孤児院の人々

「あれ?ハンスー、どこだーい」

「あ、テト、おかえりー! ちょっと話があるからこっちに来て!」


 ハンスがそう大声で、部屋の外に呼びかけた。ハンスが親しげに名前を呼んでいることから、不審者ではなさそうだ。兄弟か、親といったところだろうか。


「誰だい? それ。少なくともここらへんでは見かけない顔だけど」


 部屋に入ってきたのは、薄ら笑いを浮かべた青年だった。歳は、俺と同じくらいか、少し下だろうか。くるくるとパーマのかかった短髪の黒髪に、焦げ茶色の肌。黒髪とはいえ、その顔立ちは日本人には遠く、シュッとしていて彫りが深い。ハンスと兄弟、という感じにはどうも見えないが……。


「このお兄さんはマサトって言うんだって!」

「ふーん。随分とヘンテコな服だけど、質は良さそうだ。もしかして、壁内から追放された人間かな?」


 壁内、そう口にした瞬間、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべるテトと呼ばれた青年の黒い瞳が、獣のように鋭いものに変わり、俺を鋭く射抜いた。


「そ、その、壁内って、なんなんだ?」


 その獲物を狩るような眼光に体を縮こませて言葉を詰まらせながらも、俺はハンスがテトと呼ぶ青年にそう尋ねた。


「壁内から追放されたことを認められず、正気を失ったかな?」


 鋭い視線が、哀れみの目に変わった。どうやら壁内というワードは瘴気と同じく、この世界では知っていて当たり前の常識のようだった。


「テト、マサトは異世界から来たんだってさ!」


 ハンスがそう言うと、青年が俺に向ける視線の中から、哀れみの色がいっそう強くなった。


「気づいたら、霧がたちこめる道のど真ん中に立っていて、異世界に来たんだと、自分ではそう思ってる」


 もちろん自分だってまだ半信半疑だ。けれど、そうでも考えなければこのおかしな状況に納得がいかない。いや、今だって納得はいってないけど。


「異世界ねえ」


 テトと呼ばれた青年はそう鼻で笑った。


「だってテト、マサトは大通りに急に現れたんだよ?しかも、その後すぐ胸を抑えて倒れ込んだんだ。絶対異世界から来たんだって」

「胸を抑えて?」


 さきほどまで、異世界のことなどまるで信じていない様子だった青年は、顎に手を当ててなにやら考え込んだ。


「なるほどね……。それならたしかに、その異世界から来たとかいう馬鹿げた話にも少しは信憑性が出てきたな」


 一体どこに納得する材料あったのか、俺にはさっぱりわからなかったがテトはそう頷いた。


「あーただいまー。ハンスーこっち来て脚もんでー」


 ギギギとドアが開閉する音と共に、部屋の外から聞こえてきた幼い少女を思わせる甲高い声。その声はけだるげで、声の主は相当疲れていることが伺えた。


「エルおかえりー。ぼくならテトと一緒に寝室にいるよ! 紹介したい人がいるからちょっと来て!」

「ちょっとー。いるなら早く脚揉んでよね」


 カツカツと、足音がこちら近づいてくる。


 やがて、部屋に二人の女性が入ってきた。声も足音も一人分しか聞こえなかったが、どうやらもうひとり居たらしい。

 幼い少女と俺より背の高そうな長身の女性。少女の方はハンスと同じくらいの背丈で、頬にぽつぽつとそばかすが点在している。ところどころ赤の混じった茶髪を頭の左右で括ってツインテールにしていた。


 長身の女性の方は、まるでお人形のようにシュッと整った顔をしている。ぴしっとした背筋の良さがその長身を更に際立たせていた。

 純白の肌に、サラサラとした長い金髪。薄緑の透き通った大きな瞳はキラキラと光を反射して、まるでビー玉でも入れているみたいだ。


「エル、神父様は?」

「患者のおっさんと話し込んでたから先に帰ってきた。特に問題なーし」


 テトが尋ねれば、先程聞こえてきたのと同じけだるそうな幼い声で、そばかす少女が答えた。ハンスに足を揉ませようとしていたのはこの子だったのか。


「まあ、いつものことだね」

「そ、いつものこと」


 ふたりの話を聴くと、ここにいる人達の他に、神父様と呼ばれている人がいるらしい。様、とつけている割にはふたりの口ぶりからはその人物を尊敬しているという感じはない。むしろ、呆れているようにすら見えた。


