第一二話 城塞(ストロングホールド)

 地を震わす咆哮と共に、巨軀の牛巨人ミノタウロスが突進する。


 私は突進してくる牛巨人ミノタウロスをいなすように、細かいステップを繰り返して凄まじい風圧の拳を避けていく。

 返す刀で私も牛巨人ミノタウロスの腕へ斬りつけるが、筋肉が鋼の鎧のように硬化しており、皮膚の表面を音を立てて滑るだけである。

 舌打ちをする私……同じように牛巨人ミノタウロスがイラついた咆哮を上げる。まるで防御を考えていない殺意がむき出しになった剛腕による攻撃をひたすらに繰り出してくる。

「……怒っても、当たりませんよ」


 攻撃を避けながら私は状況を分析する。

 まず、牛巨人ミノタウロスは完全に凶暴化バーサークしている。その証拠に、攻撃は非常に単調だ。正直に言えば、単調すぎて話にならない。

 前世でもそうだったのだけど、凶暴化バーサークした後の牛巨人ミノタウロスは攻撃力と防御力は凄まじいものがあるが、非常に単調な攻撃を繰り返すだけなのだ。


 その証拠に彼は大戦斧グレートアックスすら捨ててしまっている……はっきりいえば、武器での攻撃はリーチも長いし、破壊力も段違いだ。だからこのタイミングで斧を捨ててしまうというのは、はっきり言って悪手だ。

 だから、現状の方が対処はしやすいはずなのだけど……私が先に疲労してしまってパワーで押し切られる可能性もある。

 前世の記憶に従えば、こちらが冷静に対応できればなんとかなるはずなのだけど、不安が心によぎる。


 そんな私にお構いなく、暴風のように振われる牛巨人ミノタウロスの剛腕をかわしながら私は必死に頭を回して対応を考える。

「問題は……私が全ての力を出し切っていない、と言うハンデを背負っていることだわ」

 前世と違ってこの体はとても華奢だ。今の牛巨人ミノタウロスは動く城塞ストロングホールド……全力で斬らずに倒せるのか? という不安が募る。

 いや違うぞ新居 灯……確実に倒さねばならない、それが今の私の仕事だからだ。


『仕事として受けた以上、必ずやり通すそれが剣聖ソードマスターの役目だ』


 前世で私……ノエルは仲間から仕事に対する姿勢を問われてこう答えていた。

 なかなかに立派な答えだと私ですら思う。ドヤ顔でそんな発言をしつつ失敗してしまったケースなども黒歴史の中には存在しているのだが、まあそれは今は恥ずかしくなるだけなので思い出さないようにしよう。

 攻撃を避けながら私は牛巨人ミノタウロスとの距離を取るために後方へと一気に飛び退き、日本刀を鞘に収め……今できる最高の攻撃を繰り出すべく閃光センコウの構えを取る。

「女は度胸ってね、私ならやれるって信じてる……」

 空気が変わったことを感じて、牛巨人ミノタウロスが鼻息を荒く吐き出して身構えると、本当に何も考えていないかのように一気に距離を詰めて、連続で拳を振り下ろす。


「あ、ちょっと……今いいこと言ったのに!」

 その全てを舞うように避ける私は、刀の鐔に指を当てたままタイミングを見計らう。

 居合イアイである閃光センコウのために、完全に静止した状態を作りたい。そうはさせないとばかりに大きな咆哮を上げ、大きく拳を振り上げた牛巨人ミノタウロスが突進する。

 その時、偶然なのかふわりと舞う木の葉が牛巨人ミノタウロスの視界を遮った……攻撃が私の体から拳二個分だけズレて地面へと突き刺さると轟音と共に土煙が舞う。

 今だッ! 地に足がついた状態で、私は言葉通り閃光センコウの如き一撃を抜き放った。


「ミカガミ流剣術……閃光センコウッ!」


 全ての時が止まったような数秒の静寂が世界を支配する。

 日本刀を振り抜いた私は武器をくるりと回し、いつものように鞘に収めて一度深く息を吸い、そして大きく息を吐く。

 その横で牛巨人ミノタウロスの赤い眼光から光が消え、ゆっくりと斜めに断ち切られた上半身と下半身がズレていく。切断面から血が滴り、牛巨人ミノタウロスは地面へと音を立てて倒れていく。

 ほぼイメージ通りに剣を振り抜けただろうか……ここ最近では最高の出来であった、と感じる。まだまだ私も成長の余地があるのだな、と心に密かな満足感を感じて私は……小さく拳を握って喜びを噛み締めた。


「さすが……新居さんはすごいね……」

 私が声に驚いて振り返ると……茂みの中から先輩が姿を現す。

 その姿はまさに満身創痍と言うのが正しいだろうか? 顔は血で濡れ、右腕が折れているのか押さえながら足を引きずって、必死にこちらへと歩いてこようとしている。そうか……あの木の葉は先輩が……。

