罠
翌朝、王都シェフィールはお祭り騒ぎだった。
早朝の内に王太子ウィリアムの婚約が決まったと発表されたのだ。同時にローズの屋敷にはお祝いを延べに来る客が後を絶たたない。
来客の相手は申し訳ないが両親に任せ、ローズはリアを連れて兄と共にウィリアムの元へと向かった。
「待っていたぞ」
「朝から大騒ぎですわ」
さわやかな笑顔に無意識に不機嫌になったローズの横でリチャードが困ったように妹を見ている。しかし王太子の方は気にした様子もなく、2人にソファに座るよう促す。2人ともウィリアムの向かい側のソファに腰かけると、ローズの足元にはミシュレの代理とでも言うようにリアがきちんとお座りしている。
「リチャードはどこまで知っているのかな?」
「最初から最後まで殿下の口からご説明いただけます?」
棘のあるローズの口調を咎めることもせずに、ウィリアムは「いいだろう」と言って昨日決めた作戦を話し始めた。
「最優先は王家所有のダイヤモンドを奪還する事だ。それも決してそのダイヤの本当の力を公爵に知られる事なく」
万が一にも焦ったラウザー公爵がダイヤモンドをわが物にしようと魔力を注ぎ込むような事があってはならない。その時点でこの国は終わりだ。
その衝撃的な内容にリチャードの表情が変わる。
「おそれながら殿下…ラウザー家の邸内に転移して密かに探すというわけにはいかないのですか?」
自分には到底無理だが、ウィリアムはローズと同じくらいの魔力を持っているはずだ。ならばローズにできる転移だって彼ならできるだろう。
「無理だな。転移で忍び込む事はできても、邸内に入った途端気取られるだろう。あれでも王家の血が入っているだけあって、魔力も多い上に相当な使い手だ」
(できるんだ…)
自分から言い出した事ではあるが、あっさりできることを認められると、どこか複雑な気持ちがするリチャードだった。
「そこでお兄様、出番ですわ」
「は?」
何を言い出すのだと自分の妹を見ると、いつの間にかその手には直径5センチ以上はある深紅のルビーが載っていた。大きさだけでなく、一切の傷のない見事な物だ。
「ラウザー公爵の宝石はルビーですわ。これをラウザー公爵に届けてください」
「…どんな理由で?」
今やウェルズリー家とラウザー家は敵同士と言っても過言ではない。
「あら、お兄様お忘れですの?私は殿下と結婚なんてしたくないのです。無理やり結婚させられそうになっている妹を助けてくださいますわよね?」
「…妹の王太子妃辞退に伴う家名存続に口添えをして欲しい、とでも言って渡してくればいいのか?」
「察しが良くて助かるな」
ウィリアムとローズが悪魔に見えてきた事は自分の心の中だけに留めておくとして、リチャードはもう一つの疑問を口にした。
「だが、これを渡したところでダイヤモンドの場所はわからないだろう?」
「きっとラウザー公爵はそのルビーをダイヤモンドと同じ場所に大切に保管するでしょう。そしてそのルビーには私の魔力をほんの少しだけ忍ばせてありますの。それを辿れば保管場所はわかりますわ」
「場所さえわかればそこに転移すればいいだけだ」
探し回るのは難しいが、目的の物の目の前に転移できるなら話は別だ。簡単な事だと言う2人に今度こそリチャードは頭を抱えた。少しは普通の人間の立場に立って考えて欲しい。
しかしそれは言っても無駄な事だとわかっているので、リチャードは黙ってその役を引き受けた。
「今日の仕事帰りに公爵家に行く事にしましょう。昼間の内に約束を取り付けておきます」
「頼む」
「それで、もう1件についてはどうなっているのです?」
昨日のローズの話では反逆者を捕らえる算段もしているはずだ。この話の流れから言って相手はラウザー公爵で間違いないだろう。
「言っておきますが、ラウザー公爵家の私兵は相当手強いですよ」
元々王家の血を引く家系のためか忠誠を誓う者も多い上に、私兵を集め訓練するだけの資金にも困らない。それを良いことに、王都から離れた領地に相当数の軍隊を持っているという噂もある。
「わかっている。しかも領地の兵を最近賊に入られたとかいう理由で呼び寄せている」
本来それぞれの貴族の家に過剰な兵を集める事は禁止されているが、相手がラウザー家では強くも言えないのだろう。
「自作自演ですわね」
あっさりとローズが言い切ると、ウィリアムも「だろうな」と返した。
(この2人…意外と気が合ってるのでは…)
昨日のミシュレと同じような感想を持ったリチャードだったが、ここでそれを口にするほど命知らずではない。代わりに1つの提案をした。
「それでしたら、ルビーを届ける際に邸内の気配を少し探ってまいりましょう」
