第248話 老公爵かく語りき


「兵士を愛し子のように扱えば、必ずや兵士はその命を賭してでも共に戦ってくれるだろう」

 

 メーアバダル領からの帰り道。

 揺れる馬車の中で若い騎士が、腰を落ち着けての食事も出来ないのは可哀想だとそんな言葉を口にする老婆が用意してくれた、干し肉を挟んだ白パンを食べていると、突然彼の主であるサーシュス公爵がそんな言葉を口にする。


「……それは、公爵家に伝わる格言か何かでしょうか?」


 一体どういった理由でそんなことを言い出したのかは分からないが、まさか主の言葉を無視する訳にもいかず、慌てて白パンを飲み下した若い騎士がそう返すと……手にした岩塩をじぃっと見つめていたサーシュス公爵がこくりと頷き、言葉を返してくる。


「祖父がよく口にしていた言葉だ。

 ……ディアスに仕えていた犬人族、あんな風に小さな犬人族はどういう訳か仕える者を金でもなく権力でもなく直感で選ぶ。

 直感で選んだ相手であれば全く報われなくとも驚く程の忠誠心を示し、自らが選ばなかった相手には山のような金塊を積まれても言葉を返すことすらしない。

 そしてその忠誠心の凄まじさゆえに、ほとんどの者が犬人族に報いることなく使い潰すようになってしまい……それが過ぎると彼らは何も言わずにただそこから去っていくのだよ。

 ディアスの下に仕えていた犬人族達はどのくらいあそこで働いているのかは分からないが、あの慣れようであれば半年か1年か、そのくらいは仕えているのだろう。

 それでも彼らは笑顔で、自ら進んで仕事を行っていて……どうやらディアスは彼らを愛し子のように扱っているようだ」


「……なる、ほど……。

 終戦時にディアス……いえ、メーアバダル公は余っていた……というかいざという時のためにと貯め込んでいた軍資金や物資を、仲間の志願兵達に平等に分け与えたそうですし、その辺りをよく弁えた将だったのでしょう」


「成功して名誉を求めず、失敗して罪を恐れず、ただ国家の安寧を願い、国王に利しようとする者こそ国家の宝である」


「それも祖父君のお言葉ですか?」


「いや、父だ。

 ディアスは救国の英雄となっても何かを求めたことは一度もなく、投獄された時には抵抗も言い訳も一切しない男だった。

 そもそも志願兵となったのも国家の安寧を願ったからで……そして今、陛下のためにこうして質の良い岩塩を用意してくれた」


 そう言ってサーシュス公爵は手にしていた岩塩を自らの顔に近付け、今にも舐めだしそうな距離でもってじぃっと見つめ始める。


「岩塩……ですか?

 ……あぁ、そう言えば陛下の直轄領で豊漁が続いているものの、塩が足りなくて塩魚にすることが出来ず魚を持て余しているとか?

 あの辺りは薪になる木材が少なくて海水から塩を煮出そうにも煮出せず……ああ、なるほど、そこでディアスが陛下のために煮出しのいらない上質な岩塩を用意したという訳ですか……」


 若い騎士は自分でそう言っておきながら、まさかそんなことがあるのかと驚いてしまう。

 今や国内の何処を見ても貴族達は次の王は誰になるのかと王子王女に視線を向けてばかりで、王に視線を向けようとするものは皆無に等しい。

 

 そんな中でまさかのまさか、忠誠心や義心といったものとは縁遠い存在であるはずの平民出身であるディアスが、進んで王に対しての忠誠心を示そうとしているとは……。


「ディアスはリチャード様の派閥との噂もあったが、どうやら違うようだ。

 陛下を支えようとする派閥……いや、国家を支えようとする派閥とでも言うべきか。

 ……恐らくだがディアスは誰が王になろうとも、それがかのマイザー様であっても安寧のため、民のためとそう言って忠誠を尽くすのだろうな。

 塩魚が市場に行き渡って喜ぶのは生産地を管理する陛下であり……それを安く手に入れてテーブルを豊かにする民でもある。

 ……ここからあの直轄領まで岩塩を運ぶとなるとかなりの時間を要するだろうが、それでもこれから岩塩が行き渡るという情報が流れさえすれば、いつか高騰するだろうと見込んで塩や岩塩を貯め込んだ者達が必死になって在庫を吐き出すことになるだろう。

