第一一話 虎獣人(ウェアタイガー)

 少し離れた場所で、何かを叩くような音が響く……地面が軽く揺れ周りの木々から鳥が慌てたように飛び立つ。


「……牛巨人ミノタウロス以外に降魔デーモンがいるなんて話はなかったけどね、出てきたらどうです?」

 青梅 涼生おうめ りょうせいはその音で新居 灯が戦闘に入ったことを理解したが、彼自身はとある気配を感じ取って警告を発する。

 声に反応して茂みから一人の男がのそり、とその姿を見せる。


 現れた男は灰色のスーツを着ており、金髪、青い目、痩せた少し血色の悪い顔をしている。

 背は一八〇センチメートル程度だろうか。胸元には赤いネクタイをしており、一見ビジネスマンか何かのように見えるのだが、彼は隙なく青梅との距離をとっている。青梅はその身のこなしがどう見ても一般人のそれではない、と感じた。

「いつから気が付いていましたか……?」


「まあ……つい先程ですけど、あなたは普通の人間ではありませんよね?」

 青梅は拳を構えて、油断なくスーツ姿の男との距離を測る……彼はそこまで格闘戦が得意なわけではないが、それでも護身術に相当する武術は習っており、一通りの対応ができるようには鍛えているのだ。

「やれやれ……見つかってしまったのは私の失態ですが、戦うためにいるわけではないので見逃してもらえませんかね?」

 スーツ姿の男は血色の悪い顔に笑みを浮かべて青梅の気を削ごうとするが、一度警戒心の芽生えた彼は油断なく身構えたままだ。


「戦うためにいないのに貴方の目は、猛獣のような殺気に溢れています……正直逃げたいのは僕の方ですよ」

 青梅はこめかみに冷たい汗が流れるのを感じる……逃げたいというのは本音から出た言葉だが、今ここで逃げるわけにはいかない……逃げ出した後にこの男が新居 灯に攻撃を仕掛ける可能性だってあるのだ。


『後輩でもある彼女を危険に晒すなんて、とんでもない!』


 青梅は片手でポーチの蓋を開けると、中に入っていた小さな鋼球を無造作に手のひら一杯に掴んで取り出した。

 握りしめた手の中で鋼球同士が擦れて嫌な音を立てていて、少しだけ耳障りだなと思う。

 そんな彼の行動を不思議そうに見つめるスーツ姿の男。

「随分小さな鋼球ですね……なんの真似でしょうか?」


 それには答えずに青梅は掴んだ鋼球を宙に無造作なくらいの動作で放る。

 スーツ姿の男の視線が、ばら撒かれたように見えた鋼球を追いかけた次の瞬間、鋼球がまるで生命を持ったかのように動き出し青梅の周りを高速で旋回していく……それは大海を泳ぐ魚の群れに似た動きに見えた。

「僕の能力は念動力サイコキネシス。この鋼球は一個あたりの重量は軽いのですが、僕の能力でそうですね……五十〜一〇〇発程度ならとても楽に動かせます」


 鋼球が生き物のように滑らかに空中を舞って、旋回速度を上げていく。その速度の上昇を見て、スーツ姿の男が危険を察知したのか慌てたように戦闘態勢をとる。

 青梅の意思に応じて回転していた鋼球の速度がどんどん上昇していく。その速度は目に見えないレベルまで上がり、高周波に近い音を立てて暴れ、時折鋼球同士が擦れては耳障りな音を立てる。

 その音に少しだけ顔を顰めるスーツ姿の男。


 回転する鋼球が巻き起こす風に包まれながら、青梅はゆっくりと男へと歩き出す。

 あまりに無防備な行動に見えるが、複雑かつ不規則に回転する鋼球に触れた石や木が砕け、千切れて吹き飛んでいく。

風陣ブラスト……KoRJでこの攻撃を見た人がそんな名前をつけてくれました」

 青梅が前進するたびに周りの空間にある異物を次々と削り取っていく……少し考えた後、スーツ姿の男は足元に落ちていた枝を拾って青梅に向かって放るが、接触の瞬間に鋼球の速度が上がり、枝がまるで紙のように一瞬で引き裂かれてしまう。