実はリチャードは王宮内では諜報部門にも属している。普段は王太子の側近として働いているが、本業は諜報活動だ。
諜報活動についている者のことは王族にしか知らされておらず、表の仕事の同僚ですらも知らない。したがってラウザー公爵もリチャードが王宮の諜報活動を担っているとは知らないはずだ。
現にそれを聞いたローズが目を丸くして驚いている。
「そうだな、頼む」
「承知しました。ではそのように。他には何かございますか?」
「あぁ、ダイヤモンドを取り返したあと、万が一ラウザー公爵が謀反を起こすような事があれば…ローズ嬢にも戦ってもらう」
「…殿下、今なんとおっしゃいました?」
とても容認できないといった表情でリチャードがウィリアムを睨みつける。
「愛されてるな」
「当然ですわ。殿下と一緒にしないでください」
この様子だとローズ本人は了承しているのだろう。昨日の夜言わなかったのは両親を心配させないためか。だがリチャードもここで「そうですか」と納得するわけにはいかない。
「いくら魔法を巧みに操るとはいえ、女性を前線に送らなければ一貴族の私兵に勝てないほど我が国の軍事力は低下していましたか、殿下?」
「…そう怒るな。お前は先日の試験を見ていないのだろう?ローズ嬢の魔法は実に素晴らしかったぞ。特に今回のダイヤモンドほどでは無いにしても、爆発すればあの試験会場の建物ぐらいは軽く吹き飛ばすであろう物質を強固な結界の中で一瞬にして消滅させたのは見事というしかなかった。私でもああはいかない」
そんな危険な物だったことに驚いたローズがウィリアムを睨みつける。失敗したらどうするつもりだったのか。
「なに、最前線に送ろうと言うわけではないし、剣を持って戦うような事にはならない。ローズ嬢にはもちろん護衛をつけた上で、後方から魔法を使って援護してもらいたいというだけだ」
(絶対嘘だわ)
その時になれば容赦なく前線に送られる未来しか見えないが、それを今、兄に言うべきではないだろう。
「ローズ」
「はい、お兄様」
「お前は了承しているんだな?」
「はい、殿下のためではなく国を護るためなら力を尽くしましょう」
「…おい」
ローズの不穏な発言に突っ込みを入れずにはいられなかったウイリアムの事は無視して、ローズはその先を続けた。
「この国で私の家族と、これから家族となる人達の幸せな姿が見たいのです」
その言葉には自分とメアリーの事も含まれてるという事だろう。そんな事を言われてしまっては自分も協力するしかないではないか。
「わかった…。父上達には内緒だぞ。母上などショックで倒れてしまいそうだ」
「そうですわね」
顔を見合わせてくすりと笑った兄妹をウィリアムズがほんの少しだけ羨ましそうに見つめていた事に2人は気づかない。
「話はついたか?」
事務的な声音にはっとした2人は改めてウィリアムに向き直ると、リチャードは深く頭を下げた。
「妹の事も含め、謹んで拝命いたします」
「そうか。ならば早速動いてもらおうか」
その声を合図にリチャードは立ち上がると表の業務へと戻っていった。そして執務室内にウィリアムとローズだけが残ると、ローズも立ち上がる。
「帰るのか?」
「他に何か御用がございますか?」
「いや…夕方まで動きはないだろうが…」
珍しく歯切れの悪い言い方をするウィリアムにローズが怪訝そうな顔をする。
「本当に戦えるのか?」
自分から言い出しておいてなんだというのだこの王太子は。
「それを殿下がおっしゃいますの?ご心配なく、殺しあうだけが戦いではありませんわ。例えば…自軍の兵士が傷つかないように結界で護るのも立派な戦いでしょう?」
そう言って自信に満ちた笑みを見せたローズにウィリアムの表情が変わった。
「なるほど、確かにその通りだな」
固定観念に囚われていたのはどうやら自分の方らしい。ウィリアムはローズに見えないよう小さく自嘲の笑みを浮かべたが、次の瞬間にはいつもの表情に戻っていた。
「リチャードの通常業務が終わるのは5時だ。その時間にまた来てくれ。転移してきてもらって構わない。それまでに何かあれば魔法で連絡を」
「承知しました」
そう言うと部屋からローズとリアの姿が消えた。自分以外の人物がいなくなった空間で、ウィリアムは深い溜息を吐いた。
いつもの自分なら令嬢を気遣うような言葉などかけなかったはずだ。ましてや相手はあれだけの魔法の使い手だ。
「…らしくないな」
ウィリアムは先ほどまでいたローズの存在を振り払うように小さく首を振ると、自分もまた通常業務に戻ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます