第五四話 恐怖の夜(テラーナイト) 〇八

「では僕は新居さんを手伝いに行きます。ホテルに敵を寄せ付けないようにお願いします」


 ホテルの前に……巨大な単眼巨人サイクロプスだった肉塊が転がっている。

 銀毛が月明かりに照らされて、美しく輝く。狼獣人ウェアウルフとなったままの狛江は江戸川と青山に狼の顔のままで笑顔を向ける。少し獰猛な肉食獣のそれに見える笑顔に、引き攣った苦笑いを浮かべた二人は、それでも連絡が取れないままの新居のことを思い返して頷く。

 その時インカムに緊急通信が割り込んでくる。声は開発部門の長を務めている台東のものだった。


「こちら司令部、戦乙女ワルキューレ……いや、そんなことを言っている場合ではないですな、新居殿に持たせていた認識阻害装置が破壊されました。直前までのモニターでは正常に作動していたため、なんらかのトラブルに巻き込まれた模様です」


 その言葉に三人の顔に緊張が走る……既に新居 灯が倒された可能性もあるが、荒野の魔女ウイッチと交戦状態で、苦境に立たされている場合は助けにいかねばならない。

「僕が行きます、大丈夫……彼女は強い。そう簡単に倒されないはずです」

 いうが早いか、狛江はすぐにホテル内へと走り出す……狼獣人ウェアウルフ形態のため、四足走行で一気に加速していく。その遠くなっていく背中に江戸川は叫ぶ。

「頼んだぞ! 新居を助けてやってくれ!」


「わ、私は戦闘員ではないのですが……」

 青山は震えながら江戸川に怯えたような表情を見せる。そんな青山の表情を見て頷く江戸川は、護身用の拳銃を青山に渡す。

「安心しろ……ここからが俺の見せ場だ。隠れているんだ」

 江戸川はヘリコプターの中から、取っておきの火器……最新式の突撃銃アサルトライフルを取り出すと、天眼クレアボヤントの短距離通信機能を使って銃とリンクさせる。

 天眼クレアボヤントがリンクを完了して、周囲の熱反応と人影を一気に認識していく……結構な数の敵がまだ残っており、こちらのヘリコプターを見て集まってきているのがわかる。

「さて……久々の戦場だな……武器も弾丸も豊富にあるから、内戦に参加した時よりは状況はマシだな……」

 江戸川は有効射程内へと侵入した小鬼族ゴブリンの頭を、視認せずに一撃で撃ち抜く……位置関係が脳の中に視覚情報として投影されているためだ。

 視認されていないのに頭を撃ち抜かれて倒れていく仲間を見て、小鬼族ゴブリン達が慌てる……何が起きているのか、全く理解ができない。

「さあ、ここは通さねえぞ!」




「う……あ……」

 私は今地面に這いつくばって苦しんでいる……魔法で作られた電撃ライトニングはきっちり私の身体に深刻なダメージを与えており、完全に身動きが取れなくなっている状態だ。

 体のあちこちが焼けるように痛い……衝撃波で痛んだ部分が軋むような鈍い痛みを伝えてくる……これは骨にヒビとかも入っているかもしれない。

 弛緩した口の端から、軽く涎が垂れていてとても気持ち悪い……失禁しなかっただけマシなのかもだけど。動こうとしても筋肉が硬直と痙攣を繰り返していて反応すらしていない。


 荒野の魔女ウイッチは椅子から立ち上がると、ゆっくりと私に近づいてくるが……私はもがくだけで身動きひとつ取ることができない。そんな私の隣に立つと、彼女はゆっくりと私の腹部にヒールを履いた足を乗せて……力を込めて踏みつける。圧力がかかるたびに……私の全身に耐え難い痛みが走り、私は苦悶の声をあげて苦しむ。

「あぐぁっ……や、やめて……」

 哀願するような絞り出した呻き声に、アマラ・グランディは満足そうに微笑むと、私を踏みつける脚に力を込める。


「随分頑丈なのね……普通の人間なら丸焦げになってもおかしくないのに……」

 アマラは少しそこまで呟いて疑問を感じた。なら? そうだ……この電撃ライトニングの一撃でショック死してもおかしくないのだ。

 どうして目の前の女は死なないのか? 恐ろしくタフ……いや違う、新居 灯という少女は魔法に対する抵抗力を有している? 


『こいつは一体なんなのだ……?』


 この世界の人間は、魔法に対する抵抗力を持っていない。それは魔法使いであるアマラですら同様で、彼女は幼い頃から荒野の魔女ウイッチとしての訓練の果てに魔法に対する抵抗力を有するに至った。

 普通の……しかも見た目はたった一六〜一七歳の少女がそんな訓練をしているとは思えない……目の前の、今倒れている女子高生剣士は何者なのか? アマラの背筋がゾッと凍ったような感覚に襲われて、後退する。

「あなた……一体何者なの……?」


「わ……わた……」

 くそっ……口が動かない……でも手足になんとか感覚が蘇ってきて少しずつ力が入るようになってきた。ここまでで気がついた、というより思い出したことがある。

 ノエルの魂は、これと同じ電撃ライトニングを受けた記憶がある……そして想像以上に自分自身が魔法に対して抵抗力を有している、という事実。

 目の前の荒野の魔女ウイッチが驚いていたように、普通の人間なら既に丸焦げになっていておかしくないレベルの電流を浴びせられているはずだ。

 しかし……私はまだかろうじて生きている……つまり、私というよりノエルの魂が有する魔法抵抗力レジストを、私も有しているということだ。


 前世でノエルは仲間の魔法使いエリーゼ・ストローヴにお仕置きと称して、さんざん魔法を浴びせられてきた記憶があり、その時の体験が今の魔法抵抗力を作り出しているのかもしれない。