「で?なにそいつ」


 少女がそれまで空気と化していた俺を、親の仇でも見るかのように睨んだ。


「えっと、俺はマサトって言うんだ。道端で倒れてたところをハンスに助けてもらって」

「なに?あんたまさかコレの面倒見ようってわけじゃないわよね?」


 鋭い眼光が今度はハンスへと向けられた。が、ハンスは特に気にした様子もない。


「ダメかなあ?」

「ダメに決まってるでしょ!」


 呑気に笑うハンスに、少女は怒鳴った。


「えー、だってここ孤児院だし。お兄さん、あのままだと死んじゃいそうだったし」

「あのねー。孤児院っていっても保護の対象はあくまで子供。こんな大きいのは対象外でしょ」

「でもこのまま追い出すなんて可愛そうだよ。お兄さん、ホントになんにも知らないんだ。追い出したらすぐ死んじゃうと思うなあ」

「良い大人なんだから生きるも死ぬも自己責任でしょ! わたしは反対だから、こんなのを家に置くなんて」


 まるで子供がマンションに猫を拾ってきてしまった時のような会話が目の前で繰り広げられていた。拾われた猫ポジションの俺は完全に置いてけぼりだ。


「じゃあ、お兄さんを孤児院で受け入れるかどうか、多数決で決めようよ」

「望むところよ」

「じゃあ、マサトのお兄さんを孤児院に受け入れるのに賛成な人!」


 ハンスがバッと右手を挙げた。


「ぼくはどっちでもいいかな」


 テトは、手の中で小さなナイフを弄びながら、興味なさげに返事をする。彼の手元が狂って、ナイフがこっちに飛んでくるんじゃないかと俺は内心ビクビクしていた。


「わたしも、どっちでもいい」


 初めて聴く長身の女性の声は、低く、ガラガラとしわがれていた。こちらも俺には興味が無いようで、目線をどこか虚空へと向けていた。

 どうやら俺の味方はハンスだけのようだった。俺には大した特技も長所もない。そのことが露見し出せば、今は中立の二人も、いつ俺を追い出す側に回ってもおかしくはない。


「これ、俺も手を挙げても良いやつだったり?」「言い訳ないでしょバカじゃないの?」


 危機感に背中を押されダメ元で聴いてみたが、勝利への方程式は少女によってぴしゃりと却下された。


「ていうかテトもヨルも、神父様はどうせ受け入れる方に賛成しちゃうんだからふたりがわたしに味方してくれないとコレ追い出せないじゃん!」


 少女が俺を指差して、だんだんと足を床に振り下ろして憤慨している。ヨル、というのが長身の女性の名前らしかった。「コレ」呼ばわりは甘んじて受け入れよう。俺も弟が家に見知らぬ人間を拾ってきて「家に住まわせてやろう」なんて言い始めたら同じような反応をすると思うから。


 そんなことを考えたせいだろうか、ふと家族のことが頭に浮かんだ。俺の家は、両親と三つ下の弟が一人の四人家族だ。別に特別仲が良かったわけでもない。ただ、ここが異世界ならもう二度と会うこともできないかもしれない。

 一度意識してしまうと、家族との思い出が記憶の引き出しから次々に顔を出していって、俺は急に心細くなった。


 いや、まだ元の世界に帰れないだなんて決まったわけじゃない。唐突にここにやってきたのだから、唐突に帰ったっておかしくはないじゃないか。

 元の世界のことなんて考えたってホームシックになるだけだ。思い出には蓋をして、今は、今日をどうすれば生き残れるかだけを考えることにしよう。そう自分に言い聞かせて、俺はどうにか気持ちを切り替える。


 どうやら神父様? というまだ見ぬ人物は俺を受け入れてくれる可能性が高いらしい。まだ確定したわけではないが、俺はほっと息をつく。もしここで追い出されたら、無一文なだけでなく、外は瘴気という毒が漂う世界なのだ。この世界の常識も知らない俺など簡単に野垂れ死ぬことだろう。そう考えると、異世界に来てそうそうハンスというお人好しな少年に出会えたことは幸運だった。


「ただいま戻りました。いやー、遅くなってすいません。どうにもジャガルさんと昔話が弾んでしまったもので」


 男性の声がした。どこかおっとりした、聴いていると眠くなってしまいそうな、そんな声だった。この声の主が、神父さんだろうか。


「おや、寝室がなにやらにぎやかですね」


 少女とハンスがわちゃわちゃと俺についてを言い合っている声が聞こえたらしく、部屋に足音が近づいてくる。


「ベットに寝ているのはどなたですか?」


 ひょこりと部屋に入ってきたのは、人の良さそうな穏やかな笑みを浮かべた金髪の中年男性だった。まるで映画に出てくる聖職者のような、足元まで丈のある黒いコートを着ていて、なるほど、これは確かに神父様だなと俺は納得した。


「神父様ー!大通りで行き倒れてる人を見つけたんですけど、すこしの間だけでいいので、ここに置かせてあげてもいいですか?」

「ええ、いいですよ」


 ハンスが尋ねると、神父様は即答した。自分で言うのもなんだが、得体の知れない男をこうも簡単に受け入れてしまっていいのだろうか。どちらかといえば、少女の反応の方が正しいといえば正しいと思うのだが。


「あー、もう。だから言ったじゃん!」


 この展開を予期していた少女がテトと長身の女性へキーキーと怒り狂るが、怒鳴られている二人は少女のことなどどこ吹く風で聞き流していた。



「別に、すこし試して役に立たなければ追い出せばいいじゃないか。永遠に置いておくってわけじゃないんだろうし。この孤児院に置くってことは、なにか仕事をしなきゃならないってことだ。なんなら自分から勝手に出てくかもしれないよ?どうにも世間知らずのお坊ちゃんって感じだからさ」


