第243話 仮設関所での一騒動 その2



 ――――関所の作業場で 出稼ぎ職人


 

(早く面倒ごとが終わってくれると良いのだが……)


 そんなことを思いながら作業を進める、薄くなった灰髪を首後ろで縛り、皮エプロンを身にまとった彼がちらちらと視線を向けているのは、この領の領主令嬢であるセナイとアイハンの二人だった。

 

 いつも元気でいつも笑顔で、自分のようななんでもない職人にも気さくに声をかけてくれて、その姿を見るだけで楽しい気分にしてもらえる存在……だったのだが今日の表情は笑顔ではなく、少しだけ頬を膨らませての不満そうなもので……彼女達が笑顔でないだけで楽しい気分にはなれなくて……。


 頬を膨らませたまま作業場の隅にちょこんと座り、そんな彼女達を心配した犬人族達に周囲を囲まれている彼女達がそうなってしまっている原因は、関所の向こうの行商人達にあった。


 久しぶりに会えた親戚と一緒に、大好きな森に遊びに来たはずなのに、たまたま同じタイミングでやってきた行商人の様子がどうにも不審だという話になってしまい……一緒に遊びに来たはずの親戚がその行商人の顔に見覚えがあると言い出してしまって、そちらの対処を優先することになり……そうして事が終わるまで暇を持て余すことになってしまって……。


(セナイ様とアイハン様にとって春の森というのは特別な場所らしいからなぁ……。

 冬の間溜め込んだ活力だかで森の草木が輝いて見えて、今しか採れない力に満ちた薬草がたくさんあるとかで……毎日毎日楽しそうにそこら中を駆け回っていて……。

 親戚だというあのお二人とそんな森を楽しもうとやってきたはずなのに、現地に到着した途端お預けというのはなぁ……。

 よく我儘も言わずに我慢出来ているものだ……)


 そんな風にセナイ達のことを心配しているのは彼だけではないようで、同じように作業を進めている何人かも、彼とよく似た心配そうな……同情的な視線をセナイ達にちらちらと向けている。


 ここに働きに来ている職人のほとんどは、マーハティ領の領主であるエルダンに認められた者達だ。


 身辺調査は当然として、隣領で何か失礼なことをしてしまわないようにと事前に礼儀についての授業までが行われていて……その時にそんな風に視線を向けてはならないと教わっていたのだが……それでも彼を含めた一同が、セナイ達のことが心配で心配でついつい視線を向けてしまう。


『―――では、商売の前にまずどんな商品があるかの確認を―――』


 そうやって彼らがセナイ達に視線を向けている中、関所の門の向こうからそんな声が漏れ聞こえてくる。


 セナイ達の親戚だという女性の声……あの行商人の顔を櫓の上からちらりと見るなり、自分が対処すると即決し、行動を開始した女性の声を受けて、セナイとアイハンの耳がピクピクと動き……膨らんでいた頬が縮み、そちらの会話に興味津々だといった表情に変化する。


(あまり見かけない耳だけども、何かの獣人の血が入っているのだろうなぁ。

 そして俺達よりもうんと聞こえが良いはずで……表情からすると向こうの会話もしっかり聞き取れているという訳か)


 なんでもない人間族である彼にはどの獣人かという判別も出来ないし、門の向こうの会話をはっきりと聞き取ることはできない。


 だがセナイ達にはそれが出来ていて……きっとウサギなどの耳の良い獣人の血が……。


 ……と、そんなことを考えた職人は、そこで思考を打ち切って、その顔を左右に強く振る。


 セナイ達のことに関して他言することはもちろん、詮索もエルダンから厳しく禁じられていて、今自分がしていた思考は詮索だと言えないこともない。


 安全で金払いが良くて、良い宿舎に泊まれて美味い飯を食うことが出来て……上手くこなせば、領主様の覚えめでたくこれからも良い仕事を回してもらえるに違いないはずで……そんな良い機会、良い仕事をふいにするような真似は、たとえ心の中でとはいえすべきではないだろう。


