第27話 寂しかった


「お久しぶりです、天城先輩!」


 文化祭一日目。

 中華喫茶のビラ配りをしていたあたしは、そう声をかけられ横へ視線を流した。


 ひらりと揺れるツインテールが特徴的な、真白の一つ下の妹。

 美墨ちゃんがそこにいた。


「あ、久しぶりー。文化祭、来てたんだね」

「はい。来年ここ受験する予定なので、色々見ておこうかなって」


 会ったついでにチラシを渡すと、美墨ちゃんは「あとで行きますね」と受け取ってくれた。


「……あのさ、あれから大丈夫?」

「大丈夫とは?」

「スマホに細工して、すごく怒られてたし。仲悪くなってたら、どうしようって……」


 十月の一件から、あたしはずっとそのことが心配だった。

 美墨ちゃんからの連絡はぱたりと途絶え、真白も美墨ちゃんの話題を出さない。あたしに何か非があるとは思えないが、もし仲がギクシャクしてしまったなら責任を感じてしまう。


「全然大丈夫ですよ。天城先輩がいないとこで、たまに会いに行ったりしてますし。あれこれ手を尽くして、兄の周りの情報収集もやってますし」

「そ、そうなんだ」


 美墨ちゃんのこの執念と調査能力は、一体どこから来るのだろう。お姉さんはスマホに細工するほどのパソコンの知識があるし、真白は真白で高校生離れした家庭スキルがあるし、佐伯家は一芸特化の一族なのだろうか。


「それにしても……天城先輩、めちゃ可愛いですね。うちの兄は、どうしてこれでも落ちないんでしょう……」

「たぶんだけど、真白も色々慣れちゃったんだよ。あたしも最近は、落とそう! って感じで接してないし」

「そんなのダメですよ! 引いてもダメだったんですから、前以上に押せ押せじゃないと! 恋愛は押したもん勝ちなんで――」

「あ、みっちゃんじゃん。来てたんだ」


 黒のパンツに黒のワイシャツ。レストランのホールスタッフのような服を着たイケメンが話しかけてきた。

 誰かと思ったら武市だ。クラスも違うため真白と仲のいい人、という印象しかないが……こうして改めて見ると、本当に整った顔をしている。女を落とすために生まれきたみたいな顔だ。


「た、たけひへんぱいっ!!」


 みっちゃん、とは美墨ちゃんのことらしい。

 武市のことが好きだという彼女は、声にならない声をあげて今にも倒れそうなほど仰け反る。あたしに恋愛哲学を説いていたのに、彼女の顔には余裕が一つもない。


「真白、頑張ってるからさ。食べに行ってあげてよ。ちょっと並ぶけど」

「は、はい! 行きます! 行かせていただきますです! はい!」


 武市から受け取ったチラシを抱き締め、半狂乱で言葉を並べる。

 アイドルの握手会に来た熱狂的なファンみたいで、ちょっと面白い。


「……ほら、美墨ちゃんも攻めの姿勢見せないと。武市、誰かにとられちゃうよ」

「無理に決まってるじゃないですか……! わ、わたしと天城先輩を一緒にしないでください……!」


 小声で話しかけると、美墨ちゃんは顔を真っ赤にして慌てふためいた。

 余裕がなくなった時の顔が、真白にそっくりだ。可愛い、もっと弄っていじめたくなる。


「えっと、それじゃわたし、さっそく行ってくるので!」


 と、美墨ちゃんは走り去ってしまった。

 あたしと武市は彼女の背中にひらひらと手を振って、見えなくなったところで顔を見合わせる。……知り合いの知り合いに会った時の、この妙な気まずさは何なのだろう。


「悪ぃな、天城。俺らで真白のこと、独占してて」

「ぜ、全然いいよ! 真白が自分でやりたいって言ったことだし!」

「いやでも、マジでびっくりしたよ。あいつ、暇な時間できたら抜けさせてくれって言うからさ。その時間分の給料はいらないって。……一応聞くけど、まだ付き合ってねぇんだよな?」

「それは……うん、そうだね」


 昨日言っていたことを本当に実行してくれたらしい。

 チラシで口元を隠して、頬を緩ませる。


「まあでも、安心したわ。あいつ実家の文句色々言ってるけど、何だかんだ一人じゃダメになるタイプだしな。勉強だバイトだで辛そうだったけど、ここ最近は楽しそうにやってるし」

「へ、へー。そう、なんだ」


 武市と真白の付き合いは相当長いらしい。

 そんな彼が言うなら、きっと間違いない。


 ……どうしよう。すっごく嬉しい。

 あたしがいるから、真白が楽しそうにしてるなんて。


 真白自身、楽しいとは言ってくれるけど、それは本人の感想でしかない。でも他人から見てもそうってことは、つまり本当にそうってことだ!


