第九三話 星幽迷宮(アストラルメイズ) 〇二

「な、長い……疲れた……スイーツ食べたい……お菓子……」


「うるさいぞ、新居は食べることしか頭にないのか、これだから人間てやつは……」

 通路は何度も曲がりくねり、上下動を強要された後私たちは天井から捲り上がるように生えてきた扉の前に立っている。

 私の独り言にリヒターが少しだけイラついたような言葉を投げかける……お前だって元々人間だろう、とは思うものの、彼自身はおそらくそういったしがらみのない不死の王ノーライフキングであることを選択したのだろうとは予想できる。

「中から音はしないね、でもまあこの迷宮メイズの中では常識は通じないと思った方が良いよね」


 扉に耳を当てて中の様子を穿っていたエツィオさんが私たちの元へと戻ってくる……彼の顔にも多少緊張感があり、いつものようなシニカルな笑みは浮かべていない。

 リヒターと何やら準備について相談をしていたエツィオさんだが、やりとりが終わると壁にもたれかかってその様子を見ていた私の元へと歩み寄ってくる。

「大丈夫か? 顔色があまり良くないぞ?」


「大丈夫です……こんな体験初めてなので……前世の記憶にもこの迷宮メイズはないんですよね……」

 私の言葉にエツィオも頷く……彼も知識としては知っていたようだが、実際にこんな動きをするものであるという認識はなかったようで、彼自身も少しだけ不安そうな目をしている。

「……私の記憶では知識はあっても、実体験としての星幽迷宮アストラルメイズの記憶はないわ、だから……あなたと同じよ」

 急に女言葉に戻るエツィオさんにびっくりするが、それだけストレスがかかっているのだろう。リヒターがそんな私たちを赤い目で見つめると、カタカタと骨を鳴らしながら口を開く。

「さ、行こうか……おそらく戦闘になる」


 扉が軋むような音を立てて開くと、そこは先ほどまでの通路と違って巨大な……そうあまりに巨大なフロアが広がっていた。現世で考えるとコンサートホールくらいの広さがあるだろうか。

 部屋の中央には浅黒い肌を持った生物が何かを貪るように食べており……私たちに気がつくと、その生物はゆっくりとこちらへと顔を向ける。

 大きさは人間よりも大きく大体体高は二メートル以上あるだろうか? 異様なのはその姿だ……見た目は人間のように見えるが額から大きな日本のツノのような突起が伸びている口元の空いた仮面を被っている。

 私たちを見ると彼は口元を歪ませて笑うが、その時に恐ろしく鋭い犬歯が見えたことでその正体に気がついた。

「「食人鬼オーガ……」」


 私とエツィオさんは思わず同時に口を開く……前世でも戦った人を食う悪鬼、筋肉質で恵まれた肉体を持っており、人間が使える武器は大体使えることと、普通の戦士であれば両手で持たなければいけないであろう長柄武器ポールウェポンなども片手で振り回すことができる豪の者が多い。

 知能は非常に高いが、その食性のために忌み嫌われ人間社会などに馴染むことは少ない……なぜなら彼らの好物は生肉だからだ。

 それも新鮮な殺した直後の血の滴る生肉を好んで食し、調理した食事も食べることはできるようだが味覚の違いから彼らからすると腐ったものを食べているように感じるのだという。傭兵として雇われた食人鬼オーガがそんなことを話していたな……。


『私からするとお前らの食事がおかしいのだ、生肉を食べるからなんだ……』

『酒は飲めるんだろ、なら食事を分ければいいんじゃないか? 俺は戦力になってくれるなら気にしないぜ?』

『お前は怖くないのか? 私は食人鬼オーガだぞ? お前は豪胆なのか鈍いのかわからんな……』

『俺を齧らなければ文句言わねえよ……齧るなよ?』

『私の前で怪我をするな、本能には逆らえん……すまないなノエル……』


 前世で杯を酌み交わした食人鬼オーガとはそんな会話を交わした記憶があるな……ただまあ、その記憶の彼は次の戦闘で敵の兵士の死体に齧り付いて仲間から恐れられていた思い出があるが。

 そう、彼らが人間から嫌われる最大の特徴……それは人間や人間型の種族を好んで捕食することだ。わざわざ戦場に傭兵として雇われて戦闘そっちのけで捕食に走る食人鬼オーガなど日常茶飯事だった。

 ただ、戦闘能力は恐ろしく高い、いや高すぎる……熟練の戦士が戦っても、よほど腕の立つもの以外は勝つことはできないだろう。私、というかノエルは結構な回数食人鬼オーガと戦っているが、仮面をつけた食人鬼オーガは初めて見た気がするな。


「あれは……人を食っているのか……」

 エツィオさんが食人鬼オーガが手に持っている肉の正体に気がつく……そうだ、あれは明らかに人の腕を食べているな……彼は手に持った腕から肉を齧りとると、もう興味はないとばかりに床へとその腕を投げ捨て、床に置いていた長柄武器ポールウェポンを手に取る。

「ようこそ、この世界の肉どもよ……そこの女はうまそうだな」


「喋れるのね……人を食う食人鬼オーガさん……」

 私は日本刀に手をかけたまま前に出る……ご指名を受けてしまったのだから、私が戦うしかないだろう。

 食人鬼オーガが手に持った長柄武器ポールウェポンはいわゆる超巨大な西洋風の薙刀……大薙刀フォチャードというやつか……防具の類は着用していないが腰蓑のように薄片鎧ラメラーアーマーのスカートを着用しており、上半身はその筋肉質な肉体を誇示するかのように剥き出しだが……とても民族的というか、不思議な意匠の刺青を隈なく入れている。

「……ああ、そうかお前は我々を知っているのだな」

 食人鬼オーガは仮面の下でハッ……と馬鹿にしたような笑いを浮かべると、大薙刀フォチャードを一度軽く振るうと、私に突きつけるように武器を構える。


「我が種族の食性を知っているなら理解できるだろう? 我々は生肉を食べるだけだ、それが人間だろうと動物だろうと、依怙贔屓などしない……お前は実に美味そうだ、肉付きも良いし脂肪もついているからな」

 脂肪……? 私運動もちゃんとしてるし、無駄な脂肪なんか全然ついていないんだけど……キョトンとした表情を浮かべる私に対して、彼の持つ大薙刀フォチャードが私の胸に向かって突きつけられる……もしかして脂肪って、てめえ……私はその意図を理解して、自分の胸を隠すように手で覆う。

「……最悪ですね、貴方」


「ま、本当に嫌味みたいにデカいからな……健全な男なら注目するに決まってる」

 後ろでエツィオさんの超冷めた声が響く……ふと後ろを見ると、超不満そうな顔で私を見つめるエツィオさんの視線が痛い……あ、絶対これ嫉妬されてる流れだ。

 リヒターは興味なさそうな顔で、全然別の方向向いて何かを見ている……本当にこのパーティ大丈夫なのかしら……なんか全員がバラバラのことを考えていてまとまりがない気がしてしまう。なんだこの不安感は……。

「あの……エツィオさん? 援護とかは……」


「……君が死にそうになったらするよ」

 不満顔でそっぽをむくエツィオさん……なんか不機嫌になってしまったな……とはいえ気を取り直して私は食人鬼オーガへと向き直る。

 日本刀を鞘から抜いて私は少しだけ腰を落とした構えをとる……前世で食人鬼オーガと戦った時の記憶を掘り起こしていくが……前世の私であるノエルは徹底的に超高速の斬撃を連続で叩き込むことに終始していた思い出があるな。

「私の名前はイェルケル……女、お前の名前を聞こう」


「私は新居 灯……ミカガミ流の剣士よ」

 日本刀を軽く振るって私は名乗りを上げる……、いやこの流れだったら『可憐でかわいい女子高生でーす』、とか言った方がよかっただろうか? だが、私の名乗りにイェルケルは満足そうに頷く。

「よかろう、古い剣術がこの世界に流れ着いているとは……実に愉快だ」


 ? どういうことだ? 彼が住む異世界ではミカガミ流の使い手がほぼいないということなんだろうか? 私の疑問を吹き飛ばすかのようにイェルケルは凄まじい速度で突進すると大薙刀フォチャードを振るう。

 速い! 私はその一撃を大きく後ろへとステップすることで避けると、体勢が崩れているであろう瞬間を狙って床を蹴って前へと飛び出す。

 突進からの日本刀による横凪を、イェルケルは大薙刀フォチャードの柄を使って受け流すと、そのまま大きく武器を振るって私の足に向かって武器を薙ぎ払う。


「良い一撃だっ! 見た目以上に洗練されている!」

 足を狙った薙ぎ払いを私は体を宙に舞わせて避けると、今度は後ろではなく横へと一気に文字通りに跳んで距離をとる。武器のリーチが思ったよりも広い……接近戦も大薙刀フォチャードを回転させるように扱うことで熟せるということだろうか。

 相手が防御不能の一撃を叩き込まないと勝てそうにないな……私は鞘に日本刀を仕舞って、閃光センコウの構えをとって前傾姿勢をとると大きく息を吐く。

「ふうっ……」




「エツィオ、彼女の手助けは良いのか?」

 リヒターは片膝に頬杖をついて座り込んでいるエツィオに尋ねる……戦闘が開始されてからエツィオは油断なく二人の攻防を見ており、いつでも支援ができるように待機しているのがリヒターには理解できた。

 エツィオはリヒターを軽く見ると、ハッと息を吐いて手をフラフラと振って必要ないとでも言いたげに口を開いた。

「大丈夫、あの程度の敵なら彼女一人で対応できる。むしろ僕らが足手まといになる可能性すらあるよ」


 リヒターはその言葉を聞いて、心の中で思っていたよりもこの男は冷静だな、と感心する。この世界でおそらく最強の魔法使い、エツィオ・ビアンキ……表情や言動は軽薄そのものだが、恐ろしく冷静に物事を見ており、どうしたら最も効率的に戦えるのかを計算しながら行動できる男性。

 リヒターの言葉に残念そうな表情で笑いながら、肩をすくめるエツィオ。

「ま、そうだな……私たちは接近戦においては彼女ほどの戦力にはなりえん」


「そういうことだよ……僕も腕には自信があったけど。あんなの見せられちゃうとね」

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