 そう考えて職人が目の前の仕事に集中しようとしていると、またも門の向こうから会話の声が漏れ聞こえてくる。


『―――何を言おうが商品の確認はさせていただきます―――。

 そもそもここは関所なのですから―――。

 ―――商品の確認をしたからと言ってそれで商品価値が落ちる訳では―――。

 ―――そもそも我が領の御用商人はアナタもご存知のはずのアートワー商会で、そこを越えるような商品力がなければ―――』


『アートワー!? ってことはあの怪物エリーがここにいるのか!?』


 女性の声に行商人と思われる男が怒声に近いような大きな声を返し、その声を受けてかセナイとアイハンが頬を赤く染め、眉を釣り上げる。


 更には頬を大きく膨らませ……いかにも怒っていますというような表情となる。


 それは周囲の犬人族達も同じようで、鼻筋にシワを寄せながらグルグルとうなり声を上げていて……そんなセナイ達の怒りを煽るかのように、男が更に大きな声を張り上げる。


『御用商人がギルド幹部!? ギルドが先回りをしていたとは聞いていたが、そこまで入り込んでるたぁ何事だよ!?

 ってまさかお前達も幹部なのか……!?

 ……おい、おいおいおい! まさかその顔! お前が悪辣アイサか!?』


 商人がそんな声を張り上げると……他の何人か、商人の護衛と思われる男達がざわつき始める。


 護衛達も顔は知らないまでもその二つ名を知っていたようで……口々に彼女がどうしてそう呼ばれることになったのかを話し始める。


 曰く優秀な魔法使いである。

 だけれども真っ当な魔法の使い方をしない。

 最も有名なのがそこらの砂粒を掴み、魔力で以ってそれらを発射するという名前もないような、魔法と言って良いものかを悩むような魔法で……弓矢よりも勢いよく鋭く発射される砂粒は、肌や服にも容赦なく突き刺さるのだそうで、それが目に入ろうものなら失明の危険性すらあるらしい。


 そんな魔法で相手を怯ませながら拳を放ち、蹴りを放ち……そうした攻撃中にもついでとばかりに砂粒を発射してくる。


 極々小さな砂粒を飛ばすだけなので大した魔力は消費せず、そこら中にある砂を武器としているので、武器が尽きることもない。

 

 近くに剣やナイフなどあればそれを使うし、砂利があれば砂利を発射するし……ギルドに嫉妬したなどの理由でギルド職員を襲撃し、その悪辣としか言いようのない戦い方でもって撃退された者の数は護衛達が知っているだけでもかなりの数となるらしい。


(……そう言えば以前、そんな話を何処かで聞いたな……。

 ギルドに所属している商人達は誰が鍛えたのか、皆が皆戦闘を得意としているとか……)


 護衛達の話を聞いているうちに職人は、そんなことを思い出す。


 商人自身が戦闘を得意としていて、更にギルド全体で多くの傭兵を雇うことで護衛としていて……傭兵達も安定収入が見込めるからとギルドからの依頼を優先するようになっていて……。


 そんなギルドの馬車を襲うような盗賊はほとんどおらず、仮に襲ったとしても返り討ちに遭うのが関の山で……だからこそ商品が無事に届いてくれる。


 確実に商品が届くというのはそれだけで大きな武器となる訳で、結果誰もがギルドとの取引を望むようになった。


 そうしてギルドは今の立場を得ることになり……そんなギルドが求める商売相手は―――。


『私達ギルドが求める商売相手は、まともな商売が出来る真っ当な商人とお客様のみ。

 そしてそれはこのメーアバダル領も同様です、アナタが真っ当な商人であるなら、私達ギルドもメーアバダル領もアナタを歓迎いたしましょう。

 その為の場もまさに今建設中で、この関所もまたそういった人達を守るための施設なのです―――』


 それは凛とした声だった。力強い言葉だった。

 門を隔てても尚はっきりと聞き取ることが出来る言葉で……まともでないらしい行商人を諭すような優しさも含まれていた。


 作業中の職人達全員が手を止め、その声に聞き入る中……相手の行商人は一体そんな言葉の何処に腹を立てたのか声を荒げ始める。


 その声は本当に酷いもので聞くに堪えないもので……身内を続けて怪物、悪辣と呼ばれたことに腹を立てていたセナイ達が、ついに我慢の限界に達したのか行動を開始し始める。


 まずそこらに落ちている枝を拾う。

 そしてそれらを折り砕き、小さな木片にしながらゆっくりと関所へと近付いていく。


 そうしたなら関所の下部にある、小さな扉……職人達が持てる限りの技術を尽くして作った、犬人族用の隠し扉の方へと近付いていく。

 