「せ、先輩……その傷は……」


「ハハ……負けちゃったよ……」

 気が抜けたかのように先輩は、ふらりと体を揺らすとそのまま崩れ落ちる……私は慌てて彼のそばへと駆け寄ると、首筋に手を当てて脈を確認する。

 弱いが、死んではいない……まだ助かる。私は先輩を抱えるとインカムに向かって叫ぶ。

「青山さん! 病院へ搬送準備を……先輩が死んじゃう!」




「……あ、あれ?」

 青梅が目を覚ますと、そこはガタガタと揺れる車の後部座席に寝かされていた。

 焦点がうまく合わない……さらには身体中が軋むような痛みを伝えてはっきりと覚醒すると、彼の顔を心配そうに眺めている新居 灯の顔が見えた。

「先輩、大事をとって病院までは動かないでください」


「あ、うん……ここは……」

 後頭部は痛むのだが、とても柔らかい感触を感じて自分が今どこに寝かされているのかに気がついて驚く。タオルを引いているが彼の頭は新居 灯の膝の上に乗せられており、彼女は青梅の頭を優しく撫でている。

「あ、新居さん……?」


「先輩、動かないでと言いましたよ」

 善意からなのだろうが、青梅の視界の端には灯の大きな胸部が下から見えている状態で、さすがに健全な男子高校生には刺激が強く、さらに気恥ずかしい。

 見ないようにしないと……と赤面しながら再び目をつぶる。そんなこともいざ知らず、灯は青梅の頭に優しく手を乗せて彼の頭を撫でている。

 仄かに暖かい……そしてとても細くて華奢な手の感覚に彼女の手を握り締めたい衝動に駆られるが、ぐっと我慢する。


「もう一人敵がいた。虎獣人ウェアタイガーだった」

 ボソリと青梅が口を開く。その声に灯が目を閉じたままの青梅を見つめる。

「僕は……僕の攻撃は弱かった……」

 青梅の目からぽろりと涙が落ちる。悔しい、能力を持っているにもかかわらず、今のままでは足手まといではないか……能力者だと言われて調子に乗っていただけの……ただの高校生なのではないか、と複雑な感情が巻き起こる。


「……私は先輩の良いところをたくさん知っています」

 灯がボソリと呟く、その言葉に青梅が驚いたように目を開く。

「先輩は……確かに私や、他の人のように接近戦はそれほど得意ではないかもしれません。でも牛巨人ミノタウロスの視界を奪った木の葉……偶然ではなく先輩の能力ですよね」


「あれに気がついてた……?」

 そう、青梅は状況を見て新居 灯のサポートをするべくピンポイントで木の葉を舞わせて、牛巨人ミノタウロスの視界を奪うことに成功していた。

「はい、あれがなければ私はあそこまでの一撃が出せなかったと思います、助けていただいてありがとうございました」

 その言葉を受けて、少し満足そうに青梅が笑う。

「君の役に立ったなら、満足だよ。僕にできることは少ないけど……」


「はい……ですから今はゆっくりお休みください」

 灯が微笑んで、青梅を優しく撫でる。ああ、心地よい……誰よりも強く、美しい後輩にこうしてもらうことがなんて心地よいのだろう。

 僕は……僕はいつか君の……ゆっくりと青梅の意識が暗闇に沈んでいき深く寝息を立てる。

 その様子を見ながら、リムジンを運転する青山は震えながら思っていた。

『そんな空気出してるなら、もうお前ら付き合っちゃえよ!』




 さて、先輩は寝たのでここからは色々考える時間だ。

 なぜか運転中の青山さんがバックミラー越しにプルプル震えてるのは、先ほどまで醸成されていた空気のせいだろう。

 いや、私は単に『おめえ、パワーじゃなくて別に良いとこあんだから、そんなに落ち込むなよ、な?』という意味で話していたのだが。

 悩める先輩を励ますためにいろいろ考えて話していたら、あんな喋り方になっただけなのだ……別に感情とか入ってないし。

 青梅先輩は確かに正面切って戦ったら、悠人さんにも勝てない可能性がある。でも強さのベクトルとは単純に力が強い、技が優れている、鎧のような外皮を持っているだけではないのだ。


 虎獣人ウェアタイガーに正面切って殴り合いを挑めばそんなもんだろう、だって能力の相性が悪すぎる。

 獣人によっては痛覚を切り離す能力を持っている者もいる。先輩は距離をとって、ひたすらに相手の攻撃を封じ続けるという戦い方も選択できたはずだ。でもそうしなかったのはおそらく彼なりの正義感、真面目さに起因するところなのだろう。甘さなのだろうけど……嫌いではない。その辺りは戦闘経験を積んでいけば解消されるものだ。


 だから、先輩はこれからが本番なのだ。彼はたった一八歳の若者にしかすぎない。戦闘経験も大したレベルではない。前世がある私とは子供と大人……いや。だから比較するべきでは無いかもしれない。

 死線を潜っていった人が大きく成長するところを何度も見てきた。だから、期待するしかない。


 とにかく、そういうことなのだ。本当に他意は無い。先輩にこれだけ優しくしているのは、子供をあやす大人のようなものだ……と私は心の中でドヤ顔をして、周りの状況を確認する。

 ミラー越しにこちらを見ている青山さんがプルプル震えながら『私の目の前でその先に進むんじゃねえだろうな? 困るぞ!』という表情をしているけど、私は今は恋などしないのだ。


 だって前世が男性でしかも剣聖ソードマスターなんだもん、男性とお付き合いするなんて難しいからね。

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