第262話 ある男の……



――――砦の最奥で ある男



 隊商宿を改造した砦の上階の最奥……本来であれば上客などが泊まる一番豪華な部屋でその男が今か今かと待ち焦がれていると……大きく開かれた、中庭を望む窓の向こうから騒がしい声と、何かを激しく叩くような音が聞こえてくる。


「……やっと来やがったか」


 そう声を上げてソファから勢いよく立ち上がり、男が窓へと近付くと、中庭や正門近くの城壁を兵士達が駆け回っている光景が視界に入り込む。


「……まさか正面突破をする気か?」


 その光景を見て男がそんな独り言を呟いていると、男の部下である兵士の一人が部屋の中に駆け込んできて、何があったのか報告しようと声を上げる。


「でぃ、ディアスと思われる敵兵が単騎で正門に突っ込んできました!」


「た、単騎でだぁ!?

 ……ならとっとと弓矢で射殺しちまえば良いだろうが!」


 まさかの報告に思わずそんな声を上げてしまった男は、短く切りそろえたくすんだ金髪を両手で撫で上げ、平静さを取り繕おうとしながら言葉を返し……兵士がそれにすぐに応える。


「そ、それが、矢をいくら射掛けても……こう、見えない壁があるみたいに弾かれてしまうんです。

 ……恐らくは何らかの魔法だと思うのですが」


「あぁ!? なんだぁそりゃぁ!?

 ……確かに昔話の、建国王伝説の中には矢を跳ね返す魔法なんてものがあるが、あんなもんおとぎ話の類だろうが!

 ああ、それならあれだ、矢が駄目なら投石や煮え油で―――」


「油は今用意してますが、と、投石も同じく駄目で……な、何か手を打った方が……」


「手を打てったってお前、人間一人であの鉄門を前にして一体何をするってんだよ、破城槌や攻城兵器と一緒にやってきたってならまだ分かるが単騎なんだろ? 

 ……ああ、そうか、そのおかしな魔法は人間一人分しか守れねぇのか。

 だから単騎で……まぁ、あの馬鹿は砦の壁をよじ登って攻略したこともあるからなぁ、またそれを狙った……のか?

 だとすると……煮え油でどうとでも出来るだろう、魔法で煮え油そのものを避けられたとしても油まみれの壁を登るなんて真似までは出来ねぇはずだしな……。

 ……とりあえずその魔法もいつまでも効果のあるもんじゃねぇだろうし、矢は射続けてその間に煮え油の用意を―――」


 と、男が兵士に言葉をかけている中また先程にも聞こえてきた何かを叩くような音が、先程よりも強く大きく、砦全体を震わせているかと思うような振動を伴って響いてくる。


 ガァァンガァァァンとその音は二度三度と続き……あまりの音の大きさに驚き、言葉を失っていた男はもう一度髪をなで上げて整えてから……大きなため息を吐き出す。


「この音は破城槌じゃねぇな……となるとあの野郎、あの斧で城門を叩き割ろうとしてんのか?

 ……へっへっへ、相変わらずの馬鹿野郎め、そんな馬鹿な真似いくらお前でも出来るものか。

 よしんば出来たとしても、叩き割れた頃には疲労困憊……動けるかどうかって体力しか残らねぇはずだ。

 俺が考えた作戦でもってあの馬鹿みたいな体力を奪う予定だったが……はは、まさかわざわざ自分から体力を消耗してくれるとはねぇ」


 そう言って嫌な笑みを浮かべた男は腕を回し首を回し、固くなっていた関節を柔らかくしていき……そうしてから部屋の最奥へと向かい、そこに押し込んでおいた上等な鉄鎧を身につけ始める。


 部下の兵士はその光景を黙って見守り……男が笑みを浮かべたから、作戦という言葉を口にしたからと安堵の表情を浮かべる。


 この反乱が始まってから今まで男の言うことに間違いはなく、男の命令を聞いていれば全てが上手くいってくれて、酒にも食事にも困ることなく日々を過ごせている。


 更には懐にいくらかの金貨が入った財布を抱えることまで出来ていて……今回も男が上手くやってくれるのだろうと信じ切っていた。


 男の考えたディアスを消耗させる作戦とは、砦に籠もっての防衛戦に徹することでディアスの仲間を減らし、ある程度減らしたなら砦内に誘導し、仕掛けた罠と集めた兵士達を上手く使ってディアスを消耗させ、ディアスが弱りきった所で自分がトドメを刺すというもので……つまりはディアスを弱らせるために何十人かの兵士達を捨て駒に使うという内容だったのだが、そのことを知らない兵士はただただ男に全幅の信頼を寄せて、男の支度が整うのを静かに待つ。


 鎧を着込み、兜を被り、腰に剣の鞘を下げ、愛用の斧槍を手に取り……そうして男が支度を整えた瞬間、正門の方から大きく激しい、何かが崩れ倒れるような音が響いてくる。


「……まさかこんなに早く門を破るとはなぁ……。

 だが問題はねぇ、砦内部へ繋がる扉は封鎖した上でレンガで覆って隠蔽済み、正面に見えるのは広々とした中庭だ。

 どうせディアスのことだ、まず目に飛び込んできた中庭に真っ直ぐに来るはずで、あそこに仕掛けた罠であの野郎を消耗させてやる」


 支度を整えた男はそんなことを言いながら、中庭を望む窓へと再度近付き、中庭の様子を覗き込むが……そこにディアスの姿はなく、罠に引っかかったディアスを奇襲するはずの兵士が、未だに物陰で呆然としながら待機している様子だけが視界に入り込む。


