3ー3

「はぁ?」


 素っ頓狂な声を上げたのは島田だった。これまで散々名探偵の珍推理に付き合わされてきたが、今度ばかりはまるで意味がわからなかった。


「いや、どういうことだよ? 何で俺の卒論が凶器になるんだよ?」


「簡単なことですよ。当然この部屋にあるべきなのに、ないもの。それがあなたの卒論だからです」


「いや、まだ意味がわからないんだけど?」


 由佳が加勢した。他の5人もこくこくと頷いている。


「ふむ……。やはり素人の皆さんが、あたしの推理についてくるのは難しいようですね」茉奈香は腕組みをした。

「仕方がありません。ここは順を追ってご説明しましょう」


「…あのタンテーさんの推理についてける奴っているんすか?」


 井上が由佳に耳打ちした。由佳がしっと人差し指を口に当てる。


「まず、あたし達がここに来た目的を思い出してください」茉奈香が言った。

「佐倉さんから、西島先生が島田君の卒論を預かっているという話を聞き、あたし達は真偽を確かめるために先生の研究棟を訪れました。そこで倒れている先生を発見したわけですが、先生が研究室にいる以上、当然、卒論もここにあるはずですよね?」


「まぁ、そういうことになるのかな」佐藤が頷いた。「教授が学生の卒論を保管しておくとしたら、自分の研究室くらいしかないだろうからね」


「そう。ですが、あたし達が見た限り、この部屋の中に卒論はありません。執務机にあるのはレジュメやレポートばかりで、本棚には文献しかありませんからね」


「机の抽斗にでも入ってるんじゃないの?」恵里が言った。「ま、鍵かかってるから調べようがないんだけど」


「それもすでに調査済みです」茉奈香がにやりと笑った。

「机の中には何も入っていませんでした。普段から抽斗を使っていなかったようですね」


「え、でも抽斗って鍵かかってたんじゃ……」山田がおずおずと言った。


「この程度の鍵であたしの目をごまかせるとは思わないことです。解錠は探偵の必携スキルだと、かの有名な英国紳士も言っていましたからね」


 茉奈香はそう言うと、スカートのポケットから針金を取り出して自慢げに掲げた。どうやらピッキングをしたらしい。周りの7人は急にこの名探偵が怖ろしくなった。


「で……でもよ、俺の卒論がここにないからって、何でそれが凶器だって話になるんだ?」島田が困惑して尋ねた。


「先ほどのあたしと佐藤君の議論を思い出してください。凶器が本ではでないかという話が出た時、佐藤君はこんなことを言いました。『一冊だけなくなっていれば不自然だから、犯人は血痕を拭き取った上で、あえて文献を現場に残したのではないか』と。そうですね? 佐藤君」


 茉奈香が佐藤の方を振り返った。佐藤が居心地悪そうに頷く。


「ですが、逆に考えてみてください」茉奈香が全員の方に向き直った。

「元々この部屋になかったものを凶器として用いれば、それがなくなったところで不自然に思う人はいません。卒論がこの部屋にあるのを知っていたのは、西島先生と犯人のみ。凶器を持ち去ってしまえば、犯行が露見する確率もそれだけ低くなる。つまり犯人には、卒論を凶器として使う明確な理由があるのですよ」


「な……なるほど」


 島田が頷いた。野菜トリオと女子2人も神妙な顔をして頷いている。


「あのさ……根本的な疑問なんだけど、そもそも卒論って凶器になるの?」由佳が訝しげに尋ねた。


「いくら厚みがあるったって紙だよ? 人を気絶させられるとは思えないけど」


「さすが由佳君。鋭い指摘ですね」茉奈香が頷いた。


「確かに卒論が紙のままであれば、人を殴って気絶させるのは難しいかもしれない。でも、それが何らかの入れ物に入っていたとしたらどうでしょう?」


「入れ物?」由佳が首を傾げた。


「そう、皆さんはドッチファイルというものをご存知ですか? パイプ式の綴じ具が付属したファイルのことで、左右どちらかも閲覧できることからこの名称がつけられました。紙のファイルと違って固さと厚みがあり、大量の書類を編綴へんてつするのに向いていますが、その分重量があります。

 もし、島田君の卒論がそこに綴じられていたとしたらどうでしょう? ファイル本体の重みが加わり、十分凶器となり得ます」


「……その場合って、ソツロンじゃなくてファイルがキョーキになるんじゃないっすか?」


 井上が島田に囁いた。何も考えていないように見えて、その突っ込みはさっきから的確だ。


「あのさ、みんな肝心なことを忘れてない?」


 声を上げたのは佐藤だった。全員が一斉に彼の方を振り返る。


「凶器が何だったとしても、西島先生は実際にそれで真正面から殴られたわけでしょ? さっき探偵さんが言ったとおり、犯人は先生の顔見知りの可能性が高い。だったら問題なのは、凶器が何かより、誰が犯人かってことじゃないの?」


「た……確かに」


 島田が頷いた。山田が賞賛の眼差しで佐藤を見つめる。


「さすが佐藤君。あたしの推理の先を行くとは……ここに来て強力な好敵手が現れたようですね」


 茉奈香が親指の爪を噛みながら言った。佐藤がまんざらでもなさそうに鼻を鳴らす。


「でも残念ながら、あたしには犯人の目星もついています」茉奈香が負けじと言った。「そしてそれは、あたし達もよく知っている人物です」


 突然の爆弾発言に、全員が驚いて息を呑んだ。好敵手認定された佐藤も、彼を羨望の眼差しで見つめていた山田も、呆気に取られた顔で茉奈香を見つめている。それを見て茉奈香は機嫌を直した。


「あたし達もよく知ってる人間って誰のことよ?」恵里が尋ねた。

「まさか、犯人がこの中にいるとか言い出すんじゃないでしょうね?」


「えー、こわーい! 萌、サツジンハンに狙われちゃう!」


 萌が甲高い声を上げて恵里の腕に絡みついた。「……だから先生は死んでないって」と由佳が小声で突っ込みを入れる。


「あなた達は犯人の正体を知らないかもしれませんね」茉奈香が女子2人の方を見やった。

「でも、あたし達法学部の学生であれば知っているはずです。特に……そう、山田君は」


「え、僕?」


 山田が目を丸くして自分を指差した。茉奈香は頷くと、憐れむような視線を彼の方に向けた。それを見てぴんと来たのか、山田が縮こまってがくがくと肩を震わせる。


「……まさか、その犯人って」


「……はい」


 茉奈香が重々しく頷いた。全員をゆっくりと見回した後、山田の前で視線を止め、引導を渡すように告げる。


「西島先生と顔見知りで、先生を亡き者にする動機を持った人物……それは1人しかいません。

 この事件の犯人は、もう一人の刑事訴訟法の担当教授であり、山田君の恩師でもある人物。つまり國枝くにえだ先生だったのです」

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