第七九話 三本の爪痕(スカー)

「これは……ひどいですね……」


「……これを強盗殺人、と片づけるのは少し早計すぎるな」

 私とエツィオさんは警察の捜査が終わった後の、事件現場……都内の主婦が何者かに惨殺された強盗殺人事件の現場に来ている。

 依頼主は警察であり、あまりに凄惨な現場だったためKoRJへと協力依頼が出たためだ。今回、私はエツィオさんと一緒に現場に来ているのだが……まあなぜエツィオさんがきているのかといえば、捜査に関しては彼以上の適任がいなかったことと、彼自身が私を指名してきたからだと伝えられている。


 都内に娘と二人で暮らす浮間 幸江うきま ゆきえ、三七歳が自宅のリビングでズタズタに引き裂かれ、体の一部を食い散らかされた死体となって見つかった事件、警察は押し入ってきた犯人が刃物などで被害者を惨殺した後、娘をさらったと判断して捜査を続けているということだが……私とエツィオさんの感覚には強い魔素の痕跡を感じて、少し咽せそうになっている。

「これほどの魔素は……なかなか無いですね」


 私の呟きに同調するかのようにエツィオさんは手で軽く何かを払うかのような仕草をして、少し不快そうな顔を浮かべている。

 しかし絵になる男だ……細かい仕草が全てイケメン臭が強すぎるというか……恐ろしく優雅な印象があるのだ。

 その本性は女性なのに……なんかイラッとした気分になって、彼のことをボケッと見つめていた自分に腹が立つ。そういえば少しだけ外見は前世のイケメン勇者であるキリアンにどことなく似ているかなあ。

「……そうだねえ、明らかに降魔デーモン……というか、魔素の匂いが……ってなんで怒ってるんだ?」


「なんでもないです……私前のこと、許してないんで……」

 くそう……前の任務の時に迫られた時のことを思い出してしまい、頬が赤くなる……あそこまで男性の顔が近くに寄ったのはお父様とターくん以外に記憶がないし、意識してしまったら後から恥ずかしくなってくるものなのだ。

 前世が男性だったのに、相手が女性の魂を持っていると聞いてからどうも彼に対してどう接していいのかよくわからなくなってきているのだ。

 男性なのになんかいい匂いしてるしー、イケメンだし……なんか腹たつんだよな。

「許して欲しいとは言わないけど、まあ、もう少し自分の外見を意識したほうがいいと思うけどね、君は」


 エツィオさんが私が不機嫌そうに頬を膨らませているのを見て、呆れたような仕草をしている。こういう仕草すらも優雅だなチクショー。

 前世のノエルさんの記憶ではこういう優雅な男性は苦手としていた記憶があり、なんとなくだが私自身もそういう男性は苦手意識がある……お母様について参加するパーティなどでもそういった男性陣に挨拶をされることも多いのだが、なんとなく苦手意識が先行してぎこちない挨拶を交わしたりもしてしまうのだ。

「別に私見た目を売りにしてるわけじゃないんで、気にしてなんかいないですよ……」


「そういうところだぞ、今まで色々な男性に勘違いさせてきたんじゃないか?」

 エツィオさんの容赦のないツッコミを受けて、私は返す言葉を失ってどう返していいのか困ってしまう……そう考えると、私は拒絶を繰り返してきたのだけど、志狼さんや先輩とのやりとりも含め最近はちょっと中途半端なことをし続けていることは確かなのだ。

「ぐ……、そう言われるとちょっと返す言葉がないですが……で、でも私別にそういうつもりで……」


「それよりもここを見るんだ、これは刃物には見えないよな」

 抗弁しようとした私に対して、エツィオさんは遮るように壁についた大きな傷跡を指差す……その傷跡は奇妙だった。まるで猛獣の爪痕のように三本のラインになって引き裂かれた跡になっている。

 ネコ科の猛獣……獅子や虎が鋭い爪で引っ掻いたらこうなるのだろうか? それにしては恐ろしく大きい痕のようにも見え、私はその痕に沿って指を這わせるが……剣や刀で切り裂いたらもう少しスムーズな切断痕になるだろうから、動物がつけたと思って間違いはないだろう。

「日本に猛獣がいるってことですかね? それとやはり魔素の痕跡を感じますね」


三頭狼ケルベロスはもう少し傷跡が大きくなるよな……ネコ科の降魔デーモンとなるとあまり該当するものがないな」

 エツィオさんは顎と腰に手を当てて、じいっとその傷痕を見つめている……私はその傷跡の調査は彼に任せることにして、リビングの中を確認していく。

 荒れ果てた部屋の中には、酒瓶や缶……強いアルコールと血液、そして獣臭というか独特の匂いが入り混じっており、鼻や喉に少しだけ嫌な空気が漂う。

「随分と……荒れてますよね……」


 私はそのままリビングを出ると、子供部屋らしき扉を開けて中へと入る……そこは女の子が住んでいたであろう部屋で、壁には一生懸命描いたであろう家族の絵などが飾られている。

