第一三話 黄金郷(エルドラド)

「ああ……僕の女神様。今日は犬の散歩なんて……美しい……」


 都内の男子高校生、折田 隆史は彼が女神と崇める女性、新居 灯がビーグル犬を散歩している様子を物陰から眺めている。

 彼は心の中で彼女への愛の詩を歌い上げていた。


 『拝啓、麗しの君。

 今僕は君が犬を散歩しているところを見ています。

 君の名前が、新居 灯という名前であることを、先日青葉根の学生より聞くことができました。

 灯さん、なんて美しい名前なのでしょうか? 僕は君という明かりに照らされたい。

 灯さんの飼っている犬は……ビーグルなんですね、とても君らしくて可愛いです。

 ああ、ビーグルが君の頬を舐めている、僕はビーグルになって……君の頬を舐めたい。

 ああ、さらに君のスカートの中へ、犬が飛び込もうとしている……なんて羨ましいクソ犬なんだ。

 僕はビーグルになって、君に愛されたい。美しい女神よ、いつか君の愛を僕にくれないか』




「よーし、いくよぉ。ノエル!」

 新居家の愛犬、ビーグルのノエルが私が握るリードを引っ張って走り始める。ビーグルは猟犬として使われていた過去もある中型犬で、名前の語源は『開いた喉』という意味を持った犬種らしい。

 私の家で飼っているノエルは普通のトライカラーではなくレモンカラーのビーグルなので、ブリーダーさんが言うには全体の二〇パーセント程度しかこの色のビーグルは生まれないのだとか。

 嬉しそうな顔をして、大きな吠え声をあげて走るノエル……二年前に私が青葉根進学が決まった頃にお父様にお願いをして飼った犬だ。

 わざわざ悩みに悩んで前世の名前と同じ名前をつけたのは、私なりの前世との訣別かもしれない。


「こ、こら! ノエル、顔はだめだよ!」

 ノエルは尻尾を大きく振り、私に飛びついて私の頬を一生懸命に舐める。

 前世にはこの犬種はいなかった……というか犬の犬種など気にしたことがなかったので、『犬』という動物を認識していただけなのだが、改めて現世で犬を見た時に……『可愛すぎる……ッ!』と私の乙女な部分が超反応した。

 というか前世の犬科の動物は基本的に大型で野犬化しているものが多く、ペットとして飼っているケースは貴族や王侯に限られていたので、私的には『ペットを飼うなんてなんてセレブな生活なのだろう』と満足感が高いのである。

 はあ、なんて幸せな時間なのだろう。私はノエルが私の顔を舐め回していることに小さな幸せを感じている……ちょっと生臭いけど。


「あ、んっ! 何してるのノエル! そこはダメ!」

 だがしかし、ノエルは私の顔を舐めるだけに飽き足らず、スカートの中まで顔を突っ込み始めた。なんで天下の往来で……ノエルが興奮したように、尻尾を回転させている。なんてエロ犬だ……!

 太ももに感じるノエルの鼻息に少しだけ身を震わせる私。


『……ノエルって名前がよく無いのか、もしかして?』


 ふと浮かんだ疑問を押し殺して、私は顔を真っ赤にしながらもノエルのご乱行ではだけたスカートに四苦八苦しながら、興奮した前世の名前と同じ名前を持つわが愛犬を引き剥がしにかかる。

 まさかとは思うけど、周りの人にスカートの中身見えてないだろうな……視線を感じつつもなんとかノエルをスカートの中から引っ張り出していく。鼻息が荒い……たまにこういうところあるんだよなあ、ノエルは。

「も、もう……こんな場所では、だめでしょ。言うことを聞きなさい!」




 朝の朗らかな日差しの中、黒髪が跳ねる。

 夜の闇を凝縮したような黒い輝きを持つ長い髪が、風にたなびく。ビーグルが笑顔を浮かべる彼女の頬を舐め回すたびに、周りの男性陣の思いが一致する。

 あるものは妬みを、あるものは嫉妬を、あるものは欲情を心の中に感じながら美しい新居 灯の顔を容赦なく舐め回す犬へと視線を向ける。


『このエロ犬……羨ましすぎる、犬よ俺と変われ!』


 困ったように犬を宥める度にたわわな胸が弾み、その動きだけでも男性陣の目がそこに集中する。

 なんてデカい……上下する胸に合わせて男性陣の視線は上下に動く。

 そうこうしているうちに、丈の長いスカートを履いている灯のスカートの中へとビーグル犬が突入していくのを目撃し、彼女の様子を伺っていた男性陣は皆同じ思いを共有する。


『神だ……神の犬が現れた……!』


 新居 灯のスカートが犬の突入ではだけてしまうが、ギリギリでその奥にある秘境へは到達していない。もう少しだ、あと少しで俺たちの冒険ジャーニーは終わるんだ!

 ビーグル犬の尻尾がフル回転している様子を見て、周りの男性陣は目が離せない。皆思いは一緒だ、その隠された奥地を……犬よ……俺たちをあの隠された黄金郷エルドラドへと導いてくれ!