「……これは厄介ですね……」

 スーツ姿の男は考える……この若者と対峙している今、自身の能力を見せずに切り抜けられるのか? という自らへの問い。彼の記憶の中にこんなえげつない攻撃方法を有した敵はいなかったのだ。

 ふうっ、とスーツ姿の男が息を吐き出してガリガリと頭をかいた後、ネクタイを緩めてシャツのボタンを外した。


「ではまずは本気で……試させてもらいましょうッ!」

 体の奥から絞り出した不気味な唸り声と共に、男の表情が凶暴なそれに変わると髪の毛や全身の毛が逆立ったように見えた。

 彼の腕や顔に、それまで生えていなかった毛がゆっくりと生えていく。知的な深い色を湛える青い目はそのままだが、口元から鋭い牙が覗き、次第に大型の猫科を思わせる外見へと変化していく。

 全身の筋肉が凄まじい勢いで盛り上がっていく、スーツが破れ黄金色と、黒色の毛に覆われた肉体が露わになる……手は鋭い爪が見える。

 変化がおさまると、そこには筋骨隆々の巨軀を持った虎獣人ウェアタイガーが姿を現していた。


獣人ライカンスロープ!? 初めて見たな……」

 KoRJの記録では獣人ライカンスロープは何級相当だった? 青梅の頭脳がフル回転するが、そんな一瞬の迷いというか思考の隙間を縫って、虎獣人ウェアタイガーは全身の筋肉を膨張させ、地面を蹴って青梅に向かって超高速の突進を行う。

「受けてみよ! 若造ッ!」


 青梅が風陣ブラストを展開したまま、その場から後方へとステップして攻撃を回避する。

 合わせて鋼球をコントロールし、虎獣人ウェアタイガーへ向かって弾丸のように飛ばすが、顔を狙って飛んだ鋼球を彼は素手で難なく薙ぎ払う。

 銃弾に匹敵する風陣ブラストの鋼球を跳ね除ける?! 青梅は目の前で起きた出来事に驚愕するが、お構いなしに虎獣人ウェアタイガーは鋭い爪を持った腕を振り上げて襲い掛かる。


散弾ショットガン!」

 青梅は展開していた鋼球を一気に集約させると、手のひらに一点集中させて拡散弾のように前方の空間へと打ち出す。

 突進をやめない肉体に弾丸のように食い込む鋼球……しかし、虎獣人ウェアタイガーがぎらりと赤い眼を輝かせて、全く怯むことなく青梅へと剛腕を振り下ろす。

 青梅はその鋭い一撃をギリギリで回避すると、大きく後ろへと飛び……どっと吹き出す汗を拭って大きく息を吐く。直撃はしなかったが、恐ろしさで身が竦むような思いになっている。


 グルル……と唸り声を上げた虎獣人ウェアタイガーの爪に、引き裂かれた戦闘服の切れ端がついている。青梅のパーカーの胸の部分が大きく切り裂かれ、素肌が見えているが肌には爪で裂かれた傷から血が軽く噴き出していた。

 引き裂かれた傷が熱く感じる……ジクジクとした痛みを感じて、青梅は少しだけ顔を歪める。

 傷跡は残ってしまうだろうか……このアルバイトを始めてから生傷がよく増えるようになった、と少しだけ心の中でため息をつく。


「こいつは僕と相性が悪いな。初めてみたが……一級降魔デーモン相当じゃないのか?」

 散弾ショットガンの着弾で生じる痛みを無視できるのか? 肉体に異物が食い込む痛みには普通耐えられないはず。無理矢理異物をねじ込まれる拷問のような物だからだ。

 現に虎獣人ウェアタイガーの体にはいくつもの穴が空いており軽く血が吹き出しているが、当の本人は意にも介していないように見える。

 痛覚を無効化する能力があるとか? 散弾ショットガンは青梅が普段使う能力の中でも攻撃力は高い……それ以外となると一撃で相手を倒すような技は存在していないため、彼は少し逡巡する。

