布屋の明るいお姉さん

 朝、あまり寝心地が良いとは言えないベットで眼が覚めた。寝て起きたときには慣れ親しんだ我が家で目覚めるという期待は無慈悲に裏切られた。部屋にはまるで病院のごとくベットがずらりと並んでいたが、寝ているのはぼくだけだった。


「いつまても起きないやつにはこれをやるのが一番なんだ」


 俺をベットから落とした犯人であるテトは、にやにやと笑っている。


「おかげで最高の目覚めになったよ」


 俺は皮肉たっぷりにそう吐き捨てて、立ち上がる。あまり良いとは言えないベットで寝たからか、伸びをすると体の至るところで骨がパキパキと鳴った。


「今日はぼくが巡回の担当だからね。神父様がついでに君を案内してやれとさ」

 巡回というと、パトロールかなにかをしているのだろうか。たしかに昨日ちらりと見た荒廃した町並みからは、治安が良い感じはしなかったが。


 不意に投げられたものをキャッチすると、それはバンダナとゴーグルだった。


「外出する時は必ず両方つけなきゃいけない。それは予備だけど、ゴーグルはそれで良いとして、今からまず君用のバンダナを作ってもらいに行くよ」

「バンダナもこれじゃあダメなのか?」

「ま、死んだとき個人を判別するのに役立つからね。できるだけ特徴的なのをつけるもんなのさ」


 この世界だと死んだ時、誰かも判別できないほどぐちゃぐちゃになってしまうことが多いのだろうか。そう思うと急に外に出ることが怖くなってきた。


 テトのバンダナには、交差した剣が描かれている。自分は強いんだぞと、そうアピールしているようだった。


「それじゃあ、いこうか」


 そう促すテトの腰には、鞘に隠れて刀身は見えないが、明らかに刃物と思わしきものがぶら下がっている。当たり前だがこの世界に銃刀法なんてものはないらしい。つまり必然的にテト以外も、この街にいる人間は武器を携帯している可能性があるということだ。


 もしも武器をもった巨漢に襲われた際逃げることができるかなとシュミレーションしてみるが、結果は芳しくなかった。ここはテトが守ってくれる可能性に期待しよう。


「なにしてるのさ。早くしてくれないか?」

「あ、ああ」



 外に出ると、そこには昨日見た霧が漂っていた。これが毒だとわかった今では、霧が体中にまとわりついている今の状況は心中穏やかではない。


 俺は、できるだけ呼吸の量が少なく済むように弱い呼吸を繰り返した。


「そんなに瘴気が怖いなら孤児院に引きこもっていればいいじゃないか」

「なにもしなければ追い出されるだろ。今日は案内してもらうけど、早いとこ俺にできる仕事をなにか探さないと」

「神父様とハンスはお人好しだから、なんだかんだで面倒を見てくれそうだけどね」

「でも、おまえと、あの無口な背の高い女は違う。そうだろ?」


 忘れてはならないが、このふたりは俺を受け入れることに賛成ではなく、中立なのだ。彼らは多数決の時、どっちでも良いと言った。


 毒にも薬にもならないなら興味がない。薬になるなら手元に置くし、毒になるなら排除する。あれは、そういう「どっちでも良い」だった。

 もし俺が神父様やハンスの善意に付け入るような真似をすれば、すぐにでも排除されるだろう。俺はテトの腰にぶら下がった刀に目を落として身震いした。


「ま、危機感があることはいいことさ。ちょうど最近ハンスが仕事から抜けて人手が足りなくなってたんだ。君が穴を埋める感じでハンスがやってた仕事をしてくれればひとまず追い出されはしないんじゃあいかな」


 ハンスくらいの小さな子がつい最近まで仕事をしていたらしい。今はしていないどころか、外に出ることも禁止されているようだがなにかあったのだろうか。


「着いた着いた。この建物だよ」


 ギィィと木の軋む音と共に、扉が開く。中に入ると、どうやらそこは服屋さん……なのだろうか。


「もしもーし。マルベルー。客が来たんだけど」


「はいはいはーい」


 と、奥の部屋から女性の声が返ってきた。


「あれーどうしたのテトくん。なんだか見かけない顔連れてきて。君どっから来たの?」


 奥から現れた女性が笑顔でぐいぐいと俺の方へと寄ってきた。


「えっと俺は」「それになにその変わった服装。あら肌触りはいいわね」

「マサト、その人はこの布屋の店主のマルベルさん。おしゃべりで喋りだすと止まらなかったりこっちの話をあんまり聞かなくなるから注意するといい」


 忠告はありがたいが、すでにおしゃべりが始まってしまった場合の対処法も合わせて教えてもらいたいところだ。


「へーマサトくんっていうんだ。テトとはどんな関係なの?」

「まあ色々あってね。孤児院の新顔だよ」

「へぇへぇへぇ! それで、君はどこから来たの?歳は? 彼女とかいるの?」


 マルベルさんは顔に吐息が当たるくらいの至近距離で、俺の顔を下から覗いた。


「俺は……」


 今度は話を遮られることはなかったが、俺は言葉に詰まった。ごまかそうにも、ここら辺の地理とかまるで知らないし。


 マルベルさんは「ん?どうしたの?」とハキハキとした笑顔を浮かべたまま首をかしげた。


「大通りで行き倒れてるのをハンスが拾ってきたんだけど、どうにもこれまでの記憶がないらしい。というわけで、今日はマサトのバンダナを作ってもらいに来たわけだ」


 口ごもる俺の代わりにテトが上手い具合にごまかしてくれた。


「まあまあそうなの。それは可愛そうにねぇ」


 お姉さんは若いのに、その仕草と喋り方から、まるでどこぞのマダムを相手にしているような錯覚に陥ってしまう。


「そうそう。そうなんだよ。彼の世話をする上での準備をしなくちゃなんだけど、色々とお金がかかってね。そこで相談なんだけど、彼の身につけてる服、全部売るとしたらいくらになる?」


