第二章 星幽迷宮(アストラルメイズ)編
第六一話 路地裏の出来事(アクシデント)
『この世界は危機に瀕している』
それまで空虚だったこの言葉、一夜の恐怖を境に、見えている世界が激変した。
空想と御伽噺の世界にしかいなかったはずの恐怖が加速度的に全世界へと拡散していく。
誰もが信じようとしていなかった現実、言葉にすれば嘲笑の対象となった事実。
『この世界は危機に瀕している』
路地裏、深い森の中、ふと振り返った暗い夜道に。
恐怖が潜んでいるかもしれないという不安、そして原初的な心に潜む恐怖が再び首をもたげる。
もしかして帰ってこない息子や娘は、得体の知れない怪物に襲われたのではないか? と不安を口にする。
『この世界は危機に瀕している』
世界は一変した、古き良きあの過日は帰ってこない。
それでも人々はその辛い現実を受け入れて前に進むしか、できない。いや前に進まなければいけない。
だからこそ私はこの世界を守るために戦っている。身を切る痛みや心に感じる恐怖に抗う。
だから……私は今夜も戦っている。
「なあ、姉ちゃん……俺はあの
帰宅途中に私に声をかけてきた数人の男性、明らかにチンピラ風の二〇代後半の男性が私を壁に押し付けて下卑た笑みを浮かべているのを見て、唾を吐きかけたくなる。
手にはナイフ……とあれは鎖? 随分と御大層な武器を所持しているのだな、と思う。
「何をする気なんですか?」
私は嫌悪感丸出しの顔で、男性を睨みつけるが……私の見た目もあって凄んでもあまり効果がないようで……男たちはニヤニヤと下心満載の目で私を下から上へと眺めている。
私は腰まである夜の闇を凝縮したかのような黒髪と、少しきつめだけど整った顔立ち、大きめの胸と細い腰、そして制服のスカートから覗く白い素足と抜群のプロポーションを有した絶世の美少女であるからだ。
「無駄に男を誘うそのエロい体を拝ませてもらって、俺たちが十分楽しんだらそれで返してやるよ、ヘヘっ」
ああ、全く……男ってやつはよぉ、前世が男性だった私ですらこの男どもの考えが透けて見えるような視線を感じて辟易する。
つまり自分で鏡を見てもちょっとドキッとしちゃうくらいのプロポーションを自由にしたい、と目の前の男性どもは考えているわけだ。実に反吐が出そうな浅はかな考えだな。
私の名前は
都立青葉根高等学園に通う一七歳のスイーツ大好き女子高生……とは現世の姿。
前世は異世界で世界を救うために勇者と共に戦った
私は前世の能力を制限付きではあるものの使うことができる。
この世界の住人はほとんどが私ほどの身体能力を発揮することはできない……さらに私には異世界最強と謳われた剣術……ミカガミ流剣術の
つまり……普通の女性であれば完全な貞操の危機でしかないこの状況も、私からすればそこらへんの道を歩いているのと大して差がない。
「警告しますね、いい加減にしないとあなた方地獄を見ますよ?」
私はにっこりと笑って……目の前の男どもに宣言する。
正直言って殺してしまいたいくらいなんだけど、今の私は花も恥じらう可憐な女子高生なので『この
いいところのお嬢様として育てられている現世の私は、それなりに自分を律する術を身につけているのだ。
「ハハッ! 威勢がいいじゃねえか……お前が涙を流して謝りながら、
そんな私を見て馬鹿にしたように手に持ったナイフをひらひらをちらつかせる目の前の男性……ってかよ、なんでこんな品がないのさ君は。
私はため息をついて、その男の持っているナイフを
「なんですこれ? おもちゃですか?」
つまらなそうにナイフを摘んで眺めている私、手入れしていないんだろうなあ……刃がなまくらと言っていいほどに痛んでいる。
得物の手入れをちゃんとできない人は、武器を振るう資格はないよなあ。
全く反応できずに私にナイフを奪われた男が、状況を理解できずに私が摘んでいるナイフとそれまでナイフを握っていたはずの手を何度も見直している。
周りの男たちも何が起きたのかわからずに、呆然と私をみているだけになっている。ナイフを奪われた男がようやく事態を認識したのか、叫ぶように口を開いた。
「な……おま……何をしたんだ!」
恐怖からなのか男はそれまでの勢いを失って、蹈鞴を踏んで後退する。
「何をしたって……おもちゃを取り上げただけですよ。ちらつかされたら危ないじゃないですか」
私はニコニコ笑いながら、ナイフの刃先を指でつまむと思い切りナイフを捻り潰していく。
使っている金属もそれほど質の良いものではないな……抵抗感も一瞬であとはすんなり捻れてしまった。あまりやりすぎるとちぎれてしまうような柔らかい金属を使用しているのだろう。
いわゆる大陸のとある国で作られた、質の悪い
目の前で起きた光景に、唖然として口を開けたままの男性達。