「少し重いものを使うしかないね……」

 青梅は周りに軽く目をやると、使えそうな物体を視界へと収めていく。その合間に右手で胸についた傷跡から血を拭い、軽く舐めとると血の味が口に広がる。


 はあっ、と大きく息を吐き出し……覚悟を決めて唾液に含まれた血を地面へと吐き出すと、近くにあった木製のベンチへと無造作に手を伸ばして意識を集中する。

 突然ベンチを固定している台座が青梅の念動力サイコキネシスの引っ張る力に耐えきれずにひしゃげ、破砕音とともに青梅の前へと、ベンチが回転しながら浮き上がり彼の意志のままに空中を舞う。

 それを見て、虎獣人ウェアタイガーが少し驚いたような表情を浮かべて……ほぅ……と息を吐いた。


「ここで貴方を止めなければ……仲間に危険が及ぶ。それには耐えられない」

 覚悟を決めて宙を舞うベンチと共に、青梅が虎獣人ウェアタイガーとの距離を詰めるために走り出す。

「心意気は良し……その正義感、嫌いではない」 

 青梅の突進に合わせて虎獣人ウェアタイガーはそれまでと違い、構えをとって腰を落とす。

 彼に向かって青梅がコントロールして打ち出したベンチが凄まじい速度で迫るが、虎獣人ウェアタイガーは迷うことなく真っ直ぐに拳を打ち出してベンチを殴りつける……爆音と共にまるで時が止まったかのように勢いが消される。


 青梅は両手で虎獣人ウェアタイガーを押し切ろうと念動力サイコキネシスでベンチを押し続ける。虎獣人ウェアタイガーは拳の連打でベンチを殴り続けながら、ジリジリと前進していく。

「くっ……これでも軽いのか……ッ!」

 ならば! 青梅は力のコントロールを変えるためにベンチを一度引いた。

 虎獣人ウェアタイガーの目がきらめき、その一瞬の間隙を縫って青梅との距離を一気に詰め……左手で拳の一撃を見舞う。


「ぐ……ああっ……」

 この攻撃は避けることができないと判断した青梅は咄嗟に右腕でブロック態勢をとるが、衝突と同時に右腕に凄まじい痛みと骨が砕ける音が響く……虎獣人ウェアタイガーがそのまま拳を振り切ると、吹き飛ばされた青梅は近くの木の幹へ叩きつけられる。

 青梅は一瞬だけ意識を失い、コントロール不能となったベンチがあらぬ方向へと吹き飛んで、音を立てて地面へと落下する。


 虎獣人ウェアタイガーはふうっ、と大きく息を吐くと拳の手応えに満足感を感じている。手応えはあった……若者は死にはしないだろうが、立ち上がることすらできないだろう。

 しかし彼の予想を遥かに超える精神力で、青梅はゆっくりと体を震わせながら立ち上がる……頭から血を流して、満身創痍の彼はそれでも虎獣人ウェアタイガーを見据えて戦闘態勢を取ろうと手足を震わせている。


 その姿を見て虎獣人ウェアタイガーが感心したような表情を浮かべる。普通はここまでやられて立ち上がるなんてことはできない……気絶してしまえば楽なのに。

「……心が強い……この世界にも勇者ヒーローはいるのだな……」

 青梅が勇気を振り絞って立ち上がる。強い精神力と、勇気が彼の体を支えている。

「僕は……負けられない……ッ」

 だがしかし虎獣人ウェアタイガーは青梅に一礼をすると、もう勝負は終わったとばかりに背を向けて闇の中に溶け込むように歩き出す。

「この世界に住まう勇者ヒーローよ……再び勝負をしよう。それまでに強くなれ」


「な……」

 青梅が呆然としている間に、虎獣人ウェアタイガーは闇にかき消えるように姿を消していった。

「逃げられた……いや……完敗か。くそっ」

 青梅の心に敗北したというドス黒い感情が巻き起こる……。その感情を抑えるように何度か深呼吸をした青梅は、すぐに痛む体を引きずって移動を始める。


「新居さん……彼女のフォローをしないと……」

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