 お姉さんはなんの躊躇もなく俺の体にペタペタと触ってTシャツとジーパンの質を確かめだした。


「まあ質はいいみたいだけど、買い手がいるかは別問題だよね。ま、上下合わせて銀貨2枚くらいなら出しても良いかな?」

「だってさ。ほら脱ぎなよ」


 テトがそう顎で指示してくる。                                                                         

「ちょっと待てよ。別に服なんてこれでいいだろ?」


 言い方は悪いかも知れないが、なぜわざわざ現代の着心地が良い服を脱ぎ捨てて、明らかに質の劣る服を着る必要があるというのか。


「そんな目立つ服来てたら襲ってくれって言ってるようなもんだよ。ただでさえここの住人は金持ちに対するヘイトが溜まってるんだから」

「確かに。一人でいるところを見つかったらズタボロにされちゃうだろうねぇ」


 うんうんとお姉さんもオーバーリアクションで頷いた。こんな目立つ服は着替えなければいけない、そしてどうせなら売って金の足しにしようという考えはわかった。孤児院になんの貢献もできていない俺がそこに異を唱えるのは単なるわがままだろう。今から頼むバンダナも、孤児院で食べるスープもタダではないのだから。だがしかし、


「だからってここで着替えなきゃダメなのか?」


 そこにくらいは異を唱えさせてもらいたい。テトはともかく、綺麗な女の人に裸を見られるというのは恥ずかしくてしょうがない。


「えー、だって奥の部屋にはダーリンがいるからダーメ。ふたりの愛の巣なんですもの。だから誰も入れたくないの」


 こうして俺とお姉さんの恋の可能性は、始まる前に終わりを告げたのだった。


「男の裸なんてなんの価値もないんだから、とっとと脱ぎなよ。女々しいなあ」



「はい、これ代わりの服ね。ほら、わたしは後ろ向いてるからパパ―ッと着替えちゃいなよ」


 そういって、彼女は確かにこの街に馴染めるだろう質素な服を手渡して、くるりと俺に背中を向けた。


 結果的に俺は渋々肌触りの良い現代のシャツとズボンを脱ぎ、そのごわごわとした服を着ることになった。されど最後の砦であるボクサーパンツだけは死守したことを声高々に誇りたい。今では数少ない異世界を感じられるものである。これだけは言葉通り肌身離さず守っていこうと俺は決意した。


「それにしてもハンス君は大丈夫?」

「まあ、なんとかね」

「神父さんのところ、働き手も減って大変そうだなぁって思ってたところなのよ。マサト君がバリバリ働いてくれれば安心ね!」

「しっかり馬車馬のごとく働いてくれればいいんだけど、なにせひょろひょろだからね」

「確かにちょっと頼りないかも。マサトくん、ちゃんと食べなきゃダメよ? 瘴気が怖くても食べなきゃ死んじゃうんだから!」


 テトとそんな会話をして、お姉さんはバチンと力強く俺の肩を叩いた。


「バンダナ、すぐできると思うから、受け取りにくるなら明日からいつでもいいからねー。あ、ダーリンとイチャイチャしてるときは対応できないかもだけど。なにせ今は子作り強化週間ですから」


 別れ際、うふふふとお姉さんは顔を緩ませる。


「君等はほんと、こんな世の中でよくそんなことをする余裕があるもんだ」


 呆れるようにテトが肩をすくめると、お姉さんは「なに言ってるの。こんな世の中だからこそ、死ぬ前に愛の結晶を作らないとね」と腰に手を当てて胸を反らせた。


 街を歩いて感じる雰囲気は陰険で暗いものだったけど、お姉さんやハンスのように明るい人もいるようだった。まだジンジンと鈍い痛みを訴える右肩をさすりながら俺は店を出た。


 そういえば、さきほどのテトとお姉さんの会話の中で気になった点が一つあった。


「ハンス、どっか悪いのか?」

「まあ、ね」


 なるほど。それで昨日は神父様が外に出たがるハンスに対して頑なにダメだと言い聞かせていたのか。なにせ外には瘴気という毒が漂っているのだ。ハンスがどんな病気なのかはしらないが、弱った体に良い影響はないだろうということはわかる。


「どんな症状なんだ?」

「ま、ハンスのことは君が気にすることじゃないさ。君の想像通り、エルほど露骨じゃないにしろ、ぼくもヨルも別に、君のことを好ましく思ってるわけじゃないんだ。君がまず気にするべきなのは、どうやったらあの孤児院に置いてもらえるかってことだけだよ」


 ハンスの症状ははぐらかされたが、他人のことを心配している場合ではないというのはその通りだった。


「ハンスの体調が良くなるまでに、どうにか孤児院のみんなから信頼を勝ち取らなきゃ俺はお払い箱ってことか」


 特に俺への敵意が限界突破していそうな勝ち気な少女の姿を思い浮かべて、前途多難そうだとうなだれる。


「……そう、だね」


 テトがそう答えるまでの間に少しタメがあったのが気になって俺は彼の顔を見るが、バンダナとゴーグルで覆い隠されているせいで、その表情はよくわからなかった。

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