第一一〇話 決闘(デュエル)

「新居 灯……この世界の剣聖ソードマスターよ、我の名はテオーデリヒと申す」


 目の前のテオーデリヒと名乗る虎獣人ウェアタイガーは黄金と漆黒に彩られた美しい毛並みを持っており、恐ろしく巨躯だ……上半身も下半身も恐ろしく筋肉が発達しており、力勝負になれば絶対に勝てないだろうと思わせるだけの圧力を感じる。

 そして、驚きなのが毛並みに一切傷がない……戦いを好む戦士というのは多かれ少なかれどこかに傷跡のようなものを持っている。

 前世のノエルも肉体の色々なところに傷跡があり、それは勲章のようなものとして自慢をしていたはずだ、私は現代に生きる女子高生として、傷跡が残らないことを優先しているが、それでも各部に細かい傷跡のようなものは残っており、お風呂のたびに悲しい気分になるのは致し方ないところなのだ。

 それでも彼の肉体には目立った傷がない……つまりはそれだけ戦闘巧者か、そもそも戦闘をしていない……それはないな、圧倒的な威圧感が後者の可能性を否定する。

「先輩を返してください、私を呼び出すのであれば先輩を痛めつける必要はないですよね?」


「そうだな、だがお前は『私と戦おう』と誘ってもここへは来やしないだろう? それとな、青梅は私としても素晴らしい素質の持ち主だと思っている。強かったぞ、以前よりも格段に。あれは素晴らしい素質だ」

 テオーデリヒは満足そうな笑みを浮かべて、障壁の外でオレーシャに支えられてこちらを見つめている先輩を見ている……先輩は治療を施されたのか目立った怪我などはしていないが、私の顔を見て本当に悲しそうな、そして何かを言いたげな顔をしている。

 私は、先輩に優しく微笑むと安心してほしい、という意味を込めて頷く……涙が出そうだ、彼が無事だったというだけでもここに来た甲斐はあるのだから。

「……でも彼を痛めつけることはないでしょう……私はあなたを許せない……」


「グフフ……いいな、お前の殺気は心地よい。だが待て、物事には順番があるのだ」

 鞘に入ったままの日本刀の柄に軽く手を当てて私は身構える……言いようのない怒りと、憎しみと殺気を込めて私はテオーデリヒを睨みつけたままだが、彼は満足そうに笑ってまだ待てと言わんばかりの仕草で私に手を振る。

 そして障壁の外に目をやる……なんだ? 何を始める気なんだ……。

「さあて! 本日お越しの紳士淑女、そして魔物の皆様……お待たせいたしました! 準備が整いましたぁ!」


 KoRJに侵入してきたララインサルの声が響く……どこにいるんだよ、と思って周りを見ると一際高い場所にわざわざタキシードのような服装でマイクを握って笑顔を浮かべている。

 その声に反応して、観客席に座っているさまざまな人種の感性が一気に大きくなる……まさに怒号と言っても良いかもしれない、身体中がその怒号によりビリビリと振動している。

「本日のメインイベント……我らが魔王様が配下……獣王テオーデリヒと可憐な少女……現代の剣聖ソードマスターとの一騎打ちを始めますっ!」


「な、何なの……これは……殺し合いなのよ……?」

 その宣言とともにより一層この闘技場が揺れる……唖然とした顔で周りを見渡す私に向かって、観客たちが盛り上げろと言わんばかりの歓声をあげている。

 テオーデリヒはその歓声に答えるかのように、大きく咆哮して両手を振り上げ……より一層観客のボルテージが高まっていく。障壁の外でもエツィオさんとリヒターも困惑した顔で周りの観客を見ている。

「なお、この戦いは録画禁止でーす! どちらが勝つにせよ、刺激的な映像が外部に流失するのを避けたいのと……年端もいかない少女のアイデンティティを守るためですから〜、だから無許可で撮影してる人は今殺しちゃいますね!」


 ララインサルの声とともに、観客席の一部から悲鳴が上がるが……熱狂した歓声にすぐにかき消されていく。どうやらララインサルがいうところの無許可で撮影を行っていた不届き者が殺されたようだ。それはそれでありがたいが……なんて野蛮なイベントなのだろう。

 テオーデリヒは私に向き直ると、改めて私に向かって微笑む……まるで猛獣が獲物を見るかのような視線に背筋に冷たいものが走る。

「安心しろ、お前が死んでもそれは事故として扱われる……それはここにきている各国のお偉方とも調整済みだ。もちろん……私を殺してもお前に罪はない」


「……約束をしてほしい、戦いに負けて私が死んでも一緒にきた彼ら、そして先輩を必ず無事に返すって」

 私は構えを解いて、テオーデリヒの目を見つめる……彼は少し考えたのちに頷くが、少し彼の目が悲しそうな色を帯びており、少しだけ残念そうな表情で口を開いた。

「承知した、約束しよう……だが、お前は一つ思い違いをしている……戦いに負ける、などと考えるものは私に勝つことはできぬぞ」


「安心しなさい、私は必ず勝つから……負けるのは貴方よ」

 私は再び構えをとって全身に力を込める……そうだ私はみんなと一緒に日常へ帰るのだ。先輩に色々話したいことだってあるし、お願いしたいことだってある、もっと彼の笑顔を見たいのだ。

 再び殺気を込めた私の視線を受けて、テオーデリヒが大きく笑うとララインサルに何か合図を送る。その合図に大きく歪んだ笑みを浮かべたララインサルがマイクを握り直して宣言を始める。

 その宣言に合わせて、観客たちが足踏みをして……闘技場自体が大きく振動を強めていく。

「では! この世界と異世界の戦いを開始します! どちらが勝つのか……現在のオッズは獣王が九、そして剣聖ソードマスターがたったの一です! みんな案外現実的ですよねー……それでは、殺し合いの開始ですッ!」


「ミカガミ流……刹那セツナ!」

 宣言とともに私は一気にテオーデリヒとの距離を詰める……その超高速移動を見て、観客席から歓声が上がる。それはそうだろう、この世界では私ほどの身体能力を持っている人間など普通見れないからだ。

 私は刹那セツナ……高速移動からの居合切りを繰り出すが、テオーデリヒはその場所から動こうとしない……殺せる……! 私は全力で居合抜きでテオーデリヒの胴体を斬り裂く。


「……ぬるいな、本気か?」

 いや切り裂いたつもりだったがテオーデリヒは私の超高速斬撃を……刃先を指でつまむようにして受け止める。その位置から微動だにしない日本刀。

 嘘だろ?! 私は全力で……全く押し込むことのできない攻撃を見て私は歯を食いしばって振り切ろうとするが、そんな私を尻目に、テオーデリヒは刃先を押し返す。私は刀を回転させて再び少し腰を落とした構えをとって身構える。

「では……まずこれを避けてみよ」


 彼が放った一瞬の殺気で私の全身が総毛立つ……私は咄嗟に大きく後方へと飛ぶが、それまで私がいた場所を轟音を上げてテオーデリヒの蹴りが通過する……。

 まさに一撃必殺と言っても過言ではない凄まじい攻撃……攻撃が当たらなかったことを見て、おや? と言わんばかりの顔でこちらを見ているテオーデリヒ。

「ふむ……私の予想よりも動きにキレがあるな……これは当たらんのか」


「……何あれ……ドラゴンが可愛く感じるわ……」

 私はこめかみに冷たい汗の感覚を覚えて軽く拭う……構えた日本刀の刃先が震える。震える手を押さえて、歯を食いしばる。だめだ私がここで負けたらテオーデリヒは約束を守るかどうかわからないじゃないか。

 ふと先輩を見ると、私をじっと見つめて……今にも泣き出しそうな顔をしているのを見て……私は改めて気持ちを入れ直す。

 テオーデリヒはそんな私を見て、ぐふふ……と唸り声をあげる。

「本気を出せ……あの攻撃を繰り出して見せろ……お前の手で私を殺してみせるのだ!」




「くそっ……始まってしまった……」

 障壁をなんとかしようとしていたエツィオが目の前で始まった戦闘を見て膝をつく……新居 灯の戦闘能力は高いが、あの虎獣人ウェアタイガーの異様さ、猛々しさは異常だ。

 一度大きく手を振り上げて障壁を叩くが、衝撃は波紋となって薄く減衰され消えていく。

「もはや我々には見ているしかできない……新居が勝つことを祈ってな……」


「で、でも……あの子が負けたらどうするの?!」

 リヒターの言葉に思わず素に戻ってしまうが……リヒターは首を振って、戦いの様子を見守っている。不利なのはわかっている、体格、膂力、そして戦闘経験全てがテオーデリヒに勝てると思えるものはない。

 だが……新居 灯の中にある何か、あの狼獣人ウェアウルフを惨殺した時のあの何か、が目覚めればあるいは。

「新居は正直本気で戦えていない、と私は思っている。あいつは優しすぎる……この世界の常識に慣らされすぎていて、全力を出し切っていないはずだ」


 底冷えするような圧倒的な実力、そしてエツィオやリヒターの目にすら何が起きたのかわからなかったレベルの剣技……あの剣技が繰り出せれば確かに新居 灯の方が有利なのかもしれない。

 エツィオはそれでもあの時に彼女から言われた一言を思い出し……強烈な不安感を掻き立てられる。


『体は任せる、起きたら優しくしてやれ……頼んだぞ』


 あの時彼女……いやあの存在はあの時そう言っていた。体……つまり新居 灯の体は本人のもので、魂というか中身が違っていたのいたのだとしたら? 

 テオーデリヒに惨殺される新居 灯の姿を想像して……心が冷える。そんなことはさせない……彼女を助けなければ。

 エツィオは再び障壁へと魔力を集中させていく……。そんな彼の姿を見ながらリヒターはカタカタと骨を鳴らして赤い目を煌めかせる。


「決してやらせない……本当に危ない場合は私が彼女を助けなければ……」

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