 その隠し扉はそこに扉があると見つけにくいように工夫されていて、あちらから開けにくいようにも工夫されていて……小柄な犬人族達がなんとか通れる程度の大きさに作られたものである。


 その扉の小ささは腹ばいになったセナイ達がギリギリ通れるかもしれないもので、まさかそこから向こうに行くつもりかと職人達が慌てる中、扉の前で腹ばいになったセナイ達は静かに扉を開け、そこから覗き込んだ上で相手を見つけ、木屑を握った両手を少しだけ突き出し……その両手の中に魔力を込め始める。


 そんな二人の様子を見た瞬間、職人は察する。

 先程護衛達が話していたアイサの魔法を真似しようとしていることを。


 何故砂粒ではなく木屑を選んだのかは分からないが、二人の構えや魔力の流れでそうだという確信を得た職人は、慌てて二人の下へ駆け寄ってそれを制止しようとする。


 そういうことは大人に任せておけばいい、怒りに任せて他人を傷つけるなんてとんでもない。

 

 と、そんな言葉が職人の口から漏れ出ようとした……その時、そんな二人の動きに気付いたらしいこの関所の主、クラウスが手にしていた槍の石突で地面を強くトントンと叩く。


 それはセナイ達への制止でもあり、周囲で待機している犬人族への合図でもあり……合図を受けてすぐさま犬人族達は大きな声を張り上げる。


 鋭く吠え、唸るように吠え、遠吠えをする者もいれば、相手に聞こえるように強く地面を蹴る者もいる。


 その声は関所からだけでなく、森のそこら中から響いてきていて……クラウスの意を受けて動く者達が関所の周囲をしっかりと包囲しているということも伝えてきていて……その声の主が犬人族だと気付いているのか、それとも軍用犬か狼だと考えているのかは分からないが、とにかく自分達が不利な状況であると、ようやく悟った行商人達は大慌てとなる。


 大慌てとなり、悲鳴のような声を上げ……そうしてまず護衛達が踵を返して駆け出し、慌てて手綱を操って馬車を走らせ始める。


 遠ざかっていく足音と蹄の音と車輪の音と……そうして犬人族達が吠えるのをやめると、関所の周囲はいつも通りの……木々の虫のざわめきが響く日常の音を取り戻す。


 どうやら無事に済んでくれたようだ。

 面倒なことにはならなかったようだ。


 職人がそんな事を考えてほっとため息を吐き出していると……セナイとアイハンはいたずらを実行出来なかったのが不満なのか、隠し窓の向こうを覗き込む体勢のまま、その両足をじたじたと暴れさせ始める。


「そ、そんなことをしてはいけませんよ、服も膝も汚れてしまいますから……」


 そんな二人を見て職人がそんな声を……できるだけ優しく静かに響かせた声をかけると、セナイ達がちらりと職人の方を見て……そして素直に『はーい』と同時に声を上げて、足をばたつかせるのを止める。


 平民の注意を素直に聞いてくれた、二人の貴族令嬢の素直さに職人がほっと胸をなでおろしていると……どういう訳か、またも馬車の車輪の音が門の向こうから聞こえてくる。


 今去ったばかりのはずなのに、どうして戻ってきてしまったのか……と、そんなことを職人が思ったのは一瞬のことだった。


(いや、違う、さっきの馬車ではないな。

 護衛の足音の数が明らかに多いし……車輪が大きいのか馬車が重いのか車輪の音も大きいようだ。

 ……まさかすれ違いで別の客がやってきたのか……?)


 そんなことを思うと同時に、クラウスがその馬車の御者と護衛達に挨拶を……丁寧な挨拶をし始めて、どうやら先程とは別格の客が来たらしいということに気付いた職人は、改めてセナイとアイハンの側に駆け寄って……地面に腹ばいになったことで服を汚してしまった二人を、客人がここを通る前に家に戻してあげた方が良いだろうと考えて、二人にだけ聞こえる小さな声をかける。


「お家にお帰りになって、お父様とお母様に大事なお客様が来たことをお伝えになったほうがよろしいのではないでしょうか?

 お二人がそうしてくださったならきっとご両親もお喜びになりますよ」


 職人のそんな言葉を受けてセナイとアイハンは……顔を上げてぱぁっと明るい笑顔を浮かべて、そうしてから職人に向かって大きく頷き……それから愛馬の下へと服についた土を払いながら駆けていくのだった。

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