3ー4

 研究室が、水を打ったように静まり返った。


 由佳も島田も、佐藤も井上も、恵里も萌も、誰もが呆気に取られて茉奈香の顔を見つめている。中でも一番ショックを受けているのはやはり山田だった。まるで自分が告発を受けたように、顔がさあっと青ざめていく。


「く……國枝先生が犯人って、どうしてそんなことがわかるのさ?」山田がどもりながら反論した。

「先生は厳しい人だけど、間違ったことは絶対にしないんだ。そんな人が犯人だなんて……」


「お気持ちはお察しします」茉奈香が眉を下げた。「ですが、推理の論理的帰結として、國枝先生が犯人であることは疑いようのない事実なのですよ」


「じゃ、じゃあその推理を教えてよ」山田がなおも言った。「大事な先生が犯罪者に仕立て上げられようとしてるのに、黙ってるわけにはいかないからね」


「いいでしょう。それでは、この事件を締め括る最後の推理をお披露目します」


 茉奈香は頷いて言うと、例のパイプをポケットから取り出し、くわえてから語を継いだ。


「まず、凶器に着目してください。この事件の凶器は島田君の卒論ですが、犯人はどこで卒論の存在を知ったのでしょうか? 西島先生の部屋に卒論があったのは偶然で、犯人が事前に目をつけていたとは考えられません。つまり犯人は、犯行現場に来て初めて、卒論の存在を知ったことになります。

 では、犯人が卒論の存在を知りえるのはどのような状況でしょうか? 真っ先に考えられるのは、卒論が執務机の上に置いてあった場合です。犯人は部屋に入った際、机の上にある卒論……正確に言えば卒論の入ったドッチファイルの存在に気づき、犯行に利用しようと考えた。ですが、この推理にはいささか問題があります」


「問題って?」萌が興味津々で尋ねた。


「それは、ドッチファイルを見ただけでは、中身が卒論かどうかわからないという点です。あたしが卒論を凶器だと考えたのは、それがこの部屋に元々なかったという点で、犯行現場から持ち去っても違和感がないと考えたためです。

 ですが、もしファイルの中身がこの部屋に元々あるべき書類……例えば西島先生の研究結果をまとめた書類だったとしたら、それがなくなっていれば誰でも不自然に感じます。つまり、中身のわからないファイルを凶器として使用するのは、犯人にはリスクが高すぎるのですよ」


「じゃあやっぱり卒論は凶器じゃないんだよ」佐藤がそれ見たことかという顔をした。「探偵さんの前提が間違ってるんだ」


「話は最後まで聞いてください」茉奈香がむっとして言った。

「犯人は目視で卒論に気づいたわけではなかった。では、どうやってその存在を知り得たのか? その答えは簡単です。西島先生から直接、その存在を教えられたのですよ」


「はぁ? どういうことだよ?」島田が素っ頓狂な声を上げた。


「つまり犯人は、西島先生との会話の中で卒論の存在を知ったのです」茉奈香が明瞭な声で言った。

「島田君の卒論があんまり優秀だったから、西島先生も思わず自慢したくなったのかもしれません」


「ま、まぁ、俺は見かけによらず優秀だからな」


 島田がまんざらでもなさそうに頭を掻いた。由佳が「照れる場面じゃないでしょ」と呆れ顔でため息をつく。


「で、でも、それだけでどうして國枝先生が犯人だってわかるのさ?」山田がいじましく抵抗した。

「会話の中で卒論の話題が出てきたってだけなら、他の人が犯人の可能性もあるじゃない」


「ふむ、例えばどんな人ですか?」


「た……例えばゼミ生だよ。ゼミ生が卒論について相談に来た時に、他の人の進捗状況を聞いたかもしれないじゃないか」


「なるほど。確かにその可能性はあるでしょう。ですが、現場の状況からして、ゼミ生が犯人とは考えにくい。ピザがその証拠です」


「ピザ?」由佳が眉根を寄せた。


「そう、ピザです。先ほど、先生はピザを切り分けている間に殴られた可能性が高いと言いましたね。紙皿の上にある食べかけのピザからしても、ピザを食べている間に犯行が行われたことは明らかです。ですが、ゼミ生が卒論の相談に来ている間に、ゼミ生をほったらかしてピザを切り分けようとするでしょうか?」


「ゼミ生にピザをあげようとしたとか?」恵里が思いついて言った。


「それはあり得ません」茉奈香がかぶりを振った。

「もし、先生がゼミ生にピザを分け与えたのであれば、テーブルには少なくとも紙皿が2枚はあるはずです。しかし、実際には先生の分の1枚しかない。つまり、ピザを食べていたのはあくまで先生1人であり、先生がピザを食べていた以上、近くにゼミ生がいたとは考えにくいのですよ」


「ゼミ生が自分の紙皿を処分した可能性はないの?」佐藤が尋ねた。

「紙皿を残しておいたら、自分がここにいた証拠が残る。だから現場の外に捨てたんじゃないかな」


「残念ながら、その可能性も低いと思われます」茉奈香が再度かぶりを振った。

「井上君、最初にピザの箱を見た時、右半分は何切れ残っていましたか?」


「え? 6切れっすけど」井上が答えた。


「そしてそのうち4切れを、あたし、山田君、佐藤君、井上君が食べたわけですね?」


「そうっすね。箱に1切れ残ってるやつももらいたかったんすけど」井上が箱の中のピザを物欲しそうに見つめた。


「そして、紙皿にある西島先生の食べかけが1切れで、これで右半分の6切れが揃います」茉奈香がピザの方を見た。

「そして左半分のピザは手つかずのまま。この状況から、犯人がピザを食べていないことがわかります。つまり、ゼミ生が西島先生と差し向かいでピザを食べ、先生の隙をついて殴ったという可能性は除外されるのですよ」


「はぁ……なるほど」


 島田が納得したのかよくわからないような顔で頷いた。山田が見捨てられた子犬のような視線を島田に向ける。

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