「あぁん? ディアスはどこに―――」


 男がそう声を上げた瞬間、また先程のような轟音が響いてくる。


 それは恐らくディアスが、門から少し進んだ先の、左右それぞれにある砦内部へと繋がる、周囲の壁と同じレンガで覆って隠したはずの扉を叩いている音で……あのディアスが何だってまたあの隠蔽に気付いた上でそんな回りくどい真似を!? と、男が驚いていると、続いて砦の屋上部分にある歩廊の方から兵士達の悲鳴が響いてくる。


 男が慌ててそちらへと視界をやると、一見してモンスターのように見える、甲殻か何かを身に纏った鷹が兵士達を襲っていて……兵士達が持っていた弓の弦を、その爪で器用に切ったり、弓そのものをへし折ったりという、とんでもないことをしでかしている。


 兵士達もただやられているだけでなく、剣でもって斬りつけたり矢を射ったりしての反撃を試みてはいるのだが、剣はあっさりと躱されてしまい、矢はその甲殻……鷹用の甲冑のようなものに弾かれてしまい……その鷹は鷹とは思えない賢さで兵士達を翻弄し続ける。


「何なんだ、あの鷹はぁ!?」


 その光景を見て窓から身を乗り出した男はそんな声を上げるが……あの鷹が何者なのかよりも、どうしてそんなことをしているのかということをまず考えるべきで……男がそのことに気付くよりも早く、何十人かの人間がこちらに駆けてきているような足音が門の向こうから響いてくる。


 その音を耳にして男は、慌てて破られた門を適当な木材か何かで塞げと、砦内に入り込もうとしているディアスを妨害しろとの命令を下そうとするが……今更そんなことをしても手遅れだと、男の判断の遅さを咎めているかのようにディアスが叩いていた扉が破られる音が響いてきてしまう。


「ぐっ……ど、どっちの扉が破られた!?」


 扉は二つ、左右それぞれにあり、どちらかを破ってそこからディアスが侵入したはずで、そちらの方に兵士を動かし集中させるべきかと、そんなことを考えながら男がそう声を上げるが……また轟音が響いてきて、男の予想に反してディアスがもう一つの扉を殴り始めたということを伝えてくる。


 そんな状況の中で、ディアスの仲間達と思われる足音がどんどんこちらへと迫ってきて……その連中を弓矢などで迎撃しようにも、歩廊の上の兵士達は一羽の鷹に翻弄されてしまい、すっかりと無力化されてしまっている。


「ば、馬鹿野郎!?

 砦ってのは、門と城壁で足止めした敵を一方的に攻撃してこそ意味があるもんなんだぞ!?

 あの有様じゃぁ何の意味もねぇじゃねぇか!!」


 更に男はそんな……悲鳴に近い声を上げる。


 そもそもこの砦は500人もの兵士を押し込むには小さすぎる砦だ。

 砦の内部はぎゅうぎゅう詰めとまでは言わないが、廊下にまで兵士達の寝具を設置しなければならないような状態で……その数を活かして包囲するだとか、数の有利を活かせるような状況ではなくなってしまっている。


 せめて中庭が使えればまだ違ったのだろうが、落とし穴だのベアートラップだの、中庭に設置するには明らかに大きすぎるバリスタだのを設置したせいで、とてもではないが数を活かしての乱戦が出来るような状態には無い。


 ……ではどうするべきなのか、どんな手を打つべきなのか。


 いっそ逃げるべきなのか……? いやしかしここで逃げたらディアスを討てなくなってしまう……また機会を得られるという保証は無いに等しい……。


 そんな風に男が迷ってしまっている間にも状況はどんどんと悪化していき、まずディアスがもう一つの扉を破り、次にディアスの仲間達がやって来てしまい……そしてそれぞれ左右の扉に入り込んだのだろう、砦内部から激しい戦闘音と兵士達のものと思われる悲鳴が響いてくる。


 偵察に出た兵士の情報によるとディアスの仲間は30人程度で、そこまでの人数ではないらしい。


 しかし遠目でも分かる程にその30人は規律正しく、きびきびとした動きをしていたそうで、そこらの農民を集めたというような質では無いらしく……更には特徴的な禿頭、男がよく知る、モントによく似た男を見たなんて情報までが男の下へと届けられていた。


 あのモントは指揮官としては足りない部分があるが、教官としては優秀で、あれが育てたとなると、自分が用意した兵士達よりも質が良いということに―――。


「―――いや、そうか、モントか。

 モントの野郎がディアスについたのか、そしてジュウハはディアスの下にはいねぇ……となると、ディアスに命令を下しているのはモントか!!

 な、なら、ならまだ勝ち目はあるぞ、あの禿頭は古傷が痛むのか、いつもイライラしやがって、馬鹿みたいな八つ当たりと誤判断を繰り返しやがるからなぁ!

 それでジュウハから戦略戦術に口出すな、なんて言われたディアスにも負けない馬鹿野郎だあいつは!

 ってことはだ、直にモントからとんでもねぇ命令が飛んできてディアス達は混乱し始めるぞ!!

 おい、お前、そういう訳だからとりあえずの作戦は時間稼ぎを目的とした……」


 なんてことを考えて、そんな言葉を口にして、そうしてから男はすぐ側にいた兵士に命令を下そうとするが、つい先程までそこにいた兵士の姿は既に無く……ついでにいくらかの軍資金が入った箱と、ディアスに勝利した後に開けようと思っていた、とっておきのぶどう酒の瓶が無くなっていることに気付く。


 自室に入ることを許可した、一番優秀だったはずの兵士に逃げられた。


 そのことにようやく気付いた男は、手にした斧槍を振り回しながら人のものとは思えない絶叫を張り上げるのだった。

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