くしゃくしゃに捻り潰されたナイフをポイ、と地面へと捨てると甲高い音を立てて転がっていく。繁華街の裏路地とはいえ、あまり騒ぐと人がたくさん来てしまうだろうなあ。
早めにこいつらを黙らせてしまった方が安全かもね。
「さて……少し痛い目をみていただきましょうか。
私はニコニコ笑ったまま、地面へと持っていた鞄を丁寧に置く。
そこで初めて男たちは気がつく……目の前の可憐な女子高生は、実は
「や、やめ……ひ、ひぃっ!」
視界の中で黒髪が一気に舞ったところで、男たちの記憶はそこで終わった。
「私がこの男性たちに襲われそうになった時に、黒い影のようなものが現れて……」
制服姿の女子高生が女性警察官の事情聴取を受けている、彼女は少し悲しそうな顔で俯き警察官からかけてもらった薄手の毛布を肩からかけている。
「そうなのね……新居さんでしたっけ? 無事でよかったわ。連絡をしておくところはあるかしら?」
女性警察官が本当に心配そうな顔で私をみているが、当の私は別に何かされたわけでもなく、
「バイト先に遅れてしまう旨を連絡しなければいけなくて……あちらで連絡してもいいですか?」
女性警察官が頷くと、私はカバンからスマホを取り出して八王子さんに連絡を入れることにした。KoRJからの呼び出しがあって、ちょうどミカちゃんと別れた直後に私は先ほどのチンピラに絡まれた。
ミカちゃんが一緒にいなくてよかったな、と思う反面ちゃんとミカちゃんは家に帰れただろうか? という少しだけ不安を感じるが、まずはバイト先への連絡かな。
「はい、どうした新居くん。直接電話をしてくるなんて珍しいな」
「実はちょっと困ったことになって……」
私は先ほどの状況をかいつまんで、なおかつ警察官に聞かれないように説明していく……チンピラに絡まれて暴行されそうになったこと、対処するために相手を
「ふむ……まあ君がそこらへんのチンピラにどうこうされるとは思わんが、殺してないよな?」
「そりゃあ……もちろんです、私か弱い女子高生なんですよ? そんな怖いことできないですって」
私は苦笑いを浮かべて……八王子さんの懸念を否定する。
彼の心配も仕方がないとは思う……私が本気でこの世界の人間を殴りつけたら、顔は爆発したように粉砕されてしまうだろうし、蹴り一発で相手の肉体に穴をあけてしまうことだって、本来はできるのだ。
先ほども最新の注意を奮って、相手を病院送り程度に収めてあるのだ……この努力わかってほしいところではある。
「……まあ、君がか弱いってのは置いておいてだ、警察官に代わってもらえるかな?」
「ちょっと、今なんかひどいこと言いませんでした? ……まあいいけど。待ってくださいね」
私は聞き捨てならない一言を聞いた気がしたしたものの、女性警察官を呼んでスマホを渡す……バイト先の人が代わってほしいと言っているとだけ伝えて。
女性警察官は訝しげな表情を浮かべていたものの、スマホを片手に電話に出て少し経つと、少し青い顔をしてこちらをチラチラ見るようになった。
そのとんでもないものを見るかのような、腫れ物を見る目でこっちを見ているのだろう。
八王子さん何を話してるんだ……まさかこいつゴリラ並みの腕力あるから檻に入れてねとか、見た目は美女だけど中身はアレだぞ、とか言っているのだろうか。
私は救急車へと運び込まれる男たちを乗せた担架を見る……そこには手足がそれなりにへんな方向へと曲がっているが、ちゃんと生きている男たちの姿がある。
安心してください、ちゃんと治療すれば元通りに動けますよ! と言うくらい綺麗にへし折ったので後遺症などにはならないだろうが……私は顔を覚えられているかもしれないと言うのが少しだけ気になっている。
魔法が使えたらね……記憶を削除したり、都合の良い記憶などに差し替える魔法なんかも前世では存在していたから……でもこの世界では魔法の元素となる、魔素が異常に薄いという特徴があって、魔法使いと呼ばれるものは本当に少ない。
まあ、KoRJの指定する病院に送れば彼らの記憶も綺麗さっぱり消去可能! と言うことだったのでもしかしたらそういう話になっているのかもしれないな。
夜の街を眺める一人の女性が警察官から渡されたペットボトルのお茶を飲みながら物憂げな表情を浮かべている。
長い黒髪が夜風に揺れてサラサラと靡き、まるで夜の闇を凝縮したような貴婦人のヴェールのようにすら見えている。
都内の高校が指定するブレザーを着ているが、野次馬はその美しさに息を呑む。
ブレザー越しにわかる大きめの胸、細い腰とスカートから覗く白い素足……そして少しきつめだが、彫刻のように整った端正な顔は儚げだ。
この日繁華街で起きた婦女暴行未遂事件は、犯人を取り押さえた謎の人物がその後も見つからないまま幕を下ろす。
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