第二六話 光をもたらす者達(ライトブリンガーズ)

 ニムグリフ暦五〇二六年、暗黒大陸にある魔王城前、勇者率いる軍勢の戦陣にて。


「ノエル兄……寝れないの?」

 最終決戦前の夜、城壁の上で魔剣グランブレイカーを抱えながら一人黄昏ている俺に声をかけてきたものがいた。

「シルヴィ……」

 緑色の長い髪を靡かせた、美しい女性……俺と並んで前衛として戦ってきた格闘を極めしもの……人呼んで『武神バトルマスター』が姿を現した。

 俺が夜に浮かぶ彼女の顔をぼうっと見つめていると、シルヴィは俺の横にちょこんと座ると俺の顔を見て微笑む。


 緑色の髪に榛色の目、美しい風貌からは想像もつかないほど、彼女の戦闘能力は高い。一対一での接近戦闘では俺も勝てるかどうかわからないくらい、彼女の技量は卓越していた。そして……俺の格闘戦の師匠の娘でもあり、妹のような存在でもあり、俺が心から惚れているのに唯一手が出せない、そんな神々しい存在だった。

 俺たちは勇者ヒーローの仲間……いわゆる勇者パーティに属している。


勇者ヒーロー』 キリアン・ウォーターズ

武神バトルマスター』 シルヴィ・ヴィレント・ヒョウドー

弓王ボウマスター』 ウーゴ・オチョア

大司祭ハイプリースト』 アナ・コレーア

大魔道ソーサレス』 エリーゼ・ストローヴ


 そしてこの俺、『剣聖ソードマスター』 ノエル・ノーランドが今世における魔王ハイロードと戦う勇者ヒーローパーティだった。この世界は始まりの時からずっと魔王ハイロードとそしてその配下の魔族との戦いが繰り返されてきた。

 魔王ハイロードは何度倒されても別の魔族が魔王ハイロードとして君臨し、人類と魔族の戦いは一〇〇〇年以上続いている。人間側は何度も負けそうになる度に勇者ヒーローと呼ばれる超人類が登場し、魔族との戦争に勝って来た。

 勇者ヒーローによって世界の平和は維持されて来たと言っても良い。

 今世の魔王は一〇〇年ほど人類と戦い続けてきた強敵で、勇者ヒーローが現れるまでは人類は徐々に追い詰められて来ていたが、キリアンが誕生し勇者ヒーローとしての力を発揮した一〇年前から、人類は魔族との戦争に小さな勝利を重ねていき……そして、今ここに最終決戦の前夜となっているのである。


 俺とキリアン、そしてシルヴィは本当に初期からのメンバーで、同じ村の出身だった。キリアンが勇者ヒーローの使命に目覚めて、戦いの旅に出ると話してくれた時に俺とシルヴィは彼のための力となろうと決めた。

 俺はキリアンとシルヴィと年齢が離れており、兄貴分のような役回りだったこともあって、村のみんなからは彼らのことを頼むと言われていたのだ。

 最初は失敗ばかりだったが、何度も死にかけてその度になんとか這い上がっていく。そんな生活の中で俺たちはお互いの能力を発揮していき、キリアンは勇者ヒーローとして、シルヴィは武神バトルマスター、そして俺は剣聖ソードマスターと呼ばれるだけの能力を身につけていったのだ。

 旅を続けている中でどんどん仲間が増えていき、中には離脱していった連中もいるが……今のメンバーとなった。俺たちは人類を救う最後の切り札として、各地の魔族軍と戦いつづけた。そして勝利を重ねていった。

 俺の体にもその時の傷がたくさん刻み込まれている、キリアンにもシルヴィにも、それは戦いの勲章といっても良いだろう。


「明日が心配ね……」

 シルヴィがぽつりと呟く。俺は彼女の横顔を見ながら……手に持ったワインを軽く煽る。戦いの前の高揚感だろうか、今日はいくら飲んでも酔わない気がする。

 飲んでも酔わないなんて……こんなことは初めてだ。


「キリアンがいれば問題ないさ。いつだって俺達は勝って来た。明日も勝てるさ」

「そうね……でも、私はいつもノエル兄がいなくなってしまいそうで怖いわ……」


 え? シルヴィさん俺のことそんなに心配してくれていましたっけ? 動揺する俺に気がついたのか、俺の顔を見つめながら、クスッと笑う彼女。

「私だって心細くなることはあるよ。ノエル兄が私のことを、その……大切に思ってくれているのは知ってる。だから、この戦いが終わったら、私と……」


 少し目を潤ませて、頬を桜色に染めて……俺にそっと近寄るシルヴィ。そんな彼女に見つめられた俺は……彼女を抱き寄せた。俺の背中にそっと彼女の手が添えられる。お互いの温もりを感じてホッとした気分になる。子供の頃からずっと見てきて……ずっと好きだったシルヴィ。


「ありがとうシルヴィ……。でもこんな俺でいいのか? なんていうかその……」

「ノエル兄の素行のことでしょ? これまでのことは許すけど……一緒になったら許さないよ……」


 あ、やっぱりそうですよね。俺はシルヴィがブチ切れるくらい各地でご乱行を重ねており、何度も何度も彼女に折檻されて来たのだ。でも俺たちは前衛職として何度も死線を乗り越えて来た仲間であり、信頼できる友人でもあり……今この瞬間からは心から大事な……心から愛する人となった。俺は彼女をそっと離して、じっと見つめる。