 そう考えると、エリーゼの電撃ライトニングはもっと凄まじかった……一撃で意識を刈り取られるような衝撃と、軽い記憶障害を起こしかねない圧倒的な電流を放っていた気がする。


 ──目の前の魔法使いはそこまでじゃない。


「ああ……ま、まだわ、たしは……」

 その事実が私の心に強い勇気を巻き起こす……賢明に、生まれたての子鹿のように私は四肢を震わせながらなんとか立ちあがろうとする。その姿に恐怖感を抱いたのか、アマラが後ずさって距離を取ろうとする。

「な、なんなのよ……あんたは……一体なんなのよぉ!」


 ゆっくりと私は日本刀の切っ先を荒野の魔女ウイッチへと向ける。もう剣先は震えない……私は前身にみなぎる力強い衝動に身を任せつつ、前傾姿勢をとる。

「私は……この世界を守るために……やってきた剣聖の魂を継ぐ者……新居 灯だ!」

 全力で私は床を蹴り飛ばし……怯んだままの荒野の魔女ウイッチの眼前へと瞬間移動の如く現れる……驚愕の表情を浮かべる彼女に向かって、横一文字に日本刀を振り抜く。

「くっ……!」


 日本刀が荒野の魔女ウイッチの周囲を覆っている防御結界にぶち当たるが、私はお構いなしに日本刀を振り抜くとそのままミカガミ流、隼鷹ジュンヨーを繰り出す。

「あああああああっ!」

 私は防御結界の上からお構いなしに隼鷹ジュンヨーでありったけの攻撃を叩き込んでいく……次第に空間を防御していた結界に亀裂が走っていく……そのまま私は全力で日本刀を叩きつけるとついに防御結界がまるでガラスを砕いたかのように甲高い音を立てて崩壊していく。

 絶対の自信を持っていたはずの防御結界が崩壊していく様を見て、アマラの顔が恐怖に歪む。

「ち……力押しだと……」


「物理攻撃を防ぐ結界……でも完全じゃないわね」

 防御結界を失ったアマラに追撃を入れられれば……だがしかし私は体を支えきれずに体勢を崩して地面へと膝をつく……身体中の力が一瞬で抜けたような凄まじい倦怠感を感じて、膝をつき日本刀を支えにして何とか目の前の敵を見据えて震える足に力を込めるが……まるで自分の体ではないかのように前へと歩くことができない。


 荒野の魔女ウイッチが慌てて距離を取ろうと後ろへと飛び退る……逃せない! かろうじて力の入る左手で、背中に差している小剣ショートソードを引き抜いて渾身の力で投げつける。

「うぎゃあっ!」

 回転しながら凄まじい速度で飛んでいく小剣ショートソードは逃げようとした荒野の魔女ウイッチの肩口へと突き刺さり、その勢いを殺しきれないまま彼女は地面へとひっくり返ってしまう。

 頭を狙ったつもりだったが、うまくコントロールできなかったのだろう、とはいえ当たっただけでも儲け物、と考えるべきだろう。


 荒野の魔女ウイッチはなんとか血が流れる肩を抑えて立ち上がると、肩へと深く突き刺さった小剣ショートソードを憎々しげに見つめる……流血はそれほどでもない……が、深く食い込んでいてこの場で抜くのは不可能だ。歯軋りをしながら、目の前の私を睨みつける。

「き、貴様……」


「はっ……ざまぁ無いですね……」

 私は荒い息を吐きながら、ニヤリと笑う。しかし困った、私の足は再び生まれたての子鹿のように震えていて、膝をついて動けなくなっている。ここから再び距離を詰めるには少しだけ体力の回復が必要になる。

 私が動けない、と判断したのか憤怒の表情を浮かべていた荒野の魔女ウイッチが、少しだけ笑みを浮かべると、再び指をパチン、パチンと二回鳴らす。


 その音に反応したかのように、彼女の左右へと火炎が巻き起こる。これは……召喚魔術か?

 火炎が次第に蜥蜴のような姿へと収束していく……蜥蜴と言っても、大きさとしてはこの世界で言うところのコモドオオトカゲくらいの大きさはあるだろうか?

火精霊サラマンダー……」

 これはまずい……火精霊サラマンダーは火球を放つことができ、しかも火球は爆発を起こすことから、複数の標的にダメージを与えることができるのだ。


「よくご存知ね……今のあなたの身体で、この攻撃が避けられるかしら? やりなさい」

 その命令に呼応して、二体の火精霊サラマンダーが大きく口を開けて、火球を吐き出した。迫り来る火球を前に、私は必死に動こうとして……全く言うことを聞かない体に絶望する。

「や……やられる……ここまでなんて……」

 家族にもミカちゃんにも最後……会いたかった……、先輩の顔もう一度見たかったな……。

 私が覚悟を決めて、目を閉じようとしたその時……私とアマラの中間、ちょうど火球が飛来するその軌道上に銀色の毛を輝かせた何かが割って入る。


「アマラァーーーーーーッ!」

 火球を難なくその鋭い両手の爪で弾き飛ばしたその狼獣人ウェアウルフは、美しく輝く銀の毛皮と、筋骨隆々の上半身で私を庇うように立ち……軽く私を見るように振り返ると、美しい榛色の瞳が優しく微笑んだように見えた。

 弾き飛ばされた火球がホテルの壁に当たって爆発を起こす……熱波と衝撃でホテルが軽く揺れるが、微動だにしない目の前の狼獣人ウェアウルフ……狛江 志狼は荒野の魔女ウイッチを真っ直ぐに見つめて立ちはだかる。


「し……志狼さん……東京へ……ここへ来てくれたんですね……」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る