3ー6

「せ……先生?」


 全員がぽかんとして起き上がった西島先生を見つめた。西島先生はまだ意識がはっきりしていないのか、ぼんやりとした表情で部屋を見回している。


「あ……あれ? 僕はいったい……?」西島先生が額に手を当てながら呟いた。


「そこにいるのは木場さん? それに島田君や木内さんまで……。どうしてこんなに大勢の人がいるんだい?」


 ようやく目を覚ましたと思ったら、8人もの学生――しかも半分は面識のない学生――が自分の研究室に集まっているのだ。西島先生が混乱するのも無理はなかった。


「先生……今回は大変な目に遭いましたね」茉奈香が同情するように言った。


「先生は恐ろしい犯罪に巻き込まれ、危うく命を落とすところだったんです。でも安心してください。真犯人の正体は、この名探偵、木場茉奈香が華麗に解き明かしましたから!」


 茉奈香が得意げに人差し指を立てた。だが、西島先生はぽかんとして茉奈香を見つめているだけだ。


「恐ろしい犯罪……? いったい何のことだい? 木場さん、ちょっと推理小説の読み過ぎじゃないかい? いつも言っているだろう? 現実と小説をごっちゃにしちゃいけないって」


「これは小説ではなく、実際に起こった事件です!」茉奈香がむきになって言った。


「先生は國枝先生に殴られて額に傷を負った! これは立派な傷害事件です!」


「額に傷……? あぁ、さっきから痛いのはそのせいか」西島先生が傷の辺りに手をやった。

「でも木場さん、これは殴られて出来た傷じゃないよ」


「え?」


 茉奈香が目を丸くした。他の7人も一様に同じような顔をする。


「じゃ……じゃあ切り傷ですか!?」茉奈香があたふたと尋ねた。

「國枝先生は、卒論じゃなくてナイフか何かを凶器に使ったんですか!?」


「さっきから何を言っているんだい?」西島先生が困惑した様子で眉を下げた。

「どうして國枝先生の名前が出てくるのか知らないけど、これは僕が1人で付けたものだよ」


「1人で?」由佳が尋ねた。


「あぁ。ピザのデリバリーを頼んだんだけど、運ぶときにテーブルに躓いて、紙ナプキンの束を床に落としてしまったんだ」西島先生が恥ずかしそうに笑った。


「それを拾っている間に、今度はテーブルに頭をぶつけてしまってね。かなり勢いよくぶつけたから、傷になってしまったみたいだね」


「え、じゃあ気絶してたのは?」島田が尋ねた。


「それも恥ずかしい話なんだけどね」西島先生が苦笑した。

「ちょうどピザを食べようとした時に、執務机の上に置いてあった携帯電話が鳴ったんだ。電話の着信だったから、出ないわけにもいかなくてね。2、3分話してからソファーに戻ったんだけど、そこで拾い忘れていた紙ナプキンで足を滑らせてしまったんだよ。床に頭をぶつけて、打ちどころが悪かったせいか、そのまま気絶してしまったみたいだね」


「じゃ……じゃあ、國枝先生とのピザ協議会は? 凶器の卒論は?」茉奈香がうろたえながら尋ねた。


「だから何の話だい?」


 西島先生がいい加減疲れたように言った。推理が一瞬のうちに崩壊し、茉奈香は両手で頭を抱えた。あまりの衝撃の大きさに、その場に立っていることさえ難しくなる。


「……要するに、タンテーさんの盛大な空回りだったってことっすね」


 井上の言葉がとどめを刺した。茉奈香は床に膝を突くと、四つん這いになってがっくりと項垂れた。


「あの……木場さん? 大丈夫かい?」西島先生がおずおずと尋ねてきた。


「大丈夫です。いつもの連敗記録が増えただけなんで」


 由佳があっさりと言った。さっきまで沈鬱としていた研究室には、今や白けた空気が広がっていた。唯一山田だけが、恩師の疑いを晴らせたことでほっとした顔をしている。

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