかにもドヤりとした表情で言った。

「へぇ、縮毛…」

「一樹もやってみたら?」

 朝が楽よ、と母ちゃんは後押ししてくる。確かに、一度試す価値はあるかも知れない。自分の髪の毛がストレートヘアになる。トイプードルがミニチュアダックスフンドに…?想像しただけで心躍った。

「うん!やろっかな!」

 鏡に写る俺の瞳は縮毛に期待を込めてキラキラと輝いていた。


 学校に着くと廊下は雨のせいで湿気が増し、少し気持ちが悪い。 髪に触れると案の定、鏡の前で格闘した痕跡もなし。

「一樹おはよう!」

「あっおはよう〜」

 二組の浅野さんと見山さんだった。高一の時に同じクラスになった仲良し二人組の女の子だ。とても明るくて、こうして別のクラスになっても顔を合わせると話しかけてくれし、俺からも話しかけやすい親しみやすさがある。

「雨の日最悪だね〜」

 髪を抑えながら言うと二人も同じ様に髪を触りながら、

「マジ最悪。巻き取れたもん」

「今から直しにいくの〜」

 ふと視線を落とすと持ち運び用のヘアアイロンを手にしていた。

「俺もアイロン使えばストレートになる?」

 そんな疑問を口にすると、二人は顔を見合わせて、笑った。

「一樹はトイプーのままがいいよ、似合ってるし」

「そうだよ〜、うちの子そっくりで可愛いよ?」

「本当に?」

 うん、と二人は口を揃えて頷いた。そう言ってもらえるのは凄く嬉しい。けど俺は縮毛をかける気満々なのである。

 二人の驚いた反応を見たいからそれは秘密にしておこう。


 教室へ着くとさっそく悠真を見つけた。

「悠真、おはよう!」

「おう、一樹おはよう…って相変わらず雨の日は髪が凄いな」

 悠真は俺の髪を見るなり感嘆とした。家では完璧に整えたのに。やはり学校に向かう間、雨風に煽られた結果、努力は流されてしまったらしい。惜しげに髪を抑えた。

「これでも長期戦だったんだよ?」

 泣きそうになりながら言うと悠真は、すまんすまん、と苦笑する。情けをかける悠真に俺は、

「けどね、実は縮毛をかけようと思ってるんだ」

 ドヤりとした顔で言ってみた。

 すると、悠真は目を丸くした。そして自分の手のひらと俺の髪を交互に見遣った。無表情ではあるが悩ましげだ。

「悠真?」

 首を傾げ、悠真の顔をじっと見つめた。

 しばらくして、悠真は凛々しい眉を持ち上げ、にかりと笑った。

「良いじゃん!髪の毛ストレートな一樹も見てみたいわ」

「お、おう!」

 果たしてあの一瞬の間は何だったのだろう?けれど、悠真は俺が縮毛をかける事に賛成してくれる様だ。

 昼休みに美容院の予約をしよう。


 放課後、相変わらず空は雨模様だ。

 おじさんの家へ入る門を抜けると玄関口まで敷石の道がある。左方には紫陽花が咲いており、カタツムリがゆったりと雨の道を楽しんでいた。

「おじさーん、ただいま」

 傘の水気を落としながら声を上げると

「一樹、おかえり」

 おじさんはタオルを手に持って玄関まで迎えに来てくれた。こうしたおじさんの思いやりある行動が好きだ。俺は嬉しくて笑みが溢れた。

 ふと、おじさんの髪をまじまじと見つめた。

 何だか、いつも以上にぺったりとしたストレートな髪だ。

「なんか、おじさん」

「なんか、一樹」

「「寝起きみたい」」

 おじさんと俺は目を丸くした。そしてすぐに顔を見合わせ、笑った。きれいに声が重なった事とお互いに考えている事が同じで少し気恥ずかしい。

「俺、おじさんの猫毛羨ましいなぁ」

 艶のある黒に真っ直ぐな髪の毛。自分と真逆の髪質に憧れがある。まさしく理想的だ。

 けれど、おじさんは納得いかないように眉をひそめた。

「そうか?動きも何もないからつまらないぞ」

「ええ〜、楽でいいじゃん」

 おじさんからタオルをもらい、濡れた箇所を拭きながら言うと

「俺は一樹の髪が好きだ」

「え?」

 おじさんは恥ずかしそうに顔を晒しながら言った。

「え?え?今なんて?」

 ――好きだ。

 おじさんにもう一度その言葉を言わせたい。

 俺はしつこいくらいにおじさんに迫った。するとおじさんの切長な目がゆらゆらと揺れる。

「ほらあれだ、トイプードルみたいで撫でると気持ち良いんだ」

「本当に?」

「ああ」

 念を押すと、おじさんは頷いた。俺に振り回されて、辿々しくなるおじさんが可愛い。

 俺はおじさんの手を掴みながら

「もっと撫でてよ」

 上目遣いに動揺する瞳を見つめた。おじさんは困った様に笑った。

 してやったりな笑顔を浮かべていると

「わぁっ荒いって」

 おじさんはくしゃくしゃと俺の髪を撫でた。こうした不器用な愛情表現も好きだ。ふと、俺は聞いた。

「俺、ストレートヘアも似合うと思う?」

おじさんは考える様に押し黙った。けど、すぐに

「一樹なら似合うよ」と微笑んだ。

「ふ〜ん」

 ―― 俺は一樹の髪が好きだ。

 その一言が脳裏で幾度も繰り返される。

 俺はやっぱり縮毛するのをやめた。おじさんが好きだと言う、このふんわりクルクルした髪の毛を大切にしようと思った。

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