 そこには冒険者たちが目指す、ただ一つの財宝が眠っている。


『白か? 黒なのか? それとも……もっとすごいのか!?』


 だがしかし……犬は残念ながら灯の手によって引き剥がされ、共通した男たちの強い想いは無惨にも散華する。しかし、男たちはお互いの顔を見て思う……俺たちは想いを今、共有したのだ、と。

 密かな満足感を抱え、仮初の冒険者たちがその場より解散していく。そこには命をかけて隠された財宝を探した冒険者たちの魂の共鳴が確かに……存在していたのだった。




「最近休んでなかったから……ゆっくり休むよ」

 その後、先輩は一週間ほど入院することになったと直接連絡をもらった。

 戦闘で骨を折ってしまって部活動ができなくなったことをかなり悲しんでいるようだったので、流石に助けてもらったのに何もしないのは悪いかなと思い、一度病院へお見舞いに行くことにしたのだけど……。


 ドアを開けて病室へ入った私にあまりにたくさんの視線が突き刺さったことで、私は正直本気で動揺した。

 先輩の新祝高校の女性陣が驚くほどの数……そして鮨詰め状態で病室にいたのだ。

 新祝高校では先輩はテニス部のエースで、王子様プリンスと呼ばれているらしく、同じ高校ではない制服を着た私の出現を見て、彼女たちは病院内にもかかわらず大騒ぎとなってしまった。


王子様プリンスとどういう関係なんですかっ!』

『もしかして……王子様プリンスの彼女ですか!?』

『悔しい! 王子様プリンスの彼女を呪ってやる!』


 私は先輩とはバイト仲間でしかなく、恋人でもなんでもない、幼馴染でもないし、単なる赤の他人です、と必死に説明を繰り返したのだが、先輩がその度に悲しそうな顔をするのを見た取り巻きの女子たちは信じてくれず……二度といかねえ……と心に決めることとなった。


『新居さんが僕のためにお見舞いに来てくれるなんて……僕は本当に嬉しいよ』


 先輩が少し頬を赤らめて話すもんだから、加熱した私への糾弾は数時間に及び……最終的に事態を重くみた病院の看護婦さんに私が叩き出されるという実に納得のいかない出来事が発生していた。

 ああ、面倒臭い……どうして違うって言ってんのに信じてくれないの。昨日の出来事を苦々しく考えながら登校中の私にミカちゃんが駆け寄ってくる。

「あかりん、おはよう〜」


「ミカちゃん、おはよう」

 今日もミカちゃんの笑顔が眩しい……ってあれ? 印象が少し違うな。少しだけ大人っぽくなったような……濡れるような唇の輝きから、私はミカちゃんが新しいリップをつけてきたのだと理解した。

「あれ? ミカちゃんリップ変えた?」


「ふっふっふっ、よく気がつきました! あかりんの女子力も鍛えられてきましたなあ」

 ミカちゃんはすごく嬉しそうな顔をして私に顔を近づける……濡れたミカちゃんの唇に目がいってしまう。

 前世ならここまで近い距離だと『誘ってんのか!? 誘ってんのか、バーロー!』とそのままコトをいたしてしまうケースもあったのだが、今の私は健全かつお嬢様な女子高生である。


 なので、奇襲でミカちゃんの唇を奪うなんてことはしないのである。

 でもドキドキしちゃう、だってミカちゃん可愛いし私の前だと色々ガードが甘い気がして……そのまま唇を奪っても笑って許されるのではないか? と私の中の男性の心が叫ぶが……まだ朝だと言うこともあって必死に我慢する。

 二人きりの時にこんなに近かったら、私は我慢できずに陥落しちゃうかも知れない。

「全部ミカちゃんのおかげだよ〜」


「んー? あかりん、もっと褒めてくれたまえよ。はっはっは」

 嬉しそうに腰に手を当てて喜ぶミカちゃん。この子はとにかく明るい、そしてかわいい顔立ちなので男子の間でも実は隠れた人気のある子なのだ。

 私と一緒にいることが多く、目立たない印象だが……男性がよく私を見ている横で、ミカちゃんをじっと見ている人も多い。

 だから……いつかミカちゃんに彼氏ができる時は私がその彼氏を見定めてやろう、と思っている。変な虫がつかないように私がミカちゃんを守るのだ、そうこれは今世の私に課せられた使命と言っても良い。

「異世界堂の新製品なんだって、ちょっと値段は張るけどおすすめだよ!」


「へー、ミカちゃんおすすめの異世界堂か〜、あそこの化粧品いいよね」

 ミカちゃんが私の腕に自分の腕を絡めてくっつきながら話している。

 近いッ! 近いですよミカちゃん。周りの男子生徒が羨ましそうな顔で見ているが、私とミカちゃんの仲を知っているので微笑ましく見えているはずだ。

 教室に着くまで、私とミカちゃんは思う存分女子力向上についての会話を楽しみながら歩いていく。


 女子高生二人が仲良く腕を組み、楽しそうに話しながら歩いている。

 一人は身長一七〇センチメートルを超えた……夜の闇を凝縮したかのような輝きを持つ長い黒髪を靡かせ、ブレザー越しでもわかる大きなバストと、スカートから除く白い足と彫刻のように整った容姿の少女。

 もう一人は身長一六〇センチメートル程度、黒髪をポニーテールでまとめて、人懐っこい笑顔を浮かべる可愛らしい少女。

 全くタイプの違う二人だが、彼女たちは古くからの親友である。


 新居 灯と昭島 美香子の二人が入学前からの親友であることは有名で、二人にお近づきになりたい男子生徒は恐ろしく多い……ただ、彼らの間では密かに囁かれていることがあった。

 二人の距離が近くいつも一緒にいる……つまり……アレでは無いかと。思春期にはちょっとありがちな同性カップルなのではないか! と。

 くそう、そんな羨ましい関係なのかもしれないと思うと、男子生徒たちの妄想は膨らむ。

 そして二人を見ていた男子生徒が気がつく。あ、今ちょっと昭島が新居の胸触ったよね! 絶対軽く揉んでるよねそれ!


 青葉根の漫画同好会において、密かに同人誌として百合本すら作られているという事実を……二人はまだ知らない。

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