「シルヴィ……絶対に一緒に帰ろう、愛しているよ」

「……私もずっと愛していた……」

 シルヴィは俺にとって忘れられないくらい最高の笑顔で俺に微笑んだ……俺はそんな彼女をそっと抱き寄せて優しく口づけをする。

 月灯りが俺たちのシルエットを一つにしていく。




「ノエル兄、だめ! 目を開けて! 死なないで!」

 う、俺は……目の前でシルヴィが大粒の涙を流しながら叫んでいる。そうか、魔王ハイロードは倒せたんだな。最後の決戦時に俺は勇者ヒーローパーティの一員として魔王ハイロードとの戦いに挑んだ。

 魔王ハイロードは恐ろしく強く……俺たちは何度も負けそうになり、そして必死に抗った。全員が死力を尽くし、俺も今までに培った力を全て出し尽くして戦った。

 激しい戦いの果てに、俺はキリアンに向かった魔王ハイロードの攻撃を全身で受け止めて……そうだ、致命傷を負ったんだ。だがしかし……最後の大技を繰り出せた勇者ヒーローは、ついに魔王ハイロードに打ち勝った。人類の勝利が確定したのだ。

 光をもたらす者達ライトブリンガーズと呼ばれた今世代の勇者ヒーローパーティの偉業は為された……尊い犠牲を払って。


「ノエル……お前……俺を庇って……」

 キリアンが涙でぐしゃぐしゃになった顔で俺を見ている。

「……はは……そんな顔するなよ、キ……リアン。世界を救ったんだろ?」


 俺は口から血を吐き出しながら力が入らずに震える手で愛するシルヴィの頬をそっと撫でる。ああ、彼女と一緒になりたかった、ずっとずっと。初めて会った頃から俺はシルヴィのことが好きだった。愛していたんだ。


「ご……めんな……俺……ゴフッ……お前のことを……幸せにできそうにない……」

「だめ! 昨日約束したじゃない! 私を幸せにするって! アナ……ノエル兄を助けてよ! お願い!」


 シルヴィが必死の形相で『大司祭ハイプリースト』……治癒魔法のスペシャリストであるアナに縋っている。アナは俺の傷を見て……悲しそうに首を振る。それはそうだろう、俺の下半身は大半が千切れてしまっている。今生きているのすら……奇跡というものだ。

 呆然とした様子で、エリーゼがシルヴィの隣に座り込んで……俺の手をとって泣いている。


「無理です……シルヴィ。この傷を治せるのは……神しかいません」

 アナはそれだけを告げると、顔を背けて震える。自分の力の限界に堪えきれなくなったのか、彼女は静かに嗚咽を漏らして泣き出した。

 他の仲間も同じような感じだ。この仲間は数年一緒に旅をしてきた。それぞれにいろいろな思い出がある……喧嘩もしたし、その度に仲直りして共通の目的のために立ち上がって、そしてこうやって偉業を成し遂げた。

「……もういい、もういいんだ。俺は最後まで戦えたから……ありがとう」


 俺はシルヴィの頬を撫でると……もうぼんやりとしか見えないシルヴィの顔を見つめて……笑う。せめて俺がいなくなった世界で彼女や勇者ヒーロー達が幸せになってほしい、と思いながら目を閉じる。もう眠いんだ、寝かせてくれ。

 最後に聞こえたのはシルヴィが必死に俺の名前を叫んで泣き叫ぶ、そんな悲しい声。

 俺の目から涙が一筋こぼれて……そこで意識が暗闇へと落ちていった。




「あああああああああっ!」

 やたらリアルな夢を見て私は飛び起きた……なんだあれは、自分が死ぬ瞬間の記憶まで、そして全身に感じた痛み、死の孤独、体から失われる力すら感じて私は恐怖で震える。

 再びベッドに寝転ぶが、寝汗でパジャマがぐっしょり濡れているのが気持ちが悪い……枕元にある時計を見ると、朝四時を指している。

 少し早い時間だけど……もう一度寝る気にもなれないし、起きてシャワーでも浴びてしまおうと思い、起き上がるとビーグル犬のノエルが私が起きたことに気がついて、尻尾を振っている。


「起こしちゃったね、ごめんね」

 私はノエルの頭を優しく撫でて……お風呂場へと向かう。洗面所にある鏡を見ると、私は本当に疲れ切ったひどい顔をしている。パジャマを脱いで風呂場に入ると、軽くシャワーで汗を流す。


 ーー前世の記憶。


 KoRJに入って降魔デーモンと戦うようになって、リアルな夢を見るようになった。特にノエルの魂を感じて戦った後に多く夢を見てしまうのだ。私は別に前世の夢は見たいと思っていないのに。

 そしてあのシルヴィという美しい女性……今の私が見てもびっくりするくらいの美女だ。今まで顔がちゃんと思い出せなかったが、ついに……思い出した。

 そしてあんな美人を置いて逝ったのか……と思うと罪深くすら感じる。彼女のことを考えると恐ろしく切ない気持ちが溢れてきて……体が震えるのだ。


 とはいえ夢の中で死に直結する傷を負った時の私は必死に仲間を、友人を、そしてキリアンという男性を守ろうとしていた。自分の身を犠牲にしても守ろうとしていたのがとても……なんというか。

 この記憶は自分自身のことなのに、体という入れ物が違うだけで遠い場所の出来事のように思えてしまう。


「あれ? な、なんで……」

 その時私は自分がボロボロと涙を流していることに気がついた。私の気持ちは悲しくないのに、魂というか心が泣いている。強い思慕の気持ち……か? 切ないような、なんだろう……。

 涙を拭って、シャワーを改めて浴びる。


「はあ……どうなってるんだろう私は……自分自身のことなのに……」

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