ハンターの仕事

 


「そういえば、神父様の姿が見えなかったけど神父様はなにをしてるんだ?」


 まだ気を抜くと瘴気のせいでキュッと締まる喉を気にかけながら俺はテトに尋ねた。てっきり神父様もあの店にいるのかと思い探したのだが見当たらなかったのだ。


「エル達の店の横に治療院があってね。魔法で怪我や病気を治療して金を稼いでるのさ」

「ふーん、魔法ねぇ。って魔法!? ゲホッ」


 気を抜いて大声を出してしまったせいでキュッと喉が締まり、俺は咳き込んだ。


「この世界って、魔法があるのか?」


 瘴気なんてものが漂ってる時点で今更かもしれないけど、まるで夢のないこの世界にそんなファンタジー要素があったのかと俺は目玉が出るほど驚いていた。


「なんだ、君の世界には魔法が無かったっていうのかい?」

「そうだけど」

「瘴気もなければ魔法もない。まったくどんな生活をしてるんだろうね、君の世界の奴らはさ」


 テトは理解できないと首を振った。俺だって瘴気と魔法がある世界なんて理解したくなかったよ。


 それにしても魔法かあ。俺も使えたりするんだろうか。今の所そういったスピリチュアルな力を感じたりはしていないが。


「なあ、その魔法って俺でも」「キャァ――ッ!」


 魔法の存在に興奮覚めやらぬまま、更に魔法のことを詳しく聞こうとした時、女の子の甲高い悲鳴が辺りに響いた。悲鳴が聞こえるや否や、テトが弾丸のような速さで悲鳴のした方へと走り出す。

 俺も何事だと慌てて後を追いかけると、その先に居たのは化け物と、抜刀したテトだった。霧を撒き散らす人形の化け物。その化物が、地面に尻もちをついている女の子に、今にも襲いかかろうとしていた。


 ―――百聞は一見にしかず


 確かにテトの言葉は正しかった。俺はその異形の生物が魔物と呼ばれる存在であると本能的に理解していたから。


「あの、バンダナ……」


 魔物の首に巻かれたバンダナの柄に見覚えがあった。その青い薔薇のオシャレな柄は、さきほど会ったあのふくかなおばさんのものとまるっきり同じだったから。


 その意味を考える間もなく青い薔薇のバンダナを付けた魔物の首が飛んだ。


「お母さん、お母さんっ……!」


 倒れた魔物にによろよろと近づく女の子は改めて見れば、彼女はふくよかなおばさんに連れ添っていた人見知りの女の子だった。それを見て、やはりあの青い薔薇のバンダナをつけた魔物はおばさんなのだと確信した。


「あまり近づかない方がいい」


 体の端から、塵のように宙に溶けていくおばさんだったものに手を伸ばす娘さんを、テトは腕で押し止めた。


 やがて、化け物の体が完全に宙に消え、最後に赤色の宝石のようなものと、身につけていた衣服だけが残された。青い薔薇の描かれたバンダナと、レンズが割れてひしゃげたゴーグル。