 少しだけ疑問に思ったのは、、ということだろうか。

 警察の調べでは、この部屋に住んでいた浮間 萌という女の子は誘拐されたのではないか? という発表をしていたのだが、おそらく事件当日もこの部屋に寝ていたとすれば、全く部屋が荒れていないことが不自然に感じるのだ。


「何か違和感がある……なんだろう?」

 この部屋にも魔素の残り香のようなものは感じる、リビングほど強くはないが仄かに感じる程度は漂っている……机の上に、小さな箱がありその中からレシートの束がのぞいている。

 レシートを手に取り内容を確認してみるが、何度もキャットフードをコンビニエンスストアで購入している明細が記されている。

 この家には猫が飼われていない、ゴミの中にはコンビニ弁当の空き箱やお菓子などの袋は確認できていたが、キャットフードの缶や袋は入っていなかったはずだ。

「ここ最近キャットフードばかり買っている……なんで?」


「何かあったかい?」

 エツィオさんが部屋にきて私に声をかける……私はレシートの束を机に並べながら、彼の方向には顔を向けずに話し始める。

 彼もそのレシートの束を見ながら、私の感じている違和感を感じたようで、黙って私の言葉を聞いている。

「キャットフードをやたら買ってますね、この家には猫を飼った形跡がないのに、なんででしょうか?」


「野良猫……この場合は降魔デーモンだが、餌付けをしてしまったとかかな」

 彼の表情が少しだけ曇る……幼い少女が偶然にも降魔デーモンを見つけ、どちらが主従かわからないが、せっせと餌を与えていたとすれば? しかも前世の記憶でも珍しい魔物である場合はどう対処すればいいだろうか。

 少なくとも前世でよく見た剣虎サーベルタイガーは餌付けできないだろうしなあ……。

「エツィオさんには心当たりありますか?」


「……欧州の古い伝承に猫系統の魔物の伝承がいくつかあったな……」

 うーん……猫型というと妖精猫ケットシーとかかなあ……でもあいつらめちゃくちゃプライド高いからキャットフードじゃなくて別のものよこせとか言いそうだし、そもそも人をあのような形で惨殺するような残虐性の持ち主ではないし。

 むしろ見た目も相待って愛すべき妖精だったりもするので、彼らではないだろうなあ。


「……怪猫キャスパリーグ……そうだ、ウェールズに猫系統の魔物の伝承があったな」

 エツィオさんが何かを思い出したかのようにスマートフォンを取り出して、検索を開始する。私は彼の手元のスマートフォン……世界的にも使われているアメリカのメーカー製だが、その画面を覗き込む。

 急に画面を覗き込む私を見てエツィオさんが呆れたような表情を浮かべて、検索結果を待っている。

「君は……そういうところだぞ、少しは意識しろ。……ってこれだ」


 怪猫キャスパリーグ、ウェールズ地方の伝承に出てくる巨大な怪物。

 豚から生まれたと言われ、忌み嫌われた怪物は捨てられたが、拾い育てたものがおり怪猫キャスパリーグは災禍の申し子として成長する。

 アーサー王伝説では騎士たちがこの化け物と戦い、一八〇名が犠牲になったと言われている強力な魔物だ。

 一説にはこの怪物がアーサー王を殺したとさえ言われるくらい獰猛で凶悪な性質を持っている。


「アーサー王伝説って……御伽噺ですよね?」

 私の言葉に少しだけ嫌そうな顔を浮かべると、画像検索で出てきた黒い猫の化け物を見せてくれるエツィオさん。猫の化物というのはあまり想像できていないのだが、壁についた爪痕を考えると虎くらいの大きさのある怪物なのかもしれないな。

「そもそも僕らの存在自体が御伽噺みたいなものだろう? ゴリラ以上の腕力がある女子高生なんて日本のアニメくらいにしか出てこないんだぞ?」


「まあ、それはそうですけど……でももしこの怪物が現実に存在しているとして、この家の女の子がこの化け物に餌付けをしたってことですかね?」

 私の問いにエツィオさんが頷いて応える。

 調査票には殺された主婦は自分の子供を虐待していたという記録も残っており、救いを求めた少女がこの降魔デーモンと契約して……契約者コントラクターとなった可能性すらあるわけだ。

 今世においてある程度恵まれた家庭に育ってしまった私は、ニュースなどでしか虐待についての知識がないので、なんともいえないとは思うが、もしそんなことが起きてしまったとすれば悲劇でしかない。


「悲惨だな……契約者コントラクターとなった人間の末路は、破滅しかないから」

 エツィオさんも表情を曇らせている……先の大戦において、彼の出身国であるイタリアの独裁者もやはり契約者コントラクターとなった同盟国の元首と共に、降魔デーモンと契約を果たした。

 その末路は……歴史が語る通り彼らは最終的に破滅し、命を落とすことになったのだ。


「でも、まだ助けられるかもしれないですよ。早く見つけてあげなければ……」

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