 塩そのものも生活には欠かせないもの……その全てが国家の安寧のため、民のためと言う訳か」


 そう言ってサーシュス公爵は手にしていた岩塩をそっと……自らの横に置いていた白い布の中に置いて包み直し……それからウィンドドラゴンの頭を一つ取り出し、それを先程の岩塩のように顔に近付け、じぃっと見やる。


「たかが新参の公爵が、よりにもよってこの私に喧伝役を務めさせようとするというのはどうにも業腹ではあるが、十分過ぎる程の報酬を用意されたなら否とも言えん。

 メーアバダルの岩塩の話が広まり始めたら、良い折を見てそれが事実だとこの公爵が保証してやるとしよう

 ……しかし、こんなものを何の躊躇もなく三つも譲ることの出来るあの地は一体どんな魔境なのやらな」


 業腹と言いながらその頬が緩んだのを若い騎士は見逃さなかった。


 領民を救ってくれたという大きな恩のある相手であり、祖父と父の残した格言の体現者であり、今もなお救国の英雄であろうとするディアスのことを、この公爵が悪く思っているはずもなく……むしろ今回のことでその好感度はより大きくなってしまったことだろう。


 恩を返すためにと、ちょっとした悪戯心を付け足した上で用意した金塊も、目の前の品々に比べれば霞むばかりで、格の差を見せつけるはずが見せつけられたような形となり……そのちょっとした敗北感さえも、今の公爵にとっては頼もしく思えてしまうものであったのだろう。


「あとはもう少しの野心さえあればな……」


 その言葉を耳にして若い騎士はぎょっとして顔面を蒼白にする。


 あと少しの野心がディアスにあれば何だと言うのか。


 国家の安寧を願う忠臣に野心などは必要ないどころか邪魔なはずで……滅多なことを言わないでくださいよと、そんなことを心中で呟きながら若い騎士は額に浮かんだ汗を拭う。


「出身などは落胤であったとすれば良い、学が足りない部分は臣下達が補佐をすれば良い。

 更に上をと願う野心さえあれば違った道があっただろうに……ああ、惜しい。本当に惜しくなってしまうな」


「公爵様、お戯れはそこまでに……」


 言うか言わざるべきか、散々悩んだ上で若い騎士がそう言うと、サーシュス公爵はなんとも言えない笑みを口元に浮かべる。

 若い騎士のことをからかっているような、自嘲しているでもあるような、どうとでも取れるその笑みに若い騎士は何と言ったら良いものかと困り果ててしまう。


「祖父と父はどんな将が名将なのかをよく語る人達だったが、どんな王が優れた王であるかは語らない人達だった。

 平時であれば今の陛下でも問題は無いのだろうが……そうではない今の世ではどうなのだろうな。

 少なくとも子育てに関してはあれの方が優れていそうだな……ギルドに関してもそうだが、マーハティ領に連れてきたという双子も中々の器量だったと聞く。

 あれのように子育てに優れていれば、派閥だの何だのと後継で揉めるようなことも無いのだろう」


 困り果てている所に更にそんな言葉を重ねられてしまった若い騎士は、これはもう自分の手に負えないなと諦めて、余人のいない馬車の中なのだから構わないはずだと、そんな判断を下す。


 そうして若い騎士はつい先程に飲み下したパンと干し肉の味を思い出し……メーアバダル公は食に関しても中々のこだわりを持っているようで、あの犬人族達もきっと美味い食事を口にしているのだろうな……と、そんなことを揺れる馬車の中で思うのだった。

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