「俺、あいつには言ってないけど、ぶっちゃけ天城の味方だから。困ったことがあったら言ってくれよ、実家にぶち込むの手伝うからさ」


 そう言って、拳を突き出す。

 あたしはそれに応えて、ニシシと笑い合った。



 ◆



 文化祭一日目が終了した。


 体力に自信はあったが、八つのコンロを一人で回すのは流石にやり過ぎだった。

 しかも、用意していた二日分の食材は今日で全て使い切り、パスタ一本も残っていない。

 予想以上に客が入ったのは嬉しい誤算だが、このまま明日も身体がもつか疑問である。


「あっ、いたいた! 探したんだよー!」


 外のベンチに寝転がっていた僕は、聞き知った声に閉ざしていた瞼を開けた。

 そこには、制服姿の天城がいた。小走りで近寄ってきて、「お疲れっ」と僕の身体を軽く叩く。反応したいところだが、口も身体も言うことを聞かない。


「ちょ、ちょっと、大丈夫?」

「……あぁ、うん。悪い、今起きて、座るとこ空け――」

「いいっていいって! 勝手に座るから!」


 勝手に座る?

 言葉の意味がわからず動かないでいると、彼女は僕の頭を持ち上げて、自分の太ももを滑り込ませた。……いわゆる膝枕の状態。抵抗したいところだが、バカみたいに気持ちいい。このまま寝ろと、心の中の僕が囁く。


「……お、怒らないの?」

「今日は無理。マジで疲れてほんと動けない」

「へ、へぇー。そっかそっか、そーなんだー。ふーん」

「……変なことした時は、あとでちゃんと怒るからな」


 不穏な空気を察知し、先に手を打っておく。

 膝枕くらいはいいだろう。僕が寝ているのが悪いわけだし。


「お店、どうだった? たくさん売れた?」

「……このペースなら、二日間の売り上げでこの学校始まって以来の記録出せるかもってさ。今サッカー部のやつらが、計算したり食材買いに走ったりしてくれてる」

「やば! やっぱ真白はすごいね! メチャ並んでたから、あたし食べに行けなかったもん!」

「すごいのは、サッカー部のやつらだよ。とんでもない数の客呼び込んで、ちゃんと手抜きせず捌いてたんだから」


 客席が足りないことは予測できていたため、テイクアウトにも対応できるようにした。

 結果、どちらもパンク寸前まで客が押し寄せ、接客がかなり大変だったことは容易に想像できる。それでもちゃんと、自分たちのクラスの仕事をしつつこっちもこなしたのだから立派だ。


「他の人もすごいだろうけど、今あたしは真白を褒めてるの。すごいすごい、よく頑張ったね」


 そう言いながら、杏奈は僕の頭を撫でた。

 疲労のせいもあって、彼女の手の感触で涙が出そうになる。


「そういえば、美墨ちゃんが来てたよ」

「あー、みたいだな。忙し過ぎて会えてないけど。僕のこと、何か言ってたか?」

「真白の情報収集、まだ続けてるってさ。どういう方法かは知らないけど」

「あいつ、ほんとに懲りないな……」

「お兄ちゃんが大好きなんだね」


 「そういうんじゃないって」と返した僕の頬に、杏奈がそっと手のひらが重ねた。

 金色の髪が、僕の顎や額を撫でる。青い瞳の奥に淡い熱を揺らめかせながら、僕の瞳を映す。



「あたしも大好きだよ。……会えなくて、寂しかった」



 そう唱えた口で笑みを描いて、優しく僕の頬に触れた。

 甘い響きに十秒ほど酔ったところで、ふっと正気に戻り目を逸らす。


「会えなくてって、いつも顔合わせてるだろ」

「今朝は料理の仕込みがあるからって、一人で早めに行っちゃったじゃん。……そういうのでも、仕方ないなってわかってるけど、寂しくなっちゃうんだぞ」


 と言って、ささやかに唇を尖らせた。

 正直、面倒くさいなと思った。……でも同時に、少し嬉しい。当たり前になっていた二人で学校へ行くという行為が、杏奈の中では今でも特別だったことが。


「明日、早起きできるか」

「え?」

「……杏奈さえよければ、一緒に学校行こうかなって。仕込みついでに、朝食作ってやれるし」

「うん、行く行く! 何時でも起きる!」

「寝坊したら置いてくからな」

「今夜は真白と一緒に寝るから平気だよ」

「いや寝ないが」


 ヘヘヘと悪戯っ子のような笑みに当てられ。

 僕の疲労は、いつの間にか泡のように弾けて消えていた。





(あとがき)


 明日からは、18時投稿に変更します。


 また、たくさんのレビュー、応援ありがとうございます。

 カクヨムコンの締め切りまであと少しなので、精一杯頑張ります……!

(2022/1/24)

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