 テトが出かける時に言っていた。バンダナは死んだ時、個人を判断する目印になると。あれは、こういうことだったのだろうか。


「怖いねえ」「いいヤツだったんだが」「次は我が身だ」


 なんて言葉が周囲の野次馬からポツポツと聴こえてきた。


 怖いと言いつつも、人々の反応は人一人が突如として化物と化して、死んでしまったという状況を目撃したにしてはえらく冷めたものだった。


 つまり、皆これを見るのは初めてじゃないのだ。また自分だけが知らないこの世界の常識に俺は嫌気が差す。


「さっきのは、一体……」

「魔物だよ」

「そんなのはわかってる。でもあのバンダナは、さっき会ったおばさんのものだろ!?」


 あまりの衝撃で、図らず語尾が荒くなってしまった。 


「なんだ、わかってるじゃないか。そうだよ。あれはさっき会った野菜屋の彼女が魔物化した姿だ。それ以上でも以下でもない」


 感情を制御できない俺と違い、テトは依然として飄々としていた。


「瘴気が身体に蓄積されていった時の最終的な結末は2つ」


 テトはそう言って指を立てた。


「1つ目、瘴気の毒に身体が耐えきれず死に至る」

「それは、ハンスに聞いたよ」


 ――死ぬならまだマシな方で


 そういうば、ハンスはあの時まだなにか言いかけていた。それが、テトの言うもう一つについてだったのだろうか


「そして2つ目、瘴気によって理性を無くした魔物に変異する」


 初めて知る事実に俺はごくりと唾を飲み込んだ。


「でもあれは、さっきのおばさんだろ?」

「おばさんだった、だね。魔物だよ。人も動物も、魔物になれば瘴気を撒き散らし人を襲う化物だ」


 さきほどの、体中の毛が逆立つような恐怖を体験した後ではその言葉を否定することはできなかった。


 おばさんとテトの会話。


「そろそろ」「その時は頼む」

 

 あの時はなんのことかわからなかったけど、近々化物になってしまうことを彼女は薄々わかっていたのだろうか。


「魔物になった人を救うことは、できないのかよ」

「さっきぼくがやったことが唯一の救いなんじゃないかな」


 俺はテトの答えに下唇を噛む。それはつまり、魔物になってしまった人は殺すしかないということだ。……ふざけんなよ。なんなんだよこの世界。人間が化け物になるって、なんだよそれ。そんなクソみたいなところでファンタジー要素を出してくんなよ。


 俺は思い出したように振り返っておばさんの衣服が残った場所を見る。そこには娘さんが座り込んで、青い薔薇のバンダナを手にこちらを、テトの背中を泣きながら見つめていた。いや、睨みつけていた。ゴーグル越しでも、伝わるくらいに、強く、強く睨んでいた。

 たしかに、テトは少女にとって親の敵かもしれない。けれどあのままじゃあ自分が襲われて死んでしまっていたかもしれない。それなのに……。


「助けてもらったのに、なんで……」


 少女がテトを見る目に込められていた感情は感謝ではなく憎悪だった。幼さの残る少女に似つかわしくない、敵に向ける顔だった。


「別にいいんだよ。ああいう感情を向けられるのは慣れてるし、そういう仕事だと理解もしてる」


 ちらりと振り返り少女を一瞥しても、テトは相変わらず飄々とした態度を崩さない。きっとバンダナの下にはあの薄笑いが張り付いているのだろう。

 ハンターの仕事は魔物を狩ること。それはつまり、そういうことなのだろう。街の巡回も、魔物が現れた時迅速に対処するためなのかもしれない。エル達の店で、客達がテトを見るときの、あの人殺しを見るような怯えた視線の謎が解けた。


「あの子、どうなるんだ?」

「あのおばさんの店を継ぐんじゃないかな。確か一人娘で、他に継ぐような人もいないだろうし。もちろん、あの子が後追い自殺しなきゃの話だけど」

「自殺なんて、そんな……」

「君の居た世界がどうかは知らないけどね。この世界じゃあ、死んだほうが楽だと、そう思える瞬間は多いんだよ。とても、とてもね」


 中学生くらいにしか見えない少女。だというのにもう独りで生きていかなくてはいけないのだ。この過酷な世界で。


 それはちょうど、今の俺のようだった。けど、俺は幸運にも孤児院に拾われた。ハンスが助けてくれた。もし誰も手を差し伸べてくれなかったら。そう考えるとぞっとする。けど「あの子も孤児院で拾ってあげればいいんじゃないか?」と、俺がそう口に出すことはなかった。

 本来庇護を受けるのはあの少女の方だと、俺自身が一番よくわかっていたから。だからこそ口に出せなかったのだ。

 独りになってしまった少女をかわいそうだと思う同情心はあっても、今の立ち位置を少女に譲り、代わりに孤児院から出ていけるほどの善意は俺にはなかったから。


 ――ごめん


 罪悪感を軽減するため、俺は心の中で少女に謝った。それは自分に殺意が湧くほど自己中心的な謝罪だった。

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