第一〇九話 闘技場(コロセウム)

「素晴らしい……素晴らしいよ……感動で身が震えるとはこういうことか」


 テオーデリヒは獣人親衛隊の最後を水晶で見ながら、感動に打ち震え、凄まじく獰猛な笑顔を浮かべて笑う。あの女剣士は……剣聖ソードマスターだ。

 もう異世界では絶滅した……本物の剣聖ソードマスター、そして勇者を護り、支え、共に戦う英雄チャンピオンとしての最高到達点……それが目の前にいる。

 感動で涙が止まらない……このどうしようもなく、くだらない世界に来て、自分はついに命をかけたやりとりをできるのだ。

「ああ、はち切れそうだ……なんて素晴らしいんだ……この世界に来て、最高の戦いがこれからできるのか……」


 興奮と感動で彼は意図せずに虎獣人ウェアタイガーの姿になってしまう……これから本気で殺しあえるのだ。

 異世界で自分に立ち向かってきた剣士は全て紛い物だったのだ、私は今自分の人生で最も強い剣士を相手に本気で戦えるのだ。

 あの攻撃……多重分身攻撃パラレルアタックだと思うが、異世界で見た剣士はあんな攻撃を繰り出すことができていなかった。そして、水晶越しではあの攻撃の全容が全く掴めない。


「……ああ……あの攻撃を受けて……喰らいたい……それにより私はもっと強くなれる……オレーシャ聞こえるか?」

 テオーデリヒは興奮のままに近くにあった家具を粉々に破壊すると、自ら彼らを出迎えるためにオレーシャへと水晶で連絡を入れる。一回で出ないと言うことは……何かしているな。繰り返し何度目かの呼びかけの後、オレーシャが水晶による通信を開始した。

 どうやら……青梅を相手に何かをしているところなのだろう……周りの様子は見えないが、さまざまな音と息づかいと……そして啜り泣くような嗚咽が聞こえる。

「ハァ……どうされましたか? テオーデリヒ様……今良いところでして……ンッ……」


 興奮したような艶かしいオレーシャの声で、テオーデリヒは内心やれやれ……と先程までの気分を台無しにされた気分になったが、気を取り直してララインサルが救助してきた女淫魔サキュバスに命令を下す。

「お楽しみのようだが……十分楽しんだだろう? オウメを闘技場へ連れてこい」

「……もう来てしまうのですか? 残念……承知いたしました。ほら……オウメいくわよ、メソメソしないの」

 本当に残念そうな声で言葉を返すと、オレーシャは承諾し……何やらゴソゴソと音を立てる。その向こうで嗚咽を漏らす者がいる……何をしたんだ? テオーデリヒは通話の向こうで起きたことはあまり想像しない方がいいな、と判断し通信を切る。

「何をやっているんだ……あいつは……」




「これが最後の扉になるんですかね?」

 目の前に現れた巨大な扉を前に私たちは立っている。何度も足が震えて逃げ出したくなる気持ちを抑えて、ここまでなんとか来れた。

 リヒターはあれから、一言も言葉を発そうとしなかった……私に失望したのかもしれないな……あれだけ弱音を吐いた私を見たら仕方ないかもしれない。

 エツィオさんは何やら私に気を遣って……色々話しかけてくれているが、その全てがどうも上滑りしているというか……あまりに関係のないことを話し続けてリヒターに睨まれていた。

「そうだな……テオーデリヒがお前のあの技を見たとしたら……確実に一騎討ちを狙ってくるだろう。もう一度聞くが……戦えるか?」


 リヒターが久々に口を開いた……赤い眼を煌かせて、かなり真剣な表情であることがわかる。私は……少し逡巡してしまうが、軽く頷く。

 自信は正直いえば……無い、心の奥底では恐怖感が首をもたげている。泣いて逃げ出してそれで許されるのであれば私はそういう選択肢をとるかもしれない。

 そんな奥底の考えを見透かしたかのようにリヒターは少しの間私を見て、何も言わずに扉の方へと視線を向けてそれ以降私を見なくなった。

 エツィオさんは私の顔を見て……少し眼を潤ませて急に私を抱き寄せてそっと抱きしめる。

「死んじゃダメよ……私と一緒に美味しいマカロンのお店に行きましょう」


「先生……いやエツィオさん、ありがとうございます」

 私は彼の抱擁に少しだけ驚くものの、心配しているんだな……と理解して何も言わずに微笑む。最初はあんなに嫌な人だと思ったけど、この人は本当にいい人だと今では思う。私とは逆の複雑な生を生きていて……強くて、クールで、そして優しいと思う。

「逃げちゃってもいいのよ? リヒターはああ言っているけど……本当はあなたのことを心配してるんだし」


「し、心配なんかしておらんぞ。俺……ああ、もう……私は不死の王ノーライフキングだ。新居が死んだら死体は有効活用させてもらうだけなのだ、わかったな」

 リヒターがエツィオさんの言葉で急に慌てて否定を始める……そっか見捨てられたというよりは彼自身が心配でそれ以上言えなくなっただけなのかもしれないな。私は少しだけ気が楽になって、微笑む。

「リヒター……ありがと」


「お礼など言われる筋合いはないし、お前はこの後死ぬかもしれないからな。死体の受け取りは私が行うだけだ、それだけだぞ」

 リヒターはそっぽを向いて……フン、と鼻を鳴らす。よく考えると彼との付き合いもそれなりに長くなってきた気がする。不死の王ノーライフキングだって言っても彼は前世でノエルが遭遇した不死の王ノーライフキングとは違っていたな。

 少しだけ気が楽になった……私は死にたくない、でも戦うことを拒否して逃げ出して……それで私の本当に大切な人に被害が出たら……私は絶対に逃げたことを後悔するだろう。だから……今戦う、絶対に逃げられないから。

 私は扉に手をかけて……ゆっくりと開けていく。

「開けますね……」


 扉の先は広大な空間だった。それはまるで現世で勉強した中世ローマの闘技場のように円形の大きな場所であり、観客席には数多くの人間や、人間ではない何かが座っている。

 私たちが姿を見せると観客たちは大きな歓声をあげて……私たちを迎え入れる。前世での記憶で、こういった闘技場へと赴いた記憶がある。

 若かりし頃のノエルが闘技場での戦いに身を投じた期間は非常に短い。

 彼は数回出場した後闘技場から姿を消した……それはなぜかというと、真剣な命のやりとりを観客に見せるという行為が彼自身の矜持を傷つけたことと、借金の返済がそれだけでできてしまったため出場する理由がなくなったらしい。


『俺の剣は見せ物じゃねえし……金返したからいいだろ』


 ノエルはそう言って闘技場を後にしている。戦績は全戦全勝……圧倒的な強さで勝利したものの、それまでの賞金を借金返済に充てた後は関わろうとしていなかった。

 彼の能力を高く評価していた貴族や富豪は何度も勧誘を行なっていたようだが、結果的に彼は勇者ヒーローパーティに戻ると最後の戦いで亡くなるまで足を運ぶことはなかった。

 なお、闘技場に出場した経緯は……娼館遊びが過ぎて路銀を失い、シルヴィさんにもめちゃくちゃ怒られて自分で返済する羽目になった、というのは実に彼らしいところか。

「お、思い出しただけ無駄な知識ね……」


 頭が痛くなってきたところで、私たちは身を震わす大歓声のなかを歩いていく。人間は……どうも各国の富豪や政治家なども混じっているようで、私を見てねっとりとした視線を送ってきてくるのが実に苦痛だ。

 古代ローマなどでも存在した闘技場と似たようなスタイルだが、中央の広場には巨大な円形の広場が設けられていて、そこに黄金の毛皮を纏った巨躯の虎獣人ウェアタイガーが腕を組んだまま立っているのが見える。

「テオーデリヒだ……一人だな……」


 リヒターが彼を見て、少しだけ意外そうに呟く。

 彼のそばには私が捕らえたはずの女淫魔サキュバスのオレーシャだったか……彼女がこちらを見てニヤニヤと笑っている。その手には鎖のようなものが握られており、その先には……私は思わずその姿を見て駆け出す。

 あまりに唐突に走り出した私に反応が遅れたエツィオさんとリヒターは慌てて私を止めようとするが、その声は耳に入っていなかった。

「シニ……灯ちゃん、だめだ!」

「新居! 一人で走るな!」


「お前ら……先輩を! を返せ!」

 先輩! 私は思わずその円形の広場へと入るが……オレーシャはくすくす笑いながら先輩を抱きしめて宙に舞い上がると、その広場の外へと出て地面へと着地する……ここには私とテオーデリヒの二人だけ、遅れて走ってきたエツィオさんとリヒターが広場に入ろうとするが障壁のようなものに阻まれて入ることができない。

「あらあら……必死な顔で……でも青梅はもう私のものなのよ……あなたにはあげないわ」


「ふざけるなああっ! 絶技……空蝉ウツセミッ!」

 私は体を回転させながら日本刀を引き抜き……ミカガミ流の中でも特殊な、遠距離攻撃である空蝉ウツセミを放つ。以前は溜めを要したこの技だったが、体を回転させる合間をためとして活用することでこうやって即時発射ということもできるようになった。

 しかし空蝉ウツセミの衝撃波が広場を薄く覆っている障壁にぶつかるとまるでそれ以上は進めないかのように、減衰しオレーシャに衝突することもなく消滅する。

 その攻撃を見てテオーデリヒはそのままの姿勢で、目から涙を溢れさせながら語りかける。

「……素晴らしい……お前はやはりミカガミ流の剣聖ソードマスターだ……私は感動している……この手でお前のような強者を殺せるというのだから……」


「灯ちゃん! くそっ……最初からあの子を一人でテオーデリヒと対決させるつもりだったのか!」

 エツィオは障壁をダンッ! と力一杯に叩くがその威力すらも減衰し中には届くことがない、リヒターも何度か障壁を触って確かめているが首を振る。

「だめだ……これはかなり強固な制約レギュレーションを設けている。広場に残った二人が殺し合ってどちらかの息の根が止まらない限り解除することはできないだろう」

 だからこそ、最初はテオーデリヒ、オレーシャ、青梅の三人で中にいたのだ。新居 灯が入った瞬間に二名になることでこの制約レギュレーションが発動した。

 完全に罠にはめるつもりで、新居 灯が怒りで我を忘れて飛び込んでくることすら想定した罠だったのだ。


「我々にできることは……彼女が戦って勝つことを祈るしかできん……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る