 テトが、ニヤニヤと俺に視線を贈りながら、辛辣な言葉をチクチクと刺す。


「まあ、それもそうだけど……」


 それでも納得がいっていなさそうな少女は、俺の方を睨んで舌打ちをする。


「ま、追い出されないようにせいぜい頑張れば?」


 べーっと舌を出して少女は部屋から小走りで出ていった。


 ひとまず居候させてもらえることになったは良いものの、だからと言って安心できる立場ではないらしい。馬車馬のごとく働いて自分の有用性を示さねば、中立だった二人はころりと俺を追い出す側の派閥に加わってしまうことだろう。


「その男のことより、ハンスが外に出たことの方が問題、だと思う」


 たどたどしい言葉遣いで、長身の女性、ヨルが神父様へとそう言い残して、少女を追いかけていった。俺には言っている意味がよくわからなかったが、神父様は「確かにそうですね。約束、破ったんですか?」と、しゃがみこんで、ハンスと目線をあわせた。


「だって、家の中にいるだけなんて退屈だよ。ぼくは、もっといろんなことを見たいんだ」

「ダメです。家の中に居てください。いいですね?」

「でも……」

「ハンス」


 神父様が、ハンスの肩を掴んでじっと目を見つめる。


「……わかったよ。ちゃんと、家にいる」


 ハンスは、あのハキハキしていた様子が嘘のように元気無い返事とともにコクリと頷いた。


 神父様は見知らぬ俺のことはすんなり受け入れたのに、身内のハンスのお願いはキッパリと跳ね除けたのだ。別に仲が険悪、という風には見えないが……。まあ外は危険ということなのかもしれない。


「さて、それではこれから夕食ですが、ええと……」

「あ、マサトです」

「そちらのスープにはほとんど口をつけてないようですし、マサトさんも一緒にどうですか?

「あ、はい。ご一緒させていただきます」


 少し大きい丸い机を囲って全員が一斉に俺が食べているのと同じスープを飲んでいた。席につくなりずっと、少女が俺の顔に穴が開くんじゃないかってくらい睨んでくるものだから、気まずいってもんじゃなかった。

 ハンスはさきほどのことを引きずっているのかしょぼんとしているし、スープは一気に飲むと喉が締まるから、ちびちびと舐めるようにしか食べられないし。

 不思議なのは俺以外はみんな普通にバクバクゴクゴクと、早いとは言えないが普通のスピードでスープを飲んでいるということだ。


「あの、少々頂いてもよろしいですか?」


 遠慮がちに、神父様は俺にそう聴いてきた。神父様の手元を見れば、もうスープを飲み終えてしまったらしい。俺はまだ8割ほど残っているというのに、どんな強靭な喉をしているのだろうか。


 神父様がさきほどからこちらをチラチラと見ているのは感じていたが、自分のスープだけじゃ足りなかったのかもしれない。俺はこのままじゃいつ飲み干せるかわかったもんじゃないしと、喜んでスープを差し出した。


 神父様は一口俺のスープを飲み込むと、首をかしげて唸った。


「やはり瘴気がしっかりと抜けていなかったというわけではないようですね……」


 そう言って神父様はそれ以上手をつけず、スープを俺に返す。お腹が空いていたわけではなく、俺があまりにもスープを飲むのが遅いのが気になっただけのようだった。仕方なく、俺はまたちまちまとスープを飲みはじめた。せっかくハンスが出してくれたのだ。残すなんて失礼なことはできない。


「どうにも彼、異世界から来たらしいよ」


 とテトが半笑いで発言したことで、目線が一斉にこちらを向いた。もちろん憐れみの視線である。俺がこれまでの事情を説明すれば、案の定少女にはイカれ野郎と罵られた。胸の痛みに苦しんだことを話すとなぜか皆一転して話を信じるような雰囲気になり、懐からスマホを取り出して色々と操作すると、一応だが異世界から来た、ということに納得してくれたらしい。


「時計ですかね? うちにも砂時計ならあるんですがね。なるほどこれは便利そうだ。いや異世界はすごいですね」

「うわ、なにこれこの薄っぺらい箱の中に人が入ってんだけど!」

「演奏してる、ねえマサト、この箱演奏してる!」


 食事が終わり、今はみんな、俺のスマホを弄りながらキャッキャと騒いでいた。特に大人である神父様が初めて鏡を前にした猫みたいに大真面目な顔でスマホの裏側を確認する様は、はたから見ていると笑いがこみ上げてくる。ハンスもその輪に参加して楽しそうに笑っている。どうやら元気を取り戻したらしい。


 あのスマホ、さっき見たときは充電が15%だったから、もうすぐバッテリー切れでただの鉄くずになってしまうだろう。しかし、最後に落ち込んでいたハンスを元気づけられたのだからスマホも本望なんじゃないだろうか。


 みんながスマホを取り囲んで楽しそうにしているのを横目で見ながら、俺はようやくちまちまと飲んでいたスープを完食した。

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